ロマネスクBBSバックログのインデックスページへもどる|ロマネスクBBSへ
データーベース「秘蹟論」(汗) 投稿者:Hiroshi 投稿日:07月29日(日)12時34分19秒
『正統と異端』の3章、神学とかにあまり興味がないので最初退屈でしたが、 読んでいるうちに、これは中世西欧史を深く理解するには重要だな〜と思った次第。 記載もちゃんと読んでいけば、それなりに判りやすいです。 簡単にいえば、伝統的にカソリックでは人効論(主観主義)より事効論(客観主義) を正統としたということ。こう書くと、何のことか判らないが、判りやすく云えば、 『たとえ異端の司教から洗礼を受けても、それが形式に則ってなされていれば、 洗礼そのものは有効』だとする論理 しかし、このアウグスティヌス以来(実際にはその前から)正統とされた神学は 『普通の常識とは相反したデリケートな性質を持っている。』p82 ので、 決して全ての神学者に十分理解されていたのではないということ。そして最大の 山場、グレゴリウス改革でその不徹底が露呈した、ということらしい。 そして、これからは私の考えですが、 これはキリスト教の内面化に伴う変化に対応する為に、多分歴史的に必要な 『間違い』ではなかったか? ということです。 如何なものでしょう?? 誰か神学とかに詳しい方のコメントあればうれしいのですが、、、
『まったく(異端的な)主観主義的秘蹟論をとった』p71 ことを説明する記載 ですが、それとは別に先日からの懸案であった「写本が果たして地中海の向こう側 から将来した可能性がないか?」との疑問に関連するものでした。 神学や教義が東方教会からアイルランド・アングロサクソン系修道士に、さらには その強い影響を受けるカロリング・ルネッサンスに伝わったとするならば、それが 写本の形で伝わったとするのは、いかにもありそうなことではないでしょうか? もし私が卒論か修論を西欧史で書くとするならば「テーマ決まりました!」みたいな、、、 今日はお昼から教室共催の講演会。 関係分野では全然ないけど、サクラで頭数 に入っています (_ _;;
>oimoさん お友達は夏休みですか? レンタカーだと行動の自由がとれていいですね♪ なかなか旅行者が行けないような、田舎の聖堂もみて回れる? (^^;;; 『・・・アイルランドないし広くいってケルト教会は、神学上・教義上、東方教会 の影響を強く受けているので、アジア教会の主観的秘蹟論は、この方面からも西方 に流入する可能性があった。・・・』 正統と異端;p70 この記載は769年のローマ公会議に、多くのフランクの聖職者が参加したことにより 『まったく(異端的な)主観主義的秘蹟論をとっ
oimoですが、本を色々調べたのですが写真を見つけら れませんね、、、松本さんところのホームページに 詳しい写真がありますが、、、、、、、 懸案のMurbachですが、友人が遊びに来る&レンタカー作戦 可能なので、もしかすると行けるかもしれません。
そしてその傍流、あるいは底流として の『異端』があり『贖罪規定書の成立』があった、というような。 、、、つまり、正統と異端は、キリスト教がロマネスク期に内面化したことによって 生まれ。 そしてそれは8世紀、シャルルマーニュの時代に種が蒔かれた『聖と俗』 の関係の変化だった、というような意味です。 、、、正確に理解していればの話しですが (^^;;; 今日は朝からDNAシークエンスを見事複数ポカしてしまい。実験中止! 来週学会明けから気合いを入れないして実験再開します。 DNAシークエンサーは 蛍光による光学的検出を利用してますが、ガラスの汚れやポリマーの重合度のムラ は命取り。 でも最近はキャピラリーシークエンサーとか言って、ポリマーの重合 もしなくて、完全自動化されているものもあるそう。 欲しいな〜
前の書き込み読み直してみて、前半舌足らずで判りにくく、それに途中から別の話し (歴史認識)に話題が飛んでしまったので、追加説明します。 ちょっと出典が思いだせないのですが(パトリック・ギアリの『死者と生きる中世』?) 『グレゴリウス改革>托鉢修道会>(反)宗教改革はキリスト教の内面化に連動した 一連の流れであった』 と言うようなことを聞いたことがあります。 そしてその
堀米庸三著のこの本は、以前読んだことがあるはずですが、パラパラとページを 開いてみて『グレゴリウス改革が最初から内包していた矛盾』という文字を見て 再度読見直すことにしました。 と言うのも、この言葉に数年前まではとても 反応出来なかったでしょうから。 異端とは正統と根を同じくするもので、決して異教ではないわけですよね。 この本が書かれたきっかけも、政治学者、丸山真男氏との交流を通してであった ことが前書きの中に書かれてありました。 この本が60年代のスターリン批判 と無縁ではないはず、という予感もあります。(1964年初版) この頃ホットな話題である「教科書問題」とかでも感じるのですが、歴史認識 というものは、今此処に生きる我々自身の問題を抜きには考えられないわけですよね。 それは戦後ドイツに留学された阿部先生の『ハーメルンの笛ふき男』にも端的に 現われていた、と思っています。
いま読み終わったばかりの『ヨーロッパ歴史紀行』堀米庸三著;の巻末添付図に サン・ピエトロの平面図がありますが、ここにはナルテックスと聖堂とほぼ同 じ大きさの広いアトリウムがあります。 ここも回廊つきです。 なお、サン・ピエトロは典型的なバシリカ聖堂です。
Konemann社のRomanesque(英語版)を見ていたらpp21に HildesheimのSt. Michael(1010-1033)のプラン図にはアトリウムとナルテックスとして 回廊がつけられていたようですが、現在はのこってないようです。 写真は裏からのものしか掲載されてないので現在はどのように なっているかはわかりません。 Oimoさんわかりますか?
