二
旋律の敏感な哀しみに支えられてピアノはあたかもピアノにしか与えられなかった生命を発見したように唄い始める。生まれたままのかたちに音楽は未だ幼い。幼い故に歩行は続かない。ピアノはしかしバランスを整える為に次の音にしがみ付く。生という或る瞬間はモーツァルトの場合、おぼつかない足元に始まったのかも知れぬ。
果たしてモーツァルトの足元はおぼつかないのだろうか。彼の音楽はそのもののおぼつかないのではない。音の一つ一つに他の音を追い越そうとする意識の根付いているように思われる。
音楽は音を形良く繋げてこそ成り立つ、これは大バッハの断固たる信念だがモーツァルトは音そのものに主張を持たせたのだった。一つの音の主張する時音楽は次の音を予測せぬまま僕等の耳を通り過ぎる。
主張することを許された音は、それ等の音の仲間から外れて人間に先ず語り始める。先ずモーツァルトという人間に語り始めるのである。そしてモーツァルトは生まれたばかりの音を抱き締め優しく愛撫する。更に彼はその音にふっと息を掛けると、音にはモーツァルトの名の与えられるのである。まるでタミーノの奏でる魔笛の音色に就いてのおとぎ話を聞かせているようなモーツァルトを僕は想像する。
僕の此の部屋では想像だけは自由を獲得しているから、退屈すること等無いが僕は自然に退屈をくぐり抜けたような気もして居る。それはモーツァルトに就いて書き始めてふと気付いたことだ。彼の音楽にも退屈は無いのではあるまいか。次の音を予測せぬ音色の流れは美しい音楽となって生という瞬間を清める。退屈だった彼の大きな耳と僕等の耳とを清める。清められた耳に又新たな音の響いた時、モーツァルトの掌から漸く一つの音は飛び立つ。退屈はそれ以上の平穏を僕等に音楽という美しいものとして遺した。僕はそういう音楽の繋がりにモーツァルトの変容の自在を見る。
不思議な変容、大いなる美の祭典はあのバッハをさえ凌ぎ乍ら、且つ蒸せかえるようなロマンティシズムを含み歩行を始める。時間の流れとは全く別な、しかし方向は同じである筈の時空を彼の音楽は歩く。次の音の鳴る前に何処かに隠れてしまった或る音を探して、音楽は限りなく変容を繰り返す。繰り返される変容、それは飽く迄も生まれたばかりの音に成り立つ音色の隠れんぼであった。