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蛇足ですが 投稿者:Autun  投稿日:09月07日(金)23時54分28秒

私もemily様と同じくホテル・サント・フォアに宿を取りました。
手元の資料によると7,8年前は2つ星だったはず・・・。もっとすごいのは夜になると従業員がいなくなってしまうことです。緊急のときはどうするのだろう。
それから、コンクは冬場はほとんどの店(2軒しかないホテルも)閉鎖してしまいます。
もり様、老婆心ながら事前にご確認を・・・。友人はレンタカーで回った、と申し
ておりました。


交通手段 寸断 投稿者:もり  投稿日:09月07日(金)21時41分27秒

大したことではないのですが、
アクセス情報を教えていただいて、思い出したので。
工事のため寸断、というのとはまた違うのですが。
お時間のあるある方はおつきあい下さい、という程度の話です。。。

4年前の12月31日にスペインのサモラ(Zamora)に泊まった時のこと。
ひなびた田舎町なのですが、
パラドール(歴史的建造物を利用した国営ホテル)があることと、
ロマネスク教会がいくつかまとまってあることから一泊し、
次の日レオン経由でオビエドへ向かう予定でした。
前日レオンのバスターミナルで時刻表をチェックしたので安心していたのですが、
1月1日にパラドールで再確認したところ、
祝日だからか、はたまた前日からの雪のためなのか
(動揺していたうえ語学力不足のため、その辺りは不明)
レオン行きのバスはその日運行しないとのこと。
バリャドリ(一時期 城彰二選手が在籍していたサッカークラブがある街です)
からオビエド方面へ行く電車は運行しているが、
最寄り駅からバリャドリまで行く電車が、
こちらは雪のため(とパラドールの方が断言)運休しているとのこと。
で、どうしたかというと
パラドールの方のはからいで
バリャドリのタクシー運転手の方が、バリャドリ駅で電車の切符を購入して
サモラまで来てくれ、折り返しそのタクシーでバリャドリまで行きました。
サモラにタクシーがないわけでもないでしょうが、
そのバリャドリから来たタクシーに乗って、
サモラの北西19kmのところにある
San Pedro de la Naveという西ゴート時代の教会も見に行きました。
気になるタクシー料金の方は、
サモラーS.P.d l Nave間往復と見学中(約45分間)待ってもらって4800ペセタ、
サモラ−バリャドリ間(約1時間15分)で12000ペセタ(往復料金?)でした。
雪のカスティーリャ地方の風景も、新鮮でなかなか良かったです。
前日、レオンのカテドラルの周辺を、ひざまで雪に埋まり
なおかつ滑りながら歩いたのは
さすがに辛かったですが(笑)

もう一つ、昨年イタリアのミラノからアオスタへ行った時のこと。
(アオスタはスイス・フランスとの国境に近く、
地元の方にフランス語で話しかけられることが多く、驚きました。)
回廊に素晴らしいロマネスクの柱頭彫刻がある、Sant'Orso教会を見に行ったのですが、
ただでさえ直通列車はなく乗り換えて片道3時間13分かかる行程なのですが、
折り悪く数日前の豪雨のため一部不通になっており、
途中の駅から代替バスが出、
電車2本と代替バス1本、しかも行きと帰りでバスの出る駅、着く駅が違う、
というややこしい乗り継ぎをすることになりました。
日本を出発する直前までwebでイタリア国鉄の時刻表をチェックして
そうであると思いこんでいたルートと違うし、
そんな事情など知らないし、イタリア語もほとんど分からないため、
検札に来た車掌が何か言っているなぁと思っていたら、そういうことで。。。
英語が分かる人の後を、くっついて動きました(笑)。
でも、他の方も結構混乱していて、バスがアオスタ駅に着くと、
駅員に説明を求めに行く人も多くいました。
私も 代替バスはどこから出るのか、どの駅に着くのか、しつこく確認しました。
無事ミラノへ戻り、ホテルでテレビを見ていて、農家の方が
いやー、農作物が被害にあってねーとインタビューに答えているのを見て、
やっと事態の全容が分かった次第。。。
そういえば、沿道に 泥水をかぶった後の車が何台も見えたんですよね。。。
そんなこんなで不安な道中でしたが、
代替バスからの眺めは、素晴らしかったです。
緑豊かな峡谷、風情ある集落、
この風景を見ただけでも 
はるばるアオスタへ行った価値があったと思った程です。
もちろん、サントルソの回廊も素晴らしかったですが。
それに、古代ローマの遺跡が残っていて、モンブランに近く空気が清澄で、
本当にイタリアは多彩な観光資産に恵まれているなと思ったものです。
長々と失礼しました。


ありがとうございます。 投稿者:もり  投稿日:09月07日(金)19時17分31秒

Autun様、emily様、ありがとうございます。
やはり実際に行かれた方のコメントは大変参考になります。
夏場でも交通の便が少ないみたいで、改めて驚いています。
私が行くのは年末年始なので、更に少ないでしょうね。。。
ご指摘のように、最新の情報を入手することが、本当に大切ですね。
ところでemily様、コンクにタクシーで行かれたのは、
どこから乗られたのでしょうか?
そしてタクシー料金はいかほどだったのでしょうか??
フランスは12年ぶり!なので相場が全く分からないもので。。。
あつかましくてすみませんが、もしよければ教えて下さいませ。


補足ですが・・・。 投稿者:emily  投稿日:09月07日(金)10時53分10秒

私も去年コンクに行きました。姉と2人旅だったので、タクシーを利用しましたが・・・。Autunさんのレスによると、バスで行くと コンクに1泊しないといけないと思うので、ホテル情報です。
「サント・フォワ」という4つ星ホテルがあります。もっと安い宿も1軒ありましたが、部屋のレベルはあまり変わらないものの、全体の雰囲気はこっちの方が数段上でした。レストランも美味しかった。
ただし、4つ星なのに、なぜかほとんど英語が通じません。仏語しか話せない人には嬉しい宿です(笑)。
モワサックには数年前に行きました。トゥールーズからバスを利用しましたが、降りる時になって、「今日は帰りの便がない」と言われ、帰りは国鉄利用。
あらかじめ駅に行って帰りの時間を調べておいたのですが、モワサックの駅は遅い時間になると無人駅になってしまうようで、
小銭を持っていなかったので自動券売機が使えず途方に暮れました。
(結局残っていた駅員さんがいて両替してくれましたが)
今はどうなのでしょうか?
フランスの田舎では、列車やバスの便は廃線になることも多いみたいだし、しょっちゅう工事で寸断されてるようです。
最新の情報をその土地のオフィス・ド・ツーリズムに問い合わせてから行くことをお勧めします!


もりさんへ 投稿者:Autun  投稿日:09月06日(木)23時18分17秒

 おたずねの3つの町をこの8月に訪れました。季節によってタイムテーブルも変化するようですが、参考までにお知らせします。
 まず、コンク。ロデズからバスの便有り。月曜から金曜の午後4時半発。所用時間1時間。料金38フラン。
 続いてモワサック。トゥールーズ、ボルドーからそれぞれ1日2便直行の列車があります。モントーバンでのりかえるよりはるかに時間が節約できます。
 サンサヴァン。ポワティエの駅前から国鉄バスが出ています。1日に4便くらいですが、午前9時12分発は急行バスなので1時間で到着。12時35分発は1時間半かかります。帰りのことを考えると9時のバスで行くのが賢明。
 ざっとこんなところですが、さらに詳細なタイムテーブル、現地の情報など、手元にあります。直接メールをいただければ、喜んでお教えします。
 アドレス chii-k@yj8.so-net.ne.jp


巡礼と民衆信仰・サンチアゴ巡礼の世界 投稿者:Hiroshi  投稿日:09月02日(日)10時52分38秒

このところ随分過ごしやすくなってきましたが、皆さんのところは如何ですか? 
つい先日まで毎晩寝苦しい夜だったことが嘘のようです。 その分、すぐ睡魔が
襲ってきて、今朝も明りをつけたまま、本を開いたままで、目を覚ましました。 
でも何時の間にか、ちゃんと布団の中には入っているのですよね。 (^^;;;  
昨夜は特にラテンダンスの練習に3時間!もかけたことが睡魔を誘ったかもしれ
ません。 ついに残すところあとわずか1週間! 今日も追い込みの練習とスタ
ジオの下見があります。
さて、先日西洋史の先生の掲示板 URL↓で『地中海世界史4:巡礼と民衆信仰』
関哲行著、青木書店。 を教えて頂き、当該編のみですが読み終えたところです。 
著者は違いますが、私にとっては『巡礼の道』の続編みたいなものでした。 
『巡礼の道』が雰囲気を伝えるのに最適の本だとすれば、この本は情報満載の
テキストでした。
サンチアゴ・デ・コンポステーラ巡礼路がクリュニーの意図のみなからず、様々な
階層(聖俗の上部構造から下部構造の民衆まで)にわたる政治・経済・文化的背景
のもとに、まさにロマネスク期を頂点として発展してきたということのようでしたが、
正直言って少し物足らなさも感じました。 私としてはもう少し深い議論を期待して
いました。 とりわけ、何故あのような、巡礼熱とでも言っていいような民衆の動きが、
あの時代に爆発的に起こったのか、その心理的背景をもっと議論してもらいたかった。
ただこの本は、地中海という広範囲を対象にし、ユダヤ教からキリスト教、イスラム教
の巡礼までも視野にいれた本ですので、わずか30ページ中でこの問題まで扱うのは
無理だったのかもしれません。 まずはイントロダクションとしてよかったと言うべき?
てなわけで、早速『サンチアゴ巡礼の世界』アルフォンス・デュプロン著をゲットして
きました。 これはカラーの挿絵も沢山あって楽しめそうです。
ヒト・ホモログの大腸菌での発現に苦労する。 コドン・ユーセジの問題があるかも
しれないので(ヒトの使用するコドンの中には大腸菌では発現されにくい組み合わせ
がある。 また今回の様に巨大蛋白、110KDa、は大腸菌さんは嫌い?) いっそ哺乳
動物細胞で発現することを検討中。 目下モデル系はよく動くこと確認済み。

http://www82.tcup.com/8228/kenkyusitu.html


現実の現象を分析すると将来が予測出来る 投稿者:Hiroshi  投稿日:08月31日(金)10時52分57秒

今朝の朝日新聞の社説に、経営学者ピーター・ドラッカーの言葉をあげて、上記の
ようなことが書いてありました。
これはビジネス界のみならず、我々の世界でも同様。 かなり以前から明瞭な形で
見えてました。 既に起こっていたさまざまな現象、技術(データーベースとイン
ターネット、機械化)であれ、お金であれ(重点3分野への集中投資) これまで
とは違う明日が予感され、早く脱皮していかなければならないとプレッシャー感じ
てました。 
例えば昔の癌研究をしていた、仲間のかなりの数が今や脳研究に移ってます。 
癌研究も3本柱の1つではないか、と思われるかもしれませんが、内容は既に我々
の手を離れた分野が主流になってます。 我々の技術は既に古くなりました(涙)。
、、、しかし、そのような事で左右される学問の動向には非常な抵抗というか、
割り切れないものを感じるのもまた事実。 でも、こんなことにこだわっていると
淘汰されていくのかな〜 (涙)


勝手にすいませんでした 投稿者:Hiroshi  投稿日:08月30日(木)10時20分12秒

抜き書き、クロストークが混乱させてしまったみたいで、
Iidaさま、真里亜様御免なさい。
ところで論文が出ました。 以下のサイトで読めるようになってます。p9977-9982  
この大腸菌の仕事で脳研究に潜り込みました(滝汗)
、、、と、最後は自分の仕事の宣伝で誤魔化す。   m(_ _)m 

http://acsinfo.acs.org/subscribe/journals/bichaw/jtoc.cgi?bichaw/40/33


真里亜様 投稿者:iida  投稿日:08月30日(木)09時03分40秒

気分を害したのでしたら申し訳ありません。
また様式概論を述べていただきありがとうございます。
お時間使わせてなんだか申し訳ないです。
それで、肝心のアトリウムについては実例は結局わからぬままです。
教会が長い年月かかって現在のすがたになっていることも
知っているつもりです。
ですから、サンタンブロージョ型の回廊があるのが普通だったと
ききつけて、私としてはその失われたもの含めて実例を
調べたいとおもったわけです。
また、細部については逆にもっと調べて全体をつなぎたいのです。
もっともこれはアマチュアとしての範囲でですが。
美術用語は貴女のおっしゃるように2世紀ずれていたりとか
しているので様式とともに世紀や地域を限定しなければ
つたわらない部分があると感じています。
(私も自分の研究で論文投稿すると範囲があいまいといって
よくおこられています 笑)
これはHiroshiさんのいうとおり、著者や出版社が気をつけることですよね。
もちろん読者のジャンルが限定されていたらそんなまどろっこしい
記述は必要無いのでしょうけど。

Hiroshi 様
麻酔
は全身麻酔です。最近は局所麻酔だけでなく全身麻酔も
生体膜だけでなく膜タンパク質に作用することが報告されつつあります。
私は化学なので物理化学の自由エネルギーで攻めてみました。


『巡礼の道』 投稿者:Hiroshi  投稿日:08月30日(木)08時09分51秒

は読みやすい本ですが、色々忙しくてなかなか先に進みません。しかし巡礼路の展開
の原因を巡っては、予想外の展開を取りそうな予感がしてます。
ガリシアのヤコブ伝説が、トレドのユリアヌスの『第六の時代の論証』(AD686頃)
では無視されていたのに、その後同著者によって書かれたとされる『ナホム書注解』
(偽作の説も)で始めて登場し。 そして、あの!! ベアトウスの『黙示録注釈』
(AD776) に至っては、強固なヤコブ信仰が定着している。p136-8   このヨハネの
『黙示録注釈』の中には、
『・・合戦に加護を垂れたまう聖者。 ふたたびスペインに回帰したまわう使徒・・』
と<回帰>という言葉が出てくるとのこと。 果たしてその間に何があったのか? 
、、、すなわちイスラムの半島席巻である、と続く。
>ほんとに怒ってるぞー!!とか言ったら信じますか?
いえ、信じてません。(笑)
>聖堂はある一定の時期に建設されたものもありますが
>古くから重要な聖堂でそのような聖堂は、ありません。
ここのところなど、私は最近になるまできちんと認識していませんでした。
でも、私に限らず、一般の読者には此の点がきちんと本の中で注釈されてないと、
ミスリードを起こすことになります。 著者や出版社は気をつけてもらいたいですね。
>麻酔薬関係
むかし、昔。 学部の時に動物生理学で習って以来ですが、これは局所麻酔剤を指す
のでしょう? だとしたら、可逆的に膜の脱分極を引き起こす物質の研究と考えて
いいのかな?
『巡礼の道』
は読みやすい本ですが、色々忙しくてなかなか先に進みません。しかし巡礼路の展開
の原因を巡っては、予想外の展開を取りそうな予感がしてます。
ガリシアのヤコブ伝説が、トレドのユリアヌスの『第六の時代の論証』(AD686頃)
では無視されていたのに、その後同著者によって書かれたとされる『ナホム書注解』
(偽作の説も)で始めて登場し。 そして、あの!! ベアトウスの『黙示録注釈』
(AD776) に至っては、強固なヤコブ信仰が定着している。p136-8   このヨハネの
『黙示録注釈』の中には、
『・・合戦に加護を垂れたまう聖者。 ふたたびスペインに回帰したまわう使徒・・』
という<回帰>という言葉が出てくるとのこと。 果たしてその間に何があったのか? 
、、、すなわちイスラムの半島席巻である、と続く。


iidaさんHiroshiさんへ 投稿者:真理亜  投稿日:08月30日(木)07時05分52秒

お互いそうなのですが、このページのサンタンブロージョの話は、
ご存じの通りHiroshiさんが(勝手に!!!)私のイタリア掲示板から抜き書きしたものだから、
私としてはiidaさんとの議論で話してないのです。
(ほんとに怒ってるぞー!!とか言ったら信じますか?)