がはやっているようです。 私のところにもきましたが、マックには感染しないのかな? 『履歴書,ラブレター,クレジットカード番号――SirCamは何でも暴露する 』
ポスタープレヴューの練習をしています。 2分でOHPに短い文章かきこんどくので比較的 覚えやすいんですけど、うっかりくちばしってしまうと なかなか大変。
ムリヤリ呼び出したようで、すんまへん m(_ _)m このやりとりで気がつきました。 Stanford大の教会前の広場はまさにこれですね♪ 現代になって建てられて教会ですし、なにしろカルフォルニアですから、周りは 非キリスト信者ばかり(汗)。 一種の祖先返り?? 12/25書き込み分 http://home.fwi.ne.jp/~arts/bbs/rbbs_2000_1231.html あそこも教会前の前庭は広く開放的でした。 以前は回廊かな? と思っていましたが、 あれこそ非信徒(無神論者から仏教徒、それにカルト信者)の為の空間なわけですね。 http://www.stanford.edu/group/memchu/memchu/ <夏休み効果> いいな〜 わたしら、何故か夏は忙しい季節です、学会やらワークショップ・シンポ ジュウムやら、幾つか行かないといけません。 来週は神戸です。 去年から入った 小さな学会ですが、巨大学会より居心地いいです。それに口演なのがいい♪ 気合い が入ります p(^^)p → http://www.biol.kobe-u.ac.jp/labs/sakamoto/rna2001/rna2001.html それが終わると『脳』関係が二つ。 でもまだ一度も脳は研究したことがありません。 さしあたりは、アイデアだけの段階です(冷汗) http://plaza.umin.ac.jp/~neuro21/ http://www.md.tsukuba.ac.jp/public/basic-med/molneurobiol/brain/osirase.html 『ヨーロッパ歴史紀行』 を読んで驚いたことが1つ。掘米先生が海外に出られたのは40歳を過ぎてとのこと。 既に西欧中世史家として地盤を築かれていた人が、始めてその研究対象の地を踏まれ た時の気持ちは如何ばかりなものでしょう! それに比べれば我々の世代はある意味 恵まれていますね。 最初に<実体験>があるわけですから。 私の場合も直接のきっかけは留学中にヨーロッパ人と共同生活をし、自分と同じ世界 観や価値観を持っていると、漠然と信じていた彼等との間に大きな「壁」を感じたの がすべての始まり。 そこで歴史的存在としての自己と他者を発見したわけですね。
ホームページのカウンターが夏になるとよくまわるのは 旅行先のサーチと大学のレポートでしょうか(笑)。 今年はロマネスクには足のばせそうにないです。 それにまだ昨年のデータもアップしてないし。 旅行にいかれたみなさんどうぞ訪問ネタでもワインでも 食べ物でも、お気軽にどうぞ。 レポートにする際は内容に気をつけて下さい(汗)
日埜さん、ビールまたのみたいね(汗) 大阪はすどおりして淡路島とか、日帰りで池田市とか、 来週はずっと手前の京都です。 仕事といっしょにしてはゆっくりできないから切り離してあそびに いったほうがいいかな。 それはともかく御指摘ありがとう。 私の持ってる本は建築系よりも美術系だからあんまりプラン図がのってないのかも しれませんね。 クーバッハの本はもってないので(高かったですよね。。。。) 一度探しに図書館にいこうとはおもっているのですが。。。 今はオータンを編集しているのでクリュニー第二教会堂の プラン図は要チェックですね。
の場合は、修道院付きの労働者と修道士を決然と分けるのか、あるいは単に結界としてなのか。
たいへんご無沙汰です。iidaさん最近大阪来ないんですか? その件ですけど、ちょっと本を調べたらなんか書いてありました。僕が読んでいるのは英語の原書で、邦訳が以下の通り。 図説世界建築史 7 ロマネスク建築、ハンス・エリッヒ・クーバッハ/飯田喜四郎 訳、本の友社、1996.09 ロンバルディアという項があって、そこにサンタンブロージョの話が結構詳しく書いてある。訳してって? ちょっと勘弁してくらはい。 でも探すとこのアトリウムを囲む形式は結構ありますよ。旧サンピエトロもそうですし、初期のキリスト教建築には 珍しい形式ではないんだと思います。ぱらぱら見るとサン・リキエ修道院教会堂(820)、クリュニー第二教会堂も そんな格好です。やはり非信徒との関係じゃないでしょうか?
