第十二章

 昨夜僕は此の世の全てのモーションに別れを告げたベートーヴェンというようなことを書いたけれども、それはやはり僕自身にも繋がっているのかも知れぬ。

 確かに僕の人生にはモーションが欠落してはいる。

 欠落したモーション、果たして僕の人生にそんな比喩は適しているだろうか。否である。何故なら僕は此の世の全てのモーションとは無縁の処に生を過ごして居たからだ。しかし僅かにモーションを体験している右の手はどうだろう。それは最期に残された僕の生身の肉体に違いなく、血は熱く神経も敏感だ。

 此の掌は現状を生きる為に僕の思考した時間を今こうして記している。

 昨夜から降り続いた雪は窓の闇を明るく照らし乍ら、やがて清らかな竹林の下に沈んで仕舞うのだろう。

 ベートーヴェンの『告別』ソナタは僕等の心の闇を照らし、僕等のそれぞれ経験し得た別れの瞬間を飾る音楽なのだろう。

 母の柔らかな乳房、小さな黒いピアノ、百八つの縫い目の有るサインボール、タックという子猫の細い前足、机の上に置かれた洗面器の中の雪達磨。

 『告別』の第三楽章「再会」ヴィヴァーチッシマメンナを聴く時、僕は既に別れを告げた幾つかのものの温もりを懐かしく想うのである。

 今窓の片隅に微かに星の瞬いている。それは二つか三つか判らぬ程微かだが、僕の視覚を走ったのは確かだ。手は依然僕の思考した時間の長さを言葉に因って積上げ乍ら段々透き通るだろう。

 透き通る手、血は熱く神経は敏感な掌、静かな冬の星降る夜、僕は僕の別れた様々なものの温もりを想い出す。

 僕は己の掌を見詰める。如何にも柔らかな掌、ベートーヴェンも『告別』ソナタ以来その力強い音楽を確信した怒れる人ではなく此の世の全てのモーションに別れを告げ、現状を生きる為に黙する人となった。

 静かな冬の星降る夜、雪は闇を照らしている。

 母は今Xマスツリーに巻き付けた点滅する小さな幾つかの、ランプのプラグをコンセントに差し込んでくれたが、僕は以前此の色彩豊かに点滅するランプの一つ一つに尊い夢を抱いて居た。そうしてXマスツリーという物に何時も何か懐かしいものを感じるのだった。何か懐かしいもの、三十歳も半ばに来てXマスツリーにそんなものを感じるのは少し可笑しなことだけれども此れは別段悪い気分ではない。

 まだ幼かった頃、僕は何事に付けても西洋を好んだ。

 高い空と遠い森と赤い屋根と、僕の幾度か夢の中に歩いた坂道には常にそういう風景の流れていた。

 今考えてみると僕の歩いたのはオランダの田舎町だったか、オーストリアの村外れだったか、それとも名前の無い西洋の或る場所だったのだろうか。しかし僕は確かに此の二本の足に歩いて居た。確かに小麦色の地面を踏み締めて居た。

 影よ僕の影よ、あの小麦色の地面は今何処に在るのだ。高い空と遠い森と赤い屋根と、確かに西洋の涼しい坂道だった。

 空間と物体とが光と闇に結び付いたこんなに静かな聖なる夜、点滅する小さなランプは豊かな色彩と共に小麦色の坂道を思い出させ乍ら、僕の心の一番深い処に又美しい音楽を鳴らすのである。それは今窓の端に瞬く星々の呼吸に似ている。

 ベートーヴェンの作品一〇六の変ロ長調ピアノソナタ『ハンマークラヴィア』の第三楽章アダージョである。此の二十九番目のピアノソナタ程ベートーヴェンという怪物的な人間を証明する音楽は無い。僕はその第一楽章アレグロを聴く時、人間の眼の恐ろしさを痛感する。

 人間の眼の何処か一つの所を見据えた時、既に彼の全神経は二つの眼球に集中する。『ハンマークラヴィア』のアレグロ楽章は何かを見据えた時の緊張感に溢れつつも、その感動に震える人間の眼の光のようだ。

 ベートーヴェンの遠くなった耳の哀しみは最早哀しい出来事ではなく、彼の真の現状となって高らかに歌い出されようとしていたのだった。

 作品一〇六のアレグロを書いた時、彼は彼の現状を力強く歩いていたと言えるだろう。現状を生きる為に黙する人の少しも乱れぬ呼吸に因って五線譜の上に並べられた音こそ、ベートーヴェンの生涯だった。

