美しきもの (不相変の冬)      第一部       

日比  工

窓一つ                         

愛する友達へ寄すリーダーアーベント

「中原中也」

   私の上に降る雪は

   真綿のやうでありました

 中原中也の名詩の一節だが、丁度今真綿のような雪は降り止んだ。昨夜から降り続いた雪は一体、僕の窓辺に何を描いたのだろう。僕は中原中也の命にそんな雪の在るのを思い出した。

 否、中也の上には真綿の雪の降った後の冷たさの残っていただけである。冷たさは痛みに代わって中也の人生を駆け抜けた時、彼は詩を書いていた。

 詩は書けば書く程、彼に人生の冷たさを教えた。恐らくは今の僕の状態に此の詩は似ているかも知れぬ。

 詩人、僕は永い間此の一言の自分に対して使われるのを嫌って来た。

 詩人という一言は何となく無意味に平面的なことだろう。少なからず僕は他人の口から此の一言を聞く度に軽笑と揶揄とを感じて居た。しかしそれだけに愛しても居たのだろう。

 詩人という一言は透き通る程、美しいトーンを持っていた。紛れもなくそれは真綿のような響きだった。

 僕の窓を今年になってから妙に詩人という一言の叩く様である。

 冬の夜は永く静かだ。

 中也の詩を辿りながら、僕は僕の窓の詩人という一言に夢を預けよう。友よ僕は中也と同じ歳になった。僕も彼の上に降り注いだ真綿の雪を感じて居る所だ。

 僕にはもう詩人の覚悟は出来て居る。詩人の覚悟とは何よりも先ず言葉に愛を見出すこと、そして黙って書くことだ。

 最近僕は詩人で在りたいとは思わぬ。しかしその思わぬということの意識性に僕は、詩人の覚悟を見出したのだった。つまり詩は詩人の日常言語に等しい言葉以外の何物でもないからである。けれども詩は言語ではなく歌である。或いは書き表さるべき文字でなければならず、決して日常生活の為の言語であってはならぬ。

 中也は詩を日常言語のように書きながら、実は最もそれを愛してはいなかったと言える。最も詩人であった中也は最も日常生活者ではなかったのである。大きな帽子を被り黒いマントを着込んだ詩人は又誰よりも日常生活に憧れていたのではあるまいか。

 今日僕は雪の所為に思わぬ詩人に出会ったが此れもやはり君のお陰だ。詩人という一言は不相変美しいよ。僕は此の一言に人生を捧げる。

 右手、十五年間文字を書き続け、恐らく此の冬に自由を失うであろう右の手よ、僕に最後の夢を観せてくれ。そうしたらばあの雪の正体も詩人という一言の不思議な美の謎も、僕の内に一つの意味を提供するだろう。

 今三時十二分だ。ブラウン管に映った窓の何と優しいことだろう。その窓の中に背中を丸め物を書く君の何と自然な緊張感だろう。

 冬の夜は永く静かだ。

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