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2005年06月30日
子供の練習
ヴァイオリンを習ったことのある方はご存知だと思うけれど、弓を弦の上に乗せてまっすぐ動かすのは、実は大変に難しい。右手の腕だけでやろうとすると、弦の上を弓が前後に踊ってしまう。具体的には、肘の屈伸とともに手首の角度を調節して、弓を弦の上でまっすぐ動かす、ということをしなければならない。
ヴァイオリンを始めたばかりのかさねさんは、ここのところがどうもうまく行かない。肘から手首までがガチガチのまま、無理矢理運弓している。肘が弧を描いて後ろに行ってしまう。これではいい音が出る訳もない。
しかし突然、わかったようである。肘を曲げのばしすると、腕全体の力が抜け弓を動かしやすくなる。弓を持つ手の形も崩れにくい。まだまだ巧く行かないが、はじめの一歩を踏み出した感じ。
うまくいくと、調子に乗ってるうちにばば〜っとすすめたくなるのが親心。しかし、ここまでじょーずにできたから、今日はおーわり!ってのが子心。あせらず、ちょっとずつ行きましょ。
2005年06月22日
般若心経
かさねさんのヴァイオリンケースに、先生から頂いた名札がついている。
かさねさんが名字を指差し「これはなに?」と聞くので、
「漢字だよ。名字。」と答えると、
「かんじって、かんじーざいぼーさーぎょーじんはんにゃーはーらーみーたーじーのかんじ?」
と言う。しばらく前に祖父が亡くなったため度々耳にしていると思うが
幼児としてはそのリアクションはいかがなものかと・・・。
しばしば仏壇の前にすわっては、
「おきょーどく!」と言いつつ、それらしく団扇を前におし頂いて
何やらお経らしきものを唱えているのが、おかしい。
さて、先日大覚寺にお華の総会に行った訳ですが、
そのときに、大覚寺の歴史について述べてある本を頂いた。
つらつらと読んでいると、空海と嵯峨天皇が般若心経の理念のもとに
国家の危機を乗り切り人々の困窮を救った、なんてことが書いてある。
般若心経については、素晴らしいって言う人も入れば、だから何?ってひともいる。
以前読んだ本の中には、「無だ無だ、なんていったって人間の営みとそこから来る苦しみは『無い』わけないじゃないか!おいこらなんとかしてくれ!」なんて言葉ではなかったですが(笑)こんなようなことを書いてた人もいました。
私自身は、般若心経を唱えると、何やら時間が止まって周りが静かになり、どこかで大きなチカラが動いているのを感じてちょっと不思議な気分になる。また自分が唱えられる唯一のお経ということもあって、好きです。凡人なので、陳腐に「好き」だという以上には言えないし、そこから何か真実を得ようなんて大それたことは思いもしない。
けれど、歴史の中で、般若心経が素晴らしいと考えた人がおり、その人々が般若心経の理念をもとに政治をしたり、建物を建てたり、仏像をつくったりしたわけです。そうした事実がある以上、やはり般若心経が素晴らしい哲学だということが、私たちのような凡人対し、目に見える形でわかる訳ですな。なまんだぶなまんだぶ。
2005年06月19日
嵯峨御流の総会
華道の総会。
嵯峨御流の本山の、京都嵐山の大覚寺で。ダンナサマが京都で学会だったのを言い訳に、ママをまきこんで京都までついてきてもらって総会の間子守りをしていてもらう。
退屈な(失礼!)午前の総会が済んで、午後からは勉強会。基本の荘厳華と、それを比較的あっさりといけることのできる花器、如法筒での活け方、さらにその応用と、1時間半ほどの講習会で非常に得るところは大きかった。
久々に師匠にも会うことができ、子供も見せることができた。みつひろくんが異様に師匠になついていたのがおかしかった。