 『ハンマークラヴィア』と題された晩年の超大なピアノソナタは紛れもなく、正常な呼吸と精神から生み出された完全な健康体の音楽だ。それは病んだ者の心にも純粋なるシンパシーを以て響く。

 想い出に引き寄せられず、欲望に囚われぬ所にがっしりと立つベートーヴェンは今僕の真後ろにいる。そして僕の肩を見下ろす。僕には彼の呼吸が聞こえている。

 正常だ。何よりも彼の呼吸は乱れてはいない。

 点滅する小さなランプも僕の呼吸も乱れてはいない。正常なるもの、それは僕の現状を見守っている。此の完全な健康体の音楽はそれ迄彼の二十八曲のピアノソナタには無い或る種の沈黙の歌の溢れていそうである。

 沈黙の歌とは、ベートーヴェンの晩年に於ける最も重要な無音部に位置付けられた華麗な一つの空間に違いない。『ハンマークラヴィア』ソナタの第三楽章アダージョに至ってその最良の歌は、僕等の単純な聴覚に漸く聴こえ始めたと言って良いだろう。

 僕は先頃世を去ったウィルヘルム・ケンプの名演に、屡々『ハンマークラヴィア』を聴くけれども、そのアダージョが鳴り始めると何時も僕は両肩に冷たいものを感じる。

 白髪の逆立て乍ら眼を閉じピアノを弾くケンプの音作りはやはりゲルマン的知性と教養とに支えられてはいが、しかし第三楽章アダージョに潜む広大な空間も忘れられてはいない。寧ろバックハウスやシュナーベルよりも、更にはブレンデルやゼルキンよりもケンプのそれは謎めいた風景を提供する。

 ケンプという大ピアニストの有り余る知性と教養とは『ハンマークラヴィア』ソナタのアダージョの叙情性に、却って反応し僕等の耳に深い感動を呼び起こすのだろう。

 静かな冬の星降る夜、沈黙から生まれた殆ど輪郭の無いそれぞれのピアニッシモはアダージョの速度にやがて僕の記憶の中に繋がり僕の現状を照らす。そんな僕の照らされた現状をベートーヴェンはやはり見守ってくれている。

 正常だ。何よりも彼の呼吸は乱れてはいない。

 点滅する小さなランプも僕の呼吸も乱れてはいない。正常なるもの、それは僕の現状を見守っている。

 迫り来る白い壁、僕は白い壁の鼓動に耳を澄まし、ベートーヴェンの沈黙の歌を聴いて居る。完全な健康体の音楽は現状を生き、沈黙という音符の力を誰よりも鮮明に認識したベートーヴェンに因って此の部屋を訪れる。

 僕は歩く。

 沈黙は遠くなった耳を愉しませる最良の音楽だった。

 空間と物体とが光と闇に結び付いたこんなに静かな聖なる夜、点滅する小さなランプは僕の窓の端に遥かな星々の瞬きを呼んで来たのだった。此の部屋にXマスツリーの飾られるのは何と久しいのだろう。

 あの頃僕の好きだったのは黄緑色のリングに腰掛けた小さな小さなサンタクロース、ポインセチアに囲まれた金色のトナカイ、そして赤い大きな長靴だった。

 今零時になった。気温は十一度、イヴの夜である。

 静かな冬の星降る夜、雪は闇を照らしている。

 影よ僕の影よ、君に僕は問い掛ける。

 あの遠い海は今は寒いか。

 あの澄んだ山は今寒いか。

 故郷はどうだ。

 白い竹林はどうだ。

 遥かなイヴの夜はどうだ。

 完全な健康体の音楽は今、僕の肉体を取り囲もうとしている。如何にもXマスらしい静かな夜、『ハンマークラヴィア』ソナタの深々とした沈黙の歌を僕は己の全神経に受け止めてみる。ベートーヴェンの沈黙の歌は今宵、はっきりとした言葉となって僕の耳元に囁いている。現状を愛せよと。

 現状を、僕の何も無い現状を。

 僕は歩く。

 正常だ。何よりも僕の呼吸は乱れてはいない。正常なるもの、それは僕の此の部屋に在る全てのもの達だ。全てのもの達、全ての僕との距離を生きている有形なる物達、その様々な物の上をゆっくりと過ぎて真の形を保とうとする無形なるもの達、影よ僕は君を信じて居る。ベートーヴェンも或いはそういう空間と物体とが光と闇に結び付いた一室に晩年を過ごし乍ら、全ての現状を磨き『ハンマークラヴィア』ソナタと向かい合っていたのではあるまいか。

