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私も処刑についての直接の記載をあまり知りません。 ただ、阿部謹也先生の著作に 『刑吏の社会史;中世ヨーロッパの庶民生活』中央公論社;というのがあります。 直接関係するとは思えませんが、孫引きが可能かもしれません。 この本は大抵の 公立図書館及び大学図書館にはあるはずです。
どうもありがとうございました。 とっても為になりました。 もう一つ!中世都市の広場の研究でブリュージュの広場を取り上げています。 北フランスにも例が欲しいところなんですが、どこかいいところがないでしょうか? 中世都市においての広場の役割とは? 市場、祝祭、泉、処刑の場所という大体の目安はでてきているのですが・・・ 住環境の視点からやギルドのことも交えて論じてはいるのですが 処刑についてあまり記述がみられないのです! どなたか教えてくださいまし〜!
気に掛けて下さって、ありがとうございました。 ガイドブックにケチをつける趣旨ではないのですが、 まだインターネットを利用していなかった頃 (フランスではありませんが) ガイドブックや観光局の資料だけ読んで行って それが違ったということもありますし、 他のルート等もあろうかと思ったので この場を借りてお尋ねした次第です。 もちろん 最終的には現地で確認をしなければならないこと、 現地へ行かなければ分からないこともあることは重々承知していますが、 出発前に出来るだけのことはしておきたいという趣旨です。 現地へも色々問い合わせているのですが、 やはり先方にとって金銭的なうまみがないと?? 返事がもらえないことが多いようなので こちらに情報を寄せていただいて、助かっています。 今回はあえて交通の便が比較的よい所を選んだのですが (コンクはともかく) 私もいつか各地域を細かく見て回られればいいな、と思っています。 フィジャックも行きたかったのですが、今回は見合わせました。
過去ログで既に書かれている方がいらっしゃいましたね。失礼しました。そこにあるよう に、バス、ホテル、確保できるか定かでないですね。いずれにせよ、よい旅の準備を。:-)
どうもこんにちは。日埜さんのとこによく居る者です。 > 情報提供のお願い:もりさんがコンク、モワサックとポワティエ > (行かれたらショー> ヴィニーとサン・サヴァンも)へのアクセ > スについて電車・バスでのアクセス法を調べ> ています。最近訪 > 問された方は情報を是非およせ下さい。 ということですので。 挙げられた場所についてはすべて、『地球の歩き方・フランス』にアクセスも 含めて掲載されています。ちょっと探してみて下さい。最新版ではどうなのか 確認していませんし、その情報が最新なのかどうかも不確かなところがあるで しょうが、少なくとも、コンクとモワサックへはそこに書かれている経路で行 けました、ただし私が訪れたのは一年半前ですが。ちょっと古くて済みません (最新情報ではありませんので御留意を)。 コンクは、ロデス(トゥールーズから1時間程度。パリとロデスを繋ぐ路線も あります)からバスでのアクセスのみでした。1日1便で(平日のみ)、ロデ ス発コンク行が夕方に1便、コンク発ロデス行が早朝に1便。つまり、コンク に少なくとも一泊しないと帰れない(^^。投宿する価値は十分にあるのでまぁ これ幸いかもしれません。(別のガイドブックで、オーリヤックからのバスが あるというような情報が載っていたかも知れませんが、1年半まえの時点では その路線は無くなっていました。日埜さんなんかはこれで行ったんじゃないか と思うんですけどね。)モワサックにはSNCF(フランス国鉄)が通っていま す。トゥールーズに投宿して日帰り、という距離ですね。また、ポワティエは 訪れていませんが、SNCFが通っていますし、パリからのTGVも出てるはず。 その時の私の旅程は、リヨン、ル・ピュイ、クレルモン=フェラン(とその周 辺のロマネスク教会、イソワール、ブリウード)、フィジャック(を拠点とし てロカマドゥールなど)、コンク、トゥールーズ、というものでしたが、そこ から、モワサック、ボルドー、ポワティエ、トゥール、パリ、と一周するのも 乙でしょうね。ツール・ド・フランス・ロマネスク! * 形文社刊『粗い石』は、現物を見たいならば、東京ですと、神保町・南洋堂、 京橋・INAXブックギャラリーには在庫があります。
TBSの世界遺産のページのサン・ジミニャーノ編、紹介の画像の中央にある井戸 泉といえるかどうか判りませんが、広場の中央にあります。 如何にも重要そうですよね。 URL↓
はじめまして、 トスカーナの城塞都市、サン・ジミニャーノの井戸は1273年に造られたとのこと。 『イタリア中世の山岳都市』竹内裕二著、彰国社、p92 つい先だって、11/12-14頃の書き込み見てください。 大きな公立図書館の建築関係の書籍とかに案外資料があるかもしれませんよ。
中世フランドル地方の都市論を題目に 卒業論文を執筆しているものです。 掲示板をみたところ、もなさん詳しいようで。 どなたか中世都市の広場にあった泉についてご存じないですか?
Hiroshiさま、コメントありがとうございます。 そうです、サン・サルヴァトーレは修復中でした。 私が行ったときは、内部はきれいになっていました。 なかなか興味深かったので、ロマネスクではないですが載せています。 (おいおい内部の写真も出てきます。) 同様にサン・ピエトロのファサードの写真もまだありますので、お楽しみに。 技術とセンスがないので、あまりいい写真ではありませんが。 サン・ピエトロは閉まっていて、内部は見られなかったので どんなステンドグラスなのか分かりません。 内部は後にかなり改装されたらしいです。 教会で本を売っていなかったので、 スポレートの書店で探して、簡単な案内書を見つけただけなのですが、 それによると サンテウフェーミアは12世紀前半−スポレートでは比較的古いもののようです。
みなさまお騒がせ致しました。 またHiroshiさまありがとうございました。 今しがた注文いたしました。 これでひとつ夢が実現しました。 今日はガウディ研究では権威の、松倉保夫先生の絶版の「ガウディの設計態度」も入手できて狂喜しています。 粗い石は、限定再版ですか? 出版元に残り部数を確認しましたが、教えていただけませんでした。
はじめまして。 2001/1/20の日埜さんの書き込みをご覧下さいURLはこちらです↓ とりあえずの情報。 出版社は形文社、連絡先は電話042‐531‐6813、ファックスは 042‐531‐4817。定価3千円 日埜さんによれば、「おそらく直接注文するほかないか」とのことでした。
フェルナンド・ヴィヨンの「粗い石」は、5年以上も前にその名を安藤忠雄の書籍「都市彷徨」で知り、探しつづける書籍でした。 ここで途切れた糸をやっと見つけました。 この書籍「粗い石」は現在も購入可能なのでしょうか? シトー派のストックな建築と内部空間、そしてそこから織り成される音空間は 僕の理想とする空間です。 是非読みたいです。 情報ご提供ください。 ダメダ 京都造形芸術大学 通信教育部 ランドスケープデザイン在籍 (個人的にはサウンドスケープ)
見せて頂きました。 いずれの教会も端正な感じがします。 よく保存されている というか、修復もちゃんと行なわれているのでしょうね。 そういえばサン・サル ヴァトーレ聖堂はまさに修復中だったのでしょうか、櫓が組んであるような? サンテウフェーミア教会も初期に属するのでしょうか? 石組みが前の2つと異なり ますね。 それとサン・ピエトロの薔薇窓のステンドグラスはやはり青に着色されているので しょうか? 美しいですね。 薔薇窓の下の彫刻よく観察出来なかったことが残念です。 何が描かれていたのでしょうか?
