母、午前3時の
日比 工
一
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僕の部屋の午前三時、熱く雨の降る午前三時、母は突然頭が痛いと云って倒れた。弟が救急車を呼び母に付き添った。独りでは寝返りさえ出来ぬ僕の為に令子という女性が二年前から僕と生活を共にしていたが、僕は何か母の居なくなった瞬間独りになった気がした。周りのもの全て僕の頭の真ん中に硬直して吸い寄せられて行くのを感じ乍ら、僕は僕の危機を見詰めて居た。母は最近同じ頭の病に七十八歳の生涯を閉じた祖母に急に似てきたが、僕はそれを誰にも云わなかった。二年前まで僕に付ききりの母だったから令子が来るようになって少し離れて最初、僕の眼に見えた母の顔にはまるで祖母の乗り移ったかのようであった。
「腹を括れ」僕と道を同じくした大学院生の弟がそう云って電話を切った時、僕の眼には母の白い掌が見えた。
あの幼い頃、その掌は僕の涙を拭いた。あの時その掌は僕の頬を打った。あの時その掌は僕に「トロイメライ」を教えた。そうしてその母の白い掌は僕の前に動かなくなった。僕は無理矢理に音楽を聴こうとした。記憶の中から何時も音楽は注文通りに鳴る筈だった。モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルト、然し音楽は鳴らぬ。あの時母の白いその掌から聴こえた筈の音楽はもう鳴らなかった。けれども何故か「トロイメライ」の冒頭の無邪気な哀しい旋律のみが自由自在に鳴っている。母の倒れて以来「トロイメライ」はこの部屋を満たし続けている。
シューマンを聴く度に母は「やっぱりあなたはシューマンね」とシューベルトのことを書こうとして、彼の文献ばかり漁る僕に云ったことも覚えて居る。意味は鮮明ではないが、何となく今なら理解出来そうである。僕はそんな母を昨日午前三時三分に亡くして仕舞った。何ということだ、何という寂しい事件だ。僕にその血と肉を捧げた人は今、僕の胸に誰にも解らぬ傷を遺し僕から遠ざかって仕舞う。或る夏の午前三時、そうしてと或る夏の午前三時三分、僕にとっての精神の危機は訪れた。「やっぱりあなたはシューマンね」この母の優しい微笑みを今となってはどう受け止めよう。或る夏の午前三時、謎掛けは要らぬ。生きることは死という謎への挑戦に過ぎぬ。
独り生まれ一人生きて独り死ぬのは悲しいとは思わぬ。寧ろ悲しみは別の方に歩き始めている。
生きるということは恐らく案外簡単なことなのだろう。生きること、己が生きんとして他の生命を犠牲にしたとて何の罪ではない。然し死は何かを犠牲にすることさえ出来ぬ。死は飽く迄個人の領域を脱し得ぬからである。僕は僕の肉体を自由に動かせぬ人間だから、僕の人生等無いのではと時折考えてみた。僕の生も死も僕には関係ないのだと。けれども母を失った今僕は僕の人生に就いて再度考えてみる。
母が倒れて数時間僕は何の物音にも神経の尖るのを覚悟し乍ら、部屋の天井の四つの角をぼんやり眺めて居た。僕の頭もこういうふうに何かを支えて居られるのだなという漠然たる意識にその数時間を過ごしたのだった。この部屋の四つの角は時間を持ってはいなかった。その内令子の声が僕の疲れ切った神経を刺激した。弟からの手術開始の知らせであった。夜はもう明けていた。然し夏の夜は無情にも短く時刻も未だ四時を回ったばかりだった。
レコードキャビネットの上の置き時計は僕の耳を打ち、令子の使っているアイロンの震動も僕の肉体には苦痛に思われた。僕の隣にアイロンをする人は二年前まで母だった。令子という女性が僕の世話をするようになって、母は凡てのことを彼女に任せたのだった。そんな母の振舞いに令子も応えて来た。最初母はこんな身体の僕の世話等到底令子には無理だと見切っていたのだが、それが一年続き二年続いた。
「世の中にはいろんな愛がありますから」人々のそういう噂にやがて暖かみの感じられるようになった今、母は倒れたのである。
静かな夏の夜明け前、僕と令子との不安な生活はこうして意外な幕開けを告げた。確かに僕の隣にアイロンをするのは令子ではあるが僕の意識の隅には母の姿があった。何時の間にか僕の頭には例の「トロイメライ」の旋律が契れた思い出のように流れ始めていた。母はそれから二週間S病院のベッドに意識不明の儘横たわり静かに六十二年の身に別れを告げた。