美しきもの (不相変の冬)      第一部       

日比  工

窓一つ                         

愛する友達へ寄すリーダーアーベント

「マルテ」

 [此れを書かねば僕は死んで了う]マルテ・ラウリッツブリケはそう独白しながら、巳里の一室に幾つかの静かな夜を過ごしたのだ。マルテも又詩人の覚悟をそんな風に会得し貫いた詩人であった。友よやはり、詩人という一言は不相変美しいよ。

 さて僕は三冊目の著作のブックカバーを今日受け取ったが、それは可成り僕の満足するものだった。嘗ての二冊のカバーよりは派手では無い白と紺との真中には僕の注文通り、ゴヤの「ミルク売りの乙女」のタイルの如く嵌っていた。

 最晩年病床のゴヤの家の前を、毎日通り掛かった可憐な乙女は画家の最も遠い筈の許されたる女性だったとは言えぬだろうか。既に生気の薄らいだ画家の魂のトーンは或る意味に於いて此の絵に一層生気を与えている。

 僕は前回の出版の際にも此れを望んで居たにも拘らず、別の肖像画に換えられたのである。それは余りに現代的な女性を描いた日本画だった。

 まだ若い文士の僕には唯我慢しかなかった。その時から「ミルク売りの乙女」の中を往復する沈黙を言葉にしたいと願ったのだった。

 「ミルク売りの乙女」の沈黙は僕に多くの言葉を語った。乙女の微笑の裏に僕は、僕の言葉の顔を見付けようとした。そこから僕の詩人への憧れは再発したと言える。

 比喩と表現とを、僕は人生に置き換えて仕舞ったのである。まさしく詩人という一言は不相変美しいよ。だから此の一冬に確かめてみる。友よ君も多分、詩人という一言の内に住んでいるのだろうね。 しかし僕は素直に詩人に成れなかった物書きなのである。

 詩人として世に認められるよりも世を圧倒するような物語を書こうと思って居た。実際僕は八つの小説を書いたがそれ等の登場人物は何れも日常生活に欠けていた。

 小説の中の出来事の背後に有る筈の日常生活を書くのはすこぶる下らぬことに思われ、僕はそれを排して出来事のみを追い掛けながら己の主張を並べたのだった。のみならず、日常生活に縁の無い僕にはそれは正しかった。登場人物の動き(日常生活)は総て言葉によって立っているばかりであった。

 言葉に全ゆる動きを著そうとしたのだった。そう人の日常生活その物に僕は一向価値等認めず、言葉をそれ以上に重要だと考えて居た為である。

 人は言葉に思考を委ね自分が自分であることを自覚して生きている。したがって日常生活よりも言葉を優先することは当然である。

 詩人にはつまり言葉しか必要ではないということに気付いてから僕は詩人に憧れたのである。

 冷たき夜である。

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