美しきもの (不相変の冬)      第一部       

日比  工

窓一つ                         

愛する友達へ寄すリーダーアーベント

「散歩」           

 今日の昼間僕は今年始めて散歩する積もりだった。しかし晴れていたにも拘らず、今日の冷え込みは此の京都でも稀だと云うことであった。のみならず、散歩と言っても僕は自分の足では歩けぬから、道路の凍結することは電動車椅子のスリップに繋がる。だからやむを得ず散歩を延期したのだった。

 此処洛西に越して来て九年に成るが、最近は散歩の回数の少なくなったのは何故だろう。電動車椅子から僕の内部へ伝わる地面の音に僕は何時も感動して散歩をして居た。その頃地面は電動車椅子の大きく太い車輪に生き生きとした呼吸を与えて居た。

 車輪という丸い足には常に呼吸する地面を感じて居た。大きく太い車輪、それは何時も地面の振動に敏感な感覚を剥き出しにして居たと言える。

 健康な二本の足の感じ取るよりも、此の洛西の竹林を敷いた地面は僕に正直だった。

 或る初夏の夕暮れ、僕は躑躅の茂った細道に二本の平行線を引き進んで行った。白い躑躅の咽ぶのを僕の電動車椅子は擦り付けて進んだ。なだらかな坂道だった。僕は近くの賑やかな公園の隅に自分だけのテーブルを数日前に見付けて、そのテーブルの妙に静かなのを親しみ深く想って居た。

 公園の隅に在るテーブルには毎日落書の書き直されるらしかった。書き直された落書には殆ど子供っぽいものだったけれども、哲学的な四齣漫画も含まれていた。縦も横も見分けられぬ落書の中から四齣漫画を見付け出すことは至難の技に違いなかった。

 畳半畳にも満たぬテーブルの上に入り乱れている人の顔やレーシングカーや花や動物や、そして見事に描かれたホメイニの顎髭。

 顎髭の先に菫だか、桜だか判らぬ花をピンク色に描いたのは何処かの上流家庭の女の子だろうか。僕はそういう落書を見付ける度に世界の居眠りを認めざるを得なかった。民族のおもちゃ箱に捨てられた主張という落書である。僕は当時此の静かなテーブルを愛して居た。

 以来時代に捨てられた哀しい言葉は僕の大きく太い車輪に染み込んだ。ホメイニの顎髭のピンクの花の語ったのは、竹林に幾度も跳ね返った哀しい挨拶だとは言い過ぎだろうか。

 そうだ、僕の愛したのは此の竹林の上を散歩した聴診器のような車輪かも知れぬ。

 あれから九年僕は随分洛西を歩いたものだが、何処に居ても僕の耳には青々とした竹薮の声は聞こえたのだった。今は午前四時、今夜は風の強い夜だ。

 冬の夜は永く静かだ。

 友よ、だからもう少し僕の丸い足のことを話してみる。それは昨年の最後の散歩の時だった。僕は例のテーブルの有る方角とは逆の方向へ電動車椅子を進めた。

 何故か、あのタルコフスキーの映像の如く澄み切った水の面の見たくなったからである。

 大きく太い車輪に又しても竹林の呼び声の纏り付いて来るのを心地好く感じながら、既に僕の頭には浅い苔色の沈んだ水の面は浮かんでいた。此処から徒歩七分ばかりのその池に僕は、昔人知れぬ隠れ家を持って居た。苔色の隠れ家、池の中に映じる苔色の風景に僕は僕の安心出来る隠れ家を見たのである。

 万象の入り込む余地等ない僕と自然との隠れ家であった。

 僕は僕の丸い足に幾分かの苔色の湿気を踏みながら、大蛇ケ池へと向かった。

 慌ただしい年の暮れだというに大蛇ケ池の付近にはシェパード犬を連れた、背の高い老人の歩いているだけだった。犬は老人の折り目の入った灰色のズボンに何時も尾を触れていなければ不安らしく思われた。老人も又同じだった。

 背の高い老人と大きく太ったシェパード犬、僕は思わず七十三歳のハンス・ホッターの唱った、シューベルトの『冬の旅』を思い出した。

 [川よ私の願いを知っていよう]「溢れる涙」の一節は可成りはっきりと僕の耳元に聴こえた。老人は犬に池の水を飲ませた後、自分の顔を水面に眺めていた。彼はふと僕を振り返って優しく微笑したが、僕には彼の目の何処か遠くを眺めているように思われた。それは僕の過去なのか未来なのか、兎に角僕の後ろには何か見えていたのだろう。その何かに彼は挨拶をしたように思えてならぬのである。

 僕は彼の長い眉毛の辺りに言い切れぬ言葉を見たのだった。

 僕はその老人の立ち去った場所に、例の電動車椅子の車輪を置いて見た。冷たい苔色の香気は、僕の胸の真中に不思議な力を通していた。今も彼の眉毛に見た一筋の光線のような言葉を忘れることは出来ぬのだ。そうして此の胸の真中に垂直に立っているものは一体何なのだろう。恐らくあのシェパード犬もこういう不思議な力に懐いていたのだろう。

 大きく太い車輪を通じて僕の身体に響いたものは果たして大蛇ケ池の伝説だったのだろうか。僕の過去にだか未来にだかそのどちらかに挨拶をして立ち去った老人の後には、大きく長く太い一匹の見えぬ大蛇のいるらしかった。

 大蛇は今迄に幾度か僕の肉体に巻き付いたことの有るのを僕は覚えて居る。君どうだろう。

 僕の散歩は実に何時も詩的であったのだ。詩的散歩、何となく此の言葉も気に入った。

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