第五章(その2) 魂の野道 冬

 僕は時折このSonateをイェルク・エーヴェルト・デーラーの演奏で聴いてみる。デー

ラーの弾くハンマー・フリューゲルではシューベルトの骨格がはっきり見えて来る。そ

こには肉体という残響音に何の未練も持ってはいず、己の魂の野道を散歩する彼のステ

ップが鳴っている。比喩でも形容でもない或いは過去でも未来でもない独特の悦しさが、

僕にはもう直ぐ理解出来るのだろう。相変わらず今もこの部屋に独りだけれども数多

の歌霊達が僕の比喩化した青春を見送り乍ら踊っている。

 デーラーの演奏する「第二十一番ピアノソナタ」はすでに肉体にをも別れて了おうと

していたシューベルトの姿だった。

 記憶の断章が幾つも幾つも繋がり肉体という残響音が残酷にも途絶えた時、人は表現

する事を会得するのではあるまいか。つまりそれを会得した者のみが、己の魂の野道を

歩く事が出来るのである。己の魂の野道とはとまれ僕の人生の全部がそこで始まりそこ

で終るであろう僕の故郷である。

 堀辰雄の「風立ちぬ」に就いての短文の中で僕は何時か人が行き止まりだと思う所か

ら始まる人生というような事を書いたが、正しくこれが魂の野道である。僕は又しても

横道に逸れた様だが、堀辰雄という文士もシューベルトに似ている風に思われる。

 [長い長い文体で]詩人立原道造はそう云って揶揄した小説はシューベルトのピアノ

ソナタ全体に当て嵌る言葉でもある。

 しかし堀の小説もシューベルトのSonateも分解する程に、僕等の胸中で常に鳴ってい

てくれそうな音楽なのである。

 堀は立原よりもシューベルトはシューマンよりも確かに鋭くは無かったが、人の記憶

で育つと言った何よりも尊い美意識を持っていた。僕は立原もシューマンも別段非難す

る積もりはないけれども、少し味が薄く感じるのである。

 人がそこで行き止まりだと思う場所で、シューベルトの「第二十一番ピアノソナタ」

を聴いて居ると何だか僕は己の魂が解放された気に成るのは何故だ。肉体という残響音

にさっぱりと別れを告げた自分が見えるのは何故だ。

 人生には何故「出来事」が必要なのだろう。

 デーラーというハンマーフリューゲル奏者は僕にそんな興味深い疑問符を抱かせ乍ら

、何時もこのモルト・モデラートの上で句読点を打って来た。成程堀辰雄の描いたあの

サナトリウムの美しい風景に古いステレオと、一枚の油絵とを持ち込めば僕の部屋に成

る。

 そうだ、シューベルト。人生とはこの部屋を通り過ぎて行ったものに対する比喩と形

容に過ぎなかったのだろうか。四方八方から僕の耳に集まる興味深い疑問符なのかも知

れぬ。それにしてもこの僕の部屋には何と沢山の歌の切れ端が住んでいる事だろう。

 僕の日常生活はその人生でのエピソードとしての言葉を如何に書き表すかであった。

 [私は物を描くのでは無く物とものとの関係を描くのだ]晩年アンリ・マチスが云い

切った表現の確信だけれども、物の形はマチスにとって重要では無かった。寧ろマチス

は物を形の中に押し込んでいる色彩の力に物を磨かせていたのである。

 したがって画家には形が遥かに遠く色彩によってその物の距離を計り、色彩を使って

己の魂の野道を歩いたと言える。

 シューベルトの歩調の残響音はマチスにとっては形に値する物だった。画家のいう物

とものとの関係はシューベルトには、生と死と成って見えていた。

 「第二十一番ピアノソナタ」第二楽章アンダンテ・ソステヌートで歌われる静かな祈

りはあたかも僕等に或る色彩を思い起こさせる。

 それは僕等の記憶の中を照らしたストロボのように思われる。

 マチスが最晩年、手元に置いたと云われる「青い裸婦」の不安定な青と動きをストッ

プモーションで写し撮った音楽である。総てに疲れ一切の本能を忘れた怪しい肉体、否

肉体として存在する事をも拒否しているような一つの命がアンダンテ・ソステヌートの

深々としたブルーではあるまいか。

 先頃僕は夢の中にこういう影の出て来るのを少し煩がっては居るが、これはシューベ

ルトかも知れぬ。

 物とものとの関係を僕はどう解釈すれば良いのだろう。僕の夢の中の物ともの、理と

知、或いは身体と精神の不安定な経験は一体何を意味して観えたのだろうか。最早僕の

感覚は比喩と形容に支配されて仕舞って居る。

 僕が三十一歳に成ったその日に、夢の中で動き回っている比喩と形容とを自由に操っ

てやる。

 シューベルトよ見ていてくれ。僕は必ずこの約束を果たして見せる。物とものとの関

係とは僕にとっても又頗る重大なテーマなのである。

 比喩と形容とによって物がものへ繋がりを求める時の声と言葉の響きを僕は自分のも

のにしたいと願うのだ。その響きこそがもしかしたらばマチスが色彩と呼び、シューベ

ルトが哀しみと呼んだ或るものでは無かったろうか。