その回廊のデザインについては残ってないようです。 先代の教会をつぶしてたてたりしていたり廃虚になってしまって いるので解釈をうらづける資料があるといいとおもいます。 その気になればあるかもしれませんが。 その逆にそのデザインを踏襲したサンタンブロージョ型の プランはあまりないですし、そうすると消え去っていった 中でなぜサンタンブロージョだけがそのプランをのこしたのか 知りたいところです。
今読んでいる掘米庸三先生の『ヨーロッパ歴史紀行』に以前話題になったサン タンブロージョの回廊(アトリウム)あるいはナルテックスに関連があると思 われる文章が出てきました。 全部書きとると長くなるので一部抜粋します、 『初期キリスト教時代(4世紀まで)にあっては・・洗礼は3〜4月の一時期 と定められており・・改宗したものは、洗礼期がめぐってくるまで・・待つ必要 があった。・・改宗未洗礼者は・・(俗空間である)ナルテックスにおいて儀式 に参加するのである。・・キリスト教が公認され(313年)・・(洗礼者の数が 飛躍的に増えると)儀式典礼の執行・・問題は一層深刻になる。・・バシリカ式 に一定の改良を加えると・・すべて容易に解決しうる利点がある。』 p108 これには様々なバシリカ聖堂の改良があるのですが、その1つがナルテックスの 拡大ということではないか? と思うわけです。 サンタンブロージョが建設 されたのは379年とありますので。 時期的にもまさにピッタリです。 この点に関しての5/29の日埜さんのコメント、URL ↓ 『サンタンブロージョの中庭、というか前庭という位置関係ですけど、 あれはナルテックスのようなものだと聞いた覚えがあります。そうだ とするとその意味合いはよりはっきりと、信者が入る領域と非信者 の入ることができる領域を分かつものです。 教会堂の形式というのはゆっくりと醸成されたものですけど、キリス ト教徒が圧倒的多数になるに従いナルテックスのこの意味が小さくなり、 そしてまたその大きさも縮小されていったと考えるのは納得がいきます。』 との書き込みはそれ間の事情を示しているわけですね♪ 洗礼の時期が決まっていたことによる非洗礼者の飛躍的増大とそれに伴う応急処置。 やがて洗礼が常時行なわれ、異教からの改宗の波が収まったことによるその必要性 の消失と理解出来ます。 そうなるとiidaさんの以下の説明に関する解釈ですが、 URL 下記 http://homepage.mac.com/romanesque/st_ambrogio/index.html 『12世紀には教会前面にはり出した回廊(アトリウム)が建設されて』 もしかすると、現在ある回廊の建設は12世紀だとしても、その前身みたいな 構造は既に以前からあった、と考えればすべてが矛盾なく理解できますけど? なおこの本は東欧史関係の本ということで、西欧史の先生 URL 下記があげ られた1冊。 http://www82.tcup.com/8228/kenkyusitu.html 共同研究者から朝1番のemail。 Good news? 何とか論文に纏められるかも? 基本的には昔の仕事(DNA関係)ですが、出してナンボの世界、贅沢は言いません。
のサンラザールの続編をすすめています。 写真をスキャンしたり、文章を練っています。 集中しているとBBSにあれこれコメントできなくてすいません。 自閉症というのは言葉から想像される症状と実際の症状は 大きくことなるそうです。心理カウンセラーについては 私はうけたことないです。知人にはカウンセラーがいますが。。。 今週末から来週に生物物理の光生物のサテライト(名大)と国際会議(京都)で、 準備におわれています。 光合成の研究しているので昨今の京都議定書には興味がでてきてました。 私のばあい、産業とリンクさせないといけないのでラン藻でねただせないか なあ。 このぶんでサンラザールまとまるかなあ。。。。
イタリアの港にでたら、一気に東地中海を越え、コンスタンチノープルを横目に みながら黒海にでて、ドナウ河を遡り、気がついたら、かって阿部謹也先生の 『ハーメルンの笛ふき男』に連れられていった子供達の、その後の消息を大陸の 反対側から聞いたような気がしています。 でも、ペースが早く息切れぎみ(冷汗) 戦後、ドイツに留学された阿部先生が、ロマネスク期の『東方植民』を研究テー マに選ばれたのも、成る程ね、と感じた次第。 何処かで阿部先生自身が述べら れていましたが、歴史に対する問題意識そのものも、現代に生きる我々自身の 立場を抜きにしては考えられないということなわけですね。 「ガラスの動物園」のローラ は知りませんが、どんなんでしょう? ちょっと気になります。 彼女は自閉症 の女の子? 自分の分析ではそうでもないと思うけど? でも、自分で自分を 分析するのはとても難しいこと。 心理カウンセラーは実務に携わる前に自分自 身の教育分析?を最初にやってもらう、というのを思い出しました。実物をご存 じのiidaさんのご意見は如何なものかしら? と、話題を振る。(笑) 今、酔鬼さまご紹介のHPで流されている音楽聞きながら書いてます。 さて、今から9月のイベントに向け、ラテンダンスの合同練習に行ってきます。
思うに Hiroshi さんの印象は「ガラスの動物園」のローラですね。 歴史地図、1902年のチベット三大都市の地図がありました。 ちょっとローラとは違う感じの人(合ったことはありませんが)のHP。
先日から東欧についての本を立て続けに読んでいるのですが、地理をちゃんと勉強 していないもんだから、イメージが湧いてきません。 特に、大河や山脈といった 地政的に重要なもの位置が判らないと東欧史の理解も不完全。そんな時このサイト は便利♪ 昔は図書館に足を運んで歴史地図をコピーしてましたが、いい時代になりましたね!