最新記事はイタリアロマネスクなんですね。 大変懐かしいです。 今年の予定は駄目になったので、 行った方の写真や感想で自分の記憶をたどっているところです。 スポレートはウンブリアの中でも特に好きな街で、 ペルージャからも何度も行きました。 写真のサンピエートロにはまさにこの時期、 ナターレ(クリスマス)の前に行き、 祭壇右手のプレセーピオ(イエス誕生シーンのセット)を動かしたのが甦ります。 そんな時期になりました。 私の周囲のイタリア好きが集まるクリスマスパーティをしますが よろしければ、是非いらしてください。 (HP表紙に詳細は掲示してあります) イタリアロマネスクの話が出きればとても嬉しいです。 みなさま風邪に気をつけて!
iida様 ご紹介ありがとうございます。 そして、大変お手数をおかけしております。 写真、文章ともつたないものですが、 とり上げた3つの町に関して、ロマネスクの観点からの(という程でもないですが) 既存のページがあまりないようなので、 それなりの意義もあろうかと思って!? 寄稿させていただきました。 みなさん よろしければご覧下さい。
りら様: コメントありがとうございます。 英語の歴史は学部学生のときすこしだけならいました。 英語とフランス語の語源をたどって 授業がすすみました。たしかカンタベリー物語が 教材だったと思います。 イギリスの修道院や教会についてはほとんど私は知りません。 ロンドンには行きましたが、都市見学だけでした。 オックスフォード大学を見にいきましたが、だだっぴろい ビルの集合した敷地で囲みもなにもなく、聞いていたとは いえ??という感じでした。アメリカの古い大学もそういう雰囲気 ですよね。 たいして文献をあさっているわけでもないのにおはずかしい限りですが、 今後ともよろしくお願いします。 そうそう、みなさんにおしらせもりさんが寄稿してくれたので 今日からオープンです!イタリアロマネスク。 ウンブリア地方です。↓
はじめまして♪ オックスフォード近辺にもケルト系の教会とかあるのでしょうか? 英語史というのは一体どんなものなのかイメージが湧きませんが、いずれにしても イギリス史はきちんと勉強したことがありません。 以前カロリング・ルネッサンス の歴史を勉強した時、イギリス本土から多くの修道士が海を渡り、蕃族の大移動で 荒れ果てた大陸の地に写本を将来したということを知りました。 その当時、ケルト系 のキリスト教文化がラテン系のそれとフランスを舞台にぶつかりあったということを 知りました。 いずれにせよ、色々教えて頂ければ幸いです。 最近私自身は中世も後期に興味が移り つつあります。
はじめまして。 少しずつ読ませていただいてます。 馴染みがあるのは私の場合にはもう少し下った時代ですし、 ゲルマン系の、というか、アルプス以北の風景、建築にも 個人的には興味があるのですが、 こちらのHPの充実した内容と、写真やデザインの美しいこと、 これではロマネスクにも興味が湧かないはずがないですね。 私もオックスフォードに滞在したことがありまして、 その郊外の小さな教会を訪ねたことがあります。 いや、修道院だったか、という位おぼろな記憶ですが、 教会だったと思います。 その建物はとても古くてノルマンコンケストの時代のもの。 ですからフランスの影響を受けている、 ということはロマネスクだったのですね、 今思えば・・・。 ゴシックよりだいぶ古い感じがしたのと、 ひっそりとした侘びた感じの佇まいがなんとも あざらしさんのおっしゃる温かみ、懐かしい、 本当にそんな感じがしました。 英語史を勉強する中でも出てきたのですが、イギリスのカルチャーに ノルマンコンケスト時のフランス、ラテンの影響というのが 如何に大きかったかを学びました。まさにロマネスク、 イギリス史においては特異の一ページです。 また寄らせていただき楽しみながらお勉強もしたいなと思っております。 ありがとうございました。
こんにちは。またまたあざらしです。 なぜ・・・・といわれるとなぜかしら? でも確かに、ヨーロッパが好きというと、普通の人は華麗な教会とかヴェルサイユを思い浮かべるみたいですね。 山奥の修道院に行ってみたいというと、変な目で見られたり・・・ あえて言うと、ロマネスクは温かみを感じるとか、懐かしい気がするとかそういうことかもしれません。 疲れた時旅にでたいと思うのは高層ビルより田園風景がいいといったような。 単純なものですが。 ちなみにわたしが旅行にいったのは、ローマ、フィレンツェ、ミラノ、ヴェネツィア それとフランスのディジョン、あとはオックスフォード、ロンドンといったところです。 コンクとか行ってみたい・・・・ ではでは。
こんにちは。 以前知り合いに西欧中世、しかもロマネスク時代に興味があると 答えたら、まず、何故近世でなくて中世なのか? しかもゴシックでなくて、 何故ロマネスクなのか? と問われました。 日本文化の対照として見るとき、 やはりすぐに来るのは近世ですし、またヨーロッパ中世を観光すれば、すぐ目に つくのは、天に向かってそびえ、威圧感をもって都市を従えるゴシックからね。 同じ質問を再度してもいいですか?(笑) ところで、「あざらし」というのは、またまた何故?(笑)
あざらし様: こちらこそはじめまして。 写真ほめていただきありがとうございます。 主宰のiidaです。 ロマネスクはなかなか旅のスケジュールに組むの大変ですが、 一度あじわうと都会の旅とは異なり郷土を大事にした 旅もできていいですよね。 もしよろしければどちらいかれたか教えていただけませんんか?
