第二章(その2)

 生まれて間もなく死が頭の上で、渦巻いていた僕には生はかなり興味深い観賞物であ

った。一枚の肖像画はその人物の周りで様ような生の動きを見せてくれた。それはモノ

クロではあったが、随分面白くもあった。しかし僕はそんな生という劇画に対して、親

しみ等は全く感じなかったのである。

 ただ肖像画の中の理想の肉体だけに親しみのようなプロヴァビリティーを感じて居た

に過ぎぬ。だから僕は自分の人生の後ろばかり眺めて居たと言って良い。

 十九歳に成っても二十歳に成っても眼前からは「ダビテ像」は消えず、寧ろ輪郭がは

っきりして来るばかりだった。

 丁度その頃僕の心臓に食い込んで来る幻想的なヴァイオリンの泣き声が在った。それ

がグスタフ・マーラーであった。

 ブルックナーの壮大な管楽器の合奏を山々からの、且つ歴史的な響きだとすればマー

ラーはどうだろう。

 所有場所からたった一つの美しい海へと、流れて行く澄み切った水に似ている。遠い

故郷とそして遥かな狂気、第二ーSymphonieが持ったこの二つの真理は僕の眼前の「ダ

ビテ像」の「行い」だったのである。

 僕は確か二十歳の初冬にこの第二ーSymphonieを聴いたのである。「復活」と題され

たこの巨大なオーケストレーションを有した作品を聴いてから僕の日常生活に変化が起

こった。

 「ダビテ像」の陰にそれまで隠れていたメフィストが、幻想的なマーラーの弦の音と

共に足踏みを始めたのだった。

 メフィストの足踏みは僕の心の欲望という箇所へ地鳴らしのように近付いた。

 僕は二十歳の哀しい時代を知ったのである。

 欲望が哀しい時代を満たす事を別段否定はし無かったけれども、眼前では「ダビテ像」

に勝るとも劣らぬ美しい二つの肉体が踊っていた。「ダビテ像」の陰に見え隠れし乍

ら、二つの小さな肉体は段々大きく成って来る。それがパリスとヘレナであった。支配

欲と性欲とが、幾重にも折り重なった所からマーラーの「復活」が出来上がったとすれ

ばどうだろう。

 支配欲と性欲とは僕の中で、はっきりと区別されて居た。にも拘らずマーラーの音楽

の中には一体と成っていた。

 僕は不思議だと思った。

 相挨って理想の周りを駆け回る欲望が、音楽と成り僕の肖像画を飾った。ロマン・ポ

ランスキーの「マクベス」やフランコ・ゼフェレッリの「ロミオ&ジュリエット」そん

な飾り付け等は僕の肖像画には必要無かったが、しかし僕には信仰が必要だった。

 信仰は マーラーの第二ーSymphonieの中に在った。その激しい合奏の間に、慎

しくそっと大切に飾られた第四楽章である。人間の声で最も自然な音域でその慎しい歌

は歌い出されるのである。

 僕は当時体力にもやや自信が出て来たにも拘らず、胸の筋肉と喉の器官が異常な程緊

張し始めて居た。緊張する事は脳性麻痺の人間にとって重大な苦痛には違い無かったが

、僕の場合それが胸と喉に来た為に時折呼吸困難に陥った。身体の中から螺子釘が突き

上げて来る痛みが肺に溜って、咳をすると渇いた血の固りが口からぽろぽろ零れる様で

あった。

 そんな二十歳の苦痛が、僕の眼前に死という観念を植え付けたのである。自分の胸と

喉にはぽっかりと穴が空いているのだと思い乍ら、僕は僕の命の形を眺めて居た。

 しかしこの死という観念は妙に親しみ安い飾り物を付けていた。何だか形に成らぬ美

しいものが、僕の前に現れたと思ったのだった。それがマーラーの第二ーSymphonieに

そっと置かれた一輪の華であった。凄まじい緊張が僕を襲った或る夜確かクリスタ・ル

ートヴィヒの神聖なコントラルトだったと記憶して居る。母が僕を俯せにしてくれた時

咳の発作はようやく治まり、苦しい呼吸の間から暖かいストーブの真赤な炎を見た時に

突然聞こえたのである。

 支配欲と性欲とそして死とを目の辺りに感じ、若さ故にその形無きものへの執着を禁

じ得ぬ僕の人生の一瞬にルートヴィヒの最も自然なる肉声が聞こえたのである。それは

全く異質の場所で歌っていそうな僕のフライアではあるまいか。

 このルートヴィヒの神聖なコントラルトこそがマーラーの人生に用意されていた一輪

の華である。王子パリスの旺盛な闘争欲よりもヘレナへの永遠の憧れよりも、彼が欲し

たのは寧ろこの別個のルートヴィヒの神聖なコントラルトのような気がしてならぬ。そ

うして僕も又、マーラーの第二ーSymphonieの中に己の青春の「出来事」を見出したと

言えよう。

 「出来事」限りなく無形に近く自然と最も溶け合った僕の二十歳の苦痛が青春だと言

えるのかも知れぬ。

 青春がそういう「出来事」によって己の中の初々しい言葉を育てる。それは表現への

要求で在り言葉への願いと成った。

 言葉への願いは、マーラーの音楽の中に在る主要言語を「ダビテ像」に飾り付ける事

から始まったのである。マーラーという過去の「出来事」に僕は、己の求めて居た理想

のコントラルトを顧みようと思った。

 二十歳の苦痛は文字通りマーラーの音楽と共に進行し乍ら深まりやがて眼前の肖像画

も肉体の牢獄に過ぎぬ気がした。

 限りなく無形に近く自然と最も溶け合った言葉という「出来事」が、或いは僕の中に

根を張り広げていたのだろうか。

 夜毎に僕は一本の指でタイプライターのキーをまるで宝物でも探すように叩いた。タ

イプライターはがちゃりと音を発てて僕の右手に応え、片仮名を白い紙の上に落として

行く。片仮名は肺の苦しさを通り抜けて白い空間で泳ぎ回ったがその白い世界も又底無

しであった。

 僕の探し出した灰色の片仮名は波に溺れる小さな子供のように見えた。僕は無性に、

その灰色の文字を助けたいと思ったけれども如何にせよ僕は白い空間が恐ろしくもあっ

た。

 僕は何時もそんな哀れな文字をどうする事も出来ずに白い空間に映る「ダビテ像」を

眺めて居た。それが僕の「行い」へのプレリュードであった。

「行い」とは僕の精神の奥の或る青春の限りなく無形に近いもので在り乍ら、日常生活

に最も密着した極些細な「出来事」だった。片仮名を一つ宛、探るこの右手の指の動き

と胸と喉との痛みだった。 恐らくはマーラーの生活も五線譜の上に総てを片付けてい

たとは言えぬだろうか。ファウスト博士の呈示した「行い」という憧れをマーラーは五

線譜の流れに書き込んだのだろう。


第二章その2おわり

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