NHKの朝のニュースや全国紙でも報道されましたが、某大学で明治時代からの膨大 なカルテが発見されたとのこと。 医学史の研究に貴重な資料になるとのこと。 発見された建物、旧感染病棟は、隣の建物です。 私の車はその前に何時も止って います。以前から貴重な資料が保存されている、と聞いてはいましたが、長いこと 鳩の巣になっていました(汗)。もっとも数年前に窓枠部分が改築されて鳩は追い 払われてしまいました。 別になんてことはないのですが、ご紹介まで(汗) 我々のいる古い建物も、開かずの間とか、知られずの階とか、色々あるみたい。 これも取り壊される時には、何か発見あるかもね!? ワク♪、ワク♪ もっとも、放射能物質とか出たらシャレになりませんけど。 (>_<) 旧内科病棟だったから、ありえない話しでもないかも?? (大汗)
『新しいヨーロッパ像の試み』p154 図83に『Hiroshi のロマネスク古寺巡礼』の中、 画像23についての説明が載ってました。それによると、ロアール川流域で15世紀頃 に造られたものとのこと。 近世と言ってもよさそうで、私の以下の推察は大体当たっ ていたみたいですね〜♪ 『・・それから宮廷生活を描いたと思われるタピスリーが美しい。ここでも人物像 上部にはお約束の名前が記されている。しかし描かれた人物にはやや個性が認めら れる(画像25)。ルネッサンスへの移行期に描かれたののではないかと思う。 それから次に、葡萄の栽培とワインの醸造といった庶民の日常生活を描いたタピスリー にははっきりとした個性が感じられる。しかも描かれた人物には名前が記載されて ない(画像23)。 ここに中世における意識のターニングポイントを感じるという のは言い過ぎであろうか?』 → http://home.fwi.ne.jp/~arts/hiroshi/03_crunny_01.html <学問・研究に対する政府の基本方針> 平成14年度の予算配分の方針が以下のサイトに出てます。(pdf形式です) これによると、ライフサイエンス、情報通信、環境、ナノテクノロジー4分野への 優先的な配分を表明しています。 このような文章を読む時のポイント1つ: 数字が出ているかどうか? テキストは誤魔化し易いですが、数字ははっきりして ますし、後で評価(批判)の対象になりますからね。 (汗) この世界に身を置くものとしては『自分がしたいこと』と『世の中が求めていること』 とをうまく調整して行くことは、ある意味で重要。 この中で、今後5年間に<競争的 研究>に配分する研究資金は<倍増>することが明言されてます。 ということは、 多分、そのようになるということでしょう。 あと、合理化・削減に関しては最後に、 文章も短く、具体性に欠けます。 、、、従って、実行は難しいということですね!
なお、この本の原本が書かれたのは1970年、「ベルリンの壁」が壊されるはるか 以前のことです。 歴史に関する本を読む場合は、其れが書かれた背景を知っておく ことが、かなり重要だとはこの頃よく感じること。歴史教科書問題はその典型ですね。
難解な本の後は、気楽に読める読書もいい、ということで借りたのが『新しい ヨーロッパ像の試み』:中世における東欧と西欧、刀水書房ISBN4-88708-003-4 、、、と、いうことでしたが、かなり興味深い1冊。 今までロマネスク時代 の東欧というのは精々、異教徒に関してくらいしか意識の中になかったので、 この時代、東欧でも続々と新興国家が建設されていたとは知りませんでした。 この本は東西の歴史家、イギリス人、ポーランド人、チェコ人それに2人の ドイツ人の手によるもの。それぞれの著者の歴史観は微妙に違うし、またそれは それぞれのよって立つ立場の違いも示しているようですが、いずれもこれまで 軽視されていた、ロマネスク時代の東欧というものを見直そうという立場は共通。 今日のEUを巡る私の理解も少し修正を迫られるかもしれないとの予感があります。 その中でちょっと面白いと思った1節。 『南ルート(地中海貿易)による東西貿易が東欧や西欧の経済にとってあまり意味が なかったことは、それほど認識されていない』p140 『金銀を別にすれば、人間の生活 に不可欠な商品はほとんど扱われていなかったからである・・・中世の民衆が大量に 必要とし、中世の経済全体が必要としていたものを供給していなかった・・・』p142 これまで、べネチアとか、地中海を舞台にした多くの歴史物語に楽しまされてきた 我が身としては結構新鮮な一撃! この章の著者のイギリス人、マイケル・ポスタン は、この中で「北ルート」の重要性を強調する。 此れからが楽しみです! 昨日始めてのスタジオでの練習、まだ振りも覚えてないのにフォーメイションとか 無理でした、、(涙)
という記事が、あのアサヒのサイトに載ってました。 以下 URL ↓ >当然持っていなくてはならない(英語の)能力を持っていないのだから・・・とか、 >このような人はそういったことを自分の努力が足らないと思わない・・・とか、 >このような人の試験を受けて落第点をつけられる学生はかわいそう・・・ とか、 かなり過激です (^^;; しかし、 >「国際化」とは英語をしゃべれる人を増やすのではなく、主張をもった人間や >組織を育て、そして議論をするためのコミュニケーションの方法を磨いていくこと とする主張にはまさに同感です。
