美しきもの (不相変の冬) 第一部
日比 工
窓一つ
愛する友達へ寄すリーダーアーベント
「描く」
親愛なる友よ、君は今何かを描こうとしている。
何かを描こうとする君の直向きな気迫は此の僕にも、細かく書き記された文字を通じて痛い程感じられたのだった。僕は君に描けば良いと一言書き送れば少なくとも君への深刻な返事に成るかも知れぬが、しかし友よ聞いてくれ。
僕は今日君に書き送るべき一言を持ち合わせては居ない。
実を言えば僕とて、今は君と同じ苦悩を体験して居る最中だからだ。唯君と同じ立場から君と同じ苦痛を持った人間として少しばかり長い手紙を書き送ろうと思い立ったのだ。
友よ憶えているだろうか。何か大きな黒い鳥の羽撃く音という僕の何時も口にした言葉を憶えているだろう。あれは確か芸大のキャンパスを忙しそうに歩いていた君の脇に抱えられた一枚の油絵だった。僕は三人の友達に車椅子を支えられ階段を上ろうとして居た。君はそういう僕を見付けると直ぐに駆け寄って車椅子をがっちりと支えてくれた。そしてその儘君は他の三人の友達と共に僕を三階に有る講義室迄運んでくれた。その時君の部厚い胸の横に君の描いた鳥の絵は僕に黒い羽音を遺したのである。
以来僕の幼い頃からずっと僕を脅えさせていたものは眼前に姿を露にしたが、それは案外奇麗な鳥だった。恐怖とは意外にもそれに、近付くと眼には美しく映るものなのだろうか。それともそれは真の美かも知れぬ。
当時君は鳥を描くのに夢中だったが、君の描いた鳥達は総て人の眼を持っていた。のみならずその眼は皆雪を眺める少女のように淋しかった。
今君の眼も僕の眼もそんな淋しい一点の光を所有して居るのだろうね。
とまれ友よ、僕は君に始めて会った時絵画を愛する者としての共感を感じた。そうだ絵画を愛するとは決してそこに描かれている物を愛することではない。かと言って何故そこに特定の或る物は絵画として存在するのかと考えることでもあるまい。生まれて育ち愛して老いて行く僕等の人生の一瞬に最も美しい時間を与えることである。
形の無くなったものを[感じること]によって思い出すことでもある。しかし友よどんなに絵画を愛そうと僕には絵は描けぬ。今更それを嘆く気は毛頭ないが僕の愛する絵画とは、表現するというよりも此の人生の美しい一瞬を確かめることだった。
君には幾度か話したことも在るけれども、僕は絵を愛する余り絵に最も近い場所に居座ろうと考えたのだ。それは人の文字と云い言葉と呼んでいる処の観念の里であった。
友よ君になら解って貰えるだろうがつまり僕は此の冷たい観念の里に人生の美しい一瞬を描くべく生きて来たと言える。
そういう観念の里は僕の十歳の頃既に僕の周りを覆っていた。形の無くなったものではあったがそれはもはや海のような空のような森のような嵐のようなそして音楽のような風景を持って僕に近付いて来るではないか。君、僕は幼い心の儘にその風景を吸い込もうとした。抱き締めようとした。
しかしふと気付くと僕の眺めて居たのは水玉模様の傘だったり或いは、モノクロの朝のテストパターンだったりした。テストパターン、そう言えば僕は此のモノクロのTV画像の中に幼い日の空想を遊ばせて居たものである。
午前七時に当時のTVは放送を開始したが僕は、その十五分前からテストパターンに見入って居た。僕の眠りを常に妨げていた大きな黒い鳥の羽撃く音によって荒らされた僕の夜から朝への時間は静かなテストパターンだった。
君は君の幼年期にこんな経験をしたことは在ったろうか。例えば一つのものを怖いと想うとそればかり何時迄も頭の何処かに張り付いて離れぬというような。その耐え難い恐怖を僕は幼年期に大きな黒い鳥として経験して居たのだった。したがって当時TVのテストパターンはその黒い音からの静かな隠れ場になって居たのかも知れぬ。否それだけではなかった。
あのモノクロの画面に僕は恐らく海のような空のような森のような嵐のようなそして音楽のような風景を描いて居たと言えるだろう。静かなモノクロのテストパターンに僕の、観念の里は美しい人生の一瞬に満ちていたのである。言葉にして仕舞ったら何か物足りぬ表現になったけれども、そこは君の画家としての感覚に力を借りようと想う。
君もモノクロのテストパターンを憶えているだろう。静かな全ゆる色彩の、独白的意味に於けるあの画面を。形の無くなったものに対する郷愁の空間を。僕は当時祖父を失って間もなかった為にそんな郷愁を人一倍感じて居た。
つまり僕は早朝のテストパターンの静なる色彩に、形の無くなったものを観て居たのだった。それは何か大きな黒い鳥の羽撃く音と共に或いは、海のような空のような森のような嵐のようなそして音楽のような風景と共にテストパターンの内に響きながら僕を次第に導いたのである。何かを描こうとするそれは、紛れもないテストパターンだったのだろう。
友よ、君の心在る御手紙の応えとなり得たかどうかは判らぬけれども我々の意とする処の形の無くなったものを描こうという試みは恐らくそれぞれの美しい人生の一瞬の[事]なのだろう。
それは幻想ではない。空想ではない。
それは我々の祈りの如き人生のテストパターンではあるまいか。
それは幻想ではない。空想ではない。
それは我々の、個々の過去に基付いた精神的苦悩の風景に思われる。
その風景さえ在れば我々は、本能的に何かを描こうとしそれによって自ら苦悩を呼び込んで居る。しかし親愛なる友よ、我々は此の苦悩する心を愛して居る。美しい人生の一瞬をも愛して居る。そんな我々の此の上無く愛して居るものを、君は絵筆に僕は言葉に表そうとして努力し苦悩し更にその憧憬たるものを夢見て来た。そして今でも信じて居る。
しかし僕等は時として此の確固たる信念に細く小さな針を感じ自らの人生に就いてこうして悩むのである。しかし僕等には解って居る。
僕等の確固たる信念に何の疑惑も曖昧もないことを。僕は決して君の今のブランク状態を一種の気紛れだとも軽い迷いだとも考えては居ない。一昨日届いた御手紙は君の荒々しい息使いとどんどん迫り来る君の速い動悸とを僕は認めた。
友よ前にも書いたが僕もトンネルの最中なのだよ。形の無くなったものに気を奪われて仕方ないと君の御手紙に有ったけれども、今の僕には形有る物の一切空しいのだ。一切虚しい中に僕は独り己の信じた試みに耽って居る。今でもモノクロのテストパターンの中に住んで居るような錯覚を僕は時折起こして仕舞う。
君も何度か此の部屋を訪れて知っていようけれども僕の周りには静かな物しか無い。十二歳の頃から僕の周りは少しも変わらぬのだから却って奇妙だ。
今更言う迄もなく本棚は僕を囲み静かな薄桃色のゲーテ全集の、背文字の緊張感は心地好い。それから僕の正面にはもう、可成り旧くなった十八型のTVのどっしりと落ち着いている。僕のテストパターンを観て居たのは考えてみると、既に此れより四台遡ったTVだった。同じ位置に同じブラウン管の大きさに置かれた当時のTVを、僕は何時も夢の中に観て居るのだった。のみならずその夢の中にも僕は無色無音のテストパターンを飽きもせず眺めて居た。