第一章(その3)

 音楽とは個々の、記憶が途切れた場所で始まる別個の記憶なのである。それは個々の記憶に、繋がっている風景の中に在る部分が常に音楽と化している所為ではあるまいか。僕にはベートーヴェンの書いた様なアレグロ楽章が、人の心臓の音に聞こえる。全ゆる人間に通じている生の悲しみをベートーヴェンは何時も凝視し乍ら歌い挙げたのである。

 人は己の体内の音楽を聞こうとはせず、自分の悲しみも認めようとはしない。僕はどうだろう。しかしベートーヴェンという怪物が最も好んだのも心臓の鼓動だったとは言えぬだろうか。

 僕は最近自分の心臓の音に併った音楽を、生理的に聴くように成ったがこれは果たしてどういう現象だろう。

 以前から僕はシューベルトの「さすらい人幻想曲D760」に自分の哀しみを重ねるように成ったのである。哀しみがそれ自体の謎を以て僕の鼓動と一体に成り、この部屋を満たす時「さすらい人幻想曲」が聴こえる。人間の神秘が故に、この音楽が鳴るかのように僕の心臓の直ぐ上でシューベルトが止まっている。そこで一つの事件が起こるのかも知れぬ。

 全ゆる人間に通じる音楽の中で一つの歌の切れ端が見える。

 僕は生まれてからずっと、心臓の音を聞き乍ら生きては居るけれども少しも退屈等しなかった。何故なら、様ような風景を含んでこの「さすらい人幻想曲」は僕の自画像を守って来たからだ。

 耳という人間の神秘が或る意味では僕の命だと言って良いだろう。命とは心臓のリズムを記憶し乍ら思考する音楽の事ではあるまいか。

 思考する音楽が僕の耳に応える。それは滑稽な事かも知れぬが「さすらい人幻想曲」の流離の主題は、個々の人間の中に響く木霊なのである。僕の中で木霊が静かに隠れている。シューベルトはそういう木霊をこそ愛したのである。

 僕は何だか、半神ジークフリートの知りたいと願った「恐れ」という人の世の苦しみがシューベルトにとっての「出来事」と同じ意味に思われて来た。つまりシューベルトも又、人生の「出来事」に対して憧れつつも知る事を拒否し続けた流離人ではあるまいか。そして応えてくれたのは、見事な自画像たる「さすらい人幻想曲」であった。

 僕は今マウリツォ・ポリーニのピアノでそのシューベルトの応えを聴いて居る。しかしこのポリーニの演奏は少しロマンチシズムが足りぬ。しかもシューベルトが何時も掛けていた華奢な眼鏡の影も無い。ただシューベルトの骨格を生き生きと彫り乍ら「さすらい人幻想曲」という新たな肉体に仕上げている。如何にもシューベルトの内面に哲学的なレントゲンを当てた人間像である。このディスクを手に入れて以来僕は僕のシューベルト像を思い立ったのだ。

 人生における凡ての「出来事」よりも、人の記憶に残った美しい「出来事」を僕等の哀しみと出会わせたのがシューベルトなのである。

 美しい「出来事」が何よりもまず人間の過去に散らばり静かな湖を一つ宛、創っているのだと考えてみよう。その湖に時折、自分の顔を映し見る僕等はそこが故郷だと想う。そこが永遠の憩いで在れと願う。

 過去が有り思い出が在り、時間とは全く無関係な自分の顔が在る。

 僕は今そんな顔を想像し乍ら「さすらい人幻想曲」を聴き終ったが一方で別の顔を感じて居る。僕の心臓の辺りから突然、それは耳に登って来た様である。

 一昔前まで僕は絵を描きたいという願望を持って居た事が思い出される。本棚を見渡すとミケランジェロとダヴィンチを囲んでゴッホやレンブラントが並んでいる。僕のこの右手がもう少し自由だったら恐らく画架くらいは有った筈である。

 かなり以前だったが或る日、母に画用紙を机に置いて貰って絵を描こうとした事も覚えて居る。僕は一体何を描こうとして居たのだろう。風景か顔かそれとも過去か未来か、しかし僕の描いたのは女の髪のような線ばかりであった。

 紙の白さが底知れぬ美を僕に教えると突風の如く時間が過ぎて仕舞った。紙の白さはやがて、僕の右手を吸い込んで黒く渇いた活字を握らせたまま机の上で生きている。

 僕の心の美しい「出来事」はそれが最初だった。美しい出来事はそれから幾つもこの部屋に湖を創ったけれども、僕は黙ったまま机を前にして考えて居た。

 黒く渇いた歴史の切れ端からの木霊を待って居たのである。

 シューベルトは僕の幾つもの湖に音楽という肉体を与えそこから歴史を呼び起こしたのだった。歴史とは永劫にして未知なる音楽の鼓動である。

 シューベルトの呼吸が、その未知なる音楽に聞こえるのだ。そして「さすらい人幻想曲」はすでにシューベルトが僕等に示し得た未知なるものへの鍵ではあるまいか。

 僕にはそう思えてならぬのである。

 未知なるものとは人間の個々の小さな歴史の切れ端なのだろう。多分この宇宙に突然霧のような過去がぽつんと誕生して、そこから生命という歴史が始まったのだろうけれどもシューベルトの経験して来た「出来事」はその孤立した過去の匂いがする。孤立したあくまで純粋な過去に似ている。

 紛れもなく懐かしい一つの「出来事」は彼の人生を経て僕等の記憶の或る場所を通じ音楽に成ったのだ。明るく哀しい生命の神秘を何時の間にか僕の机に置いた人の顔は一体どんな顔だっただろう。僕はそれが知りたいのだ。


その2 ここまで

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