美しきもの (不相変の冬) 第一部
日比 工
窓一つ
愛する友達へ寄すリーダーアーベント
「赤い薔薇と氷針」
僕は先程僕の夢の段々解って来たと書いたが、友よ夢という奴は赤い薔薇の匂いに似ているね。それは鼻腔を刺し貫いた一本の氷針だった。
氷針、僕は此の言葉の気に入った。
マラルメ、ランボー、ボードレール、コクトー、更にヴァレリー、彼等の書いた一行はまさしく赤い薔薇の匂いである。しかし彼等の書いたのは氷針と呼ぶには余りに恐ろしい世紀末の棘を孕んでいた。 若しかしたら僕の見た夢にそういう毒針の匂いを僕自身感じて居たとすれば、赤い薔薇の氷針は美しい。母の作った赤い薔薇は本棚のランボーを包んでいる。胡桃の残したクリーム色の音楽はまだ、デュバルクの小唄のように鳴り続けている。
友よ、急に寒くなったと思って居たら母は何時の間にかアナログプレーヤの真中にミルクに溶かしたような奇麗な青い小さな花を置いてくれている。一体此れは何というのだろうね。
冬の夜は永く静かだ。
だから君、美しきものを探すのだ。
花の在る部屋に季節の欠片を匂いながら、やはり僕は海という母に抱かれた寒い国を感じぬ訳には行かぬ。
そして友よ、此の国の冬は何処迄も美しい。
しかし此の国は震えている。僕の後頭部はその痙攣をはっきりと知って居るのである。
確かに今は、窓一面殺風景だ。けれども僕の背中に感じる窓の形をした冬は、自然としての無言花に満ち溢れている。自然としての無言花、不相変僕は此の殺風景の中に生まれた宝物に四季の見えるのを嬉しく想うのである。
ドビュッシーの小さな「プレリュード」に幾重にも重なった哀しい光の深さを僕はまだ信じて居たいのだ。アルフレッド・コルトー、僕の信じた光の折り目を此の大ピアニストは教えてくれたのだった。
マリアよ、何だか今日夢のことを書こうと思って居たのに。雪の夕。
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マリア、僕は今日些か気分良く机に向かって居る。
つい一時間程前僕は母に頼んで、窓の外を眺めさせて貰って居たのだからね。僕の鼻腔から白い僕の息の発つのを、此処暫く見ては居なかったが何と面白い眺めだったろう。別段始めて見た訳ではない自分の白い息に僕は何か人生のかたちのような一瞬を感じたのである。
[人生は地獄よりも地獄的である]
こんな芥川の一言を知らぬ間に口の中に転がしながら、火照った頬の裏に沈むのを待って居た。
僕は口を開けてゆっくりと息を吐いて見た。そうすると眼前に卵位のものの浮かんで数多の星を吸い込んで仕舞った。
空気は冷たく澄んでいたが、僕の卵型の魂は果たして冬の何処に消えたのだろう。近くの竹林の最も奇麗な一枚の葉の下に、僕の吐いた魂の欠片は生きているかも知れぬ。
僕は何時かそれ等の帰って来るのを待って居よう。帰って来たそれ等はあの芥川のアフォウリズムを覚えているだろうか。
[人生は地獄よりも地獄的である]しかし僕の人生は、地獄的な立体感も残っていないのである。
視覚有り聴覚在り、青春のその周りにくるくる回って僕には充分悦しく愉快だった。