第九章
今、雪ははっきりとした結晶の形をして僕の窓に降りて来る。
ベートーヴェンは眼を閉じ、己の眼前に横切った或るものをもっと明瞭に思い出そうとするふうに又ピアノを弾き始める。
作品七八の嬰へ長調ピアノソナタである。
此の二十四番目に書かれたピアノソナタはそれ迄ヴィルトォーゾにしか弾くことの困難だったソナタとは違い、小さな手の持ち主にでも簡単に弾けそうな旋律を持っていた。二楽章形式の細やかなやさしいソナタを彼は好んで演奏したと云われるが、それも何だか僕には理解出来そうに思われる。
優しく思いやりの溢れた第一楽章は、アダージョ・カンタービレと指示され乍らアレグロ・マ・ノン・トロッポへと変化して行くが、僕の部屋に響いているのはそのアダージョ・カンタービレだ。
[ゆっくりと歌うように]という指示を彼は此の時程慎重に記したことはなかった。何故ならベートーヴェンの人生に於いて最も幸福な瞬間を、彼は此のアダージョ・カンタービレという一言に託そうとしていたからである。
後に作品七八の嬰へ長調ピアノソナタは『テレーゼ』の愛称に人々から親しまれるようになるのだけれども、しかし彼は人々の為にアダージョ・カンタービレと記したのではない。彼は自分自身の大切な体験に音楽という肉体を与え、同時にアダージョ・カンタービレの速度に指定して何時迄も思い出そうとしたのだろう。
僕の耳にも『テレーゼ』と題され彼の最も愛したピアノソナタは聴こえている。美しいと感じた瞬間、僕は音楽を音楽として認識出来なくなって仕舞う。混乱する記憶、陶酔した空間の中に何も無くなり唯音楽という肉体のみ建っている。
音楽という肉体はややともすると、僕の肉体そのもの等ザラマンダーのように飲み込んで仕舞うかも知れぬ。そうして僕の飲み込まれた後も何も無かったように僕の部屋に人の肉体をして生きるのかも知れぬ。
さて人は此れを下らぬ妄想だと云うだろうけれども、僕にはあの雪の一粒同ように不思議な事実に違いない。それにしても雪は、僕にはまだ不思議に光を放す或るものだ。
迫り来る白い壁、光を放す白い雪、全ては白く全ては清い夜、ベートーヴェンのアダージョ・カンタービレは優しく思いやりに溢れて僕を偉大なる記憶へと案内する。僕は一粒の雪の遥かな記憶を旅して居る。
影よ僕の影よ、君もベートーヴェンのピアノソナタの内に僕の為に生まれた比喩ではあるまいか。
静かな冬の雪降る夜、僕はまだ嬰へ長調ピアノソナタを聴き乍ら机の上に物を書いて居る。
優しく思いやりに溢れた偉大なる記憶は多分、先程から窓硝子に囀る雪の純白に似ている。ベートーヴェンのアダージョ・カンタービレと記した『テレーゼ』ソナタの第一楽章に潜む美しい姿もそんな雪のように柔らかだった。
雪は彼のぼろぼろになった外套の肩の辺りに溜っては、彼が歩を進める度にぱらぱらと地面に零れる。彼はその零れる雪の中に聴覚の自由を思い出す。しかし彼はもう若い頃のように早足には歩かなかった。外套の肩に溜った音楽に耳傾け乍らゆっくりと歩いて行く。
静かな冬の雪降る夜、僕は『テレーゼ』ソナタの上に何故か涙を感じて居る。涙、それは余りにもベートーヴェンに相応しからぬものだけれども、彼の涙は暫しの幸福にのみ流された。幸福なベートーヴェン、僕等はこういう言葉に聞き覚えは余り無い。しかし僕の言う暫しの幸福とは不幸の中のそれであって、全面的な幸福ではない。掌の一粒の雪の如き幸福だった。
紛れもなく嬰へ長調の『テレーゼ』ソナタは優しく思いやりに溢れ、音楽という肉体を持った彼の大切な恋人だった。誰の耳にも心地好く、誰の心にも暖かな此のピアノソナタはやはり僕の傷にも優しく朗らかだ。
不相変、物を書いて居る僕の周りにベートーヴェンの暫しの幸福は今ゆっくりと歌い始めるのだった。
雪は一体何時迄降り続くのだろう。否寧ろ、僕は降り続いて欲しいと願って居る。ベートーヴェンの指定したアダージョ・カンタービレに雪よ降ってくれ。
空間と物体とが光と闇に結び付いたこんなに静かな聖なる夜、僕は僕の恋人を想うのである。
嘗てどの女性に抱いた感情よりも清潔なものを僕は今、或る女性に抱いて居る。美布由という名の優しい女性は僕に自分のことを書くなと云う。けれども僕の書いて居るのは小説だと言うと美布由は少し微笑んでそれきり書き物に対しては文句を云わなくなった。但し僕の書いた物の小説か否かは僕のみの知る処である。
小説家たることは人の心の真実を如何なる比喩を媒体に創作の中に引き摺り込むかであって、最初からの創作等書くことではない。
人の心の真実、此れも又曖昧なものではあるが僕はその曖昧を無くする為に書いて居るのだ。美布由にはそんなことは一切話さぬけれども、若しかしたら直感として理解しているのかも知れぬ。
僕は美布由と『テレーゼ』に就いて考えてみる。僕は今尚恋をして居る。アダージョ・カンタービレのテンポに、人の心の真実を書こうとして居る。