こんにちは。このページは以前から気になっていて、一度じっくり読んでみたいと思っています。 写真がとてもきれいで、どれをみてもうきうきしてきます。 わたしもヨーロッパ、特に中世が好きです。フランスやイギリスにも旅行したことが あるのですが、わたしはゴシックよりも、なぜかロマネスクの素朴な石の建物に 惹かれました。 このページを見て、いろいろ勉強したいと思います。
この2ヵ月程、ある目的を持って、中世末期の社会的混乱をテーマにした本を徘徊 してました。 余暇に十分時間も取れないし、何時もの癖で、読む以上に考える時間 の方が長かったので十分読み込めたというのではなく、今回も感想レベルです。 一番印象に残ったのがプラハの『フス革命』、これまで何度か民族運動との関わりで 出てきたものですが、今回は実在論と唯名論の論争が絡む別の側面を学びました。 「ヨーロッパ中世末期の民衆運動」より 『唯名論者たちが、人間の権威は、その称号、その職務によって与えられるとみなし たのに対し、実在論者たちは、権威はそれが実質あるものであるためには、神の恩寵 の状態あるいは救済の摂理の上に基礎づけられてなければならない、と考えた。』p278 『(フス派は)俗人を聖職者と同一平面に置くことによって、人間の職務よりは、 その道徳的尊厳さをより高くかかげた。』p281 この問題は以前『異端』を巡る問題でこの掲示板でも何度も挙げましたよね。 例えば、 7/29の書き込み分、『秘蹟論』 URL ↓ 、、、もしかすると、グレゴリウス改革に遅れて数百年、15世紀の東欧、ボヘミア の地にその思潮が流れついたのではないかとの思いを強くしました。 そして同じ ような印象を、10年前、沿岸戦争時に乱読したイスラーム関係書籍を読んだ時にも 感じました。 それが、イスラム神秘主義。 直接神との合一を目指すこの運動も まさに弾圧の歴史ですが、これも信仰の内面化に伴う歴史的必然としての異端運動 ではないでしょうか? 何方かここらへん専門家の方が見ておられればコメント頂 きたいのですが。 異端は昔から私の興味の1つですので、、、 生化学的データー出揃う。 2流紙にはこれでも投稿可能かもしれないけど、やはり 生物学的意義を示さないと駄目ですね。 しかしこれが超難問。 でもアイデアが ないわけでもない。
最近ここへの書き込みが皆さん少ないので、よろしくお願いしますね。
oimoですが、、、 やっと船便の荷物が届いたので一息です。t-onlineのホームページは やっと契約解除できたようです。iidaさんのトップページからの僕の ページへのリンクが切れてしまっていて申し訳ない状態が続いてますが、 そのうちASAHIネットにコピーを置く予定です。土曜日にさっそく、ADSLの 8Mを申し込んだので、数週間以内に復活できるかと思います。 ではでは
史家の村上氏のインタビュー記事が載ってました。 彼はあのテロで、自分たちが 生活している仕組が根底から崩されたことに、日本の社会が自分の問題として感じ ていないことに危機感を感じておられ、それが犯罪やテロの被害も自然災害のように 受け取る、日本人のもつ一種の『諦観』によるのではないかと云われてました。 さらに、破局を避ける方法として絶対価値の幻想や唯一主義を捨て、多様な価値観 に敬意を払うことが重要であると述べられていました。 まさに同感でしたね。
題名が何故か切れてしまいました。
ミネルヴァ書房;M.モラ、 Ph.ヴォルフ著、に挑戦中。中世末期の混乱の歴史は、 今日の文明の衝突の回避に何らかのヒントを与えてくれないかとの期待からです。 今朝の朝日の朝刊に「悪魔の詩」の著者の言葉が紹介されてましたが、内心では 私もそう感じていたようです。 サン・ジミニャーノの井戸 は当たりでした! 『イタリア中世の山岳都市』竹内裕二著、彰国社、によれば 1273年にこの井戸は造られたとのこと。p92 Oimoさんはサーバー移転したのでしょうか? 再リンク有難うございました。
昨夜の世界遺産、どなたか見ました? トスカーナの丘陵地帯に点在する幾つもの 城塞都市。 中でも沢山のそびえたつ塔の町、サン・ジミニャーノ(San Gimignano) 最盛期13世紀にはその数70を数えたとのこと。 ローマとフランス間の交易、 特にサフラン交易で巨万の富を得た都市貴族がその権勢を誇る為に建設したと解説 されてました。 確かに塔の中の構造はあまり防御用のものとは思えません。 唯一、 塔への入り口がかなり高いところにあったことが、防御への配慮でしょうか? しかしその繁栄も14世紀には終わったそうです。 それにしてもサフランとは! ま、一種の嗜好品でしょうから、その後ヨーロッパを覆う黒死病や戦禍にはそれこそ 脆かったでしょうね。 大聖堂は夥しいフレスコ画。 なかでも荘厳のマリア像。 聖セバスチャンも多数 の射抜かれた矢を何とも感じてないかのような荘厳像でした。 ここらはまだ末期に いってない証拠ですね。 建築についての説明はありませんでしたが、窓が殆ど無い ことからみてロマネスクでしょうか? 交差ヴォルトが美しかった。 (それにして もイタリアで、ロマネスクというのも何か変) 大聖堂内に13世紀始めに設けられ たという、サンタ・フィーナ礼拝堂、15歳でこの世を去った盲目の少女がこの町の 守護聖人のようです。 死後間もなくして多くの奇蹟を引き起こした点は規格通り。 それにしても、トスカーナの丘陵地帯に点在する城塞都市は、すべて丘か、小山の 頂上付近に建設されてました。 あれだと水の確保が問題だろうなと、芸術・美術 の紹介の中、場違いな思いを抱いてしまいました。 サン・ジミニャーノ市庁舎の 中央に大井戸とおぼしきものがありましたけど特に解説はなし。 熊本城も丘陵の 先端に広大な城閣が建設されています。 外堀には川の水が引かれてますが、飲料水 用には、むしろ城内のあちこちに掘られた大きな井戸が使われていたようです。 実際今でも天守閣近くの石垣の頂上!に掘られた大井戸を見ることが出来ます。 何だか意外な感がしますが、実用に十分耐えた、ということですから、多分ここでも そうでしょうね。 水を通さない岩盤さえあれば地下に巨大な貯水糟というのも 可能性あります。 いずれにせよ、これら城塞都市の都市計画なども面白そうで調 べてみたいですね。
半年程前でしょうか、のんきにタリバンについて書き込んだ自分の文章を読み直し ています。 当時も意識はしていたようですが、どこか遠くの世界。 2001/3/1 「ハディース」URL↓ 『・・特に原理主義と呼ばれる集団と如何に対応していかなければならないかが 当面の問題でしょうね。 これは、コーラン、特にハディースを読んだあとで感 じましたね。 日常生活そのものが宗教で塗固められている社会とどのように我々 が付き合っていけるのか? これは大変なことですよ!』 、、、あの頃は危機感もなく、その後話しは井筒先生や、イスラーム神秘主義に 流れていきましたが、あれから半年。 私の中で世界は随分変わってしまったか のような感覚があります。 ところで、このところ中世末期を勉強しはじめているのですが、とても難しく感じます。 勿論、高校以来、正規に歴史の勉強をしたことがないなので、基礎的知識に欠ける ことが原因でしょうが、それにしても初期や盛期を勉強しはじめた頃に比べて難しく 感じるのは、社会そのものがかなり複雑になっていることではないでしょうか? <中世末期の社会的軋轢の総括と応用> 中世末期の混乱の<社会的>原因が、当時誕生しつつあった中央集権的近代国家に 対する反動であったように考えられます。 そして重要と思うことの1つに、反乱 の担い手が絶望的な状況を覆えそうとした<貧者>ではなく、次第に整えられる官僚 機構によって進められる管理強化を阻止し、それまでの権利(古き習慣法)を取り戻 そうとした中産階級という点だと思われます。 、、、で、この状況は、今日のテロにも当てはまるのではないかとの独断と偏見を 持っています。 応用;テロの本当の担い手は、絶望的な状況を覆えそうとした<貧者>ではなく、 次第に進むグローバル化を阻止し、それまでの権利を取り戻そうとした<裕福な組織> ではないか? という仮説です。 そう考えると色々なことが見えてくるように感じ ます。 まず、貧者ではない理由として、 1)同時に4機をハイジャックする組織力、特に資金力は極貧国のタリバンでは難し いだろう。 2)炭ソ菌テロが同一組織犯であるかは疑問。 しかし、いずれにせよ、 今回議員に送られたスポアは一部で報道されているような<貧者の武器>ではない。 炭ソ菌にスポア(芽胞)を作らせることはそれなりの知識があれば簡単に出来るが、 これをエアゾル状にすることは高度な技術が必要。 そこで仮説2;タリバンはアルカイダに場所を提供しただけで資金を提供した組織 は別にいる。 この組織がハイジャック犯とバイテロ犯にも資金を提供した。 この仮説を検証するためには、資金の流れをトレースすることが重要でしょう。そして、 もしこの仮説が正しければ、この裏の実行犯を捕えない限り、例えアルカイダの住処 を壊滅させても、次なるテロが生まれるでしょう。
