美しきもの (不相変の冬)      第一部       

日比  工

窓一つ                         

愛する友達へ寄すリーダーアーベント

「貴方の内にお入りなさい」

 僕の三冊目の本を読んだと云って早速手紙を下さったのはW先生だった。

 W先生とはもう久しく会っては居ないが、その独特の字体は以前よりも字らしくなっていた。手紙の内容は僕の本を真に理解してくれた人としての感想。非常に満足だったけれども、僕は先ずW先生の長い睫を思い出して居た。

 長い睫と深い大きな瞳とを持ったW先生に僕は十九歳の頃、リルケとニーチェとバルザックとを學んだのだった。

 『若き詩人への手紙』僕の詩の批評文の直ぐ後に、W先生から送られて来たリルケの薄い文庫本はそれ以来僕の枕頭に息をしている。

 [貴方の内にお入りなさい]此のライナー・マリア・リルケの一言はやはり、長い睫と深い瞳の中に僕を見詰めている。口髭を気障っぽく蓄えたリルケと長い睫のW先生を僕は何時も一緒に思い出して仕舞うのである。

 そして更にあの絵画のような手紙を思い出す。

 太い大きな万年筆に書かれた青いインクの文字にはフレッド・アステアのタップの聞こえる風であった。真白な便箋に西洋漫画の如く翔び跳ねるW先生の文字に、僕はかたちという言葉を感じながら手紙を幾度も読んだ。

 W先生の文字は互いに背き合いつつも、一つの言葉に成ろうとする瞬間だった。

 それはまさしく美的自己主張であった。しかし今日届いた便箋の上には微かにその主張の密度の薄らいだかに思われた。

 字体こそ変わらぬもののF・アステアの快活なタップの音も、西洋漫画のジグザグしたペーソス的運動も何故か陰を潜めていた。一体先生の美的主張はどうしたのだろうね。

 長い睫と深い瞳と、机の上に正確に組まれた両手の奇麗な指のW先生は今どうしているのだろう。何を読み何を考え何をお書きなのだろう。

 W先生の手紙には[元気]と有ったが、元気にも色々在る。[多忙]手紙にこういう文字の多いのに、僕は不安を覚えた。W先生という人には元来相応しくない筈の此の[多忙]は僕に大変不愉快であった。

 僕の机に肘を付き大きなパイプを手に、ゆっくりと詩を語って下さったW先生からは想像出来ぬ[多忙]である。

 では何に多忙になったのだろう。僕は考えたが一向に思い付かぬのだった。

 大阪の或る中学校に社会を教えるW先生は或いは詩を書かなくなった詩人かも知れぬ。詩を書かぬ詩人、友よ此の世には通用せぬ言葉だけれども少なくとも僕の部屋には許してくれ給え。若い頃W先生は二冊の詩集と一冊の評論集とを出版されたが理解を拒絶し現在の中学教諭に甘んじていると云う。 何時迄経っても不愉快な僕の額の端にフランツ・クサーファ・カプスという名の過ぎるのを僕は感じて居た。

 『若き詩人への手紙』に若き詩人として登場したカプスの名は何故か僕とW先生との間に使い古した真空管のように以前から横たわっていた。カプスという真空管は今にもどちらかに転んで消えて了いそうだった。

 あの偉大なリルケに感動的な且つ美しい手紙を贈られながらその数年後には、日常生活の苦悩に低俗な雑誌に小説を連載せざるを得なかった人の名を僕は何時の間にかW先生の独特な青い文字に感じて居た。タップを踏みトムとジェリーのように追い駆け合う文字の背後に、日常生活の苦悩らしきインクの染みは散っていた。

 しかし僕はやはり、タップを踏み鳴らし快活な動きに並んでいたW先生の美的主張を信じて居よう。 長い睫と深い瞳と、小さな体と大きなパイプとそして更に大きなショルダーバックと、そんなW先生は又此の机に肘を付き僕の文体に色彩と匂いとを要求して下さるだろう。

 [殆ど全ての真面目なものは苦しいのです]僕はそう云うリルケのカプスへの助言を、何時かW先生の口から聞いたのを覚えて居るが多分それは先生の確信された答なのだろう。

 日常生活の苦悩も或いはリルケの云う[全ての真面目なもの]かも知れぬ。だとすれば、W先生は今[問い]を生きておられるのである。[多忙]という一言も真面目なものの中の一箇所に違いないのだろう。

 日常生活の苦悩にカプスは自らのペンを浸して了いその才能迄も見失ったがW先生はどうだろう。果たして何も書かぬということの無抵抗さは日常生活の苦悩に抵抗を完全に拒否することなのだろうか。何かを書こうとする詩人も何も書かなくなった詩人も大方敗者ではない。

 日常生活の苦悩とはつまり、日常生活の苦悩という長大な詩の世界に生きられなかったカプスという物書きの見た悪夢に過ぎぬ。ブラウン管の中に今背伸びをした君、君もやはり自分は詩人だと言い張るのだろうね。

 日常生活の苦悩はW先生には無関係の領域かも知れぬ。僕は唯そうで在ることを願って居る。

 長い睫と髪の毛と深い瞳とそしてリルケの文庫本、W先生は今[多忙]という詩の中に日常と戯れておられるのだろう。

 やがて春に成れば、自転車に乗った何時も瑞々しいW先生に又会えるだろう。フランツ・クサーファ・カプスの名はもう思い出さぬことにする。

 冬の夜は永く静かだ。

 友よそれにしてもW先生の文字を読むには字の形を思い出す良い練習だよ。

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