『・・・これに関し聖アウグスティヌスは、キプリアヌスの助言を 採用しながら、ある箇所でこういっている。「真理を軽蔑して慣 習に従うものは、真理が啓示された兄弟達にたいして嫉妬と悪意を 抱くのであるか、あるいは教会がその息吹きのものとに建つ神に 対して忘恩であるかである。また言う、「福音書の中で主は、我は 真理なり(ヨハネ14-6)と仰られた。我は慣習なりとは仰られ なかった。故に、真理が明白にされた以上は、慣習は真理に譲らね ばならない。 ・・・ 「集会書」は次のような戒めを記している。「汝の魂のために真理を いうことを恥づるなかれ」 ・・・』 このセクションでは討議で真理が全うされるべきことを 上記の記述を引用しながらのべています。 科学的真理はそれとして人間関係の中では鋭い真理よりも慣習の ほうが居心地がいいこともあります。 結論は 『何人も評議に際しては多数者の側ではなく、正当者の側に従わねばならぬ。』
予想通りというか、オリンピックの北京開催が決定しましたね。 これが中国の 国際社会への本格的参加のきっかけとなってくれればいいのですが、、、歴史は 二つとおりの答えを示しているようです。 ベルリン大会の例もありますからね。 教科書問題は最悪のコースを辿りつつあるよう。 共に国家主義のぶつかり合に ならないことを期待していたのですが、、、国家が歴史教育を統制する以上何時 かは直面することだとは思っていました。 私は全ての検閲に反対する立場です。 今日、福岡は快晴です。 もう梅雨明けかな? 明日早朝は「追い山」です♪ 山笠は ---- どんたくとは違い (^^;;; --- 福岡が誇れる祭です。 『山笠があるけん、博多たい!』
下記 URL http://ko-na.com/non_bbs/non_hyouji.cgi?kee=3333
についてマリア様にお伺いいたしました。 以前、私の宿題になっていた件です。 詳細は下記の URL↓ に出ていますのでそちらを参照して下さい。 フランスや ドイツの聖堂との比較ではありませんが、参考になると思いました。重複しますが、 この掲示板はバックログとして保存されますので(汗) 要点だけコピーしました。 >マリア様、いいですよね!! 『・・・ギリシャの影響が濃厚です.ギリシャ建築とローマ建築の大きな違いは, アゴラの神殿に見る,垂直のコロンナ(柱)に三角の屋根をのせるのか,アーチ を多用してヴォールトにするのかですが,ローマのヴォールト型が,疑似ローマ のロマネスクであり,イタリアはギリシャ型なのです.その上,イタリアには エトルスキの影響も場所によっては色濃く,エトルスキはローマに建築技術を伝 えた民族ですが,木造建築でした.こうしてヴォールトは石でないと作れませんが, イタリア式は木の方が作りやすいと言うわけです.・・・』 『完全言語の探求』 は完全言語を巡っての、歴史的な様々なエピソードを辿った後「国際的補助言語」 の章に至りました。その中で著者は、英語がそうであるように、マス・メディア によって普遍的媒介言語が出現する可能性を述べる一方で、言語の断片化も ---- 『押しとどめることのできない過程』---- として描いています。p472 彼の解説は、右に、左に、揺れている?ように私には感じられます。それは、もしか すると彼自身の<葛藤>なのかもしれません? しかし最後には、『アダムへの贈 り物としての祖語が、あらゆる言語の複合体であった』p496 というアラブのイブン・ ハズムの言葉を接いで、救いを見い出しているように私には思えます。 ともあれ、 『文化系の研究者が何故、日本語で(のみ)論文を書くのか?』という問いに発して (答えはもちろん出してはくれませんが)タイムリーな本でした。 これで納得した、 意見が変わったというのではありません。 しかし、ちょっとばかり深く考えられる 様になったかな? て程度ですが。 (^^;;; それにしても、ちょっとばかり、、、 いや、かなり難解な本でした。 <ひと事ではない> 『ポラロイドが会社更正法の申請を検討している』との記事が11日付けのウォール ストリート・ジャーナルにでていましたが、今朝の朝刊では、ポラロイド自身が、 『身売り』を検討しているとの、公式見解を明らかにしていました。 70年代には 2万人の従業員を抱え、インスタントカメラ技術に関しては独占的な企業でしたが デジタルカメラの波に飲み込まれてしまったとのこと。 、、、それにしても、デジタル化の波はずいぶん前から見えていただろうに? 時代に取り残されてもそこでの延命を計るか? あるいは、新たな分野に、危険承知 でもルビコン川を渡るか? 私としても、ひとごとではありません。 あ〜 長々と書き込んでしまった。 Back to work, back to work
今朝の朝日朝刊に、シャーリーン・マクレーンの著書『カミーノ』の宣伝が出てました。 彼女は一時期、所謂<ニュー・エイジ>の元祖みたいに宣伝されていた人ですが、彼女が 「迫りくる親友との別れ、老いへの怯え、・・・60歳を過ぎ、運命の糸に導かれる ままに、再び果敢な魂は自己探求の旅に出た・・・」 だそうです。 そして彼女は選んだのが、なんと! 『サンチアゴ・デ・コンポステーラ』への800キロの旅だったとは!!