えーと<初期キリスト教>の定義というか言葉は、
私の見解ではなく美術史では当たり前の内容(基本知識)で使っています。
西洋美術史では、
古代(アルカイック=初期古代、クラシック=古典古代、ヘレニズム=末期古代と三つに分けるのが一般的)
初期キリスト教(後期古代とか初期中世と言う言葉を使う人もたまにはいる)
次に初期中世を入れるかどうかは考え方による。
ロマネスク
ゴシック(国際ゴシックとの関連に注意)
ルネッサンス
マニエリスム
バロック(反宗教改革の美術)
ロココ、、、、と近代美術になっていくのです。
時代と場所については様々ですから、単純には言えませんが、
非常に大きな流れとして上の様式と、実際の<線><形><色>などのイメージを持つことが
美術史を理解する上で、又作品を楽しむ上でとても重要だと思います。
初期キリスト教というのは名前の通り、キリスト教の歴史を知っていれば分かるとおりです。
もっと細かく分けるなら、イエスと使徒時代の原始キリスト教という時代区分もあり、
迫害時代、公認時代から中世に入るまでを、だいたい想定されています。
そうすると場所は極限られてきます。
それは初期キリスト教様式以外にも勿論当てはまりますから、
例えばロマネスクと言う、非常に幅広い内容を持つ様式は場所によって2世紀ほどずれています。
有名なルネッサンスもそうです。
イタリアではもう末期に入った頃に、北部ヨーロッパで始まるのです。
それから何より、聖堂はある一定の時期に建設されたものもありますが
古くから重要な聖堂でそのような聖堂は、ありません。
細部にこだわって全体像を見失わないようにしないと、その特殊性や重要性、歴史的意義、そして芸術性が分からなくなってしまいます。
ごめんなさい。
趣味なのだから、どんな見方だって好きにすればいいと思いますが、
いろいろと考えていらっしゃるようなので、そういいたくなりました。


論文 投稿者:iida  投稿日:08月29日(水)08時57分39秒

一つでっちあげました(汗)
麻酔薬関係のものです。
恩師に見てもらって、しばらく直しがつづくでしょう。
次のをかきはじめていますが、周辺のレベルがあがっているので
うまく書けるかどうか不安(汗)。
なんせ先日の生物物理でノックアウトされるデータが
でてました(ドイツのグループが原子間力顕微鏡でタンパク質サブユニットまでだしていた。)


それは 投稿者:iida  投稿日:08月29日(水)08時48分18秒

おたがい厳密な議論をしていないからですね。
貴女の文章でも
初期キリスト教時代はいつかとかはっきりしてませんし、
その地域もしぼってません。当然地域がかわれば
年代もずれてきますよね。
もしよろしければそこらへんとその時代の代表的な
建築物の紹介などいただけると幸いです。
また建築物はどの程度後世の手にはいっているのか
私にははっきりしないこともあるのです。
サンタンブロージョについてもあの回廊が完成
したのは12世紀と美術史の本にかいてありました。
サンジールやクリュニーについてはアートリオの議論ではなく
巡礼路形成の話です。
私の場合、この二つは疑問というよりは
例を探している段階です。


サンジールとサンタンブロージョ 投稿者:真理亜  投稿日:08月29日(水)08時25分27秒

に関しての、イイダさんの疑問がよく分からないのですが、
サンジールは初期キリスト教建築ではありません。
アートリオについて、当時一般的だったと私が書いたのは初期キリスト教時代の話です。
混同していませんか?
初期キリスト教とクリュニューは全く時代を事にするので、
>サンタンブロージョの回廊が当時普通だった、ということは
以前結論でてましたよね。
私としてはそれをもうすこし肉付けして、一般論ではなく
他の教会ではどんなだったかについて知りたいのです。
と言うイイダさんの疑問は時代と内容が乱れているような気がしたのです。
サンタンブロージョに関する文脈の<当時>と、クリュニーやサンジールとは繋がりません。
初期キリスト教時代の建築というのは、たぶんガリアには存在せず、
ローマ、ラヴェンナ、ミラーノと一部の小アジア地域です。
でサンジールの時代の話をしているのだったら、
アートリオはもう普通ではなくなっています。
地方色豊かな様々な教会が出てきていますから。
それともやっぱり疑問がよく分かってないのかもしれません。
私はアートリオについて話題にしていたのですが、、。(?)


イスラエルは 投稿者:Hiroshi  投稿日:08月29日(水)07時59分41秒

ますます戦闘が激化しそうですね。 シオニズム研究の為、イスラエルに留学して
いた知りあいが帰国も決意したのは正解だったみたい。 ホント、命懸けの研究も
あるんですね。 それにしてもあの地域、これからどうなるでしょう?
<冬の時代来る>
今朝の朝刊によると戦後最大の失業率。 某国立大学も近く任期制導入との噂。 
業績が出ない人は大学を辞めてもらうとか。 、、、でも何処に行くの?(涙)
リストラされるのはヤダ!
 
年に国際誌最低1報は発表していこう! 研究費も自前で稼ごう!
変化の時代、常に脱皮していかないと生き残れないですネ(涙) 
ともかく、ガンバ! P_(^0^)_P


例えば、 投稿者:iida  投稿日:08月28日(火)08時49分53秒

サンジールでの教会プランや彫刻の歴史的検討は
クリュニー加盟でどのように影響をうけたか、
という観点から読んでもいいわけです。

http://www.greengrape.net/kazuhiro/paper/index.html


回廊形式のアトリウム 投稿者:iida  投稿日:08月28日(火)08時46分57秒

サンタンブロージョの回廊が当時普通だった、ということは
以前結論でてましたよね。
私としてはそれをもうすこし肉付けして、一般論ではなく
他の教会ではどんなだったかについて知りたいのです。
一般書では限界が見えてますね。
修道院が先かルートが先かも同様です。
また、議論にあたり、
議論の意義、
それをしらないと困る問題点、
方法、
などを求めるのは理系論文の
悪い癖でしょうか(汗)


「修道院が先か、ルートが先か」は 投稿者:Hiroshi  投稿日:08月28日(火)08時16分42秒

専門家の間では既に答えが出ていることだと思います。 でも、これは私の習性なの
でしょうが、ターゲットを絞って本を探し、読み込んでいかないと、漠然と読んで
いくと、すぐ眠くなる方なのです。 (_ _)  z z z それで、そのような姿勢をいつも
もとるように心がけてます。 これは仕事の上でも同様ですね。 
間違っても構わない、間違いが判れば口をつぐんでシランプリ /(^o^;;


すいません切れました 投稿者:Hiroshi  投稿日:08月28日(火)08時00分22秒

データーベースとして転載しました。(汗) 、、、ということでiidaさん、
真理亜様よろしいでしょうか? (と、事後承諾を求める。 滝汗)
<以下、転載部分>
サンタンブロージョ聖堂前の中庭部分について
1:ナルテックス(イタリア語ではナルテーチェ)は本堂にくっついた柱廊部分のみ
指します。完全に建築物の中に有り、玄関のようになっていることもあります。
2:アトリウム(アートリオ)は古代ローマ建築の重要な要素で、中庭付き中央広間。
これはステイタスシンボルです。で、初期キリスト教時代(パレオクリスティアーナ)
には、柱廊に囲まれた中庭になりました。イイダさんにお知らせしたいですが、元々
この時代の教会ならばアートリオはある方が普通なのです。(サンタンブロージョの
はこの時代のものと、中世盛期の用途を考えねばなりません)
サンタンブロージョは聖アンブロシウスと言い、カトリック四大博士の内の一人です。
ローマ帝国分裂によって、蛮族の進入にさらされ弱体化した西ローマをその言葉で救
ったと言われている、ヨーロッパの救世主です。これが元で西ローマ皇帝は廃位、
カトリック教会が西ローマ帝国の精神的支柱だけでなく、東ローマ帝国(というか
ローマ帝国の中心、後にビザンチンと西方から呼ばれることになる)の皇帝に対抗
する一つの権威となるのです。
そんなわけでアンブロジアーナはローマカトリックより古い歴史のある教会典礼方を
誇っています。現在でもアンブロシウス教会は特別な存在で、ミサの仕方も違うのです。
そういった意味で、歴史を通じてサンタンブロージョは他の教会とは一線を画して
きました。ローマ教皇の配下には簡単には屈しなかったので、ロマネスク時代には
その争いが、有名なヨーロッパ史上初の市民闘争、下剋上を引き起こします。
あのアートリオは、パレオクリスティアーナ時代にはカテークメニ(洗礼準備者)
やペニテンティ(悔悛者、罪を言い渡され巡礼などでその罪をとり望まねばならない
ような人)がミサの最初の部分に参加するための部分でした。完全な信徒でなければ
エウカリスティーア(聖体の秘蹟)に預かることができないからです。一年の3〜4
月に洗礼志願者の洗礼が行われるというのはパースクァ(復活祭)の夜のことです。
日本ではクリスマスがキリスト教で最も大切な催し、と思われていますが違います。
復活祭こそ最大の重要事で、このパースクァと言う言葉はもともとユダヤ人がエジプト
を脱出して紅海を渡った(パス)『(旧約聖書)出エジプト記』に由来し、過ぎ越の
祭りのことです。
中世になると巡礼を癒し、商業取引を行い、そして裁判が行われる場所となります。
あのナルテーチェは他の教会のものと違い、二階建てで、巨大アーチになっています。
あそこから時の行政官や審判、最後には主教がアートリオを埋めたミラーノ市民たち
に呼びかけたのです。ここでは中世史上の大ドラマが展開します。
ガリアにアートリオが無いのは、中央集権化が進み(800年にシャルル大帝戴冠)、
都市国家が育たなかったことと関係していると思います。その一つの証拠として、
ゲルマン地域では「西構え」といわれる構造がありますが、あれは皇帝が座した場所
ではないかと推測されてもいますから。特にイタリア美術史の大御所アルガンはサン
タンブロージョのアートリオを、都市国家の裁判の場としてみています。


真理亜様の掲示板で URL ↓ 投稿者:Hiroshi  投稿日:08月28日(火)07時58分38秒

peruzさんの『洗礼堂が教会とは別に建てられていること&非洗礼者との関係』に
関してサンタンブロージョ(Sant'Ambrogio di Milao)の話題が出ました。 
あそこはこの掲示板でも話題になったことで、2001/7/23〜 http://www.greengrape.net/bbs/rbbs_2001_0729.html  それに関してさらに詳しい説明が
真理亜様からありました。 事の成り行きの詳細については、向こうの掲示板を見て
いただくことにして。 ここはバックログとして保存されるので重複しますが、

http://circle.excite.co.jp/club.asp?cid=o0300063


修道院かルートか 投稿者:iida  投稿日:08月27日(月)17時40分40秒

ってのも具体的に修道院や教会の変遷をしらべだすと
素人にはお手上げですよね。
まとまった論文でも(しかも英語でないとよめない)あればいいですけどね。
逆にアメリカ各有名大学の中世セクションのプロフェッサーの
研究動向ってのを把握できれば話ははやい?
以前ロマネスクや中世関係でカンファレンス
しらべたんですけど一つしかでてこなくて、、、、
最近はどうでしょうか?