静かな冬の雪降る夜、僕は或る野心に身を焦がして居たい。故に僕は満足して居る。僕の野心の幾つかは満たされ、又幾つかは満たされぬ儘魂の最も冷たい場所に眠っている。美布由への愛もそんな野心の一つかも知れぬ。
テレーゼ・フォン・ブルンズヴィックという女性に捧げられたベートーヴェンのピアノソナタ嬰へ長調を聴いて居ると、僕は何時も美布由の優しくあどけない微笑みを思い出す。テレーゼ・フォン・ブルンズヴィックを愛し続けたベートーヴェンの、暫しの幸福の音楽は幾つかの時代を越えて今此の部屋に僕を包んでいる。
美布由の優しくあどけない微笑みに雪はしんしんと降り止まず。
僕は一つの心の真実として美布由を愛して居る。
美布由は僕よりも二つ年下だがやはり彼女も僕の知り合った何人かの女性同様、学生ボランティアとして僕の前に現れたのだった。前に書いたYという女性に世話になった琵琶湖のキャンプに、美布由との出会いも在ったのである。
当時美布由は別の障害者の世話に大童だったが、ふとしたことから二日目は僕の世話をすることになった。大変血色の良い頬と大きな眼鏡とジーパンの印象的な美布由は、半ば脱水状態の僕に又しても大童だった。しかし美布由はその時、他の女性に夢中の僕の目の前から何時の間にか消えて仕舞うかに思われた。事実美布由は此の部屋に二度友達を連れて訪れ、それきり四年間のブランクも生じた。四年の間僕は、或る女性の幻影を追い求め一冊の著書を世に送り出した。
或る女性に宛た恋文の形を取ったその僕の著書のゲラ刷りを何度も推敲する内に、女の幻影は此の白い壁に見分けの付かぬ程薄れて仕舞った。
そんな僕の揺蕩う魂に突然あの優しくあどけない美布由の手は差し延べられたのだった。勿論それは睡眠上の夢ではあったが美布由の清潔な優しさを思い出したのである。僕はその著作に一度会いたいというメッセージを付け彼女に贈った。
以来美布由は月に一度此の部屋を訪れ『テレーゼ』のようにアダージョ・カンタービレの音楽を僕に与え続けている。
空間と物体とが光と闇に結び付いたこんなに静かな聖なる夜、美布由の優しくあどけない微笑みに雪はしんしんと降り止まず。
ベートーヴェンとて『テレーゼ』という暫しの幸福を知っていたのだから、僕も信じよう。美布由の優しくあどけないアダージョ・カンタービレを信じよう。
影よ僕の影よ、君に僕は問い掛ける。
あの遠い海は今は寒いか。
あの澄んだ山は今寒いか。
故郷はどうだ。
白い竹林はどうだ。
静かな冬の雪降る夜、美布由の優しくあどけない微笑みに雪はしんしんと降り止まず。
僕は今尚恋をして居る。
嬰へ長調の『テレーゼ』ソナタは優しく思いやりに溢れ、音楽という肉体を持った僕の恋人だ。
僕の恋人、そんな言葉を書き乍ら今僕は掌に何か熱い玉でも落ちるのを感じた。玉は暫く掌の五つの膨らみの上を辿り透明から段々に白くなる。僕はそれを握り締める。
美布由よ、僕は君を信じる。
何時か僕の左の足の突然の痙攣に戸惑いつつも何とか痙攣を止めようとした君の小さな両の手を。 何時か僕の愛の告白に驚き乍らも、それを真剣に受け止めようとした君の清純な大きな瞳を。
やがて僕の掌に白くなった玉は独楽のように回転し始めている。
僕はそれを握り締める。それは若しかしたらベートーヴェンの『テレーゼ』の中にぽっと生まれた幸福の形ではあるまいか。
彼の着ふるした外套のポケットには何時もそんな白い玉の入っていた。
彼はそれを握り締める。大きな掌に時折それを転がしては見詰めるものだから玉は風に晒されて冷えて仕舞ったけれども、その玉は又彼のポケットの中に暖められるのだった。
空間と物体とが光と闇に結び付いたこんなに静かな聖なる夜、ベートーヴェンの暫しの幸福を象徴する形は今僕の掌に訪れている。
暫しの幸福、動きの欠如した僕の肉体はそういう幸福という形を唯見守って居れば良い。そうだ、彼のポケットに育てられた『テレーゼ』という幸福は頗る観念的なものだった。
確かに嬰へ長調の『テレーゼ』ソナタはテレーゼ・フォン・ブルンズヴィックという女性に捧げられたがしかし、其処には余りにも官能的なものが欠落している。
モーツァルトの歌劇『ドン・ジョウァンニ』の上演を五分間見てその会場を立ち去る程彼は官能的なものを拒否してはいたが果たして本当にそうだったか、此れは世の伝記作家の気を引く処だが僕には寧ろ観念としての愛の気になるのである。
観念として愛とは恐らく今僕の掌に在る回転する白い玉のことだろう。
静かな冬の雪降る夜、美布由の優しくあどけない微笑みに雪はしんしんと降り止まず。
行動無き僕の愛に応えは要らぬ。
寒い夜である。
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