
序章
青い小舟が眼前に浮かんでいた。風景はその舟の周りを包むようにふんわりと白んで、僕の顔に張り付いて動かなかった。
過去が去ったのだか未来が訪れたのだか、解らなかったけれども時間という動きがとにかく僕の顔を流れて行く。
僕はそういう夢を度々見るがこれはやはりシューベルトの所為である。
彼フランツ・シューベルトの音楽は常に青い小舟を見詰め乍ら創られた独り言ではあるまいか。何かが消失する寸前にぽっとシューベルトの口から零れた独り言、それが何かに触れぬ内に彼は素早く音楽に変えて仕舞うのである。
僕は何時も、彼の見詰めていた青い小舟が通り過ぎる所を夢に見る。そうして僕の頭の真中で「幻想曲ハ長調D934」が鳴っているのである。
彼が常に見詰めていた青い小舟とは或いは遠く澄み切った故郷かも知れぬ。僕は何だか今、その故郷が理解出来そうな気がして居る。
何故なら今、僕は三十歳に成ったばかりだからだ。
シューベルトが三十一歳で去ったこの世を僕はこれから生きて行こうとして居る。だとすれば僕が最近見る夢の中の青い小舟は一体どういう意味を持つのだろう。この耳から離れようとせぬ「幻想曲ハ長調」は僕に対し果たして何を語っているのだろうか。
僕はそれを確かめねばならぬ。
FM放送で或る日僕は「幻想曲ハ長調」を録音したが、以来その明るく飛び跳ねるようなリズムの第二主題はしかし僕の中の風景を揺り起こしたと言える。
この風景は成程、如何にも寂しいモノクロ写真の世界ではあるが故に何が隠れていても不思議とは言い得ぬだろう。
そんな寂しい風景が暖かいヴァイオリンの音色で溶かされたのだろうか。けれどもこの「ファンタジア」も又謎めいた性質を孕んでいる様であった。紛れもなく、シューベルトの見詰めていた青い小舟の哀しみがこの明るい旋律の中心を流れている川に思われた。
川は僕の寂しさに何時の間にか流れ込んで来た。
僕は自分の中の風景に川の在るのを珍しいと、そして嬉しいと感じて居た。川の在る風景がこうして僕の中でシューベルトによって生まれたのである。僕の顔に張り付いて離れぬ風景はやがて、その川の細流に応えて振動し始めた。