第三章

 あの頃、空間と物体とが光と闇に結び付いた或る聖なる夜、僕の形の良い右手の前におもちゃのピアノは置かれたのだった。母から貰った此の黒い小さなピアノはまだ幼児の僕には余りに眩し過ぎた。

 眩し過ぎる小さなピアノ、それはまだピアニストになることを現実として考えて居た僕に苦悩の一音を残し、大切にしていた夢のバルーンを突いた。

 僕の小さなピアノは毎日机の上に置かれ、鍵盤は常に僕の右手を眺めていた。母は時折「七つの子」の旋律を弾いたけれども、その旋律は大抵途中に途切れて仕舞うのだった。

 僕の右の手を祖母は始終、小さなピアノの鍵盤に当てがった。そうするとピアノの音はプロコフィエフのスケルツォのように三つ程鳴って、後は鳴らなくなった。僕はその三つの音階をまだ覚えて居る。

 此の右の手の鳴らした三つの渇いた音に、僕のピアノとの拘りは始まったのかも知れぬ。

 影よ僕の影よ、あの偶然に鳴った三つの音に僕の現在は暗示されていたのだろうか。君は知っていよう。そして君も覚えていよう。ならば教えてくれ。僕の小さな可哀そうなピアノは今何処だ。

 ピアノを愛する独りの、ピアニストになれなかったピアニストとして僕は君に応えて欲しい。あのピアノを今ベートーヴェンにも見せたいのだ。彼は素直に驚くだろう。それでも彼は僕のピアノを哀れみはせぬだろう。ベートーヴェンも又何よりもピアノを愛していた筈である。そうして僕は今も尚あの小さなピアノを思い出して居る。

 ピアノ、その白と黒とのエナメルに神経を削った者の何と多いことだろう。若しかしたら僕とて彼等の仲間なのだろうか。僕の両の手は嘗て、一度も音楽を奏でたことの無いだけだ。つまり僕の手は奏でることを知らず音楽を常に考えていたのだろう。

 音楽を考える、奇妙な言い方だがベートーヴェンならば黙して頷くだろう。何もピアノのヲ弾くことの技巧を指してピアニストと言うのではない。欠落した動きを音楽という湖沈めそれをピアノに願えば良い。あの小さなピアノを見詰めて以来、僕はそんな願いを以て音楽を奏でて来たピアニストなのである。

 影よ僕の影よ、君に僕は問い掛ける。

 あの遠い海は今は寒いか。

 あの澄んだ山は今寒いか。

 故郷はどうだ。

 白い竹林はどうだ。

 そら又、ベートーヴェンは君の代わりに応えてくれそうだ。やはり応えは音楽である。第十四番のピアノソナタの冒頭はあたかも、僕の個人的な問いに対する答のように弾かれ始めた。

 僕の部屋は寒い。

 部屋は今十五度だ。坐高のかなり高い僕には、足元の温度は酷く冷たく感じる。上半身に比べ下半身の脆い僕の身体にその温度の差は厄介だ。

 此れから冬になるとこうして物を書く時等は、膝掛け無しでは足の縮む感の耐え難い。したがってつい頭に血は上り比喩を連発して仕舞うようである。しかし此の何かに追い立てられて居る気持ちという奴に妙な愛着を覚えるのは、別段仕事に対する真面目さや真剣さではない。肉体に未来が在ることを信じぬだけである。信じぬのか信じられぬのか解らぬが僕の性格なのだろう。

 ともあれベートーヴェンもそんな性格だったのではあるまいか。

 マクシミリアン・シェルが映画の中に演じたベートーヴェンは、少なくとも神経質な眉間の皺を持って何時も早足に歩いていた。短い鼻に二本の横皺を浮かばせ、少し開いた鼻腔と大きな眼は始終或る一つのものを見詰めていた。やはり僕の前にも何処か一点を見据えた彼はピアノを弾いている。

 嬰ハ短調『月光』である。それは音楽であり乍ら、ゆっくりと僕の冷たい足元に流れ込む。

 光とも煙とも付かぬ或るものに僕の形その物も埋もれそうになる。

 僕の意識ははっきりして居る。驚いては居るけれども恐怖感は無い。寧ろ陶酔に近いものを此の冬の冷たさと共に愉しんで居る。あの小さなピアノを見詰めて以来、僕はそんな現象には慣れて居る。しかしベートーヴェンはまだ動かぬ。恐らく彼の見た夢はそれ程美しい時間を体験していたのだろう。

 ベートーヴェンの見た夢、今僕の体験して居る光景その儘の窓と月が在ったに違いあるまい。僕の意識ははっきりして居る。しかし僕は此のアダージョ・ソステヌートの音楽を見詰めて居る。