お久しぶりです。 現在のアフガン情勢について深く言及するのは避けますが、 ヒーロー崇拝というとイスラム教では聖者崇拝という慣習があります。 ただ、これは預言者ムハンマドの子孫、イスラム教系の周辺国家では、 アラブと称されている人達になりますね。亡くなった人が祭られますが、 生きている人も尊敬を受け、それなりに遇されます。 中央アジアの宗教的な状況がどのようになっているかは分かりませんが、 モロッコですと、各部族のリーダーがその地域をまとめる、という村社会を形成しています。 そこに宗教的権威を持ち込んでリーダー達が権力を裏付けようとする背景はあると思います。
中世末期を学び始めた初学生として、1つの仮説を立て現在に応用を試みてみました。 如何がでしょうか? 正否いずれにしても検証可能だと思いますが? 『西欧中世では、一方でカソリックという普遍的権威にたいする信仰があり、他方で は都市、地域的身分制度といった共同体としての実体があったように思われ、まだ 国家や民族といったような概念は、希薄あるい存在しなかったように思われます。 そしてその共同体意識を支えるものとして中世人の心性に聖人信仰が大きかった という仮説が提唱されています。 やがてこの封建社会が崩壊していく過程として 一般に考えられていることは、封建貴族の弱体化、グレゴリオス改革や異端運動 さらには宗教改革と続くキリスト教の深化内面(個人)化、国王権力の伸長による 中央集権化があるとされています。』 この史観については批判もあるでしょうが、これを現代のアフガンに応用してみました。 『アフガニスタンでは一方でイスラームという普遍的権威にたいする信仰があり、 他方では地域的部族といった共同体としての実体があるように思われ、まだ統一国家 といったような概念は希薄であるように思われます。 そしてその共同体意識を支える ものとしてアフガン人の心性にヒーロー崇拝が大きいという仮説が提唱してみます。 そのアフガン社会の混乱の兆しとして、地域的部族の弱体化、米国を代表とする 外国権力の伸長、資本主義経済によるグローバル化があると仮定します。』 ここでいうヒーロー崇拝とは、例えばタリバンのオマール師であり、暗殺された マスード将軍であり、処刑されたハク氏です。 いま欧米諸国はこのアフガン人の ヒーロー崇拝を利用して前国王を持ち上げ、タリバン後のアフガンを模索している ようですが、それは実際には現体制そのものを一時的に維持する試みでしょう。 そしてこのヒーロー崇拝が中世の聖人信仰よりもはるかに脆弱なことは言うまでも ありません。 と、言った仮説です。 問題点は、まず 1)西欧中世において、聖人信仰をこのように捉えていいのかどうか? (この仮説は日本の中世史研究者によるものです) 2)1)が妥当だとしても、それを現代のアフガン情勢にどれだけ応用出来るのか? といったところでしょう。 しかし何時も強調する様に、仮説の強みはそれを検証 することが可能だということです。 程なくしてこの仮説の妥当性は歴史が検証 してくれるでしょう。
『11ー12世紀のヨーロッパが人口・経済、さらには政治・社会の秩序化によって 特徴づけられるのに対し、14、15世紀はしばしば、社会・経済、さらには政治秩序 を含めた危機と衰退の時代であるといわれる。』p1 ミネルヴァ書房 との書きだしで始まる。 上・中・下、3巻の最後にようやく辿つきました。 普段なら、精々ロマネスク期前期の中世初期までが守備範囲で、末期までは興味の 対象になることはないのですが、今はこの末期までも是非読みたいという気持ちが 強くなりました。 それはこの時代に対する興味というよりは、むしろ今日的状況 に対する何かのヒントを見つけたいという思いからでしょうか? イデオロギーの時代が終わり、わずか10年程の間に世界は急速にグローバル化の 時代に突入し、その急激な変化に対応出来ない世界で、このところしきりに軋みが聞 こえてくるような気がします。 この現代の危機の時代と、ゴシック期に何らかの 共通性があるとも思えませんが、もしかするとヒントが得られるかもしれない、 そんな思いですね。
聖ベルナールが設立したというのは間違いですね。 発展させたと言うべきか。 ところで今日は万聖節。 しかし、ハロウイーンも考えてみれば複雑な文化背景 をもったお祭りですね。
真理亜様、前後の書き込みだったようですね♪ 西欧中世史(中)はなかなか勉強になってます。特に経済史というのに弱いので 「農奴化確立へのプロセス」とかいう部分では新しい側面を多数知りました。 それとは別に、1つアベラールに関して気になる記載がありました。 彼が異端 の嫌疑をかけられたのは有名で、特に聖ベルナールが激しく批判したわけですが、 背景にはこんなこともあるのかな? と思った次第。 『・・・私学校での教育について、伝統的教育関係者の中には、既存の知的秩序 に対する脅威と捉える者もいたし(その代表例として聖ベルナールの名を挙げる ことができょう)・・・』p212 しかし、彼の設立したシトー会を代表とする、それまで知的組織としての修道院は、 『・・・修道院は、社会全体が停滞している時期には、過去に蓄積した知的、文化 的遺産を保持することで文化活動の担い手となりえたが、社会が停滞から運動へと 変化することによって、社会的にも知的にも農村の中に孤立していった』 p210 として、筆者はそれに代るものとして「大学」の発展を捉えられているようですが、 私は少し違った捉え方もあるのではないかと思うわけです。 確かに修道院はそれ までの知的遺産の継承や発展というものからはその地位を失ったかもしれませんが、 その代りに「中世の産業革命」ともいうべき幾多の技術開発に大きな貢献をした。 その実学面での貢献は無視出来ないような気がします。 それから、このような記載もまた見つけました。 『12世紀は、ローマ法が再発見され、古代ギリシャの知的遺産とアラビアの知識 がラテン語への翻訳を通して西欧社会に流入し、西欧の知識を増大させ知的養分を 供給し、知的覚醒を引き起こした時代である・・・西方ラテン世界が継承したギリ シャ古代の知的遺産はカッシオドルスやセビリアのイシドルスやベーダといった 少数の学識ある人物が断片的に収集したものにすぎなかった』 ここでもまたセビリアのイシドルスが出てますね。 先日から彼の名前が頻繁に出て ますが、これまで知りませんでした。 彼の名前をとったイシドルス・ルネッサンス がその後のカロリング・ルネッサンスにも引き継がれたそうです。 これは是非とも イシドルス・ルネッサンスとやらを調べてみたいと思っている次第。 、、、それにしても現代の欧米社会がその西欧文化の遺産を分け与えたのがイスラム 社会であったという歴史を少しでも学び、イスラム社会にもっと敬意を払うことが 出来れば、現代の様々な問題もいくらか軽減するのではないかという気がいつもして います。 私の知る限り殆どの欧米人はそのような歴史に関しては無知ですからね。 これは西欧中心的史観が彼等の目を曇らせているからだと思っています。
真理亜さんのページ、時々拝見しています。 このところずっとばたばたしていてROM専ですが・・・ 時々、私の知りたかったことが話題に出ていたりして 「おおっ!」と思いながら読んでいます (*^o^*) そう、2000年へ向けて ローマもあちこちが「白く」なっていて 数年前に訪れた時とは少し印象が違いました。 逆にBevanya(ウンブリア)では お目当てのSan Michele,San Silvestroとも見事に修復中で 常にどこかしらで修復はしているものですが 「2000年に間に合わなかったのかなー 後回しにされたのかなー」 などと思わず勘ぐってしまったものです。 ルッカへはSan Michele in Foroとカテドラルの ファサードの細工の細かい部分を自分の眼で見たくて行ったのですが (図録などで見て、一体どのようになっているのだろうと気になっていたので) 実際に見てみて、どうやったら人間の手で こんなものが作られるのだろう??と ますます思うようになりました。
