母、午前3時の  

日比 工 

五『ホロヴィッツの弾く「トロイメライ」』

  
  
 この書き物の冒頭にも書いたが、僕はホロヴィッツの弾く「トロイメライ」に大変興味を惹かれた。
 母も又この大ピアニストが好きであった。数年前可成り高齢の彼は始めて日本を訪れ、東京にて唯一度きりのリサイタルを開いたが賛否両論、マスコミは良いネタにして各界から有名人をそのリサイタルに招待し雑誌のコーナーを埋めようと必死だった。
 或るFという大衆小説家は持ち前のジョークを使い{あのホロヴィッツがぼろヴィッツになりましたな}と云い、又著名なYという音楽評論家は{ホロヴィッツが錆びちゃった}と云った。確かにレコードに収録された往年のライヴ録音からは信じ難いミスタッチの多さの目立つリサイタルには違いなかった。僕はFM放送のノイズの中耳を澄まして聴いて居たのだが、あれは一種特別な体験だった。FMのノイズの気にならなくなった瞬間、あのホロヴィッツが笑ったのである。蛇を食らうマングース、僕にはそう思われた。身体中鳥肌が立ったが精神は何時も音楽を聴く時以上に正常だった。異常なのは僕の眼、この二つの眼球の見ている映像だけであった。映像、果たして映像と言えるものだったろうか。然し確かにあのホロヴィッツの笑ったのである。僕はあのホロヴィッツが笑うのを、ピアノの華麗な音楽の上に観たのだった。それは巨匠アルチューロ・トスカニーニの娘を娶った美青年の笑いだったのか、ピアノ界の頂点に立ったアルチュール・ルービンシュタインを慌てさせ、もう一度ステージに呼び返した天才の笑いだったのかは判らぬ。唯僕の観たのは大きな鼻に滴る汗をゆっくりと白いハンカチーフに拭い乍ら、小さな目をいっぱいに見開いた瞬間の笑いに違いなかった。そんなホロヴィッツが笑うのを観る僕の神経は、確かに正常とは言えなかった。けれども隣に座っていた母の顔を、ふと眺めると母は泣いて居た。僕は僕の母の泣いたのを実に久しく見ていない。そうして母の眼もやはり何かを見詰めて動かなかった。FM放送のノイズの向こうに母も又ホロヴィッツという名の青春を見詰めたのかも知れぬ。ホロヴィッツという名の青春、ピアノという名の青春である。
 青春とは、それぞれの人の様々な経験に宛われる熱い名のことである。名を宛われた経験はその人にとって掛け替えの無い瞬間になり、青春という思い出となって枯葉のように募る。風が吹いて時折舞い上がる枯葉、然し何時かは過去に落ち着くのである。ホロヴィッツという名の青春、ピアノという名の青春は正しくそういう枯葉の一枚だった。あの大ピアニスト、ホロヴィッツの遺したのはとても普通とは言えぬ体験だと言える。母は以来ホロヴィッツの演奏を聴く度に「ホロヴィッツだね」と僕に念を押した。「やっぱり好いね」母は納得し乍ら頷き、まるで恋人のピアノでも聴くふうに耳を澄ますのだった。
 ホロヴィッツという名の青春、ピアノという名の青春は母の耳にも息衝いているらしかった。ピアノの全ての音色がそれぞれの輝きを以て語り始める時、そこにはピアノ自体の生み出した最高の遊技が存在する。遊技、ホロヴィッツの遊技は唯の戯れではなく、ピアノの限界に就いての問い掛けなのだろう。それはシューマンの思い付いたことよりももっと困難ではあるが、或いはこれも又ピアノという名の青春であった。人の掌の動きとピアノの音色との交差点に、ぽつんと生まれた美しい夢に違いなかった。
 人の掌の動きとピアノの音色との交差点に、ぽつんと生まれた美しい夢を僕の掌は探し続けるのだろうか。否、あのホロヴィッツの「トロイメライ」を聴いた時僕の掌にそれを感じたのだった。僕の中指の付け根に細い氷針のように生まれた美しい夢は、微かな痛みを残して桜色の爪の辺りに走り去って仕舞った。果たしてそれが人の掌の動きとピアノの音色との交差点の美しい夢だったか、気紛れな神経の悪戯だったかは判らぬ。然し僕は信じてみる。ピアノという名の青春を信じてみる。痛みは走り去ったのではなく潜り込んだのではあるまいか。そんな気もする。


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