スペイン史の先生から、かねてから気にかかっていたアベロエスの焚書を扱った映画 に関する情報を頂きました。 しかし、残念ながらビデオは出てないみたいです。(涙) http://202.254.24.70/yabuki/andarsia.html
>「日本的霊性」をアメリカでいうのは好い、しかしそれが中国製であることを >アメリカ人は知っているのか。 中国禅と、チベット密教は似て非です。 私は「日本的霊性」が中国製であるとは思っていません。 また中国禅と、チベット 密教がかなり異なったものであるとしても、特に驚きません。中村 元 先生の本に、 題名がちょっとうろ覚えなのですが『○○人の思惟方法』というのがあります。 ○○の部分にインド、チベット、中国、日本が入るわけです。 もともと<同じ>シャカの思想である仏教が、それぞれの文化にどの様に受容されて いったかを調べることで、その基層文化構造を探るというものだったと思います。 この仕事に注目したのは、その解析の「発想」にスゴイ!と思ったことが主な理由 ですが、それとは別にこのことの意味することは 『同じ思想的源泉から出ても各々の基層文化によってその進化が異なり、一見似て 非なるものが生まれることは十分にある』 ということです。 むしろ、それが当然のことだ。 というのが私の理解です。 「アベラールとエロイーズ」の日々は続きますね >Iidaさん
茶ぱつ・ガングロさん達と洋行帰りのちがいですか。似非インテリの見分け方が 難しい。中国帰りの道元さんは「透脱」で「トウトツ」とルビを振らなければ いけない。このあたりが虚になりかねない。やたらカタカナを振り回す外務大臣 がどこかにいますね。どうして茶ぱつにしないのか不思議です。 長嶋茂雄さんは洋行をしていないのに、ちょっと、サムシング、ストレンジ。 1000円札のおっさんは、きれいな日本語で小説を書いています。ヒゲをはやして いるのがイチローさんに似ているけど。今日・オールスター。 「日本的霊性」をアメリカでいうのは好い、しかしそれが中国製であることを アメリカ人は知っているのか。中国禅と、チベット密教は似て非です。 ハッタリと区別がつかない。ひらがなの仏教を僕が友人に求める所以です。
に固有なものを(西洋人の書いた)英語とかフランス語で読むというのは面白いです。 我々があたりまえと思って無反省にわかったつもりでいることを、 西洋的文脈で、あるいは論理でとらえなおすと、「実はこういうことなのか?!」とか、 「実はこういうことでしかないのか?!」とあらためて認識させられるららです。
「禅」について読んだ、数少ない本の1つでもっとも理解し易かった本。 しかも 英語で書いてあるというのが逆説的。 、、、しかしこれは案外リーズナブルかも? もともとこの本は、バックグラウンドが全くないアメリカ人に、如何に「禅」をいう ものの真髄を理解して貰うかに腐心した本で、60年代にカルフォルニアに禅寺を建 てた故・鈴木老師の手によるもの。 道元の「正法眼蔵」は現代人にとって古典過ぎて 理解するのはト・テ・モ・大変。 我々もその意味ではアメリカンとそう違わないから。 ヨセミテの滝を流れ落ちる1滴の水滴を、人生に例えた1章は、私の生死観にも少な からず影響を与えましたからね。 アリエスや、修道院と禅寺の比較の話しと絡んで、 思いだしましたので、ちょっと唐突ですが書き込んでみました。 「現成公案」と「キリスト教神学」を同時に紹介するページもありました。 URL↓ 実はどちらも私は訪問したことがあります。 でも、私は非宗教的な人間です (^^;;; Back to work, back to work - - - -
私が云っているものもIidaさんと同じCCDタイプのもので、透き通った用紙も、 厚手の本も直接投影できる兼用タイプです。しかも紙面を上にして出来ますので、 ペンで指しながら説明出来ます。 3年前職場で購入しました。 性能は今では良くなっているとは思いますが、 かなり高価で個人的にはあまり薦められません。 値引き後でも何と78万円も しました!! 機種はT●SH●BA製 TLP651です ←ミエミエ?(笑)
そのままということでしたら、 それはCCDタイプのものではないですか? ビデオとスタンドと液晶プロジェクターを もちはこべば即席でできるとおもいますが、 会議室では結構はいっているところもあるはずです。 液晶プロジェクターというのはパソコンからビデオケーブルで出力し スクリーンに投影するものです。 そのためパソコンのモニタを壁一杯にひろげることができ便利です。 パソコンにデータをとりこんでバックアップしておけば災害時に復旧が 多少は容易です(笑)
宜しくお願いします。イイダ様。 ときどき色々教えていただきに来ます。 OHPには違いないのですが、従来のは透き通った用紙をのせる物でしたが、 印刷物(本など)を直接投影できる物があって、あの名前が知りたかったのです。 大学にあって自分の研究発表では使ったのですが、、、。 でもきっとデジタルと仰ってる物と同じでしょうね? それとmacから離れられず困っている私ですが、 ノートではとても小さくて説明できないのです。 ビザンチン絵画については、初期キリスト教美術でかなり詳しく説明しますが、 その時に、せいぜい17インチの画面では、あまりに印象が違います。 去年、両親が私の代わりにビザンチンの旅をしてきまして、 頼んでおいた資料を買ってきてくれました。 古本屋でも驚かれたそうです。 滅多に買う人が居ないその表紙は、とっくに日焼けして すっかり色が変わっています。 投影機に関しては、チャーリーさんに教えていただいたサイトで 探すなりしてみます。 皆様有り難うございました。 しかし、ヒロシさんは私のやっている、 マイナーなロマネスクの中で、さらにマイナーなイタリア・ロマネスクに 興味を持っていらっしゃることも手伝って、こっちも影響されて 水泳だけでなく、エアロもやって見よーかなと考えている今日この頃でした。 (医学の話は、いつも参考にしていますが) サルーテ!
