第四章(その3) 不思議な人よ 晩秋

 僕は昨日この原稿を書く為に、F=ディスカウとバレンボイムとの「冬の旅」を聴い

てはみたがその音楽の神秘は未だシューベルトの謎を明かしてはくれぬ。

 F=ディスカウの「冬の旅」の録音では信じられぬ程謎めいたシューベルトである。

けれども生死の間では無くその周りを旅するシューベルトが僕には見えている。

 シューベルトの謎は人間が最も親しみ深く且つ優しいと感じる青という色彩の中に存

在する小さなそれぞれの時間に思われる。

 バレンボイムのピアニズムとF=ディスカウのバリトンとがその青という色彩を旅し

た時に、僕は己の内の「不思議な人」に出会ったのだった。紛れもなくF=ディスカウ

が僕の旅の道連れでありライエルマンである。

 そうして何時しか僕の記憶の中ではあの時チケットを買い損なった「冬の旅」が聴こ

えて来る。更に又何度も繰り返して見た例のビデオテープを今夜、もう一度見ようと考

えて居る。

 バレンボイムのきらきらとした鋼のピアニズムとは確かに違うが、ハルトムート・ヘ

ルというピアニストも距離の観念に対してはかなり哲学的な解釈を身に付けていた。

 距離の観念とは何時の間にか、自分の音がF=ディスカウの声の内に重なり合い乍ら

別世界を歩いて行く覚悟の事だ。

 虚無感の音がライエルマンの手回し風琴の渇いた音色ではあるが、それもF=ディス

カウの時間への覚悟であった。

 ヘルはそんなF=ディスカウの覚悟を充分に受け止め旅行く人をこの上無く愛してい

たのである。 すでにF=ディスカウは雄弁では無く人の心に最も近い所に帰って来た

旅人だった。


第四章 その3 終了

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