"F"の音楽レポート



マウリツィオ・ポリーニのシュトックハウゼン演奏会の視聴記

 その1

1998/5/11、サントリーホールへポリーニを聴きに行きました。

その1は、コンサートの状況から。 

 その2(1998/6/1掲載)

【リスト】

最初に立て続けにリストの曲が4曲演奏される。

リストの後期の曲は、今回のリサイタルの意向にはぴったりだ。

リストは晩年、1874年「調性の放棄」を宣言している。

この4曲は、いづれも晩年の6年間(1880−86)に作曲されており、

「同時代の誰も試さなかった用法、浮動する調性、数個の音符の音列的使用、上下両声の複調的用法」(以上、柴田南雄著「西洋音楽史」より)が見られる。

ただし、これらは理論的に確立されたものでなく、リストの天才的なピアノテクニックから獲得された独特の音色への感性によるものが大きい。

【シェーンベルグ】

 次に演奏されたのは、シェーンベルグの小品。

 これは、「ピエロ・リュネール」とほぼ同時代に作曲されたもので、完全に無調の世界に突入しているものの、まだ12音音階の確立には至っていない

 私はこの曲は初めて聴いた。新しさ(新鮮ではないけど)から言えば、こちらだが、曲自体の力から言えば、リストの4曲のほうが強い。

 何故、ポリーニが”5つのピアノ組曲”や、”ピアノ組曲”の12音技法の一応の到達をみた曲を選ばなかったのか(このリサイタルの意向において)は疑問だが、中途半端な過渡期の方が、分かり易いと思ったのだろうか。

 でも、シュトックハウゼンの曲が、ある程度セリーを逸脱しているのだから、ある意味シェーンベルグで完全なセリーを聴かせた方が意向的に納得いくのだけど。

【シュトックハウゼン】

 シュトックハウゼンのピアノ曲5番、10番。ここにきて、このプログラムの意向に納得。前にあれだけ無調への先駆け的曲を演奏されると、ものすごく聴きやすい。苦いと思ってた薬がすっと入る感じ。

 何だか、理論的に知っている「時代のリンク」を具体化したような。

私の隣には、40代の女性二人組が座っていた。

「ポリーニは知ってるけどショパンしか聴いたこと無い。」(本人談)

「ベートーベンやバッハならついていけるんだけどね・・・不安」(本人談)

この人たちが休憩時に言っていた。(「少年の歌」終了後の休憩時)

「何だ。面白いじゃない。退屈するかと思ってたんだけど。」

「感動はしないけどね。でも何だかすごく面白いわ。」

テープ音楽「少年の歌」、休憩をはさんで、もう一つのテープ音楽「コンタクテ」。ポリーニは、この2つの曲を、客席から、それぞれ違う場所から聴いていた。

 この2つのテープ音楽は、シュトックハウゼン自らの言葉で「空間音楽」(Raummusik)と表現される。

 「少年の歌」(1955−56)は、基本的に一人の少年の語り声と歌声から構成されている。ヴォーカルが巧みに処理され、増幅されているので、時として、たくさんの少年の声にもきこえる。電子音が加えられているが、それらは非常に単純な音色しか与えられておらず、声にうまく溶け込む。作曲技法としては、ヴォーカル・サウンドの配列をセリー化し、それらのサウンドを精密な構成の中に組み入れていくのが主。

ヴォーカルはミュージック・コンクレートの技法で操作されている。

5チャンネルのテープに作製され、会場内に取り付けられた5つのスピーカーから再生される。

少年の声が、いろんな所からきこえては消え、まるでかくれんぼか、鬼ごっこにでも付き合っているような感じ。耳に、いろんな角度から音が入ってくるという空間性と、少年の声からイメージする、神聖さと残酷性が、面白く聴けた。

「コンタクテ」は、本来は、4トラックのテープ+ピアノ、打楽器の曲だが、今回はテープのみ。

35分という超大作で、「少年の歌」よりも、スケールが大きい。音も、もっと電子的。

「まるでスペースワールドね。」(前出・隣の女性)

こういった手法は、現在遊園地では当たり前に、とても巧みに使われている。

 最後は、ピアノ曲に戻る。ピアノ曲第10番。初めて聴く。

 20分ほどの、大きな曲。クラスターが随所で使用される。全体的にとても構成のしっかりした曲という印象。

 【演奏会の全体的な感想。】

 ポリーニはやはり優れたピアニストだった。全ての演奏から、見事に「音楽」を取り出してくれた。ただ、衝撃や感動は、私には感じられなかった。CDで聴く、ブーレーズの「ピアノソナタ2番」の方が緊張感がある。

 それは何故だろう。

 勿論、CDは、その時のほぼ完璧に近い演奏を収めることができるのだけど、生にはそのもの自身がもつ緊張感がある。でもそれも薄かった。

 私は、非常にリラックスして聴いた。それは、この演奏会が少し特殊だったからかもしれない。まるで、レクチュアを受けているような感じ。それも大変贅沢ではあるけど。

 ポリーニの、あの圧倒的なピアノを期待してた人には、不満だったと思う。私も、その点では不満が残る。

 しかし、別の意味ではとてもラッキーな演奏会だった。

 テープ音楽というのは、優れた曲も多いのだが、「演奏会で聴く」という点では、聴衆の反応を惹き起こすことができないため、それほど成功をおさめているとはいえない。

 だが、こういった形で提示された場合、前後の流れや演奏会の意向そのものが、聴衆に、ある程度ではあるが「聴いてみる」という興味の態度を引き出すことに成功していたように思えた。聴衆のなかには前述の女性のように、「ポリーニだから」来た人も多く、現代曲にそれほど興味を持っていない人も多数いたと思う。

 それらの人々が、帰ることなく、とりあえずでも「聴いてみた」のだから。

 ポリーニのような、「売れてる」ピアニストがこういう試みを持つ。

 演奏そのものには不満だったが、「やっぱりポリーニはすごい」と思った夜だった。

 ファンの贔屓目もあるけど。

(了)

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