5時過ぎにダンナサマと落ち合い、烏丸御池にある和久伝という料理屋へ。ママ行きつけの店である。個室を用意して頂き、おいしい料理を堪能した。ママは子供たちに、トロトロのトロやらアワビやらを食べさせていた。トロはともかく、アワビなどくちゃくちゃとやったあげくに噛み切れずに吐き出していた。もったいない話だ(それでも美味しかったと見え、噛み切れなかった分もしゃぶり尽くされてたけどね)。鱧が出るかと期待していたら、鱧ではなく穴子が出た。これがまた絶品であった。
2005年06月12日
BON
名古屋ブルックナーオケの本番。
ステージに出て、まずお客様の入りの悪いのに驚く。300人も入ってなかったのではないのかしら。市民会館ががらーんとして感じる寂しさだ。一曲目の悲劇的序曲は、その動揺が隠しきれない演奏・・・だったのは私だけ?時間切れでリハができなかったのも痛かった。
二曲目のジュピターは、非常に集中し、演奏者としては非常に好演だったつもりだった。しかしやはりモーツァルトである。聴いている方にしてみればあらの方が目立ったようで、あまり良い評価でなかったようだ。
メインのブル0は、逆に評価が高かったようだ。いわゆる「ブルックナーの交響曲」のなかではとびきり短いし、あのしつこさがないのはあまり聴いたことがない方にしてみれば聴きやすいと思う。
私自身の反省は、やはりさらいきれていないこと。譜面から目を離すと落っこちそうになるのでかじりつき。譜面を見ながら周りに気を配る技量はない。といったところだ。結果アンサンブルが甘くなったり、間違えて弾いて動揺したり、いろいろ事故を起こしてしまった・・・。ゴメンナサイ。
2005年06月09日
金魚
お祭りで本物の金魚すくいがやっていました(きょうび、金魚すくいも偽物ばかり!悲しい)。とうぜんかさねさんは一匹も救えず、小さな金魚を二匹、袋に入れてもらって帰ってきました。
翌日、早速金魚鉢を買ってきて入れてみました。伝統的な形の金魚鉢に白い石を入れ、イミテーションの水草を入れて完成。何だかかわいくて涼しげで、うれしくなっちゃいました。
かさねさんのえさの入れ過ぎにより水が汚れ、既に一匹死亡。でもあと一匹は元気に泳いでいます。いつまでもつかな・・・なんて不謹慎?! かさねさんは「死んじゃったね、また買ってこようね」と、命の大切さを教えようという意図を全く無視したコメント。親が親なら、子も子、ということなのでしょうか(苦笑)。
2005年06月05日
モーツァルトの効能
ブルオケの練習。モーツァルトをやるといつも、なんて自分はヘタクソなんだろうと思い知る。音の処理・音程・音楽性全てにおいて全然ダメである。ときどきやると、大変いい薬にはなるんですけどねぇ。
先生に「周りの音をもっと良く、聴いて、聴いて!」と言われるが、どうもうまくいかない。コンマスのS氏が苦笑して「聴かない方がいいのかなぁ」なんておっしゃるので「そんなわけないですよぉ」なんて言いながら、私も内心、そうだなと思っていた。
なぜうまくいかないのか。それは自分たちの処理能力がおいついていかないからなのだ。モーツァルトの曲は、一番表に聴こえている音の他に、本当に複雑でかつ無駄のない「聴こえてこない音」が存在する。もちろん、専門家や、ちゃんと訓練した人・勉強した人には聴こえるのだけれど、シロウト(というか、私(^^;)へ..)には普通聴こえない。スコアできっちり勉強し、頭の中で曲を整理できればまだいい。しかし今の私は圧倒的に勉強不足。自分の受け持つ音をさらうのが精一杯である。
こんな状態で他の音を聴こうとするとどうなるか。ちょっと意識するだけでも、あっちでもこっちでも仕掛けだらけ。いや、ちゃんとできていればとっても素敵な仕掛けなのである。ところが勉強不足の者にとってはそれが、危険なトラップと化する。あっちでもこっちでもトラップに足をとられ、よろめき倒れそうになったところに、うしろから音の洪水が迫ってくる。もう息も絶え絶えな状態、それでも何とかついていく・・・とそこにはフィンガリングの大きな壁!ノックアウトである。
多分私だけじゃないと思うな〜(笑)。
という訳で来週日曜日、ブルオケでジュピターやります。前プロはブラームスの悲劇的序曲。メインはブルックナーの、何と0番!良かったらおいで下さいね〜!