修道院かルートか 投稿者:iida  投稿日:08月27日(月)15時47分49秒

はじめは修道院や教会は従来からあったところに旅人は
よっていたのだと思います。
それらがクリュニー派にくみこまれていったのではないでしょうか?
いずれにせよ、そこに焦点をあてるとスペインの
プレロマネスクなども見ていかないといけませんよね。
クリュニーの肝煎りで改築やら移転していったでしょうから
規模から様式まで思いきりかわってるでしょうね。


アリストテレス 投稿者:iida  投稿日:08月27日(月)15時37分57秒

真里亜様:
>でも彼の成功も、ベーコンも
>やはりイギリスが、その後の世界を制覇
ここからいえることはただ一つ
日本が世界を制覇すれば私達の
いったことは後世に残りやすくなる
ということだと思います(汗)。
まあ、それは半分冗談として(実際はそうなってほしいですが)
>アリストテレスの時代と科学の基本精神
はたしかにかわってないといえそうです。
ただ当時よりかなりいろいろ現象がわかってきたので
論理に中間点がどんどんできてきたということでしょうか。
現在自明な事実を論理を組み立ていってもかならずしも正しい結論には
達しない可能性がある、ということを10年単位で
生物関係の研究者は経験しているといえます。
それはともかく、
私の場合、アリストテレスの詩編を読んだときには
私達が論理を形成して論文を書く、まさにその原点をみた思いが
ありました。
>一発新しい思考法、ようするに科学偏重主義を改めるべき
これは私達が大量消費社会の中での消費欲望
を押さえることに成功した時とセットだとおもいます。
私には思想的にはありえても、現実のものにならない、
と共産主義の歴史を思い出したり昨今の
消費文化を見てひややかに思います。
10年前にも大衆社会論で知識人がバブル前に
警告をだしていたように思いますが、
ホイジンガ以来、うけいれらた試しはないように思います。
話題がだいぶそれましたが、
近いうちにアリストテレスとプラトンの
キリスト教神学への組み込みを理解したいとおもってます(滝汗)
そういや一昨日オータンのイヴをポストしました。
イヴが欲望に導かれてりんごをとるシーンですね。

http://www.greengrape.net/kazuhiro/romanesque/laz/musee/index.html


『巡礼の道』 投稿者:Hiroshi  投稿日:08月26日(日)11時29分51秒

以前、サンチアゴ・デ・コンポステーラへの巡礼路の建設、あるいは整備が
クリニューによってなされたのではないか、そしてそれは、この巡礼路から
の莫大な収入確保が目的ではないかとの推察を述べたことがありましたよね。
URL ↓5/26〜5/29 2001 
『何故クリュニー修道会が巡礼教会を押さえることに成功したか』について、
 
今日借りて読み始めたばかりの本『巡礼の道』渡辺里美著;はまさにその疑問
に答えてくれそうです♪ まだ読み始めたばかりですが、以下のような文章が
すぐ目につきました。 ここでもクリュニー派の関与を断定していますね。
『・・ベディエは、(聖ヤコブの書の)作者、つまりみずからテュルパンと
称した者を推測しようとする。・・・それは、大修道院クリュニー以外にあり
えない。』p23
ところで、クリュニー派の関与は一応よしとして、あの時の最終的な疑問は、
●巡礼路に沿ってこのクリュニー派の修道院の建設をしたのか、あるいは既存の
修道院を廻るルートを設定したのか、つまり巡礼路が先か、修道院が先かでした。
今のところ、それに直接答えてくれるそうな文章には出会ってませんが、途中
この様な記載に出会いました。
『(ロランが死ぬ)ロンスヴォーを物語(聖ヤコブの書)に組み込まなければ
ならない。 討死にした英雄たち、殉教者たちの遺物を通じてひろくフランス
とスペインに散在する寺院の権威がこれにかかわっているからである』p26
これなどは既に修道院が保有する聖遺物の格を上げようとする魂胆ととれないか?
実際、以下の事実はそれを示唆するかもしれない。
『この聖ヤコブの書に登場する50名の英雄は、「ロランの歌」に戸籍のあるもの
ばかりではない。 およそ大帝ともピレネーの彼方とも縁のない武勲詩の主人公
たちもいれば・・・』p24
とすれば『聖ヤコブの書』が書かれたのは修道院の保有する聖遺物の格を上げる
為ということになるのか? とすれば修道院が先? ちなみに、この書の中の
『案内』とい旅行案内書が書かれたのは1140〜50年の間と考えているらしい。 p43
となると当然、修道院が先ということになるが、その種本は以前からあったとも
考えられているようだし、ここらは慎重にということでしょうか? いずれにせよ
これからが楽しみです♪
 
ラテンダンスのイベントも近づき練習も週3回程と厳しくなってきてます。
振りは一応覚えましたが、姿勢とか目の位置とか、相手方との呼吸の問題も残っ
てますので、インストラクターの厳しいチェックが入るようになりました。 (^^;;
メレンゲで輪舞するのがト、テ、モ、難しい昨日

http://www.greengrape.net/bbs/rbbs_2001_0603.html


ちょっと話題を変えますが 投稿者:Hiroshi  投稿日:08月25日(土)09時02分24秒

8/20の書き込みで「戦犯」の問題で結構消耗した、と書きました。 
「何故、私は消耗したのか?」考えてみました。
もともと議論好きの人間なので、議論そのものが消耗の原因ではありません。 
これまでウヤムヤのうちに判断を停止していた事「戦犯は犯罪者か?」に成り行
き上、自分なりの結論を出したからですが、結論を出した事自体が消耗した原因
でもない。 、、、となると何が消耗させたのか? 
 
そう考えた時、以下のようなジャック・ル・ゴフの『煉獄の誕生』に対するある
人のコメントを思い出しました。
『ヨーロッパと日本との違いを考える時・・・現世観の違いに気が付く。その違い
をさらに探っていくと11〜12世紀を転機としてヨーロッパの人々の生死観が変化して
いるという事実に突き当たる。 この頃までヨーロッパにおいては厳密な意味での
犯罪はなかった。 あったのは共同体の生活秩序を破壊する行為に対する処罰であって、
殺人が行なわれた時、それが共同体の秩序を破壊する行為であると判断されれば、
犯人をみつけ出して殺し、共同体の傷を埋めるのである。 したがって犯人でなく
てもよいのである・・・』   
結局、私の判断の基盤になったのは、『正義』とか『論理的結論』とかではなく、
極めて日本的な情緒、即ち『ケジメ』とか『腹を切る』という様なことによるもの
だと気がついたからです。 一番それからは遠くありたい、と思っていたことが、
もっとも安心して答えを出せる「基盤」になったということに気が付いたから。
私にとって、所謂「戦犯」が本当の犯罪者であるかどうかは重要なことではなく、
戦争で生じた傷を、誰かが身を犠牲にして癒す必要があり、それは戦争を指導し、
かつ祖国を敗戦に引きずり込んだ指導者が、戦犯として裁かれる必要を感じた
からです。 『1億総懺悔』のような無責任さの中では、死んだものは敵味方共に
浮かばれないという思いからだったようです。 
共同研究者からメールでgood news? あちこちに蒔いた種が芽を出すのはいま
のところ、2〜3割程度。 でも「Better than Nothing」てところですか。


オッカムと科学的思考と脳 投稿者:真理亜  投稿日:08月25日(土)07時30分21秒

さっき新潟の脳の学会のページでちょっと勉強しました。
ま、普通の人向けじゃないのかもしれないけど、分からないことだらけで質問したかったです。
オッカムはイディオムになってますが、日本では知られてないですよね。
でも彼の成功も、ベーコンも
やはりイギリスが、その後の世界を制覇したからだという気がしてなりません。
アメリカのコンピューター世界支配と同じように、彼らがオックスフォードだったからで、
他にも重要な人や研究や先駆者は居たのにと、中世をやっているといつも思います。
ベーコンの時代から科学的思考は基本的には変わっていないとも思いますが、
(ポッパーの思考当たりとも変わってない)
私はここらで一発新しい思考法、ようするに科学偏重主義を改めるべきだと思っています。
(といっても変な科学偏重で、実際は全く非科学的だったりするのも事実だから、難しいですが、、。)
もしかしたらアリストテレスの時代と科学の基本精神は変わってないのではないですか?


トランスピュータ 投稿者:酔鬼  投稿日:08月24日(金)13時15分23秒

話は少しよれますが、かってイギリスが誇るコンピュータ技術として、トランスピューター
というプロセッサーが一世を風靡しました。そのときのプログラム言語が「オッカム」でした。
ケンブリッジ、オックスフォードの教授たちが、一週間ほど東大で講義をしたとき
参加したことがあります。
並列処理を構成しやすく、特にグラフィックへの応用に優れていたため、注目していました。
OCCAM という言語も一般的な「C言語」にとって変わられました。冗長だが力づくのアメリカの
CPUパワーにほろぼされのが実情ですが、細々と研究している人もいるかもしれません。

http://sasuke.econ.hc.keio.ac.jp/~ken/physics-faq/occam.html


オッカム 投稿者:iida  投稿日:08月24日(金)08時45分19秒

の剃刀ってのがマックの雑誌(MacPower9月号)に紹介されてました。
これは理論はシンプルに、というもので、なんでも
このことをしっているかどうか教養のバロメーターの一つ
になっているそうです。(ほんまかいな)
オッカムなんて日本じゃ中世のところにしかでてこないんじゃないかな。。。


具体と抽象、帰納と演繹 投稿者:Hiroshi  投稿日:08月24日(金)08時33分26秒

>仏像もキリスト像も、もとはアレクサンダー大王がつれてった
>ギリシア人がインドで仏像をつくっていたものがひろまった
具体的なものを求めるギリシャ的世界が、抽象的なインド的世界に融合した結果
仏像が生まれた、という解釈は私には非常に説得力のある説に思えます。 
初期には仏足跡だけでブッダを象徴してましたからね。

>アルツハイマーといえばアミロイドでしたっけ? 
>私達のポリペプチドの分野でも話題になってました
アルツハイマーにおけるβアミロイド仮説は1つのブレイクスルーになりましたね。 
かなり矛盾なく色々説明されましたから。 でも何故、アミロイドでなければなら
ないか? という所は、まだ十分解明されてないと思います。 仮説は仮説です。
βアミロイド過剰発現マウスには脳機能の低下はいまのところ見られないそうです。
実際パーキンソン病では別の蛋白群ですし、プリオン病では文字どおりプリオン
ですからね。 私としては『一番目に付く』蛋白、というのが実態ではないかと
思って(期待して)います。 それに今回の総合討論でも『これらの異常蛋白の
沈着が神経細胞死を引き起こしている』ということには懐疑的、というのが多くの
人の意見だったようです。 それは多分、結果であろうということですね。 
例えば人工的に大量に蛋白を大腸菌の中で合成させたりすると細胞内でインクルー
ジョンボデイ(蛋白の不溶化)が起こりますよね。 でも大腸菌さんはいたって
元気です。 『帰納法的証明』は気を付けなければなりません。 いずれにせよ
遺伝子がとれると、マウスモデル(変異マウス)が出来ますから、そのマウスの
行動を解析するという『演繹的証明』が強力でした。
、、、『帰納・演繹』と言えばフランシス・ベーコンですか? 
ふむ〜、科学の基本はあの頃からあまり進化してませんね! (^^;;


おかえりなさいませ 投稿者:iida  投稿日:08月24日(金)00時27分40秒

飛行機欠航にならなくてよかったですね。
アルツハイマーといえばアミロイドでしたっけ?
私達のポリペプチドの分野でも話題になってました。
二尾目のどじょうはいるかな(笑)
サーバもレスポンスいいし、はやくサンラザール
やってしまいたい気分です。
チェックしてたら、ベズレーの柱頭彫刻後1セクション
のこしてたの気がつきましたし。


先ほど班会議より帰りました  投稿者:Hiroshi  投稿日:08月23日(木)17時23分43秒

行きは台風に追われながらも、何とか飛行機も欠航にならず、滑り込みセーフ! 
さて越後湯沢では「脳」漬けになってきました。 この10年で<脳の老化>に
関する研究は思いのほか進歩していることが判りました。 原因は遺伝子が続々
発見されたことが大きく、これまでの博物学的『記載』の時代から『物』を扱う
時代に突入したことが最大の理由です。 それだけに競争も非常に厳しく、これ
から自分がその中でどれだけ貢献できるか? と、ちょっと不安にもなりました。
しかし、『もうルビコン河は渡ったのだ!』と、腹を括っているところです。
研究班は約200人の班員、今回の班会議も総勢300人程の異例に大きい班会議
でした。 これは現在「脳研究」が、3本の国家的バイオ・プロジェクト「癌研究」
「ゲノム研究」とならぶ1つの柱になっているからです。
いま日本では、推定100〜200万のアルッハイマー患者がいるそうで、85歳では2人
に1人が何らかの知能低下を伴う脳疾患に侵されているそうです。 しかも、この
傾向は高齢化とともに益々進むことが予想されます。 我ながら『何とかしなきゃ!』と感じました。 
まだ「脳モード」で、まだ「ロマネスクモード」には戻りそうにありません。 (^^;;
それから新たなサーバーへの移転、ご苦労さまです。


データアーカイブは 投稿者:iida  投稿日:08月22日(水)23時00分38秒

www.greengrape.net
となります。レンタルサーバーで独自ドメインっていうやつです(笑)。
しかしトップページはtorideにおいておこうと思ってます。


飛鳥時代の 投稿者:iida  投稿日:08月20日(月)23時57分36秒

仏教美術は特に大陸様式がのこされているところと
その前にある表現がまざっていて面白いと思います。
こういうのはロマネスクと共通していると思います。
仏像もキリスト像も、もとはアレクサンダー大王がつれてった
ギリシア人がインドで仏像をつくっていたものが
ひろまったそうなので(都合よすぎ)
似ていて当然なんでしょうね。
私達日本人は東洋も含めた図像学をやったら面白いな
とおもっていあたらバルトルシャイデス氏が
やってますよね。

