母、午前3時の 日比 工
三の一 音符に対する野望
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ここは古都京都の南の端、竹林を切り開いて間もない町だが僕は竹林に囲まれて生きて居るようにさえ感じる。それ程未だ数多の竹は僕の部屋の下に堂々と息をしている。
竹が匂う。竹は僕の形容詞等無視するふうにこの部屋の畳を押し上げて来る。命だ、生命がそこに在る。僕の部屋の午前三時、未だ日の目を見ず永遠に見ることの無い生命に満ちている。僕は僕の故郷と呼べる場を持たぬが、現在これを書いて居る場が僕の故郷だと言える。僕は故郷に就いて幾度も書いた。詰まり幾度も故郷なるものを想像しては破壊し乍ら物を書き続けて居る。創られては破壊される僕の故郷はこういう竹林の上にのみ許される。
僕は母を失って間も無いが、その僕の心の危機にシューマンの音楽は応えてくれそうだ。シューマンの作品十五のピアノ曲集『子供の情景』の中に組み込まれたこの小さな音楽は何時も母の涙を誘った。あの大きなホロヴィッツの掌にゆっくりと弾かれた「トロイメライ」の旋律は完全に元の形は崩れているものの、実はシューマンの作品十五という若さを十分に理解していた。詰まりピアノのヴィルトォーソであった若いシューマンの、音符に対する野望をホロヴィッツの掌は理解したと言える。ベートーヴェンはそれを怒りと呼び、シューベルトは悲しみと名付けた或るものはシューマンに於いては既に音符に対する野望であった。限りなくピアノを愛し、ピアノに拘り続けた彼の音符は又僕の母のピアノへの想いを揺り起こしたのだろう。
母は娘時代を神戸に過ごしピアノを習っていたが、空襲に実家を跡形無く失いピアノの在った場所にはその形の灰が地面を焦がしていたと云う。ピアノ線が二本空を切り裂くように立っていて、それは妙に母の気を落ち着けたとも云う。僕は本当の鍵盤に触れたことはないがそう云う母の気持ちは何か理解出来そうである。ピアノの形の儘母の胸に沈んだのは、果たしてピアノその物だったのだろうか。それともピアノという夢だったのだろうか。
ピアノという夢、それこそ母から僕にと流れ込んだドラマの断片ではあるまいか。母の胸に沈んだピアノの形の灰こそがシューマンの作品十五という若い番号を持った「トロイメライ」の旋律に反応したと僕は解釈したいのだ。
あのピアノという夢が僕には何時も人の掌に見えた。僕は時折、沢山の掌を一度に感じる。そうしてピアノという夢へ歩いてみる。ピアノという夢の中では、僕の掌は鍵盤を走り声はその鍵盤に巻き付く。すると音楽と言語は一切の区別を忘れ、自由な儘動き回る。動き回る自由なる形の何と美しいのだろう。嘗て両極に在って互いに傷付き互いを求め自己防衛の光を投げ合ったそれ等二つの世界はシューマンに於いては、理想に近いイマージュに記録されたように想われる。
シューマンは少年の頃から常にそんな二つの世界の放浪者であった。法学と音楽、ゲーテとジャン・パウル、語と情、そして正気と狂気、この二つの相反する世界の導に恐らく歩を踏み入れてはシューマンは悩み続けたのだった。僕の人生には彼の全生涯等無関係かも知れぬが、唯僕はシューマンと或る点に共通するものを持って居るから彼の音楽が気になるのだ。気になるのは彼の唱おうとして唱う直前にすっと隠れて仕舞う歌の形である。そんな健気な歌は決して裸体を晒さぬ。シューマンに限って歌は唱われる前から肉声を守り通し、人に唱われてからも肉声とは全く別な場に輝くのだろう。もどる|掲示板|メール|日比工の手記のページ