2005年06月04日
お祭り
家の近くでお祭りがあったので、子供をつれて出かけた。規模はそれほど大きくないが、花火大会がある。近所のスーパーで発泡酒を買って、屋台でたこ焼きやらどて煮やらを買い、堤防沿いまででる。河川工事のためにフェンスが張られていたためか、見通しは悪いが人も少ない。結構近くまでいったのにのんびりと花火見物ができた。連続して打ち上がると、花火が大きく広がるたびに、自分が花火に近づいて吸い込まれそうな錯覚に陥る。子供も大はしゃぎで光の粉を見つめていた。
2005年06月03日
岡部美代治さんの勉強会
アルビオンのセミナーに参加。今回は、店主クラスの方が多い、経営者向けのセミナー。とはいっても、それほど小難しい話ではなく、要は「一緒にお店を盛り上げていきましょう!」と、前向きな気持ちになるため(?)のセミナーです。
午後から、メラニン分析についての時間が設けられており、なんと講師が岡部美代治さん!尊敬するビューティーサイエンティストです。
「美」の科学 「ビューティサイエンスの庭」
感覚で語られることの多い美容業界において、岡部先生のコメントは非常に明快。考えをまとめるきっかけを作ってくれることもある(もっとも、自分自身が岡部節を踏襲するだけに陥らないように気をつけねば、といつも思うけれど・・・)。
話は変わるけれど、メーカーの勉強会ではしばしば、「私たちは夢を販売するのが仕事ですから・・・」なんていう言い回しが使われる。化粧品は、あるいはキレイになることは女性の夢である。だから私たちは、夢を売ることのできる素敵な自分になり、夢を売るべく演出をしましょう、という趣旨だろうと思う。
そんなとき、私は複雑な気分になる。もちろんそれは間違いではないだろう。化粧品の夢としての素敵さや、あこがれって、確かにあると思うから。しかし私は、化粧品あるいは化粧することは、生活のなかに無理無く存在するべきものだと思う。キレイにしたいのは顔やボディだけではない。女性であるからにはなんて言いたくはないけれど、ハウスキーピングと両立できなければ、美しさも見かけだけのものでしかないと思う。また、農業を営んでいる方や、保母さんなどの、よく日焼けした笑顔は、本当に美しいと思う。飲食店で働く方のがさがさの手指は、尊いものだと思う。美しさって、メディアが紹介するステレオタイプの美人のそれだけではないと思う。
だから私がお店でいつも心がけていることは、その方の無理なくかけられる時間的・金銭的コストの範囲内で、最大の効果を出すこと。化粧品が現実の世界でちゃんと活かせなければ、意味はないと考えているからです。だから使い方や効果もなるべく正確にお伝えしたいと思うし、高いものを使うことよりもむしろ丁寧に使うことの方が大切だと思っています。
しかし悲しいことに、接客技術がないんですね。説得力をもってお客様にお伝えすることができない。よくコミュニケーションのとれているお客様ならこちらの意をくんで下さるのですが、第一回目からそれを端的に伝えることができないのです。意図を正確に伝えられなければ、当然耳に心地いい方に流れてしまうでしょう。それとも私の前提が間違っているのでしょうか。
ということを、思い悩むことが多いんですね。そこで岡部先生に、化粧品は夢だと思うか現実だと思うか、という質問をしてみました。
先生のお答えは
化粧品は夢である部分もあり、現実である部分もある
その人のあるがままの姿(現実)はそれとして、
こういうあなたもある、こういうあなただってある
ということをお客様に気づかせてあげることができるのではないか
そして、今存在しない様々な「あなた」がすなわち「夢」ではないか
私のつたない表現力ではこんな陳腐な言葉になってしまいますが、おおむねこういう趣旨のお答えを頂き、何か心のつかえがすとんと落ちたように感じました。
今後、お店がどのような方向にもっていくのか。私なりによく考えてみたいと思います。