さて、fwiサーバは解約しました。
現在レンタルサーバーを検討中です。
ただ、トップはtorideを使用し続けますので
面倒はかからないと思います。


訂正 投稿者:Hiroshi  投稿日:08月20日(月)12時41分12秒

酔鬼様の掲示板は以下のアドレスです。訂正します。
終戦記念日とお盆が、たまたまか、意図的か知れませんが、重なるのは色々な意味
でシンドイですが、考える機会を与えてくれるようです。 たまたま今、阿部謹也
先生の『大学論』というのを読んでいるのですが、「時には自分と歴史の接点を考
えることが重要である」というような事が書かれてありました。 お盆と終戦記念
日が重なるのは、そういう意味ではいい機会を我々に与えてくれますね。
常々、『歴史認識は今此処にいる我々自身の問題と関わっている』などと、偉そう
に言ってましたが、結構、議論自体をこれまで <気楽に楽しんでいた> と感じ
るこの数日間でした。 「戦犯」の問題では結構消耗しました。やはり足元の問題
だからでしょうねから。 

http://ko-na.com/non_bbs/non_hyouji.cgi?kee=afodens


大型台風が近づいています 投稿者:Hiroshi  投稿日:08月20日(月)07時53分33秒

皆さん気を付けましょうね。 という私も明日から出張で湯沢です。 
明日の飛行機は欠航でしょうね。 対策考えなければ /(_ _)
暫く酔鬼様の掲示板でヘビーな話題(戦犯・靖国・天皇制・仏教・キリスト教)に
関わっていましたので、しばらくロマネスクへ足が遠のいていました。 こちらを
覗くと、ここでも仏教の話題が挙がっていたのでちょっと酔鬼様の掲示板のURL
紹介します ↓

http://ko-na.com/non_bbs/non_kaki.cgi


お礼・菩薩像 投稿者:もり  投稿日:08月19日(日)11時35分59秒

iida様、
トップページのお気遣い、ありがとうございます。
恐れ入ります。
情報、経験談などお持ちの方、よろしくお願いいたします。
ささいなことでも教えていただけると、助かります。
そして宇治平等院の菩薩像のリンク、見てみました。
本当にこうしてみるとかなり印象が違いますね。
それに、私も意外な配色だなと思いました。
私の場合仏像の彩色というと、朱塗りに、部分的に緑色とか黒色、といった配色を
想像しがちなのですが、発想が貧困ですかね(苦笑)
仏像といえば、先月所用で上京した際、
東京国立博物館の法隆寺宝物館へ行きました。
http://www.tnm.jp/doc/Guide/Stat/k00.html
ここの所蔵品は7世紀制作のものも多いようですが、
ロマネスク美術との共通点を感じさせるものも多くありました。
灌頂幡(かんじょうばん−宝物館の図版目録によると、
仏堂内の天蓋に懸ける荘厳具で、銅製の透彫)の
四辺の植物紋様や
光背(仏像の頭の後ろを飾る小型の頭光。
Mandorlaとも表記されていました)の
炎?をかたどった部分はともかく、中央部分周辺の紋様など。
あと、仏像の台座の蓮?の部分の曲線の具合など
からもそう思いました。
大陸文化の影響を受けているので当然と言えば当然のことかもしれませんが、
少し驚きました。
仏教美術をまとめてじっくり見たことはあまりなく、
知識もないのに的外れなことを言っているかもしれませんが。
また、仏像は通常第2室に展示されているようですが、
この展示の仕方が面白くてー
仕切り壁に沿って展示されているのではなく、
一体一体独立したケースに収められ、
それが広い展示室の中に数多く並んでおり、壮観でした。
横や後ろからも見られるので、背面の衣のひだとか
ヘアスタイルなども思う存分見られて、良かったです。


サンラザールの中 投稿者:iida  投稿日:08月18日(土)23時12分37秒

の紹介をポストしました。
最後の写真2枚のサムネールをサーバにアップロードしわすれたようですが
今FTPサーバレスポンスが悪いので又後日にでも。
大きな写真はクリックでダウンロードできるので御覧下さい。
明日から長野県の駒ヶ岳にドライブ?避暑?にいってきます。
月曜夕方にもどります。
では。

http://home.fwi.ne.jp/~arts/kazuhiro/romanesque/laz/lazar/index_inside.html


雲中供養菩薩像を復元し公開 京都・宇治平等院 投稿者:iida  投稿日:08月18日(土)22時57分52秒

国内のものですが彩色を補正した菩薩像の写真をみることができます。
意外と淡い彩色です。もっと濃い色だと思ってました。

http://iij.asahi.com/national/update/0818/017.html


もり様 イイダ様 投稿者:真理亜  投稿日:08月16日(木)22時29分48秒

広島かー。それじゃ、手渡して見てみてって訳にいきませんね。
でも、本当に写本は欲しいので、図々しくもお願いします。
どういう風にお払いするのが一番いいか、近くなったら教えてください。
ものすごい特別な装丁や印刷というものではなかったようなので、
目玉の飛び出るような値段ではないに決まってると思います。
ドイツ語の本は高かったですが、、。
モワサックのスクリプトリウムで制作されたものです。
結構絵文字が良くできていたという印象でしたが、
何しろ売っていなかったので、よく分からないのです。
今から嬉しいです。GRAZIE!
イイダ様
お友達の思いを込めてやってらっしゃるとは知りませんでした。
行って、あちこち読んできました。
なんか、一番上のリンクの所に載っっけて下さってありがとうございます。
でも紹介文とかって、どこのことを言ってらっしゃうるのか分かりませんでした?。
他のリンクのページは、謎のページとかあって、不思議でした。


重量基準 投稿者:Hiroshi  投稿日:08月16日(木)17時42分40秒

以前『(聖堂建築では)壁にかかる重量を正確に計算しなければならなかったはずだし、
なんからの重量基準があったはず・・』2000/8/24 URL↓ と、書き込みましたが、
それに関連して以下のような記載がありました。
シャルルマーニュは重量の単位としてリーブルを新しく制定した。 ただし、
『・・こうした計量統一の試みが果たして成功したのか、明確にはしがたい。以前から
(<多分文脈からは、ローマから受け継いだと思われます by Hiroshi)用いられていた
ポエニは、10世紀には用いられなくなっている。・・・つまり計量は、地方あるいは
場所によって異なるのが普通である。』p149  ---- だそうです、
この本『中世の生活文化誌』は教科書としては非常によく出来た本だと思います。 
先日ちょっと批判がましく書き込んだのは訂正します。 m(_ _)m
もっとも以下のような記載は、女性からおおいに反感をかうかも (^^;;;
『女性はいつもそうであるが、魔術にかかりやすい・・・』p227 「魔術と呪術」より 

http://home.fwi.ne.jp/~arts/bbs/rbbs_2000_0908.html


モワサックの写本 投稿者:もり  投稿日:08月15日(水)19時28分51秒

真理亜様
あいにく広島県在住なんです。
新幹線の駅はありますが、「のぞみ」は停まらない町ですーー
おっしゃっている柱頭の本、現地でチェックしてみます。
私も入手したいので、あればいいのですが。
そしてモワサックの写本のコピーがもしあれば、
買ってきて送らせていただいてもかまいませんよ。
結構重い本なら、フランスから直接送りますが・・・
その写本のコピーというのが何種類かあるようなら、
どのようなものであるか、またお知らせ下さいませ。
モワサックの珍道中?すごいですねー
そこまでではありませんが、私も結構一人で
カタロニアの田舎をタクシーで2,3時間かけて回ったりしました。
本の友社『ロマネスク』に言及がある、Sant Pere de Rodes
(ダリ美術館があるFiguerasから行きました)とか
こちらはその時(上記)のタクシー運転手のおススメだったのですが、
Sant Quiltse de Colera などへ行ったりしました。
この道中、途中から砂利道になり、一度、橋が架かっていない細い小川を
よいしょっ!と強引に渡って行きました。
教会堂自体は一部崩れかけていましたが、後陣の外側の美しいフォルムや
赤茶い石の色や味のある質感に感動しました。
フランスとの国境に近いそうで、周囲の山々の景色も素晴らしかったです。
谷間に羊飼いの親子の姿が小さく見えたりして。
しかし他に交通手段がない所とはいえ(レンタカーは別として)
やはり結構怖かったです。
それでも「絶対行きたい」と思ってしまうのですーー


カタルーニャ美術館 投稿者:oimo  投稿日:08月15日(水)18時24分47秒

昨日まで友人と旅行に行っていたのでタコレスになりましたが、
カタルーニャ美術館の展示物の案内は、現地語、スペイン語、
英語と3つ併記されていました。ただ、英語の説明はかなり短め
ですが。館内の売店でロマネスク美術の展示に関する英語のガイド
ブックを買いましたが、まだ読んでいません(汗)
スペインのロマネスクに関する文献はいろいろと揃っていましたが、
英語のものはなく、展示品の英語カタログぐらいが英語でした。
面白かったのは、かなり分厚いロマネスクの書籍の表紙がマリア・ラーハ
だったのにはにんまりしましたが、、、
友人との旅行では、懸案の教会を2、3回ってきました。
ロンシャン・ミュルバック・マールブロン他です。有名すぎる所ばかり
ですが、変わった写真が撮れていればまた報告します。


現代資本主義 投稿者:iida  投稿日:08月15日(水)10時58分38秒

はわかりませんが、ロマネスク時代でも
高利金貸はさばかれてますよ。
↓首つられています。
先日見た、バーンスタインのキャンディードには
教会での裁判があって、高利ユダヤ人がさばかれていました。
キャンディードのスクリプトはかのヴォルテールです。
アングロサクソン系経済優先主義やピューリタリズムでは
どうしてるんでしょうか?
モワサックの彩色もおもしろそうですが、
私の方はサンラザールの紹介を早くおわらせたいので、
そちらに注力します。
その前後にミラノの博物館の彫刻。
そしてベズレーの彫刻室の紹介、
モンサンミッシェルのサンマルタンもはやくやりたいし〜

http://home.fwi.ne.jp/~arts/kazuhiro/romanesque/conque/03_hell.html


おっと、書き込み前後しましたね 投稿者:Hiroshi  投稿日:08月15日(水)10時43分12秒

>いちどフォトショップでいたずらして塗ってみよう
是非一度何方かやって貰いたいです! 本来なら専門家がやるべきでしょうけど、
待っていたら日が暮れます。 Iidaさんやってみません? 誰かがやれば専門家が
『それは違う!』とかいって、出てくるかも? 犠牲的特攻精神で。 
そういえば今日は終戦記念日。戦犯がはたして犯罪者なのかどうか、今でも私の中
で揺れてます。 でも、ヒットラーが神として祭る祭壇にドイツの首相なりがもし
お参りに行ったら世界が黙ってはいないでしょうね。 歴史認識は今此処にいる
我々自身の問題と切り離せない、と感じるのはこんなときです。 いずれにせよ、
靖国を公的・私的と使い分ける日本政府に非があることは間違いないと思うのですが、、、


真里亜様のページへのリンク 投稿者:iida  投稿日:08月15日(水)10時36分55秒

は私の主催しているロマネスクのページのトップの定点観測リンクから
リンクしました。
紹介文は貴女のものをそのまま使いましたが、
後日充実した学問帳、聖人や象徴などについて詳しく記述してある
としようと思ってます。

http://www.toride.com/~iida/kazuhiro/romanesque.html


中世哲学の「時間に関する問い」 投稿者:Hiroshi  投稿日:08月15日(水)10時29分21秒

キリスト教徒が建て前上は、利子を取って金貸しをしてはならない、ということはよく
云われることで、今回iidaさんがアップされたオータンのサンラーザールで、引用され
た、フーコーによる「中世哲学の問い」 URL↓
『現に過ぎ去っていくのは何なのか・・・この移ろいゆくものでしかないわれわれ
とは何なのか。』
とかの「時間に関する問い」とも関わるわけですが、その出典となった旧約の部分が
判ったのでデーターベース化(汗)しておきます。
『兄弟に利子を付けて貸してはならない。金銭、食べ物、その他いかなるものも利子を
つけてはならない』 申命記 23、20 
これはかなりはっきり書いてあって歪曲解釈のしようがないですね。で今のキリスト教
資本主義社会はこの節は「知らんプリ」するわけですか? 信者の方いたら御免なさい! m(_ _)m
<ついでにモディウスも>
『(9世紀)容積の単位としては、ミュイ(muid: modius)があった。 それは時代と
地方によって異なり、20リットルから70リットルの量を指す。』  p148

http://home.fwi.ne.jp/~arts/kazuhiro/romanesque/laz/tympanum/index.html


 投稿者:iida  投稿日:08月15日(水)10時16分12秒

ってのがいつ・どこなのかが重要なんですよね。
ロマネスク当時の人々はロマネスクだなんて思ってもないでしょうし、
ゴシック、ルネッサンス、ロマン、近現代ときた、いままた
現代美術にフォークロアが注入されるようになってこその評価でしょう。
たかだか100年前だったら美術はロマンから印象派でしたでしょうから
ロマネスクとか民族チックなものの評価は当然ひくかったはずです。
真里亜様御指摘のとおり、当時どのような色がぬられていたかというのには
興味あります。
モワサックではベアトゥス写本群の原色がぬられていたと考えていいので
しょうか?いちどフォトショップでいたずらして塗ってみようとおもったの
ですがセンスがないのですぐあきらめました。
<マール先生指摘のベアトゥス写本>
http://home.fwi.ne.jp/~arts/kazuhiro/romanesque/moissac/tympanum/veatus_100.jpg
もう一つ、真里亜様に後日コメントもらいたいのが
ミラノの市博物館の柱頭彫刻など撮影してあるので、
そのうち記事をでっちあげますのでどうかよろしく。
ロンバルディアとブルゴーニュの彫刻表現は近いものを
感じます。石工か貴族(?)がロンバルディアからきたとか聞きました。
イタリアもローマ帝国のローマと民族大移動侵略をうけたあとの
ローマってだいぶかわっていたんですよね。
イタリアではロマネスク、ゴシックはさっさとおわらせてルネッサンス
に突入していった様子が印象深かったです。
もりさんの情報収集の件は昨晩ホームページをすこしいじって書いたのですが
眠くなったのでアップしませんでした。今回の書き込みを反映させますね。

今回話題にしたオータンのサンラザールのタンパンのページは↓です。

http://home.fwi.ne.jp/~arts/kazuhiro/romanesque/laz/tympanum/index.html


『稚拙』と口走った<暴挙>が 投稿者:Hiroshi  投稿日:08月15日(水)09時42分42秒

波紋を引き起こせて申し訳ありません。 勿論文字どおりの意味で使ったわけでは
ありません。 m(_ _)m ただ個々の技術とは別に、全体の構成、あるいはプロポー
ション等を比較すると<現代人の感覚>で言えばコンクの方が上かなと思う程度。
きっと、昔の人もあれを<醜悪>と感じ、塗込めたのではないのでしょうか? 
それはロマネスクという言葉にも表われていますよね。
ところで、ロマネスク美術に最初注目した理由が『ロマネスク美術は何故ああも、
稚拙なのか?』 というのは正直なところ事実です。 