 使い古した対話帳を壁に架かった外套のポケットに捻じ込んだ儘、彼は何時か彼の心に鳴った沈黙という歌の断片を呼び返そうと大きな掌に顔を埋める。やがて黒い野良猫が鍵盤の上に飛び乗ると、彼の手は顔から離れその黒猫の頭と背中を撫で始める。黒猫は一声鳴いて彼の広い衿の辺りに飛び付くと、暫く彼の肩にしがみ付く。そうして窓に星々の無数のきらめきに気付いた彼は嘗て体験し得なかった音を聽く。

 光とも音とも区別の付かぬものに彼は天上の奇跡を認めざるを得なかった。それは人の黙する他ない驚きだった。視覚を突き抜けて失われた聴覚を打ち、それは以来ベートーヴェンの部屋に生きるようになった。

 彼はそれを生け獲りにしたのでもなく奪い取ったのでもない。鍵盤の歩いた黒猫を中継した神の贈り物だったのだろう。したがって作品一〇六のピアノソナタ第二十九番変ロ長調『ハンマークラヴィア』は完全な健康体の音楽だと言える。ピアノ音楽最高傑作、此れは作品五十三の『ワルトシュタイン』を表したY氏の言葉だけれども『ハンマークラヴィア』ソナタは違う。

 ピアノソナタの領域を遥かに脱したピアノの為の奇跡に等しい。

 正常だ。何よりもベートーヴェンの呼吸は乱れてはいない。正常なるもの、それは限りなく天上の奇跡に近く描き出された沈黙を予言した音楽である。

 ピアノを愛する独りのピアニストになれなかったピアニストとして、僕は静かな冬の星降る夜に『ハンマークラヴィア』ソナタを弾こう。

 正常だ。何よりも僕の呼吸は乱れてはいない。正常なるもの、それは僕の此の部屋に在る全てのもの達だ。

 影よ、僕は君を信じて居る。

 空間と物体とが光と闇に結び付いたこんなに静かな聖なる夜、ピアノを弾こう。

 影よ僕の影よ、君に僕は問い掛ける。

 あの遠い海は今は寒いか。

 あの澄んだ山は今寒いか。

 故郷はどうだ。

 白い竹林はどうだ。

 正常な沈黙の響きはどうだ。

 今僕の机にもう二才になった黒猫のチロルは上がって来た処だ。チロルという猫は此の部屋の全ての動きを担っている。大きな耳の長い尾の小さな顔の黒い猫、僕は此のチロルの動きに時間の流れを知られて居るのだろう。

 生まれて二週間目にチロルは僕の部屋にやって来たのだけれども、あの頃僕の喘息は最悪の状態だった。とは言え僕はやはり物を書いて居た。確かシューベルトの最後のピアノソナタに就いて、稿を進めて居た時にチロルは音楽の吐息のように現れた。僕は己の喘息とシューベルトの遺作との距離の意外に近いのに戸惑いつつも尚、そのデモーニッシュな音楽の中に静かな場所を求めたのだった。喘息の酷い発作は殆ど毎日僕の胸の真中を通り過ぎ、それは僕に現状からの逃避を誘った。胸の中の嵐は何時しか僕の心の健康を迄乾かそうとして吹き荒れるばかりだった。

 チロルはそんな時、母の手に抱かれて友人の家から僕の膝に渡された。シューベルトの遺作に就いて書き乍ら、僕はチロルの小さなそして活発な寝息を何時も左の膝に感じて居た。チロルは以来、僕に正常なるものの呼吸を示し続けている。

 空間と物体とが光と闇に結び付いたこんなに静かな聖なる夜、正常だ。何よりもチロルの呼吸は乱れてはいない。

 正常なるもの、それは僕の此の部屋に在る全てのものに通じていそうだ。大きな耳の長い尾の小さな顔の黒い猫、今机の左角に眠って仕舞ったが呼吸は依然聞こえている。

 ベートーヴェンの沈黙の歌に似合うのは、そういう生き生きとした生きものの呼吸ではあるまいか。『ハンマークラヴィア』ソナタの奇跡的な美しさにも、紛れもなく呼吸を誘う力は在る。

 迫り来る白い壁、チロルは眠る。

 静かな冬の星降る夜、僕は書く。                                                     


第十三章

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