 三十二曲在るベートーヴェンのピアノソナタの中に在って、最も視覚に影響を及ぼすのは、此の嬰ハ短調の『月光』ソナタである。

 不思議なことだけれども僕の眼には『月光』の音楽は見える。

 僕の眼は如何にも生れ付きの弱視ではあるが、そんな余計なものを見る知恵を何時の間にか持ち合わせていたようだ。

 僕にとって見るという行為は聴くという行為よりも複雑ではない。故に弱視の眼は脳よりも早く、肉体からの音を受信することを覚えたのである。音を受信した僕の眼はその振動に基づき急いで形と色と面積と距離とを信号化して脳へ知らせようとする。知らせられた信号は完全に音に戻り切らぬ儘僕の頭に、何か形にも色彩にも属さぬ美しいものを残すのだった。

 神経の限界を走り抜けたそれは僕の夢の宇宙ではなかろうか。形も色も面積もその距離も一切を省いた宇宙を、此の弱視の眼故に体験出来るのかも知れぬ。

 寒さは一段と増して来た。

 窓の裏に竹林のかさっと鳴った。

 僕の意識ははっきりして居る。

 ノイズは無い。

 竹林に『月光』ソナタのアダージョ・ソステヌートはよく似合うようだが、それにしても寒い。流れて行く時間さえもアダージョ・ソステヌートである。窓硝子の冷たさにもFMのアンテナの冷たさにも『月光』は鳴り止まぬ。

 ベートーヴェンの見た夢、それは紛れもなく僕の体験して居る『月光』ソナタなのだろう。神経の限界を走り抜けたあのアダージョ・ソステヌートに就いて、僕はあれこれと考えて居る。

 ベートーヴェンの見た夢、ベートーヴェンの見ようとしたもの、ベートーヴェンの弾き続けたピアノ、ベートーヴェンの愛したのは痛烈な耳鳴りの中にそっと生まれた細やかな『月光』だった。

 窓硝子に浮かんだ月は隠れた。

 眠くはない。

 ノイズは無い。

 ベートーヴェンはまだ動かぬ。

 僕の思考はしかし翔び回って居る。

 唯ピアノを愛する独りの、ピアニストになれなかったピアニストとして僕はアダージョ・ソステヌートの振動に震えて居る。

 肉体の有りし哀しみと肉体の朽ちたる哀しみとの通じた夜である。

 此の竹林に最も相応しい『月光』ソナタは、僕の眼を実に愉しませてくれる。己の視覚に映じる形と色彩とを今迄、少し軽んじて居たことは事実だが今宵は何と美しいのだろう。空間と物体とが光と闇に結び付いたこんなに静かな聖なる夜、僕はピアノという夢を見て居る。

 ピアノという夢、形と色彩とを既に離れて仕舞った僕の中のあの小さなピアノは音の世界に帰ったのだろう。

 そうだ影よ僕の影よ、形と色彩とは全て音から生まれた比喩に過ぎず僕等はそれを夢見ているのかも知れぬ。だとすれば僕の弱視の眼の受信した微かな音こそ僕等の体験すべき出来事なのである。

 ベートーヴェンの音楽も又そういう不思議な出来事なのだ。

 神経の限界を走り抜け乍ら、彼の音楽は僕等の人生に目的地を示してくれる。しかし彼の音楽は決して導いてはくれぬ。僕等はベートーヴェンの指し示してくれた光明に向かって歩かねばならぬ。何も僕は、ベートーヴェンを教育者に仕立て上げよう等とは思わぬ。

 僕は唯、[ベートーヴェンも普通の男だ]と云い触らした或る名ばかりの出谷啓という音楽評論家を今頭に浮かべて居る。それはベートーヴェンの音楽を親しみ易く説明する為の口実だとしても余りにも軽薄過ぎる。[普通の男]の遺した普通の音楽に等、人は振り向きもせぬだろう。人は平凡なものに親しみはするが憧れは抱かぬ。言い方を替えればベートーヴェンの求めたのは己の心から流れる儘の音楽ではなく、その流れる儘の音楽を消化出来るイデアだった。

 消化され聖なる言葉に埋め尽くされた音楽は、まさしくベートーヴェンの非凡を生んだ。そうして彼は平凡を殊の外嫌った。

 聴覚の衰え故にベートーヴェンの音楽が非凡になったとは言わぬ。けれどもそれ故に、平凡では生きられなくなったのである。

 彼の日常生活の苦悩はその儘、音楽として五線譜の上に散らばる。真黒に塗り潰されたスコアに辛うじて読み取ることの可能な音符は、彼の日常生活の傷跡でもあった。果たしてその傷跡を[普通の男]の遺した音楽だと言えるだろうか。

 僕の意識ははっきりして居る。

 眠くはない。

 ノイズは無い。


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