とっても行きたい!!! 投稿者:真理亜  投稿日:08月15日(水)08時54分17秒

最近の書き込みを見ていて、行きたくてたまらない毎日です。
イタリアだけでも一生かけても行きたり無いのですが、
当然フランスも重要地点は押さえておかないと、というわけ。
えーと、今までフランスは専門外なので言説を控えていましたが、
一ファンとして書き込んじゃいます。
サンラザールが稚拙というのは、
ラヴェンナのモザイクが稚拙というのと同じくらいの<暴挙!>、かな?
あれは例によって大改革で破壊されていますが、
デッサンと、彫刻家の技術、なによりも線と図像のオリジナリティが目立った存在ですよね。ビザンチンの影を見ます。
私の場合、自分の論文で、参考としてコンクとモワサックを取り上げています。
コンクにゴシックを、モワサックにロマネスクを見るというのが私の見方です。
彫刻家の技術としては、両方とも最高級ですが精神がかなり違うので、
現れ方も大きく異なります。
この掲示板の人たちは、当然知ってると思いますが、
一般の人たちが、間違ってしまうのが、修復の問題です。
コンクは、色もわずかですが残り、当時の姿をかなり伝えてくれます。
が、モワサックは西正面が移動されて、建築構造自体変化したこと
さらに、もっと大きいのは、タンパンは極彩色で様々な宝石や高級な織物が
張り付けられていたものを、完全に失っているので、
ロマネスク当時の姿とかけ離れていることです。
それと、フランスはイタリアと違って
国全体をカヴァーする電車の時刻表がないので、ものすごく不便でした。
州ごとに分かれていました。
今はどうなのでしょう?
私ごとですが、
特にモワサックは時間が遅いと電車がなくなり、遠距離バスで行ったの。
最後はたった一人になり、食事の約束は何とか逃れたものの、
バスの運転手の話相手をずーっとする羽目になり、
最終バスだったのでタクシーに変身し、ホテルまで連れてって荷物も運んでくれました。
が、2月だというのに暖房も電気も故障、直し中という、
B級アメリカ映画の田舎町のような怪しいところで、
夜中に喧嘩しながら大荷物をひきづって、たった一件のレストランに飛び込んだところ
イタリア系フランス人の男の人が別のホテルまで、電話予約もしてくれ連れてってくれました。
知らない人の車に乗って、真夜中で、こういうことを繰り返したので
とっくに死んでいてもおかしくないのですが、
守護天使のおかげか、いい人たちにばかり巡り会って居ます。
修道院を見ないで死ぬよりは、ここで死んでもしょうがないと何度思ったことでしょう。
で、モワサックは昼間に行けば、国鉄の駅のすぐ隣に親切なホテルがあります。
適度な値段です。おじさん以外、地方色豊かなフランス語オンリーです。
あの、突然ですが、もり様は東京近郊ですか?
モワサックで買った、素晴らしい研究書を持っています。
全柱頭を納めたものです。
ドイツ語ですが、他の資料と合わせれば、かなり理解できます。
それと、ものすごーーく、いきなりで図々しいですが、
モワサックに行ったら、買ってきてほしいものがあるのです!!!
(びっくりでしょ。ごめんなさい)
写本のコピーですが、私が行ったときは、見本だけで売り切れていたので買えませんでした。
ネット注文もできないし、次はいつ行けるか分からないし、
フランスの友人もわざわざモワサックまで行ってくれるような人はそうそう居ないので
泣きつきます!(ま、断られて当たり前ですが、、)
そのほか、ポワティエとトゥールーズは、ひっじょーーーーに気に入りました。
そのトゥールーズから、めっちゃマイナーですが時間があったら行ってほしいのが、
St.Bertrand-de-Comminges というちーーーーーーーーーーーーさな町です。
修道院の周囲に町が建設されたのが手に取るように分かる、修道院しかないところです。
ここでは、駅員を見つけて、個人タクシー(町のおばさんがやってる白タク)を呼んでもらいましょう。
迎えに来てもらうのも忘れないように。
他に手だてはありません。
突貫精神で突如のお願い許してください。
真理亜


コンク 投稿者:もり  投稿日:08月15日(水)03時35分31秒

iida様
そうです、コンクと
あとモワサックとポワティエ(行かれたらショーヴィニーとサン・サヴァンも)へ
行く予定です。
コンクへは
Toulouseから電車でRodezかFigeacまで行き、
そこからタクシーで行こうかと思っています。
が、どちらかベターか色々考えているところです。
タクシーを手配しやすそうなのはどちらか、とか
実は乗り物酔いがひどいので
曲がりくねった道がより少なそうなのはどちらか、とか
(どちらでも山道が多そうな気がしますが・・・)
旅行シーズンではなく、学校も休みの上1月1日も挟んでいるため、
一般的には交通機関の便数の激減が予想され、
時刻表とにらめっこの旅になりそうです。


失礼しました。 投稿者:もり  投稿日:08月15日(水)00時32分45秒

真理亜様
濁点ではなかったのですねーー
どうかな、とも思ったのですが
まさかPARISでそんなとは思えなかったし・・・
改めて驚きました(汗)
失礼いたしました。


議論のたりない 投稿者:iida  投稿日:08月14日(火)14時34分31秒

彫刻はタンパンにあらわれる各聖人、天使、悪魔など。
今考えているのは一つづつ画像をきりとって
データベース化することです。
そして相関軸をきめないとただの画像コレクションになってしまうので
それを考えてみたいですね。
今回のオータンをみていて面白かったのは天使像ですね。
また技法の分類もしないとどうも釈然としません。
フランス語よめないとどうしようもないなぁ。。。


稚拙 投稿者:iida  投稿日:08月14日(火)14時29分15秒

ということばは当たらないと思います。
かれらは細かなところまでほってあり技法はたしかです。
拡大写真をみてひだの流れなどを観察してみて下さい。
キリストの顔はいかんせん石なのでコントラストがでなくて
はっきりでなかったとおもいます。
ここで議論したようにロマネスクの本をひらいても、
各論はあっても、主題別に画像をならべて議論したりはしていないのが
しろうと向け解説本の現状です。
また包括的なストーリーを、例えばマール先生のやりかたでは、
いきなり主観的すぎてデータを主張にあわせているようにも
見えます。(理科系でもよくやりますが。。。。)
私のここでのフォーカスは心性ではなく、美術面や様式にあります。
それで今回「同時代人・・」の議論は割愛しました。
私にはこの手の「心性」や「全体史」はテーマが大きすぎて個別の議論が
できていないですし、アプローチする方法論も素材も私自身はまだまだだと思います。
画像データをじっくり解析するのをもうすこしやりたいですね。
というわけでオータンのイブ(ロラン美術館)はやくやりたいと思ってます。


サンラーザールのタンパン 投稿者:Hiroshi  投稿日:08月14日(火)13時41分53秒

コンクのタンパンと比較すると非常に面白いですね。 コンクの構成の方がより
考えられているように私には思えます。 コンクでは左右の天国と地獄で、秩序
と無秩序の対比がはっきりしてますが、こちらの方はあまりかわらない。それに
キリストの顔はペロットしていてコンクの威厳さはないですし、全体的に稚拙
<畏れ多いことですが。 m(_ _)m どちらかというと私はコンクが好み。
>彫刻家によるサイン
>タンパンのテーマも新約からとったもの
これなんか、自意識の誕生・信仰の内面化ととっていいのかしら?
>審判と復活の順序について中世では2重のスタンダード
「同時代人の見た中世ヨーロッパ」は読んだはずだけど、、、思い出せない (_ _;;
もしかして『煉獄の発見』と関係あり? いずれこれはiidaさんに期待しましょう。
タンパンを取り巻く2重のヴッシールで、凝った内側の技法に対し、何となく稚拙
な外側、て感じがします。 同じ植物文様でも内側の立体的なものに対し平面的な
外側。系統が違うて感じがしますね。
「キリストの足下」の画像はリンクされていないみたいですよ >iidaさん
潔くスパット夏休み休めがいいものを、貧乏性なものでダラダラ機械任せの実験を
して過ごしています。


情報収集 投稿者:iida  投稿日:08月14日(火)13時02分27秒

直接いった人の話がいちばんいいですよね。
コンクにいかれるんでしたっけ?
ホームページの扉のほうに
「コンク方面電車バスによる訪問の情報を求む!」なんてあとで
やておきますね。


>真理亜様 投稿者:Hiroshi  投稿日:08月14日(火)11時02分43秒

反論?あちらの掲示板に書き込んでます。 (^^;;;
>もり様
でも今が結構楽しい時期ですね。 それに予めよく準備していくと旅も10倍
楽しめますよね♪ これ実感です。
<再度『中世の生活文化誌』から>
別の章の記載によれば、マンス(manse)はプロバンス語の農家 (mas) と同様、家屋
(mansio)から由来し、1マンスとは1家族の生活を支えうる土地ということらしい。p122
とすると、サン・ジェルマン・デ・プレ修道院は30,000ヘクタール=2500マンス
(2500家族)を所有し、1家族数は10000/2500で4人。これは別の本で1家族の
子供の数が2.5人(=〜4.5人/家族)となっていたのでつじつまが合いますね♪ http://home.fwi.ne.jp/~arts/bbs/rbbs_2001_0701.html 
↑ 6/9書き込みの『>農民の収入や税金うちわけ』より、
で問題は、この数字のうち、どれが記録として残されたもので、どれが計算値な
のかだが、この本には明記されていない。しかし、実際にロアール川流域のサン・
マルタン修道院の土地台帳を解析した『修道院と農民』の資料で記録されている
のは戸主の名前と、10分の1税だったので、 例えば、
『Col. Monte村の農民Loedoaldは、小麦2、燕麦1モディウスを納める』 とか、
http://home.fwi.ne.jp/~arts/bbs/rbbs_2000_0818.html ↑ 8/13書き込み分、
お!お!ちょうど1年前だ〜。 去年の今ごろも「暇もてあましていた」わけね (_ _;; 
、、、気を取り直して、
すなわちある地域での戸数と、総収穫量なわけだから、多分後はカロリー計算で
人口を割り出したのではないかと推定されます。 だとしたらやはり1モディウス
が何キロになるかはかなり決定的。
強制的に夏休みに入ったのに(施設閉鎖)スポーツクラブが休館で暇持て余してます、、、


PARIS! 投稿者:真理亜  投稿日:08月14日(火)09時00分25秒

もり様
バリーじゃなくパリーです。
と書いても点が二つなのか、丸なのか分かりにくいですね。
って、これ冗談ですか?
フランスに行ったとき、たとえばモワサックのような所は当地以外、
フランス語のみなのは分かるけど、
PARIS市内でもイタリア語どころか英語資料も入手できないことが多くて、
文字から「たーぶーん、な〜んとなく、こーゆーことなのかも、、」と言う風に読んでました。
そーゆーこと。
イイダさま。
グラーツィエ!

http://circle.excite.co.jp/club.asp?cid=o0300063


バリー・情報収集 投稿者:もり  投稿日:08月13日(月)23時31分22秒

真理亜様
>パリーとも有ろうものがフランス語資料ばかりなのに驚きました。
それもすごい話ですね。
(バリーって、バッグや靴のブランドのバリーのことですよね?)
iida様
ずいぶん前の話を覚えておいて下さって、ありがとうございます。
そうです、フランスへ行くのは今度の年末年始です。
情報収集の方は遅々として進んでいませんで・・・
ガイドブック、日本語のWeb、政府観光局から得られた情報では
とても足らないので
今は海外のWebを検索したり、現地の県の観光局へメールで問い合わせをしている
ところです。
もっとも、メールを送っても返事が来ることはめったにないらしいのですが。
今後は宿泊先のホテルへ問い合わせたり、
最悪の場合、直接Faxないしは電話をしてみようかと思っています。
(語学力がない自分にとっては簡単なことではありませんが)
でも、本当に、実際に行かれた方の話がうかがえたら
この上なくありがたいですけどね。


もり様 投稿者:iida  投稿日:08月13日(月)16時17分25秒

そういえばフランスに行く話って今年の冬でしたっけ?
情報あつまりました?
ちょっとみなさんの話をフォローしきれてない状態で
すっとぼけた質問ですいません。
だれか夏にいってくれてたらいいわけですよね(笑)


真里亜様 投稿者:iida  投稿日:08月13日(月)16時06分07秒

ユーザ登録してログインしてみました。
書き込みは・・・・実はBBSは苦手なので、そのうちに(笑)。
真里亜様の情熱が実るのを願っています。
語学の勉強は本当に大変ですね。英語すら満足に議論できない状態です。
当方はフランスのロマネスクですがフランス語は一行もよめません。
翻訳書については、私も同じ考えですので
ブルゴーニュのロマネスクの紹介がおわったら、友人が残した、
読書カードも公開したいと思っています。
カタランといえばoimoさんのページにサグラダファミリアの
塔の写真がのってますね。
私も昔の写真ひっぱりだしてきたらあんまり面白い写真なくて
アップやめてしまったことがあります。
いまだったらもっと考えてとるのに。
ともかくガウディかっこいい!です。

http://www.asahi-net.or.jp/~bh2h-fjo/wallpaper/wallpaper.htm


からんでるつもりはない 投稿者:真理亜  投稿日:08月13日(月)12時10分39秒

のですが、またまた『イタリア!』の方に、<10年もたない言説>について、ヒロシ様に絡んでしまいました。
へへ。
イイダ様。
時々見てくださってるんですね。知らなかった。ありがとうございます。
ログインして書き込んでください。ログインの人数が増えると、
エキサイトの<サークル>の中の<語学>欄の一ページ目にタイトルが載るのです。
今は2ページ目のトップなの。多くの人に知ってほしいので、がんばってます。
自分がつらかったので、できるだけ多くの人(特に若い人)が勉強できるような
環境作りのはじっこでも担いたいと思ってるのです。
で、ヒロシ氏の翻訳書の問題とも一部関係するのですが、
極ふつーの本屋では目にしない、いい本はたくさんあって、
そういうのを紹介したいとも思ってネットやってます。
ちょっと勉強したい、文化に興味あるという普通の人は結構居るし、
勉強し始めたら面白くなったという、今まで勉強したことのない学生も割に居るので、
そういう人たちに、読んでもらえる機会の少ない、翻訳書を紹介したい。
でも、実際には研究者間でも大いに読まれるべきです。
自分の小さな研究範囲しか知らないのでは、偏った見方しかできませんから、
例えばフランス中世史の封土問題がテーマの人が、ドイツの物語研究の翻訳書を読むというようなことは、もっともっと行われるべきだと痛感しています。
もり様
カタランのみならず、観光王国イタリアに慣れた私は、
パリーとも有ろうものがフランス語資料ばかりなのに驚きました。


