美しきもの (不相変の冬)      第一部       

日比  工

窓一つ                         

愛する友達へ寄すリーダーアーベント

「クリスタ・ルードヴィヒ」

 今日、僕はクリスタ・ルードヴィヒの歌うマーラーの『大地の歌』の最終楽章「告別」をテレビに見て涙したが、果たしてその涙はどうして溢れたのだろう。ルードヴィヒと言えば一昔前のキャスリン・フェリアーに匹敵する名アルト歌手だが、『大地の歌』は彼女の為に創られた最良の音楽にさえ思われた。 イスラエル・フィルハーモニーの神秘的な弦の上を嫋やかに滑りながら、彼女の深いアルトは人の哀しみを歌った。

 以前から僕は彼女の歌う此の曲を六種類持って居るけれども、今日レナード・バーンスタインと共演したルードヴィヒの「告別」は視覚的な影響も手伝ってか絶唱であった。

 グリーンのロングドレスに身を包んだ彼女の微笑には確かに可憐な鋭さは失せてはいたが、しかし女性の持つ優しい涙に満ちていた。それはまさしく女神フライアの表情だった。フライアの何か話したい様な微笑だった。はっきり言えば此の書き物を思い立ったのは、ルードヴィヒのあの微笑の所為である。

 ブラウン管にまだ残っている彼女の優しい微笑みを、僕は白い紙の上に写して置こうと想うのである。

 万象が寝静まる、マーラーの『大地の歌』の中に書いた一行だが、ルードヴィヒはその一言に人の世の認識された限りの哀しみを込めて唱う。形有るものの無形への憧れと不安と恐怖とをたった一言に込めつつ彼女の深いアルトの歌う時、聴く者は既に己の内の苦悩を想うだろう。

 マリアよ君はどうだろう。

 冬の夜は永く静かだ。

 友よ、新しい年は何時の間にか来て幾日かの過ぎて仕舞ったのだね。しかし今は確かに、万象の眠っている。

 だから僕は形有るものから逃れる時間も在るのだ。

 さあ君、ブラウン管の僕の隣にそろそろ姿を現してくれまいか。有形なる物凡て拒絶される時間の来た所だ。

 FMの音を微かに流していると時折、僕の耳元に何か聽こえる。一体此れは何の音だか解らずに、僕はずっと以前から聽いて居るがどうやら君の言葉だと今気付いた。

 思えば此の部屋に移り住んでもう九度目の年を迎えたが、何だか君の声は常に僕を取り囲んでいたように思えてならぬ。例えば可成り酷い風邪を引いた時等に君は僕の苦しい気管の中から、オーボエの音のように現れると恰も背筋の辺りに懐かしい唱歌を聴かせてくれた。

 それはまるで故郷の途切れ途切れになった暖かな田園の木陰だった。

 ふるさと、故里、故郷、憶えては居ない或る記憶の遠いバックスクリーン。

 多分僕の最も安住出来る場所である。堺に生まれ埼玉に育ち此処京都に青春を埋めようとして居る僕の故郷は一つの固有名詞では言い切ることは出来ぬ。と言ってもやはり故郷は一つである。万象の寝静まった今故郷を思い出してみよう。故郷とはブラウン管の、、、僕の顔の後方に浮かんでいる窓の雪に映った一刻の夢の中に在る。マリア、それこそ僕の見付けた故郷だ。

 名を代え形を変えて、有形なる物の凡てに跳ね返って見えるもの、僕の故郷なのだろう。誤解しないでくれ給え、そんなに勝手な気紛れなもののことを僕は故郷とは言わぬ。或る一枚のスライドをどんな色の光線にどんなものに写すかの問題なのである。

 冬の夜は永く静かだ。

 間もなく朝になる。又騒がしい時間は来る。

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