第十五章
此の一冬に僕はベートーヴェンの訪れた己の部屋に毎夜物を書いて来たが、彼の残した「嘆きの歌」程に僕の心に影響を与えた旋律は無い。
繋がろうとして繋がり得なかった美しい音は今、僕の心にやはり歩行困難に単々としかし一つの生きた音として歩いている。それは紛れもなく彼の生涯最後のピアノソナタに向かっている。作品一一一の『ピアノソナタ第三十二番ハ短調』である。
歩行困難な音は此処では彼の人生を物語らんとして、最も健康な音楽に帰ろうとしているようだ。
健康な音楽とは僕の勝手な言い方かも知れぬけれども、ベートーヴェンの全盛期にはそういう健康な音楽に満ち溢れていた筈だった。
『ピアノソナタ第三十二番ハ短調』の懐に活発に運動を繰り返しているのは既に全盛期のそれではない。幾度も病んだ者の回復に向かう肉声に他なるまい。しかしそれは以前の健康を思い出しているのではなく新たなる健康を愉しんでいる。
観念的且つ比喩的な言い方をすれば、此れはまさしく彼の生涯の総決算であり更にベートーヴェンという独りの人間の戦争(第一楽章)と平和(第二楽章)だと言えるだろう。レフ・トルストゥイの小説を僕は何も揶揄する気は無いが、トルストゥイのそれよりも或る意味ではベートーヴェンの『ピアノソナタ第三十二番ハ短調』はその名に相応しいのではあるまいか。
僕は何時もそんなつまらぬことを考え乍らイーヴォ・ポゴレリチという若いピアニストの演奏を聴いて居る。
僕はポゴレリチの弾くショパンの『二十四の前奏曲』のディスクを聴いて以来、此のピアニストを高く評価して居るが最近になって少し以前に録音されたベートーヴェンの最後のソナタを手に入れた。シューマンの『交響的練習曲』とのカップリングという一風変わったディスクだが、僕は何よりも先ずベートーヴェンを聴いた。
ポゴレリチの若さと演奏スタイルから想像すると、ベートーヴェン最後の音楽らしからず死神等寄せ付けぬ豪快にして華麗な演奏を期待して居た。
僕の期待は外れた。
ポゴレリチという若者の両の手は最早ベートーヴェンの戦争と平和とを認識していた。しかもその平和の向こうにベートーヴェンのデスマスクは冷たく強かに飾られていた。
アダージョ・モルト・センブリーチェ・エ・カンタービレと指定された第二楽章には、僕の聴いた限り最高に美しい歌の在ったのだ。
ベートーヴェンの最後に歌った平和の歌はこんなにも死に近い美しさを含んでいたのか、僕はふとそう気付いたのだった。
幾度も病んだ者の回復した健康とは美しい死を飾り付けることだと。
そして彼も又そういう美しい死を、最後のピアノソナタに飾り付けたのではあるまいか。Xマスツリーを飾る幼い子供のように、彼は戦いの後の平和に満たされ乍ら此の最後のソナタを書いた時、三十一曲のソナタでは云い切れなかったもののバリエーションを此処に創造する。
幾度も病んだ者の創造したバリエーションとはベートーヴェンのピアノソナタの総決算に相応しく、音楽という枠に留まらず人間の五官を一走する電流に似た体験だった。
幾度も病んだ者の回復に向かう肉声、僕は右にそんなことを書いたけれども、ポゴレリチの演奏は病の回復等待ってはいない。
ポゴレリチの長い指は先ず何かに脅えたようにちぢかむと、あたかも焼けただれた鍵盤に溶けて仕舞う。やがて激しく勇ましい音楽の後にアダージョ・モルト・センブリーチェ・エ・カンタービレと指定された長大な第二楽章は、平和な哀しいバリエーションを繰り返す。
誰もが体験した出来事はベートーヴェンに因ってバリエーションとして生まれ変わり又誰もの心に帰って行くだろう。彼はそれを何時も痛切に望んでいた。
[心から心へ]
彼の低いだみ声に呟かれた独り言は最後にこんなに見事なバリエーションを組み立てた。それは人間の最も渇望し且つ最も困難なことだが、彼の最後に組み立てたバリエーションもその人類の願いと相俟っている。
最も渇望され且つ最も困難な人類の願いをベートーヴェンは常に背負い乍ら歩いた人である。
幾度も病んだ者にとって[心から心へ]伝わるもののみ美しい。
迫り来る白い壁、僕は此の壁に就いてやはり考えて居る。
今気温は九度、五時二分である。
静かな冬の星降る夜明け。
月は淋しく太陽は悲しく星々は寒い。
土は耐え湖は待ち静かな海は空を愛する。
ピアノを弾こう。
僕も伝え切れぬもののバリエーションを弾こう。
伝わり切れなかったもの達よ、何も怖がることはない。
僕は君達の味方だ。
集まれ、此処に集まれ。
空間と物体とが光と闇に結び付いたこんなに静かな聖なる夜明けに、僕のバリエーションに繋がってくれ。
再び風は帰って来た。
影よ、肉体の無い僕と肉体の哀しみを音楽に高めたベートーヴェンとの対話を支えてくれ。
チロルは大きな窓に手を掛けて面白そうに枯れ木と風のワルツを眺めている。
僕のXマスはこんなに静かなそしてこんなに高音の中に始まった。