修道院所有の土地 投稿者:Hiroshi  投稿日:08月13日(月)08時30分37秒

またデーターベースとして利用させて貰います。(汗) 検索一発で出てくるので
とっても重宝してます。 『中世の生活文化誌』より
『サン・ジェルマン・デ・プレ修道院は30,000ヘクタール以上・・・812年のアーヘン
の宗教会議は、大規模な修道院は3,000から8,000マンス --- 1マンスは平均して12ヘク
タールの広さであった --- の土地を所有していると述べているが、実際には、その倍
と見て差し支えない。二流の教会は1,000から2,000マンス、小規模な修道院でも、300
から400マンスの土地を所有していた。』p81
『・・サン・ジェルマン修道院の領地における人口密度は1平方キロあたり34-39人
と推定し・・・イゼール川からブーロネ丘陵にかけては1平方キロあたり34人、より
北の地方では20人、リル周辺では9-12人、モーゼル川流域では4人であったと推測され
ている。p57-58  (<モーゼル川流域て肥沃ではないんでしょうか? それともまだ
開拓が手付かずとか、、、素朴な疑問)
これからこの時代、サン・ジェルマン・デ・プレ修道院の所有する領民の数はほぼ
1万人という計算になります。 いままで沢山の著書で再三、サン・ジェルマンの
資料に言及されているところを見ると、その資料は1級のものみたいですね。
この本、まだ2割程度しか読んでませんが、感想としては、よくも悪くも典型的な
教科書スタイル。この本で刺激を受けるというものではありませんが、初学者には
参考になるものだと思いました。 特に参考論文が多数巻末に紹介してあるので、
ここからさらに興味のある人は勉強していけると思います。
ただ問題点は、これが訳書なので、西欧史を学ぶ日本の学生(特に学部学生)には
利用が難しいのではないでしょうか? 一方素人には殆どこれら参考論文は役に立
たないでしょう。 内容も取り立てて特に新しいことは、今のところありません。 
で、疑問は、このような翻訳書は一体誰の為に書かれたものなのか?という、昔から
私が感じている点なわけです。 訳者のあとがきには、それについては何も述べられ
ていません。 単に訳者の業績(?)として本にしたのではないかなどと、ちょっと
意地の悪いことも考えたりもします。 尤も私は、何度もこの掲示板で述べている
ように、訳書は業績とは思いません。 あくまでも教育の範疇だと思っています。 
だからこそこの様な本は対象を何処に据えたか、学部学生か、大学院生か、若い研究
者なのか、あるいは素人なのかを明確にして貰いたいです。 そこらへんはアメリカ
の教科書では最初に明記してありますので参考にすべきですね。
、、、とまた、関係者の方の<お叱り>を承知で、こんなこと書き込んでみたりもし
てます。 でも、全体的には非常によく纏められたよい本だと思っているのです。
>バルセロナでは街なかの案内板(駅はこちら、とか)やバスの時刻表等がカタラン
>語(カタロニア語)only
それはちょとした驚きですね。バルセロナは地域色が強いとはよく聞くことですが、、


カタロニア語 投稿者:もり  投稿日:08月11日(土)18時09分51秒

Hiroshi様
>カタルーニャ美術館での案内は英語でもありましたでしょうか?
あいにく覚えていません。
oimo様、どうだったでしょうか?
余談ですが、バルセロナでは街なかの案内板(駅はこちら、とか)や
バスの時刻表等がカタラン語(カタロニア語)onlyであることが多く、
驚きました。
英語がないのは分かるとしても、
(外国人にとっては)一般的なスペイン語であるカスティーリャ語の表記も
あまり見なかったので−
一般的にバルセロナ(カタロニア地方)の方は
首都マドリー(カスティーリャ地方)への対抗心が強いと言われていますが、
こういったことからもそれがうかがえました。
カタルーニャ美術館では、カタラン語onlyではなかったと思いますが。


夏休みプロジェクト 投稿者:Hiroshi  投稿日:08月11日(土)12時49分11秒

昨日から、メインに使っている施設が夏休みで閉鎖されましたので、16日まで事実上
の夏休みです。 ま、やれば仕事も出来ないことはないのですが、いい口実が出来た
ということで、、、 (^^;;)
さて、今年の夏休みプロジェクトは『中世の生活文化誌』ピエール・リシェ著;
東洋館出版社、ISBN4-491-00874-4  1992年初版 に決定。 今年は去年みたいに
時間が取れないので小プロジェクトです。(^^;;)
副題は「カロリング期の生活世界」というもので、対象は8世紀なかばから9世紀末で、
ちょっとずれますが、この際よしとしましょう。 でもこのような本が図書館にある
のは有難いこと。 定価14000円もします。 ちょっと個人購入というには躊躇する
値段です。 さてこの本、例のように最初、著者自身による序文と、訳者のあとがき
を読んで決めたもの。 そのあとがきに訳者である岩村清太氏がこのように書き込ま
れていました。
『著者は、現に具体化しつつある(1991年)「欧州共同体」の原型ないし範型は、
まさにカロリング帝国とその延長にあると考えている、つまり本書は今日のヨーロ
ッパの統合という視点にたち、カロリング帝国における地理的統一はもちろん、
民族、経済、文化、思想における統一を描こうとしている』p423 
これと同じ考えは、70年も前に書かれた本、『ヨーロッパの形成』にも見ること
ができます。URL↓(6/18書き込み分) その認識が妥当かどうかには異論がある
ことは承知していますが、より重要なことは、現代ヨーロッパの歴史学者において、
そのような考えを持つ人達が、かなりいると云うことだと思います。
さて、どんなものか? 

http://home.fwi.ne.jp/~arts/bbs/rbbs_2001_0701.html 


>真理亜様、もり様 投稿者:Hiroshi  投稿日:08月11日(土)10時13分58秒

>真理亜様
何時も有難うございます。 それから「イタリアの掲示板」では何時もお世話になっ
てます。 m(_ _)m。 それで先の書き込みの1:『文献の扱い方』についてですが、
私の場合、主に文献、と云っても素人向けの本が主な情報源ですが。 出来るだけ
批判的に読むように心がけています。 参考にしても全ては信じない。 最後には
自分の頭で考え直し、納得するように心がけています。これはこれまで自然科学を
やってきた人間として、身についた習性なのでしょう。 
しかし、正式の教育を受けてないのでしばしば限界を感じます。それに素人向けのは、
何故そのような結論が出たのかについての解説があるのは稀で、断定的に書かれて
ますからますます欲求不満が残ります。 (^^;;
何度か学術書の類を読んだことがあるのですが、同じ著者がやがて偉くなって(?)
教科書や、一般書の類を書きますよね。 そうすると何時の間にか、先の論文で仮説
で提出されていたことが「定説」として書かれていたことを何度か経験したことあり
ます。 勿論、それまでに専門家のpeer-reviewを受けた後だからでしょうが、その過程
を(情報として知らされていない)知らない者にとっては、『えっ、そんなこともう
云っていいの?』て感じです。 仮説の『危うさ』を知る者にとっては(これは自分
自身が仮説を提唱することもある身ですので、十分判っているつもりです)これは
凄〜く気になります! 何時も言ってますが『10年もつ言説はない』というのが
私のモットーですから。
それはともかく、文献読み解き方が、重要であるとの考えは昔からかわりませんが、
この数年、その受取り方が自分でも微妙に変わってきたことを感じます。 昔はその
中から「真実」を引き出すことが重要であると信じていたのですが、最近はむしろ、
『ある歴史上の出来事をそれぞれの時代の人々がどう解釈したかということを通じて、
その時代を理解するということ』
が最も重要であると感じるようになりました。 真実とはもしかすると永遠に判ら
ないことかもしれない。 しかし、それを当時の人がどう考えたかを知ることは
もしかすると可能かもしれない。そして実際、私が知りたいことは、もしかすると、
歴史の「真実」そのものではなく、それを当時の人が「どのように信じたか」では
ないかということです。
>もり様
カタルーニャ美術館での案内は英語でもありましたでしょうか? 


カタルーニャ美術館 投稿者:もり  投稿日:08月11日(土)02時28分02秒

 カタルーニャ美術館の話題が出ていたので、久しぶりに出てきました。
 私が行ったのは98年の12月で、既に改装されていました。
壁画はもちろん、板絵なども充実していて、見応えがありました。
有名なタウイのサン・クリメンの壁画の前では
とりわけ圧倒され、しばし佇みました。
 壁画などは、なんというか、色彩などが強烈な感じですよね。
 また、真理亜様がコメントなさっている通り、
カタルーニャのロマネスクは様式が実に明確なのも実感しました。
 館内に売店がありましたが、夜に行ったせいか、閉まっていて、
入れませんでした。
 ロマネスクの書籍等があったようなのに、残念でした。
 スペインでは、他にマドリーの国立考古学博物館もロマネスクの展示が
結構充実していました。
 ここは古代エジプトからアルタミラの洞窟のレプリカ、ローマ、西ゴート、
ゴシック等と内容がてんこ盛りですが、
ロマネスクは柱頭や祭具などがありました。
全体的にカタルーニャ美術館とはまた違う感じですが。
 余談ですが、カタルーニャ美術館でも考古学博物館でも、
展示室の係員が2,3人ずつ集まって仕事そっちのけで
おしゃべりに夢中なのが目につきました。
 どの展示室に進んで行っても、係員がゴロゴロ?いて
仲間うちでずーっとしゃべっている・・・
 他の所ではそんな状態にでくわしたことがないだけに、少し気になりました。
 おしゃべりといえば、係員が前のお客と延々としゃべっていて、
なかなか用事がはたせず、困ることがしばしばありました。
 教会の入場券売場や売店などで、
たった一人しかいない係員が、自分の前の人とその教会の歴史などについて延々と
語り合っていて、なかなか買えなかったり−
横から口を挟むのも失礼かと思ってじっと待っているのですが(苦笑)。



コメントありがとうございます 投稿者:iida  投稿日:08月10日(金)17時05分23秒

真理亜様
 コメントありがとうございました。
やはり年代決定は難しい問題のようですね。
真里亜様の記述を読んでいると、文献の読みときは
素人にはまったく情報がないのがよくわかります。
プロかアマかわかれるのはここらへんということですよね。
 ホームページ作成していて情報がないのにいつもこまります。
多すぎても日曜ロマネスク家には読めないですが(笑)。
というかどれ読んでも情報は同じなのが一番困る点です。
 このホームページ作りはじめた時はしばらくして
専門家がホームページ立ち上げたら写真の解説を減らしていこうと
おもっていたのですが、そうなってないですね。
 プロにはプロの語るべきところがあるので当然かとは思います。
私自身自分の専攻の最新情報などはホームページにはのせないように
していますし。
 それはともかく真里亜様のページの学問帳などはときどきチェック
しています。今後とも期待しています。
 さて今日は飲み会です。暑いのでビールがおいしいことでしょう。


壁剥がしと年代決定 投稿者:真理亜  投稿日:08月10日(金)09時01分36秒

こんにちは。横から見ている真理亜です。
映写機は買ってとても良かったので、お礼を言います。
見ていて、書きたいことは山のようにありますが時間がないので、止めています。
「フレスコなどの壁を剥がす」と言うのは、
古代、中世などの美術を展示する美術館としては当たり前のこととなっています。
例えば、イタリアの美術の過半数はフランス、イギリス、アメリカなどに持って行かれていますが、
それがかえって保存には役立っています。
イタリアは、例えば世界遺産の半数近くを所持する上、無数の教会財産があり、
自国では修復や保存がとても追いつかないからです。

彫刻や建築、絵画についての年代決定について:

1:文献資料(勿論一次文献は当然ですが、二次、三次文献も併せて読みます)
文献資料の用い方(解釈の仕方)が、極めて重要です。
一時文献の内容が正しいとは限らないところが、理系と大いに違う点ですね。
書いた者の立場や状況、性格、感情、
最も大きいのは書かれた年代と内容の時差などを、全て考慮してどの程度正確かを考えます。
歴史系の授業では、文献の扱い方(読み解き方)が、最重要な授業の一つです。
文献がいつ書かれたかも、記されている期日、長い間そう思われてきた期日と何世紀も異なることがあります。
今では、文字の形や書体、文法などの研究も進んできましたので、
かつて根拠となっていた資料が、ひっくり返ったりしています。
文字などから時期が決定されたら、今度は使われている「言葉」が何を指すかの大問題に入ります。

2:様式の問題
これこそ美術史の原点ですが、<造形>を読んでいきます。
ロマネスク、ゴシック、古典(これもたいていは三つに分かれ、さらに詳しく分けます)
などという様式で見ていきます。
しかし、様式は極めて多くを見ていなければ判断できるものではありません。
しかもロマネスク作品だけ見ていればいいわけではなく、
それ以前の作品は絶対、それ以後の作品もだいたいを掴んで知っていなければ判断できません。
それを、時代だけでなく、空間的にもおよそのイメージを持つことが重要です。
言うまでもなく比較できないからです。
いわゆる「〜らしい」作品は全体のごく一部であり、
たいていは様々な要素が入り交じっています。
例えば、ここのみなさまは、きっと
カタルーニャやブラウンシュバイクのロマネスクを特殊なもの、というか、「いわゆるロマネスク」とは又違ったもの
と感じられると思いますが、カタルーニャはロマネスクの中では、
様式が実に明確なのでわかりやすい珍しいもので、
そうでないロマネスクが無数に存在します。
ロマネスクという様式名に反対する研究者も居ますし、
カテゴリーはいつも難しい問題です。