 例えばステレオの上に置いて有る猫のぬいぐるみを僕が見詰める時、僕の心の中には

何時も一年前に亡くなったタックという猫がちょこんと長いしっぽを前足に巻いて坐っ

ている。ぬいぐるみは確かに動かぬ物体には違いないけれども、物は一旦人間の主観に

触れるとその人との繋がりを得ようとするのである。

 物がものへ繋がりを求める時の声と言葉の響きに人は己の魂の野道を信じねばならぬ。

己の魂の野道は人がそこで行き止まりだと思う場所から続いている記憶への愛の事で

ある。そういう記憶への愛が恐らくは表現する行為を生み僕には言葉を与えたのだろう。

 物とものとの関係を描いたマチスの色彩、シューベルトの「第二十一番ピアノソナタ」、

僕の言葉比喩と形容とは正しく美しい僕等の思い出だった。

 記憶への愛が言葉を以てシューベルトと共に僕の部屋に飛び込んで、もうどれ位経つ

だろう。

 今外では雪が降ってりーんという雪の音が僕の周りを取り囲むように聞こえて来る。

果たして季節の宝たる雪は物なのだろうか、それともものなのだろうか。

 僕はこの雪という奴がどうしても解らぬ。

 幼い頃から雪が降る度に洗面用の小さなボールに少し掬って来て貰い、フォークやス

プーンでそれを突き刺し乍ら遊んで居たのが懐かしく思い出される。ただ遊んで居たの

だと言われればそれまでだが、僕の好奇心は雪の冷たさにでは無く白さに注がれて居た

と言える。

 握れば握る程、掌の中で熱い疑問符を広げた白い謎が好きであった。イソップ童話の

鼠ではないがこの世で一番強いのは雪のような気さえして居たのだった。白が総てを食

い尽くすと言った理論めいた考え等無かったにしろ、僕は幼い乍らもそんなイマジネー

ションを雪に対して抱いて居た事は確かである。

 今考えてみると根も葉もない事に思われるが、その頃から白いものに対して僕は不信

感を持った気がする。そして書き物をするように成ってからも、白い紙に毎日こうして

向かって居るのである。

 下らぬ事を書いて仕舞ったが僕の記憶への愛は、比喩と形容とを白い紙に刻む祈りだっ

た。

 雪は未だ降っている。

 シューベルトのアンダンテ・ソステヌートが雪の上で鳴り響きつつ断章歌の虚無に舞

う。

 雪の音とアンダンテ・ソステヌート、これは何という真白な、僕の肉体の残響音だろ

う。

 雪はやはり物ではない。

 雪は色彩で在り音楽で在り哀しみであった。

 この世で一番強いもの、ここで新たに答えてみよう。それは物に返されたもの或いは

「出来事」である。物とものとの関係はそれで成立する。比喩と形容とに跳ね返された

思い出こそが、純粋に美しい記憶への愛に他ならぬ。

 良ろしい、文句は無い。

 「出来事」は或る意味で些細な一齣の映像に過ぎぬのだろう。その一齣の一瞬の刻に

余りにも酔い痴れた故に人は、己の凝視すべき人生を見詰めなく成ったのである。人生

というただ一つの最も大切な「出来事」は常に人の眼前に起こってはいてもそれを「出

来事」とは見成さず、自分の外界にばかり目を向けている人の何と多い事だろう。

 人生は短い。

 刻は星の瞬きに似ている。

 この地球も又宇宙の敢えかなそして美しい点だとすればどうだ。シューベルト、僕の

考え出した答えは如何なる時でも、僕には間違ってはいない。だから人生は短い。

 僕はそういう短い人生をどう生きるか等、考えて居る暇は無い。

 先程気付いたけれどもTVのブラウン管に映って居た僕の顔を通り抜けて一筋の赤い

光が過ぎる。 シューベルトの呈示した己の魂の野道かも知れぬ。

 心臓の音が聞こえる。

 僕はこの書き物の中で心臓の鼓動の事を書いたが今程それに感謝したいと思った時は

なかった。シューベルト、貴方のそして僕の「出来事」とは紛れもなく心臓の鼓動の一

音一音を会得する試みであった。

 人類にはもう有りと全ゆる「出来事」が尽きて了った。しかし僕の部屋では心臓の鼓

動も古い時計の音も、折り重なった竹の葉にするんと滑り乍ら降る雪の声も、僕の喉の

奥で悔しそうに鳴っているピッコロの言葉も物とものとの関係には欠かせぬ「出来事」

なのである。

 [総ての音楽は哀しい]シューベルトはその一言で「出来事」を編んだが、友よどう

だろう。僕にもこう言わせてくれ給え。

 全ての「出来事」は哀しいと。

 けれども僕には比喩と形容とに司られた己の魂の野道が在り、そこには未だ人生とい

う「出来事」も続いている。

 一切が、物とものとの一切が無形なる比喩と形容とに包まれている限り僕には美しい

のだ。

 雪は未だ降っている。

 記憶への愛も僕の三十一歳の鼓動と共に歩いて居る。

 シューベルト、美しきものに乾杯だ。   


「魂の野道」終了

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