マリアとキリストの目も針穴。ここにも貴石がつめられていたのでしょうか? http://www.greengrape.net/kazuhiro/romanesque/laz/sculpture/image_L/egypt.JPG 「3本の首をもつ怪鳥」というのはギメラでしたか? あの怪獣と同じですね。 もしかしたら、ここから採ったのかも? http://www.greengrape.net/kazuhiro/romanesque/laz/sculpture/image_L/DSC00077.JPG 前回の分の「マギの礼拝」の乳香についてですが、一昨日の朝日日曜版に解説が出 ていました。 それによると乳香の樹はカラカン科の常緑高木でアラビア半島南部 のオマーンには自生しているそうです。 ここは昔から乳香産出国として有名で、 旧約の時代にはシバの女王の国としてソロモンの国まではるばる運ばれたらしい。 当地では昔から部族単位で管理しているらしく1本の樹から年間10キロ程度採集 出来るとのこと。 乳香はオイルとして肌にぬりこむ他、その煙は鎮静作用がある らしい。 パリのサン・ジエルマン・デプリのミサの時、かけられました。 、、、神と人を橋渡しする儀式に不可欠とされ、黄金同様に大切にされた乳香、 きっとここから2000キロ余の砂漠の旅をへての贈り物だったのでしょう。 ラクダで1日50キロ、40日もかかったのでしょうか? http://www.greengrape.net/kazuhiro/romanesque/laz/sculpture/image_L/DSC00072.JPG
時々拝見させていただいていました。 以前ちょっと投稿してから、随分久しぶりです。 世界が悲しいことになっていたり、私の恩師が急遽亡くなったりして、 このページも最近やっと覗けるようになりました。 イタリアロマネスクを勉強している真理亜です。 旅行なんて羨ましい! もう少し精神的に立ち直ってから、私も又行きたいです。 このところ拝見していなかったので、ちょっと前の書き込みに対してですが、 『ヴァンダル興亡史』は私のイタリア関係のHPに推薦している図書でもあります。 Hirosiさんが読むには、完全に物足りないと思います。私もそうでした。 でもこれが難しくて、自分のHPに推薦図書を載せていて、読んでくれる人達が居るのですが、 たいてい「難しくてすぐに訳が分からなくなったから、もっと易しいのを教えてくれ」という意見をいただくのです。 本に難易度でもつけようかとも思ったのですが、なんか馬鹿にしてるみたいな気もするし、そのままになってます。 ただHirosiさんも推測しているように、蛮族系の研究者はほっっっんとーーーーーーに珍しく、資料も全然無いし、 普段本を読まない人でも、興味を持てるような内容で、貴重な本だと思いました。 去年イタリアでピーサとルッカにいらした話がありましたが、最も私の研究に近いので喜んでしまうのですが、 あれは世界で最もゴージャスなロマネスクです。 ピーサが白いのは要するに観光収入が全く違いますから、よく洗えるためで、 しかもミレニウムのためイタリア中の観光地に真っ白く洗うようお金が集まりましたので、最高の時だったと思います。 ピーサの大聖堂は長い間、世界で最も巨大で美しい教会と、中世、近世にヨーロッパ中で言われていました。 ロマネスクとは何なのか、考えさせられると思います。 お写真楽しみにしています。
はなかなか素晴しい本。 はしがきに『現代の中世史研究者の関心のありかたを 提示する・・・本書に教科書、一般書、研究入門書という複合的な性格を持たせ ようとする私たちの企て・・・』 は見事に成功したのではないでしょうか? 特に印象に残ったのは8章3節の「カロリング・ルネッサンスの光と影」という 章でした。 以前ここで話題にし、色々個人的にも調べた結果が、端的にまとめる 形で記載されていました。(これ見れば一目瞭然で、片付いたことなんでしょうけど、 自分で確認した事柄が、こうやって纏められているのを確認するのも、何となく 自信につながりますね) 『イタリアではモンテカッシーノならびにホッビオ修道院が、より人文主義的な 写本作製の活動にいそしむようになり、ローマでは典礼文献の校訂が行なわれた。 セビーリア司教イシドルスが点火したスペインでのいわいるイシドル・ルネッサンス の火は、イスラム教徒による征服の為長く燃え続けることはなかったが、多くの 聖職者や修道院士が写本を携えてピレネーを越えて、フランク王国にその成果を 引き渡した。またローマの強い文化的影響下にあったアングロ・サクソン領域からは、 尊者ベーダの弟子たちが海峡を渡って古典研究の息吹を伝えた。』p230 また、最後の部分にこのような記載もありました。 『カロリング・ルネッサンスという一種の純粋主義を指向した文化運動が、一面に おいてラテン語の浄化の目的を果たすと同時に、他面においてその民衆的基盤を失う 結果をもたらした・・・』 これなどは、ラテン語が何故西欧世界で死に絶えていったかという回答になりますね。 因みに、アルクインが指導し制作した写本は420-450葉、縦55cm、横40cm、2欄構成で、 50-51行だとのこと。 これが現在までに45点確認されているそうです。 この大きさ はA3サイズのほぼ2倍、私が見たケルズの書のファクシミリよりさらに、かなり大き いサイズの写本ですね。
突然失礼します。イベントの告知にきました。西洋中世史研究の第一人者、阿部謹也氏が出演されます。以前、このWEBページで阿部謹也氏が取り上げられているのを拝見しまして、書き込ませていただきました。興味がありましたらぜひどうぞ。 現在、日本の大学では独立行政化問題やTOP30大学の選別など、『大学改革』が急ピッチで行われようとしています。日本の大学は今大きな転機を向かえているのかもしれません。そういう時期において、一度すべての人が大学について真剣に考えておくのは非常に大切なことなのではないでしょうか? 今回のシンポジウムでは講演者に一橋大学学長、国立大学協会会長などを務められ現在も学問の最先端で活躍される阿部謹也氏、『ニセ学生マニュアル』等、独自の視点で理想の大学像に迫る小林よしのり氏の『ゴーマニズム宣言』等でもお馴染み、作家の浅羽通明氏、そして、早稲田のカリスマ教授として学生から絶大な人気を誇る文学教授の高橋世織氏をお招きして、『大学とは何か』という事について真剣に考えていきたいと思っています。 企画名 「そういえば大学って何だっけ?―21世紀の大学を考える―」 出演者 阿部謹也氏 浅羽通明氏 高橋世織氏 その他最近早稲田を騒がしている学生たち 日時 11月4日(日)午後1時から午後3時まで 場所 早稲田大学西早稲田キャンパス15号館202教室 アクセス ■JR山手線 (高田馬場駅 徒歩20分) ■西武新宿線 (高田馬場駅 徒歩20分) ■地下鉄東西線 (早稲田駅 徒歩5分) ■都バス(学バス) (高田馬場駅 - 早大正門) ■都電荒川線 (三ノ輪橋 - 早稲田 徒歩5分) 主催者 ワセダアカデミック URL http://w-academic.hoops.ne.jp/ 連絡先 wacademic@hotmail.com
快適なんじゃないですか? 24時間営業の店に、携帯、てのが今の日本の風景ですか? 落ち着かれたら、ロマネスク突撃生写真早く見たいですね
今はバタバタ状態でしょうね。 でも日本の生活もなかなか
Oimo 様 無事帰国されてよかったですね。 ドイツでもそういうこと遅いのですか。 ちょっと意外な感じでした。 ロマネスクの写真楽しみにしています。 日本での写真のテーマはなにか考えてありますか(笑) まず鉄というところですか? では、とりいそぎ。
oimoですが、今日から新居で寝起きです。 部屋さがし3時間、電話、水道、ガス、電気、航空便荷物 の受け取りが半日で完了。ドイツでは、通訳付きで回って も数週間〜数ヶ月のオーダーだったことを思うと、効率の 良さに感激ってところです。24時間店も開いてますし、 新居の周りには24時間営業のファミレスがごろごろ。 もう、ロマネスク突撃生写真は在庫のみとなりましたが、 船便が到着すれば、2,3は興味深い写真をご覧頂ける かと思います。 ではでは