3:土地の特徴の研究
同じロマネスクでもイタリア、フランス、スペイン、
例えばこの影響で南米にもロマネスクといえる作品がありますが、
その違いと共通点を見る作業です。
この場合、素材や技術は大きな決定材料です。
しかし、遠方から運ばれてくる場合もよくあるので、
その時代の貿易や交通網を熟知する必要があります。
素材の年代測定は今では決まって、国内外の研究所の協力を得ています。

4:寄進者と権力者など、作品に関係しそうな人物たちの研究。

5:図像内容と神学思想と立場の研究、、、

などなど、1〜5は重要な順番ではなく、全部を総合的に考えるべきですが
なかなか全部の資料は、思うように集まらないのが、普通です。
例えば、シュジェーがあのように有名なのは、
彼が残した文献資料によるものです。
サン・ドニは素晴らしいには違い有りませんが、
彼が言っているように、あのガラスの図像が彼の草案によると
信じている研究者は、今ではほとんど居ないでしょう。
例えば、私の研究対象であるイタリアの磔刑像は、8世紀から13世紀に制作されたという、様々な研究者の主張があります。
これは極端な例ですが、この誤差はどのような文献資料をどう読むか、
で生まれています。
様式はどう見ても(特異な)ロマネスクですが、
それが東方、西方、イスラム、ケルトなど極めて多様な様式の
共通点を持っているようにも見えるからです。
ごめんなさいとっても長くなりました。
めったに乱入しないので、許してください。
カタルーニャは

http://circle.excite.co.jp/club.asp?cid=o0300063


ドクター 投稿者:iida  投稿日:08月09日(木)15時54分02秒

いえ、一般論ですね。私の出身の講座は一学年一人いけばいいほう。
後はマスターです。
オータンのサンラザールですがタンパン部分の記述をしています。
デジカメ写真が気にいらなくなってきたので銀塩写真を
スキャンしようかと思ってます。
後にのこすと結局やらないですからね。
あと、グレヴィッチ先生の議論はまた今度にしました。
来週は御盆ですね。我が家というか家族では仏壇に
なすなどそえて異教のおまつりをします(汗)。


>理科系はドクターの量産体制がばっちり 投稿者:Hiroshi  投稿日:08月08日(水)18時29分54秒

何処かでも? 名古屋あたり? でも『口走った』記憶があるのですが、 (^^;;;; 
大学院入試をあまり難しくすると、研究室に学生が入って来ません。 と、云うことは、
研究室のマン・パワーが低下するわけです。 で、院生が欲しい。 でもあんまり入試
を簡単にすると、意欲のない学生、適性に欠ける学生も入って来る。 そのバランスが
難しいですね。 特に、大学院重点化が済んだ所では院生の定員が倍増したわけですが、
反面学生数は毎年減り続けてます。 現状では<後者>の方が問題になってますね。
、、それに彼等、ドクター進学者全員が、しかるべき研究職に付く見込みは現状では
ゼロ。 どうするんでしょう?? 30歳過ぎてはツブシが利きません。(涙)


文科系 投稿者:iida  投稿日:08月08日(水)14時39分00秒

ではジャーナルに投稿したものをまとめて学位論文にする
習慣はないとある芸術系のかたから聞きました。
で、どうするかといえば、学外の詳しい方に学位論文を送付して審査
してもらうのだとか。
レフェリーを経過しなくてはいけないという点はおなじですか。
私の学位論文はA4で200ページほどありますよ。
ただ今思い返して質は低いです。はずかしい。
テンポラリーに発表できなかったつけがまわっていたわけで、
今はそれを立て直すために学会ごとに1つ下書きを作成
しています。
まあ、しかし、文科系にくらべると理科系はドクターの
量産体制がばっちりできてますよね。就職も用意しなくちゃ
いけませんが(笑)、ひたすら働かせるにはドクターに
いってもらわないとというのはありますよね。


カタルーニャ美術館。羨ましいな〜 投稿者:Hiroshi  投稿日:08月08日(水)14時12分47秒

>あたらしい古文書がでてきたときが論文量産のとき
量産ということになるかどうか知りませんが、ともかくこれまで解析が進んでない
古文書が出てきたらチャンスですね (^^;;  古文書館の調査の為に留学する人は
多いようですよ。 阿部謹也先生もその口のようで、その単調な作業の中であの
『ハーメルンの鼠取り(笛吹き)男の伝説』に出会うわけですね。 
く〜っ、 ちょっとした、ドラマ!
ところで、本格的な博士論文とかが結構地元の公立図書館にあるんですよね。
寄贈書の類でしょうか? 最初こんな分厚い本誰が見るんだ? と、不思議に思って
いましたが、そうやって読んだ本の1つが佐藤彰一先生の『修道院と農民』でした。 
あれは本格的な学術書で大変でしたが、読みがいのある本でした。 今年の夏は、、
色々予定が多くて、さしあたり読書のビッグ・プロジェクトはナシですね(笑)
でもあんなの読んでいたら仕事出来ませんね。 (^^;;  あの時はちょうど夏休みで
実験出来ないタイミングだったから読めたようなものです。 なにしろ『ロマネスク
世界論』の1.5倍程もある大著でしたからね。 それにしても文系の学位論文てほんと
凄いと思う! 私のに比べれば、
と、書いてハッと気がついたのですが、そう云えば私の学位論文、種を明かせば、
院生の時に専門誌に発表した論文3部(全てが、私の1st nameというわけではあり
ません、大汗)と、(論文になりそうにない)未発表データーを合わせたもので、
A4版で50ページくらい。 あれを日本語にして、しかも『修道院と農民』とかの
B5版にすれば200ページ位にはなるかな? もしかすると文系の学位論文もその手
のものだったりして? 何方かコメント、あるいは(お叱り)頂けると有難いです。(^^;;  


カタルーニャ美術館 投稿者:oimo  投稿日:08月08日(水)13時04分53秒

ホンモノ、だったんですね、、、
>壁ごと剥がして、カタルーニャ美術館に展示されていること
もしかして、そうかな、、、と思ったのですが、いくらなんでも
教会の壁を剥がすってことは無いだろう、、、と思ったもので。
良く見ようと顔を近づけただけで注意されたのもオリジナルだから
ですね、、、いずれにせよ、見学できてラッキーだったのかな。
ドイツですが、バルセロナから帰って見ると、え?もう、秋?という
気候です。あと、1、2回は暑くなるとは思いますが、9月末で東京に
戻るので、暑い方がいいんのですが。


『私の言うこと信じなさい 投稿者:iida  投稿日:08月08日(水)11時22分07秒

それは教科書タイプの本だからではないですか?
また、生データにふれるのは研究者でも、
論文になる時点ですでにアーティファクト
かかってますしね。
理科系で実験にあたるものが古文書解読になるのでしょうか?
あたらしい古文書がでてきたときが論文量産のときでしょうか(笑)
すくなくとも私は彫刻などの年代決定の過程もしらなければ
それが妥当と言えるかどうかもしりません。どうしてるんだろう?


本物だと思いますよ 投稿者:Hiroshi  投稿日:08月08日(水)10時07分51秒

壁ごと剥がして、カタルーニャ美術館に展示されていることで有名ですから。
あそこは是非行きたいと思っているところです。  かって『カタルーニャ・
ロマネスク』という写真集を見たときからの希望です。
オリジナルの教会は痛みが激しとのことですが、スペインでは現代になって
古いロマネスク教会の多くが地域住民の努力で大分復興されたと聞いている
のですが、それでもまだまだなんでしょうね。
>証拠資料ですがありそうですか?
手元の資料にはないですね。 みな『私の言うこと信じなさいタイプですから』(^^;; 
図書館で何か見つかるといいのですが、、、 


カタルーニャ美術館 投稿者:iida  投稿日:08月08日(水)08時41分47秒

は私が訪問した1995年にはまだ改装中でした。
模型でなくて本物かもしれませんよ。
スペインロマネスクはフランスやドイツよりもう一つ時代古いですよね。
名古屋は雨ですごしやすくなりました。
ドイツはいかがですか?


バルセロナのカタルーニャ博物館 投稿者:oimo  投稿日:08月08日(水)00時48分17秒

先週用事でバルセロナに行ってきたのですが、ちょっとだけ時間が
とれたので、カタルーニャ美術館のロマネスク美術コーナーを見学
してきました。これは、絶対オススメかも。カタルーニャ地方の
ロマネスク教会の内陣の壁画付き実物大模型?が多数あります。
ミシュランガイドで★★★だけのことはあると思います。ドイツと
色彩やデザインが違うのは当然なのでしょうが、オリジナルの教会は
痛みが激しそうです。近くの二重教会がほぼ完全に残っているって
凄い事?と思った次第です。


シトー派 投稿者:iida  投稿日:08月07日(火)18時42分37秒

ってのは結局ベルナールが偉かっただけであとはたいしたこと
なかったのでしょうか。
私はベルナールを十字軍戦犯だと思っていますし、
十字軍失敗してますし、世間での評判の高さには
ついひねくれてネガティブなことばかりとりあげてしまいます。


海路 投稿者:iida  投稿日:08月07日(火)18時37分36秒

上陸するかどうかは船の運ぶものと運航の性格によると思います。
それで証拠資料ですがありそうですか?
かつて網野善彦先生が中国と日本は海で隔てられていたのを
海だからこそ頻繁な交流ができた、として議論をはじめていました。
データまではあったかな。ちょっと覚えてません。


河路 投稿者:Hiroshi  投稿日:08月07日(火)18時12分46秒

はむしろ陸路に近いでしょうね。 特に上流への旅は船を陸から曳くみたいですから。 
ただ海路については、陸地に沿って移動したとしても、出来るだけ上陸しないように
努めたと思いますよ。 例えば、ベネチアはキプロスとかコルフ島とか、東地中海の
島々や、バルカン半島周辺の島々に拠点を沢山持ってましたが大体島ですよね。
主には防衛の為でしょうけど、裏を返せば陸路は最初から考慮に入れていなかった?
>どちらにせよ物の受け渡しの証拠資料がないと議論できないですよね。
その通りなわけですが、最初に問題提起がないと、どんな証拠資料を集めていいか
判らないわけです。 分子遺伝学の世界では、適切な問題提起がなされれば、仕事
の半分は終わったようなものです。(然りであれ、否であれ) 尤も問題は、この
原理が歴史学でどれだけ通るかですが、、、?


クリュニーとサンジール 投稿者:iida  投稿日:08月07日(火)17時09分31秒

サンジールのクリュニーと巡礼路の話は
このサイト内では以下にもすこしでてきます。

http://home.fwi.ne.jp/~arts/kazuhiro/paper/paper_011.html


海路 投稿者:iida  投稿日:08月07日(火)17時05分30秒

といっても実際はできるかぎり海岸にそって航海するので
線というわけでもないと思います。
内陸には川を使いますし。
どちらにせよ物の受け渡しの証拠資料がないと議論できないですよね。
物資で思い出しましたが、オータンのサンラザール付近には
エジプト由来のミイラ棺桶のミニチュアなどがつたわっていた
ようです。ガリア期につたわったものでしょうね。


海路と陸路 投稿者:Hiroshi  投稿日:08月07日(火)09時29分01秒

6/2の『フルダの写本1000冊』とかの書き込みで、URL ↓ 私は海路と陸路を
比較して、前者の方が重要であったというようなことを何度か書いたように思
います。 しかし、ちょっと唐突ですが、このところの金正日総書記のロシア
への列車の旅を見て、少し考えが変わりました。
海路というのは航空路同様『点と線』なわけです。 港(空港)は大いに栄え
ますが、それ以外のところは何もないのと同様。 それに比べ陸路は帯。 
その街道に沿う地帯全体が何らかの影響を受けるわけです。ちょうど12日間
もかけてシベリアを横断した北朝鮮の独裁者に大迷惑のロシアの民衆のように。
http://www.asahi.com/international/update/0806/009.html
それに、長い陸路を端から端まで届けられる物は、貴金属とか香辛料のような
当時の経済の大勢にはあまり影響を与えない、貴重品だったかもしれませんが、
実は沿線に沿って短距離ながらも運ばれる日用品もかなりあったはずと考える
わけです。そうなると陸路というのは今まで私が考えているいる以上にインパ
クトの大きい存在であったに違いないと考えるようになりました。
海路がより重要だと思ったのは、少し、塩野七生著の『海の都の物語』に影響
され過ぎたかもしれません。 (^^;;

http://home.fwi.ne.jp/~arts/bbs/rbbs_2001_0603.html


標題:僧院が道路を開発する 投稿者:Hiroshi  投稿日:08月06日(月)09時31分04秒

『・・道路(巡礼路)の維持に決定的な役割を果たしたのは、これら「道の人」の
個人的な献身ではなく、大僧院クリュニーであった。・・』 堀米庸三著『生活の
世界歴史6』;「中世の森の中で」p221
以前疑問点としたことですが、URL ↓5/27-28書き込み分、この文脈からは、クリュ
ニーが巡礼路を<押さえた>というよりは、むしろ積極的に巡礼路を<開発した>
ということになっていますし、標題も<開発する>となってます。
<再び1モディウス>
下記の記載は1033年の飢饉を伝える年代記に続く文章であり、時代としてはロマ
ネスク期の単位についての記載だと思われます。 
『..モディウス、セクスタリウスは容積の単位である。地方により、また測る物
の種類によってその実量に相違がある。 パリ地方の場合、穀物の1モディウスは
大体35リットル程度、学者によっては21リットルとする者もある。』p170
ここでも同じ感想を持ちました。解析というのは対象を限定して、つまり個別に議論
を進めないと誤った結論を得るということです。 また個別事例をあまりに一般化し
すぎると誤った結論を持つことになりますね。またモディウスというのは<容積>の
単位ということも、きちんと認識すべきでした。 当時の単位を、理解の為とはいえ、
そのまま現代の感覚で重量にむりやり転換する試みは注意が必要でした。 とても
当り前のことですが、今まで私の議論に欠けていた点。 反省、反省 (^^;;
、、、とはいえ、この本、結論が出る過程についても、きちんと解説して貰いたかっ
たです。 そうでなければ、唯『これこれの言説について私の言うこと信じなさい』
と云うに等しい。
 