今夜の世界遺産観ました? 復活祭の夜、山頂に照明を受け浮かび上がる要塞都市 のなんと幻想的なことか! それにしてもあんなギリシャの田舎町の裏山にコンス タンチノープルと肩を並べるビザンチン美術の宝庫が眠っているとは全然知りませ んでした。 フレスコ画で埋め尽くされるこの要塞都市は13世紀フランク王国が建設し、その後 ビザンチン帝国が支配。 15世紀まで栄えたとのこと。 眼下に現在のミストラの 寒村を眺めるパンダナッサ修道院にもフレスコ画の山、また山。この修道院は復活祭 明けの1日だけ俗人に解放されるとのこと。 ここに「ラザロの復活」のフレスコ画 がありましたよ。 とても、とてもビザンチンでした。 それに当時の風俗を知る上 でも貴重な資料という感じ。 その他にも、バシリカ式とギリシャ十字式の混在するアフェンディコ聖堂。 メトロポリス聖堂にもフレスコ画の山また山。 その他、山を切りくずして建てた ペリブレット聖堂にもフレスコ画の山、とりわけ「飼い葉桶の中のキリスト」の 大人びた視線はさすがビザンチン美術。 やがてこの町も、15世紀オスマントルコによりコンスタンチノープルに続いて陥落 し、その繁栄も終わったとのこと。 30分の番組でしたが一気に観てしまいました。 今夜の世界遺産は格別見がいがあったと感じたのは、私自身がこのところ、すこしづつ ビザンチンに興味が移っていったせいか? イタリアに出てみたら地中海がバ〜〜と 広がっていて一気にビザンチンまで来てしまったような感じ。
みなさん書き込みありがとうございます。 Mariaさんはじめまして。ブオンジョルノ。コメスターイ? イタリアロマネスクとは心強いです。 ホームページのほうからリンクさせていただきます。 投影機は私はもっぱらOHP派ですので、あまりしりません。 職場のパソコンプロジェクターは大型のもので 小型のものの性能はよくしりません。しかし大型の物でも ここ1年くらいでかなり性能向上していますからいずれ 小型ものもうまく行くようになるでしょう。 今日は東京(つくば)から帰ってきて新幹線ではアベラールとエロイーズを 読んでました。面白いところがあるのでまたそのうち紹介します。 今日は今から夕食の買い出しに(笑)
最近、ダンス仲間の1人から、内々にメールで、家族に最近ボケが進んできて、 病院に連れて行ったらアルツハイマーと診断されたらしいとのことで、いろいろ 質問を受けました。 しかし「私にはわからない」ということで、役に立てなか ったのですが、後で考えてみると、あの診断は病理診断のはずだから、遺伝性で ない限り、患者が亡くなる前に病名が出るというのはどういうことだろうと気に なりました。 あまり気になったので、周囲の複数の医師にも聞いてみたのですが、よく要領が 得ません。しかしどうやら、今テレビかなんかでアルツハイマーに関する番組(?) があって、医師も素人に判りやすい病名を出したのではないかということになりました。 、、、しかしそれが事実だとすると、ちょっと問題ではないか? それで、思いは 色々最近話題になる、遺伝子診断にその後移っていったのです。 治療法が確立していない病気、例えばこのアルツハイマーなどを遺伝子診断する のは、『やるべきではない』と私は思っています。 だって、患者や家族にとって は「死の宣告」に近いことをしているのではないでしょうか? しかし、時代は どんどん進んでいて、一方『知る権利』の問題もあり、こんな疑問は十分吟味され ないまま、技術と知識だけが先に進んでいるのではないか? 『ホントに遺伝子診断なぞして人は幸福になるのだろうか?』、たまたまアリエス の本が話題になったこともあり『いま、我々自身の生死観が揺れているのではないか』 『第二、第三のアリエスが必要だな』とか、そんなことを考えてました。 しかし、それにしてもレーガン前大統領は自らの運命に対し立派だったよな〜 ちなみに、アルツハイマーの場合、去年のNatureかScienceの総説では家族性は40%で、 非家族性(弧発性)は60%と書いてありましたが、最新の科研費の報告書では 大部分は弧発性ということになっています。 今日は明日の報告会の為の原稿つくりで、久しぶり日曜勤務。(汗) でも今からエアロに行ってきます♪
オーバーヘッドプロジェクター(OHP)のことだと思いますが? 化学系ではよく使いますよね? >Iidaさん Iidaさんから詳しいコメントあるかもしれませんが、私の知る範囲で書き込みます。 『従来型』のものと、『デジタル型』の両方が最近よく出回っているようです。 私が知っている『従来型』は一般に重くて、気楽に持ち運べるというものでは ありません。 一方『デジタル型』は小型で、持ち運びも比較的容易で、パソ コン経由の出力も可能ですが、画像の質に関しては、満足できるものに出会った ことはまだありません。 特に、文字や鮮明でない画像だと部屋をある程度暗く しないと役に立たないことが多く、周辺では<費用対効果>の面で大変不評です。 値段については来週中にも調べて連絡します。 それと『スライドに代わるいい方法』としてクラスの規模によりますが、10名 以下の会合の時は私はよくノートパソコンでプレゼンすることがあります。 小規模だと便利です。 ただし予め画像にして保存しておかなければなりません、 画像がweb上にあれば取り込むのは簡単ですが、本だとスキャナーが必要になりますね。 