ミネルヴァ書房:1995年初版。 暫くロマネスク的日々から遠ざかっていましたが、久しぶり上記の本、 上巻を読みはじめました。 これまで何となく教科書的で敬遠していたのですが、読んでみるとなかなか の本。 最初の「概要」はわずか30ページ程度ですが、簡潔に中世初期がまとめられていてグッド! 特に目新しい記載があったわけではないですが、これまで断片的に学んでいた事柄が整理されました。 そして2章「聖人とキリスト教的心性の誕生」は、あの佐藤彰一先生が執筆されてました。 大作、 「修道院と農民」の印象が強かったので、心性史を書かれているのが、ちょっと意外な気がしました。 その2章で特に印象に残った一節として、ガリア人の原始的信仰の対象であった泉や川などの聖域の後に、 新たな教会や修道院が建設されたことについて、佐藤先生は、 『多くの論者は、ガリアの民衆はキリスト教のなかに古来のガリア土着の宗教の姿しか見ておらず 相変わらず異教的祭祀は続いていたとし、この時点での宗教心性の大きな変化には否定的であるよう に思われる』p60 とし、批判的にとらえられていて、先生はこの時代に既に、 『宗教心性の転換が起りつつあった』p61 と述べられています。 そしてその論拠として、 1)聖域の考古学的発掘結果や、2)四世紀に登場する精神病理学的症例を挙げられています。 ここら辺はやはり「修道院と農民」の著者ですね。 今日はエアロビクスの養成校の発表会があり、そのパフォマンスを観てきました。 腕の動きが大きくて、凄く長く見えますね。 成る程、ああいう風にすればいいのかと思いますが、 いざ自分でやるとなると、とても、とても。 /(^o^;; エアロビクスと云えば、先日のパフォーマンスでやったラテンの出来が余りに酷かったので自己嫌悪 今月からリベンジとばかり、ラテンダンスのクラスにも参加しはじめたこと、書き込みましたかね? 我ながらホント、すぐ凝る方ですね。 (_ _;; さて、今夜の世界遺産はシェナ、楽しみです。 そう云えば、「ロマネスク世界論」の池上先生は今 この街を対象にして新たな研究を進められているはずですが、、、?
あちこちの検索エンジンで調べましたが「植民請負人」ではちゃんとした記載は 出てきませんでした。 以前「キリスト単性説」で出てきたこのサイト URL↓ がまた今回も引っかかってきましたが、おそらくこの研究室がwebへの積極的な 公開をされているからでしょうね。 しかしここでの記載も1回のみで直接的な 言及ではありませんでした。 同定した蛋白 が果たして仮説通りに「RNAの品質管理機構」に機能しているかどうか? さらには弧発型のアルツハイマーに関係あるか? どちらか当たったら勿論 『勝負』ですね! またNとかSとかに投稿したいですね!http://www.fukuoka-edu.ac.jp/~tamaki/joyama/joyama99/99msng2.htm
『西洋中世史料集』はこれまでの政治史・教会史中心でちょっと退屈だったのですが、 「農村と農民の章」に入って俄然、面白くなりました。 やはり私は社会史嗜好? この特許状は12世紀後半から盛んになる「東方植民」の史料ですが、ここから その実態がいろいろ、おぼろげながらも見えてきました。 例えば、 『私がマルクヴァルトとハルトマンに、ケスリンという名の都市を、以下の条件で所有 するべく与えたことを、現在と将来の人々に知らせる。私はこの都市に100マンススの 農地を与え、そのうち30マンススをこれらの植民請負人およびその相続人たちに、あら ゆる自由とともに永遠に所有すべく与えた。・・・(以下具体的、かつ細々と様々な 権利、例えば、水車建設権、漁業権等が記載される)』 1266年5月23日付け これから判ることは、1マンスは1家族を扶養出来るだけの農地であるから、この2人 の植民請負人が引き連れた自由農民の家族数は約70家族、1家族の家族数が4.5人と すると315人となるが、新たな植民地へは多分子供のいない若いカップルが多かった だろうから、この数字は減るだろう。 事実、東方植民の一面を描いたかもしれない とされる『ハーメルンの笛ふき男』の場合、男について行ったのは子供の設定でした よね。 それから植民請負人に与えられた30マンススの農地はもしかすると自由農民 に委託開墾されたかもしれないですね。 いろいろ考えるとこの植民の集団の数は 最低の見積りで72家族、最大では100家族程度となる。 多分全体では200人 程度の集団ではないでしょうか? だとすと、2人の植民請負人がそれぞれ監督する 家族は50〜35家族、可能な範囲ですね。 次なる興味はこの植民請負人がどんな種類の人間なのかです。 司教と交渉でき、 文字も読める教養が必要ですし、、、興味津々。 一度調べてみたいですね!! <ついに、ヒト蛋白の同定に成功!> 先日発表した大腸菌の蛋白と同じ酵素活性を有してました。
というのは用語はなんというのか調べようと思っていて あっというまに一週間(汗)。 穴は貴石がはまっていたのだろうと思います。 ローマ時代のものはモザイクだったと思います。 ローマではかなり技術はすすんでいたはずです。 そのために中世は「暗黒」時代といわれているわけですから。 昨晩NHKでローマのコロッセオの紹介をしていました。 コロッセオには32頭のライオンを同時にだせる システムがつくってあったとか。 映画「グラディエーター」みなきゃ。 水車はまさに当時の先進テクノロジーでしょうから 時代の移り変わりはげしかったでしょうね。 阿部謹也先生の守備は中世後期ドイツだったと思いますから 1206年のフランスとは異なっていたでしょうが 初学者にはその後がつづかない。。。(汗) oimo さん日本かえってきましたか? 国内では是非機会ある時にお会いしましょう。 膨大な写真が楽しみです。
『水車の請負契約書』p193-4 これを読むと水車小屋の番人(粉挽き屋)は挽き臼 の代金(これは非常に高価で生産地から遠い距離をかけて運搬せねばならなかった と別の資料で読んだことがあります)とかも領主(ここではクレルヴォー修道院) と折半しなければならないし、水車の維持運営に関わるすべての出費(修理費等) も自費で出さなければならないようですから当時のちょっとした資本家ですね。 これまで阿部謹也先生の本とかで、水車小屋の番人は異界に住む住人ということで、 違ったイメージを持っていましたのでちょっと意外。 やはり自分の目で原資料に 当たることは必要みたい。 もっともこの契約が成されたのは1206年のことなので、 番人の地位も当初の頃とは格段に上昇した可能性もありますが、、、 とは云え、これだと、農民から水車小屋の番人は嫌われるはずですね! 納得。
には沢山の穴が開いてますがこれなどは飾りをつけるのにでも使ったのでしょうか? それと、不思議に思ったのが「ローマ時代の床か壁画」あれはモザイクのようですが、 だとしたら豪華絢爛。 それで図柄ですが、動物の足(偶蹄類)とか、角みればあれ は牛だろうし、右下はかなり進歩した農具のようですが、そうだとしたらかなり進歩 した鉄製でしょうか? だとしたら進歩した農業関連を意味していますね。http://www.greengrape.net/kazuhiro/romanesque/laz/musee/index02.html
どうもお世話になりました。これが今年ドイツでの最後の 書き込みになるかと思います。今後、オフ会が催される 時はよろしくお願いします。 そうそう、高橋さんのスイスの写真いいですねぇ〜 2年いたけど、スイスにいけずに終わってしまいました。 日本では冬山登山まで守備範囲のヤマヤだったのですが。
今日は仕事する暇もなく、2つのセミナーで1日潰れました。 ともに関連する 内容で、いずれも将来の大学像が見えてきました。 まず、科研費についての 説明会。 今年からどんどん内容が変わっていくみたい。 キーワードは、 1競争、2資金の自己調達、3実績主義、4宣伝、でした。 それが終わると次は独立法人化に向けてのセミナー。他に先駆けて独法化した奈良 国立博物館の副館長の方が、独立法人化の『実態』を具体的に説明されました。 一言で言えばリストラ。 でキーワードは、 1資金の自己調達とやりくり、2数値目標と、3その評価、だそうです。 自由度の拡大は現実問題としては殆ど無いに等しいようですね。 我々の番は2004年。
山辺規子著、白水社。 豊富な知識を元に読み易く書き下ろした歴史物語。 まだ途中までしか読んでませんが、私の求めるようなものではなかった、 というのが感想です。 いえ、よく書かれた本ですよ。 4章に、あのグレゴリウス7世が出てきます。 彼がまだ枢機卿の時、ノルマン 騎士との裏工作を色々やっているのが意外でした。かれは理想主義なだけでなく、 むしろかなり現実主義者だったようですね。 >oimoさん 私もアメリカ時代引っ越す時壁塗しました。 面白い習慣ですね。 それをすると お金(敷金?)が戻ってきました。 >Iidaさん サン・ラザールの続編がアップされましたね! 月曜日は色々忙しいので、いずれ またゆっくり!