『・・・これを(この本シリーズ)有力な刺激として、わが国においても生活史の
研究が今後さまざまな局面で望まれる次第である。』
と木村尚三郎先生が「あとがき」の最後に書かれていますが、こんな不満を持った
という意味においては、まさに<有力な刺激>でありました。 (^^;;;;

http://home.fwi.ne.jp/~arts/bbs/rbbs_2001_0603.html


昨日までのR学会 投稿者:Hiroshi  投稿日:08月04日(土)09時28分47秒

の要旨集を更めて眺めてみたら、先日名古屋でご一緒したN大学のE先生の名前が
あった。小さな会場で気が付かなかったのは、神戸には来られてなかったのかな?

http://www.biol.kobe-u.ac.jp/labs/sakamoto/rna2001/rna2001.html


堀米庸三編『中世の森の中で』 投稿者:Hiroshi  投稿日:08月03日(金)23時20分28秒

によると、中世農民の1日当たり平均の食物摂取量を、小麦6〜700グラム、ハムや家畜、鶏
などの肉類80〜100グラム、卵2個、安葡萄酒1リッターとしてる。 p61  しかしこの値は
地方によってかなりの差があり、小麦のよく出来ないドイツやイギリスでの肉食は大量で、例えば
ベルリンでは1日1.3キロも食べていたという。p63 
以前に肉食について議論したことがありますよね。 でも結局、当たり前の結論になりますが、
平均値というのは、あまり情報としては意味がないわけですね。 対象を限定して議論を進めて
いかないと、どんな研究も生産的ではないということでしょう。
ところでこの本の中には、最初に肉食の問題を取り上げた理由であった健康問題についても言及
してありました。それよると毎年春になると、冬の間の肉食過多のため吹き出物が悩みのたねだ
ったそう。p64
この本は勉強になりますが、ちょっと物足りません。 何故ならその結論を得た根拠が何も書い
てないから、いずれ飽きますね。 、、、ちょっと手厳しい?


シトー修道会の堕落 投稿者:Hiroshi  投稿日:08月03日(金)23時19分29秒

も長い歴史の中にはあった様ですね。 でも個人的にはむしろ親和感がでて安心します。 (^^;;
『正統と異端』によれば、1170年法皇アレクサンダー三世はシトー修道会が初期の理想を
忘却したことについて厳しく叱責しています。 p160 その他にも1206年、2人のシトー会
の修道士が南仏の異端説得に失敗したことが記載されていますが、p190 それは、
『異端に対抗するには、教会の権威や威嚇ではなく、異端者自身の行う使徒的生活の実践以外
にない』---『しかし、彼らはそれを実行することができなかったのである。 この一事によっ
ても、当時イノセントが異端説得を委託しうる唯一の機関であるシトー会修道会が、その12
世紀初頭の理想からどんなに遠ざかっていたか』p191 
ことがその原因の1つだあったとのこと。 結局この異端説得の不首尾が1209年カタリ派の
アルビジョワ十字軍による殲滅に繋がったわけです。
ところで、異端ワルド派は今日でもフランスの国境に近いイタリアのピエモンテの渓谷に残存して
いるとのこと。 p175 興味深いですね、調べてみたいところ。


今、神戸から帰ってきたところです 投稿者:Hiroshi  投稿日:08月03日(金)17時46分44秒

あちらも暑いですね〜〜 それに会場の神戸大学は丘の上にあって、六甲駅から
坂道を歩かなければなりませんでした。 たいした距離ではないのですが、暑い
さかりはやはり大変です (@@;;;  しかし眺めは最高でした (^^;; 
さて、帰ってみると仕事が山積み状態ですが、ちょっと仕事はさておき、一言。
>みんな排除すると、大半の関係者が首になり・・都市を敵方に着けることになり
という現実的な問題もあったようですが『洗礼等の秘蹟は、人(聖職者)のなす
業ではなく、聖霊の力をかりて行なう業である』というのが<神学的な帰着点>
だった面もあると思います。 
学会中は夜エアロビクスに行くでもなく、また去年からはじめて参加した学会で
知る人もなく、時間は十分あったので読書は随分進みました。 その件に関して
はまたいずれ! それと、発表の方はかなり反響あってGOODです。 知り合い
はなかなか出来ませんでしたが、とりあえず発表後の質問がかなりあったことを
「よし」としています。


ちょっぴり続き(グレゴリオ・セッティモ洗礼) 投稿者:真理亜  投稿日:08月02日(木)23時23分34秒

教会が<異端の司教や高位聖職者(妻帯している者)>からの洗礼が有効としたのは、
そういう教会関係者をみんな排除すると、大半の関係者が首になり、
大大反対運動が激化していて、皇帝との権力闘争と絡んで、さらにはヴェネーツィアのような
力のある都市を敵(ハインリッヒ四世のような)方に着けることになり、できなかったのが現実です。
この時、ヨーロッパ人権運動史などに必ず出る、西欧最初の民衆蜂起がミラーノで起こります。
それは北イタリア全体に広がり、現在のイタリアを決定するほどの歴史的事件でした。
北イタリアは独立自治都市、中央イタリアは教皇庁所在地、南部は皇帝などの大権力者の封土と言う図式です。
この蜂起の源は<妻帯司教からの洗礼>に反対するものですが、
同じような運動がドイツ各地でも起こりますが、それらは力ずくで鎮圧されます。
経済力、様々な進歩により、皇帝らが北イタリア都市をドイツ都市より遙かに重要視していたことが分かります。
それと神学的には、いっっっろいろある内、「初代教皇聖ペテロは妻帯していた」と言う事実があります。
対立するのは、聖パウロが「できれば私のように独身を通しなさい」と言っていること。
長くてすみません。

http://http://circle.excite.co.jp/club.asp?cid=o0300063


投影機と洗礼 投稿者:真理亜  投稿日:08月02日(木)22時58分51秒

以前質問した投影機ですが、結局自分で探したものと
薦めていただいたのが一致したこともあり買って、
<夏休みミニ美術史講座>で使っています。
シンプルですが、すっごくいい感じです。
画集や液晶モニターよりずっと迫力があり、説明もし易いです。
ありがとうございました。(報告まで)
ここからは異端と洗礼の問題。
神学論争として取り上げる部分と、
歴史的現実とを考慮しなければならないと思います。
大グレゴリウスからグレゴリウス七世以前の教皇というのは、
たいして権力もなかった。
歴代教皇の中でも<聖>が付く何人かの強力な教皇も居たけれど、
それは希なことで、東方のように教会が皇帝の持ち物のようになっているのと違い、
地方権力や教皇権が対立しながら両立するのが西方で、
そんなこともあって、西方は中央集権でないぶん、ばらばらです。
それをバチカンに集結しようとしたのがグレゴリウス(七世)改革です。
彼は20代前半から力を発揮して、数代の教皇の陰で活躍し、
とうとう自分がサン・ピエートロの座についたときに改革ダンコーーー!
となるのですが、その背景には、9世紀、10世紀を通じて
堕落の行き着いた教会関係者の現実がありました。
「聖職者は結婚できないの?ほんとーっ!」という日本人がよくいますが、
当時は妻帯は公然と行われ、倫理的に
ふつーより問題の多い聖職者も極めてたくさん居ました。
ルネッサンス教皇の倫理的態度の悪さはずば抜けていますが、
貴族の間では、
「長男は騎士(将軍、傭兵隊長など)、次男は聖職(司教を目指す。当然教皇が頂点)、
三男は商人(銀行家など)」と言われました。
ですから、宗教心や信仰の薄い者が高位聖職者になる場合がほとんどです。
グレゴリウスらの改革はぞれに対立する修道会改革ですが、
多くの庶民は過激な修行をする修道士たちに、
貴族出身の高位聖職者よりも好意を寄せるのはあまりにも当然でした。
宝石と愛人に囲まれたお腹の出た司教より、
鞭打ち修行で血まみれになった修道士からの洗礼の方が有り難いわけです。
長くてごめんなさい。
ちゃお!


データーベース「秘蹟論」(汗) 投稿者:Hiroshi  投稿日:07月29日(日)12時34分19秒

『正統と異端』の3章、神学とかにあまり興味がないので最初退屈でしたが、
読んでいるうちに、これは中世西欧史を深く理解するには重要だな〜と思った次第。 
記載もちゃんと読んでいけば、それなりに判りやすいです。 
簡単にいえば、伝統的にカソリックでは人効論(主観主義)より事効論(客観主義)
を正統としたということ。こう書くと、何のことか判らないが、判りやすく云えば、
『たとえ異端の司教から洗礼を受けても、それが形式に則ってなされていれば、
洗礼そのものは有効』だとする論理
しかし、このアウグスティヌス以来(実際にはその前から)正統とされた神学は
『普通の常識とは相反したデリケートな性質を持っている。』p82 ので、
決して全ての神学者に十分理解されていたのではないということ。そして最大の
山場、グレゴリウス改革でその不徹底が露呈した、ということらしい。 
そして、これからは私の考えですが、
これはキリスト教の内面化に伴う変化に対応する為に、多分歴史的に必要な
『間違い』ではなかったか? ということです。 如何なものでしょう?? 
誰か神学とかに詳しい方のコメントあればうれしいのですが、、、


また切れた?? 投稿者:Hiroshi  投稿日:07月28日(土)12時35分18秒

『まったく(異端的な)主観主義的秘蹟論をとった』p71  ことを説明する記載
ですが、それとは別に先日からの懸案であった「写本が果たして地中海の向こう側
から将来した可能性がないか?」との疑問に関連するものでした。 
神学や教義が東方教会からアイルランド・アングロサクソン系修道士に、さらには
その強い影響を受けるカロリング・ルネッサンスに伝わったとするならば、それが
写本の形で伝わったとするのは、いかにもありそうなことではないでしょうか?
もし私が卒論か修論を西欧史で書くとするならば「テーマ決まりました!」みたいな、、、
今日はお昼から教室共催の講演会。 関係分野では全然ないけど、サクラで頭数
に入っています  (_ _;;


写本伝来に関する、第二のかけら? 投稿者:Hiroshi  投稿日:07月28日(土)12時33分40秒

>oimoさん
お友達は夏休みですか? レンタカーだと行動の自由がとれていいですね♪
なかなか旅行者が行けないような、田舎の聖堂もみて回れる?  (^^;;;
『・・・アイルランドないし広くいってケルト教会は、神学上・教義上、東方教会
の影響を強く受けているので、アジア教会の主観的秘蹟論は、この方面からも西方
に流入する可能性があった。・・・』 正統と異端;p70
この記載は769年のローマ公会議に、多くのフランクの聖職者が参加したことにより
『まったく(異端的な)主観主義的秘蹟論をとっ


St. Michael 投稿者:oimo  投稿日:07月27日(金)15時53分41秒

oimoですが、本を色々調べたのですが写真を見つけら
れませんね、、、松本さんところのホームページに
詳しい写真がありますが、、、、、、、
懸案のMurbachですが、友人が遊びに来る&レンタカー作戦
可能なので、もしかすると行けるかもしれません。


切れた! 投稿者:Hiroshi  投稿日:07月27日(金)14時46分28秒

そしてその傍流、あるいは底流として
の『異端』があり『贖罪規定書の成立』があった、というような。  
、、、つまり、正統と異端は、キリスト教がロマネスク期に内面化したことによって
生まれ。 そしてそれは8世紀、シャルルマーニュの時代に種が蒔かれた『聖と俗』
の関係の変化だった、というような意味です。  
、、、正確に理解していればの話しですが (^^;;;

今日は朝からDNAシークエンスを見事複数ポカしてしまい。実験中止!
来週学会明けから気合いを入れないして実験再開します。 DNAシークエンサーは
蛍光による光学的検出を利用してますが、ガラスの汚れやポリマーの重合度のムラ
は命取り。 でも最近はキャピラリーシークエンサーとか言って、ポリマーの重合
もしなくて、完全自動化されているものもあるそう。 欲しいな〜


追記 投稿者:Hiroshi  投稿日:07月27日(金)14時45分25秒

前の書き込み読み直してみて、前半舌足らずで判りにくく、それに途中から別の話し
(歴史認識)に話題が飛んでしまったので、追加説明します。 
ちょっと出典が思いだせないのですが(パトリック・ギアリの『死者と生きる中世』?)
『グレゴリウス改革>托鉢修道会>(反)宗教改革はキリスト教の内面化に連動した
一連の流れであった』
と言うようなことを聞いたことがあります。 そしてその


『正統と異端』;ヨーロッパ精神の底流 投稿者:Hiroshi  投稿日:07月27日(金)09時16分27秒

堀米庸三著のこの本は、以前読んだことがあるはずですが、パラパラとページを
開いてみて『グレゴリウス改革が最初から内包していた矛盾』という文字を見て
再度読見直すことにしました。 と言うのも、この言葉に数年前まではとても
反応出来なかったでしょうから。
異端とは正統と根を同じくするもので、決して異教ではないわけですよね。 
この本が書かれたきっかけも、政治学者、丸山真男氏との交流を通してであった
ことが前書きの中に書かれてありました。 この本が60年代のスターリン批判
と無縁ではないはず、という予感もあります。(1964年初版) 
この頃ホットな話題である「教科書問題」とかでも感じるのですが、歴史認識
というものは、今此処に生きる我々自身の問題を抜きには考えられないわけですよね。
それは戦後ドイツに留学された阿部先生の『ハーメルンの笛ふき男』にも端的に
現われていた、と思っています。 


サン・ピエトロ 投稿者:Hiroshi  投稿日:07月26日(木)09時04分59秒

いま読み終わったばかりの『ヨーロッパ歴史紀行』堀米庸三著;の巻末添付図に
サン・ピエトロの平面図がありますが、ここにはナルテックスと聖堂とほぼ同
じ大きさの広いアトリウムがあります。 ここも回廊つきです。 
なお、サン・ピエトロは典型的なバシリカ聖堂です。