伝わり切れなかったもの達よ、何も怖がることはない。
僕は君達の味方だ。
集まれ、此処に集まれ。
ピアノを愛する独りのピアニストになれなかったピアニストとして、僕は僕のバリエーションを奏でる。「心から心へ」そういう彼の常に祈り続けた平和への独り言は、此の最後のピアノソナタの第二楽章に於いては最早完全に人類の哀しい呟きに繋がって居る。
人類の哀しい呟きとは伝わり切れなかったもの達の伝えようとした言葉だとするなら、ベートーヴェンの『ピアノソナタ第三十二番ハ短調』はその伝わり切れなかったもの達の沈魂歌に他ならぬ。僕はそんな音楽の中に聖なる夜を過ごし、やがてXマスの朝を迎える。
僕は僕の生涯の内に忘れ得ぬXマスを幾つか持っては居るけれども、此れ程ベートーヴェンという嵐の吹いたXマスは始めてだ。
嵐は今納まりつつある。
伝わり切れなかったもの達の巻き起こした静かな激しい嵐は何時の間にか白い壁から吹いて来た。
迫り来る白い壁、ポゴレリチの弾くベートーヴェンの何と孤独なことだろう。何と和やかな哀しみに満ち溢れそして何と美しいことだろう。ベートーヴェンは多分此の楽章を書き乍らやがて己に襲い掛かるであろう死神をも音楽の崇拝者にして仕舞って、赤葡萄酒にて杯を交わしたのではあるまいか。
逆立っていた髪の毛は長く後ろに垂れ下がり鼻腔を吊り上げていた筋肉も既に伸びた顔には、しかし大きな眼のみまだ煌々と輝いていた。
ノイズを全く遮断した処に彼は自らの魂から湧き出る音楽のバリエーションに心傾けるのだった。否、遮断したのはノイズだけではなく彼は人生の全ての物を遮断して仕舞い乍ら、最後のピアノソナタのバリエーションに熱中した。
今僕の目の前には、長い白髪を肩に架け後ろを向いてピアノと対話する老ベートーヴェンである。伝わり切れなかったもの達の巻き起こした静かな激しい嵐の後に現れた彼は決して振り向かぬ。
頭も肩も動かさず唯、両の手の動いて『ピアノソナタ第三十二番ハ短調』のアリエッタを弾いている。
僕はそのベートーヴェンとピアノとの見事な対話に、此の世の伝わり切れなかったもの達の哀歌を聴いて居る。実に静かに平和なのに何故こんなにも涙は頬を流れるのだろう。
伝わり切れなかったもの達よ、何も怖がることはない。
僕は君達の味方だ。
集まれ、此処に集まれ。
死神も天使もユダもカインも彼の最後のアリエッタの中に命を宿せば良い。それ等伝わり切れなかったもの達よ、ベートーヴェンの最後のバリエーションを支え乍ら、その音楽に覆われて眠れば良い。
チロルは僕のワープロの上に大きな耳を小刻みにぴくぴく動かし眠っている。此の部屋に唯一つチロルの耳の動いているきりだ。
ノイズも無く動く物も無い僕の部屋に、伝わり切れなかったもの達は生き永らえる権利を持つのだろう。それはマクロだかミクロだか区別の付かぬ世界からの逃亡者ではあるまいか。
ベートーヴェンはそれ等のもの達を音楽に記憶させた人類の英雄だと言える。
人類の英雄、余りにも有り触れた言葉だが今僕の眼の前にピアノを弾いているのは、紛れもなく傷だらけの英雄である。その英雄の為に何処からともなく集まった逃亡者は彼の音楽の中に記憶されることに因って罪が許され解釈という自由も与えられるとしたらどうだ。
解釈されるものの自由と解釈するものの自由と、それは彼の最後のピアノソナタに組み込まれたバリエーションの謎に違いない。そういうバリエーションの謎は決して解かれてはならぬ。それは一定した解釈の為に解かれてはならぬ謎だった。しかし僕は謎を愛する。
僕は己の謎と比べてみる。
静かな冬の星降る夜明け、音楽の中に記憶された解釈という自由は伝わり切れなかったもの全ての代表として此の部屋を訪れた。此の三十二曲の新訳聖書は果たして僕をピアニストとして選んだのだろうか。
ノイズも無く動く物も無い僕の部屋は今、解釈という自由に溢れている。
ピアノを愛する独りのピアニストになれなかったピアニストとして、僕は伝わり切れなかったもの達の巻き起こした静かな激しい嵐を経験したのである。
迫り来る白い壁、僕は帰って来た。
ベートーヴェンの住む白い森から僕は僕の個に出会って帰って来た。ベートーヴェンの最後の『ピアノソナタ第三十二番ハ短調』はその第二楽章に哀しい平和を湛え乍ら鳴っている。
幾度も病んだ者の回復に向かう時の譬えようの無い動悸のような音楽の高なり、伝わり切れなかったもの達よ此の静かな冬の星降る夜明けにて僕の言葉に君達の自由を委ねるが良い。
影よ僕の影よ、君に僕は問い掛ける。
あの遠い海は今は寒いか。
あの澄んだ山は今寒いか。
故郷はどうだ。
白い竹林はどうだ。
ベートーヴェンの森はどうだ。
白い森、黒いピアノ。
白い冬。
暗い朝、明るい夜。
白い故郷、黒い人影。
深い孤独。
伝わり切れなかったもの達の為に幾度も病んだベートーヴェンのアリエッタはまだ鳴り止まず。
90/10/18