実は、まだドイツにいたりします。 ドイツでは、アパートを出る時に壁塗り等、いろいろ しないといけないので、一週間以上、ホテル住まいに なります。休暇が残っていたので、4泊ほど、Laach湖の ほとりのSeehotel Maria Laachに泊っていました。 ロマネスクしているでしょ???成果は11月以降に ご覧にいれられるかと思います。
今で借り出せなかった本が何時の間にか一般図書になっていたので早速ゲットして 来ました。 これまで名前はよく聞いていたけど、内容について直接読んだことが なかった色々な史料が断片的ではあるが実際に読めて満足。 特に『カール大帝伝』 とか、『サリカ法典』が面白かった。 例えば、後者の41章 『誰かが自由人であるフランク人またはサリー人の法に従って生活している蛮族を 殺したとき、・・・200ソリドウス責あるものとして判決されるべきである。 しかし、彼(被害者)を泉中もしくは水面下に置いたときには・・・600ソリド ウス責あるものとして判決されるべきである。』p11 これは川や泉に対する特別な意識ということでしょうか? この本は、東大出版会から出され2000年初版のもの。 テロ事件以来夜中に目が 覚めて朝まで眠れません、眠気を誘う為に読み出した史料集でしたが、却って目 が覚めてしまいました。 ここのところ連日4時間程しか眠っておらず明らかに 睡眠不足ですが昼間も全然眠気が襲うことがありません。どうしたことでしょう? こういうサイトもあるんですね URL↓http://www.crl-iaa.net/DB/IAA-US010911/ENGLISH/query-form.html
さんに良い旅を、と書こうと思っていたら、 今頃お帰りなさいだったりして? 日本にもどっても是非ロマネスク関係の資料の 提示を期待しています。 私達の活動はきっとあらたなロマネスキアン(?) を生むと信じています。
ついに秒読みですか。 今度ここを見られるのは日本到着後でしょうか? 安全な旅を祈ってます。 何とか私も日常ペースに早く復帰しなければなりませんが、まだまだです。 とはいえ仕事は待ってくれません、目下お金調達の為の書類作成に追われています。 去年科研は4の2で打率5割でなかなかでしたが、今年は成果が問われるし、まだ 十分に出ていないのが苦しい状態。 とはいえ来年もビック・グラントに挑戦予定。 そんなわけでロマネスク・モードに戻れるのは何時のことやら、、、
oimoですが、 ドイツ脱出シーケンスが始まりました。t-onlineからの アクセスはこれにて終了です。もりさん、コメントありが とうございました。ロマネスク関係の資料はいろいろと 集めましたので、東京に戻ったらご覧にいれることが できるかと思います。
前の書き込みでゴート族としたのはヴァンダル族の間違いです。 テロ以来、本を読むことも、頭を使うことも暫く出来ないでいましたが、そろそろ 復活しなければと思い『ヴァンダル興亡史』なるものを一気に読んだところです。 最初の書きだしが面白そうだったので期待したのですが、読み終わっての感想は、 普通の出来事史(戦史や、政治史)にちょこっと逸話を挟んだ程度のような印象 を受けました。 やはりヴァンダル人の中にちゃんと彼の言葉で、物語を残す人 がいなかった(あるいは研究が進んでいない?)のが表面的な歴史しか書き残せ なかった原因かな? とも思いました。 彼等の放浪の歴史は、さぞかしロマン 溢れる物語になったに違いないのに残念です。 とはいえ、その途中『ゴート史』を書いたとされるカシオドルスの名前が出てきた のが嬉しかったです。p121 これは以前カロリング・ルネッサンスの写本の系図を 求める過程で出てきた人だったからです。URL ↓ 6/27 書き込み分 German Illumination (Carolingian Period)から それから話が変わりますが、ここ1週間のことを自分なりにいろいろ整理して出て きた結論というのは、あのテロを、 『アメリカの力に反対する人が居てこれに対抗する手段として、テロルがあった』 という図式で捉えると、これはもうアメリカを代表する世界と、虐げられたイスラム 世界の衝突の図式に結びつきます。 この『文明の衝突』の図式だけはどうしても 避けなければならない。 ですから何としてもあのテロは純粋に「犯罪」でなければ ならない。「犯罪」としてイスラム世界から切り離さなければならないというところ に落ち着きました。 そうしなければ、テロリストの思う壷にはまると思うのです。
『サンチアゴ巡礼の世界』で暫くスペインにはまっていましたが、最後の章のところ で嵐の様な1週間。 最後が重要部分だったような気がしますが、文字面を辿った だけで、少しも頭に入りませんでした。 まだ精神的には完全復帰の状態ではない ですが少しずつ落ち着いてきました。 廻りにも知人を行方不明者の中にもつ人が いたし、何時の間にか世界はホントに狭くなったのだな〜と、妙なとことで感心。 という訳で、少し気分を一転して、さらにスペインがらみで今、古代末期のゴート 族の物語を読んでます。 北ドイツのから西ヨーロッパを横断し、ピレネーを越えイベリア半島に達し、さらに ジブラルタル海峡を渡り北アフリカ、カルタゴで滅亡するまで、この民族の歴史は あまりにもドラマチック。 今まで知らなかったのが悔やまれます。 物語はジブ ラルタル海峡で部族の王が海峡を望むところから始まりとても興味をそそられる。 ちょっとロマネスク時代より遡りますが、これからが楽しみ。 <倒錯した議論> 被害の程度が明らかにあるに従い、あのテロが民間人を狙った歴史上稀な、凄まじい 大量虐殺であったことが確認されたと思う、ところが日本国内の論調、特にインター ネット上の掲示板にはテロ自体の糾弾よりアメリカの中東政策をむしろ批判する 『倒錯した議論』が散見される。 しかしあれは史上稀にみる『犯罪』であり問題 を混乱してはならない。 それはあたかも、例のオウムの教祖がチベット仏教の 『ポア』の概念を用いて殺人を正当化したのと何らかわるところがない。 、、、アメリカを批判しておけば何となく『進歩的』とでも考えているのだろうか? それにしてもハリウッド流カーボーイのブッシュ氏には失望。また勝利なき泥沼戦ですか。
ピサの教会はわたしはずっと写真でみていてロマネスク だなんて一度もおもってませんでしたので、 あらためて気がついておどろいたことがあります。 昔旧友とはじめて海外でロマネスクにふれたときに 彼はピサにいくことを提案していましたが 私は気がすすまなかったのです。 もりさんおいそがしいようですのでのんびりいきましょう。 ロマネスク教会は1000年ちかく日本での紹介を まっていたのです(笑)。 簡単な旅行記などそえていただけるとうれしいです。 しかしそんなことしていると旅行のプランがたてられないという 逆説があります(汗)、のでほんとにほどほどで。 図形の起原については そうですね、私に根気と頭脳があれば古い文明の 文様一覧データベースなぞつくってみたいです。
唐草の件、細かいことを聞いてすみません。 >こういう図形は古い文明までたどっても >きっとまじりあっていて起原はみつからないんでしょうね。 そうなのでしょうね・・・でも時々無性に気になるときがあります。 写真の件も、ありがとうございます。とりあえずやってみます。 が、今は懸案を抱えているので、11月に入ってから ぼちぼち送らせていただきますね。 その時はよろしくお願いします。 写真についてのくだんのログ、以前読ませていただきました。 皆さんすごいですよね。 私は旅行の時は、写真は「単なる記録手段」と考えており 柱頭の細部とか 内部の構造(とまではいかなくてもどういう感じか)が 写っていればそれでよしとする、という感じです。 (なのであまり期待しないで下さいね。) 本当はスケッチをした方が、色々なことが見えてくるのだろうな、と思うのですが 同行者やタクシーの運転手の方に待ってもらっていることが多く、 あまり時間もかけられないし。 余談ですが、去年イタリアへ行く前、 oimoさんのページのピサの美麗ーーな写真を見ていたので、 (oimoさん、急に名前を出してすみません) ピサであまり写真を撮りませんでした。 「oimoさんのページを見て、またしみじみすればいいや」と思って ^ ^。 ルッカへも行きましたが、 ピサやルッカのロマネスクはなんというか華があり、 こんなロマネスクもあるのか、と衝撃を受けました。 ファサードなどが白っぽい大理石で出来ている、というのもあるのでしょうが。 ピサのドゥオモはとりわけ石が白く、 割と新しい建築ででもあるかのような印象さえ受けました。 99年に放送されたNHK『人間講座 フィレンツェ・美の謎空間』で見た時は ファサードにシートがかかっていたので、 私が行ったときは修復直後だったのかもしれません。 斜塔は意外と小さくて、これまたびっくりしました!
右側というのは右側の3本のことです。 書き方わるくてすいません。 唐草模様がのこぎり型の線になったかどうかは わかりませんが、なんとなく最近そうおもいこんでいたので そう書いただけです。 こういう図形は古い文明までたどっても きっとまじりあっていて起原はみつからないんでしょうね。 写真の件は焼き増しして当方におくっていただければ スキャンして取り込みますし、 もりさんがCD-Rにしてネットでデータだけおくるのでも かまいません。 データバックアップという意味とパソコンで写真を拡大してみるとまた楽しい、 という意味では、CD-Rは結構おすすめです(が結構高い)。 フィルムスキャナはたかいですが、ふつうのスキャナも今は1万円くらいか らかえるのでそれもいいかもしれません。 画面一杯に写真をひろげてスライドショーすると結構幸せになります。 もりさんのカメラ十分だとおもいますので、 データ公開を楽しみにしています。 このサイトでいぜん写真のこと話題になりましたが 写真やカメラのことはデータをとるための第一歩で 旅行記の資料と私は位置付けています。(各人考え方がまちまちです) まさか本のデータをスキャンして掲載するわけにも いかないので写真をとっているわけです。 なのでカメラなどとくにこだわっていません。 今ある機材でうまくいく条件(フィルムとか、絞りとか) をさがしていただけです。
iidaさま こちらのオータンのロラン美術館のページですが 下から2番目の写真で >左にある唐草模様や、右側の線にまで抽象化された唐草模様に注目下さい。 と言及されている「右側の・・・」というのは どの柱のことを指すのでしょうか? というのは、写真の右側半分のが全部?一番右側のも? そうなのかな、と気になったわけで・・・ 勉強不足ですみません。 ここ数ヶ月 仕事がらみの本しか読めておらず、 ロマネスクがらみのも系統立てて読みたいのに 読めない! と哀しく思っています。
>iidaさま 私も旅行は年に1度行かれるかどうかで それほどあちこち行ったわけではないのですが 貴重かどうかはともかく、一般的にはあまり知られていない教会堂などで、 皆さんのコメントをいただきたい写真はあります。 ただ、デジカメで撮っておらず、フィルムスキャナも持っておらず、 購入の予定も当分ないのです。 カメラ屋でCD-ROM化してもらえばOKですかね? カメラのボディーはPENTAXのSF7(1989年!購入)、 レンズはTAKUMAR-F ZOOM 28-80mm(F3.5−4.5) というシロモノonlyをずっと使っていて、 ネガ(ISO400がほとんど)で撮っているのですが、 こんなのでもきれいに取り込めるのでしょうか? 写真のことは詳しくなく、今までやったことがないもので。
情報ありがとうございます。 管理人がなかなか旅行いけないし、 たいしてロマネスク教会まわったわけでもないのに、と 最近は萎縮ぎみです。 そういやオータンの記事も書きかけのままですね。 今週末書く時間あるかなあ。 ところでもりさん、とっときの貴重な写真などあったら 当ホームページに掲載したいのですがいかがですか?
欧州の状況なども今後どうなるか分かりませんが、 旅行の計画を立てている方もいらっしゃると思うので Aveyron県観光局(Comite Departemental du Tourisme Aveyron) からの情報 期間は不明ですが(年末年始のことしか聞かなかったので) 少なくとも年末年始の間は コンクのサント・フォア修道院の宝物庫の収蔵品の大部分は パリのルーブル美術館で展示されるとのこと mail: aveyron-tourisme-cdt@wanadoo.fr ポワティエの観光案内所(Office de Tourisme de Poitiers)からの情報 サン・サヴァン修道院の休館日 12月25日、1月は毎日! mail: comm2@interpc.fr ただし、現地へ実際に行ってみたわけではないので ご参考までに。
があったようなので全データを削除しました。 管理パスワードを、忘れてしまっていたのでこのように しました。 管理パスワードの動作を確認しておきました。 これで全データ消失はつぎからありません。 アメリカでの無差別テロで亡くなった方々に御悔やみ申し上げます。 また、けがされた方および関係御家族の方々にお見舞い申し上げます。