それからご存じでしょうが、 jpg形式で保存するにしてもかなりのメモリーを食う ことがありますが、私は最近スクリーンショット形式で保存してプレゼンに使う と便利だと感じました。 勿論pdf形式もありますが、あれもまたそのためのソフト の購入がまた必要になりますが、スクリーンショットだとMacなら標準装備ですから ね(確かMacユーザーでしたよね?) それから、『完全言語の探求』はまだ撃沈されずに続いています。 (笑) 5章に入って漸く『面白い』と思えるようになりました。 よい本の紹介有難 うございました。 『薔薇の名前』以外の彼の本では、ことごとく撃沈された口 ですので(曝) それから、話しは変わりますが、9月にラテンダンスの発表会に狩り出され、 先日からインストラクターにしごかれているところです。今は週2程度ですが いずれ特訓が始まるはずです。 腰の振り方はなんとか様になるようになりま したが、(笑) またフリを覚えるのに精一杯で「相手の動きに注意しなさい」 とか「相手の顔を見なさい」とかインストラクターに注意されても、とても、 とても、いま、その余裕はありません、、、(^^;;;
解答有り難うございました。一寸残念ですが、あきらめがつきました。 イタリアに居たときはおもちゃみたいな奴とか、コンセント付きだけど低価格とかあったので、日本にもあるのではないかと探したかったのです。 角度を変えて質問です。 私はイタリア語や、イタリアを中心として西洋史や美術等について話すことが多いのですが、あのスライドに代わるいい方法はないでしょうか? それと非常に高価なのは知っていますが、名前を知りたいのは、 印刷物でも投影できる装置がありますが、あれは何というのですか? 大学や公会堂などでは、あれが使えると大変便利なのです。 と、ここからはHiroshiさんの論文論議から、思うこと、、。 Hiroshi氏の「文化系の人にはとても気を遣っていた」というの、よく解ります。 私も理数系の人と議論することが多く、全く同じように思います。 日本の学会はもっともっと学際的にならないとだめですよね。 理数系、文化系どころか、小さな学会別に分かれて自己防衛で小心になり、 コミュニケーションが極めて悪く、本当に真面目に考えてんのか? と思います。 フランスの考古学研究所のある発表の時には、いくつもの国や 全く異なった分野の研究者の協力の総合力を実感しましたし、 私が、こつこつ調べている、ロマネスクの木彫像にしても 極小さな辺境の地の物にも関わらず、 ドイツ人修復師、数カ国にわたる科学分野での調査と、 各国の文献研究者、歴史学者、美術史家などなどによっています。 様々な考えの人達を統合して、研究できるような環境が 日本にも欲しいと常々思います。 そういう理由で、私は理数系と文系の根本的な異なりを身にしみて感じますが、 協調してより良い研究結果を出すために、基本姿勢に対する論争は我慢します。 が、(うーん終われない) エーコ自身が「薔薇の名前」により明確に自身の矛盾を示したことは、 考える必要があると思います。 (「完全言語」は読み返しますが)あの本は、エーコ自身の極めて深い <言葉>への愛を、彼の<科学的指向>をもって語った物だと思っています。 ちゃお!
<言語ナショナリズム>の伝統は、それなりの歴史的意義があるわけですね。 『みずからの根源を発見しようとして東洋への観念の旅を千年も続けた後、 ヨーロッパは、その旅の終わりに、発見のためのではなく、やがてキブリングが 「白人の担っている重い使命」を語ることになる征服の為の、現実の旅を開始する のにうってつけの理由を見つけるのである。 あまりよく知らない兄弟たちを改宗 させるためには、もう、完全言語は必要ない、 彼等にはインド・ヨーロッパ語を 強制すれば十分なのだ。 私たちは共通の起源をもつではないかと言って、その 強制を正当化してである』。 p162 (←日本の朝鮮・台湾植民地化も同じ精神 構造ですね) さらに、下記のような文章に出会うと、人ごとではない思いです(汗) 『生化学者は、まったく別々の種のもとで類似した機能をはたしている分子成分を つきとめ、元になったと推定される原初の細胞の特徴をその分子成分から導き出す。 言語学者も同様のことをする。 言語学者は、文法、統辞法、語彙、音韻について の既知の諸言語間の対応を探求することによって、それらの直接の祖先をつぎつぎ に復元していき、ついには原初の言語を復元しようとするのだ。』 参考文献: Gamkrelidze, Thomas V., Ivanov, Vyacheslav V. Scientific American 263, 3, p110-16 (1990) ところで、これも7ページの論文ですね。 ----- 話しが変わりますが ----- 、、、私としては、やはりと言うか、重要な認識の再確認をしたような気がします。 これまで、私としてはかなり正直いって遠慮して文科系の方には発言したつもりです が(←これホントです) やはり、これまでの持説の正しさを確認した思いです。 教科書や総説、あるいは論文集ならいざ知らず『オリジナルな論文というのは、決し て大著であるはずがない』 ということです。 論文とは何か新しいことを発表する 場所です、通説を<解説する>場では決してありません。 此れまでの通説や、常識に反旗を翻すようなものであれば尚更のこと、対象を限定して 詳細に検討・解析した結果を論文にするとなると、それはもう大著であるはずがない。 1字1句が、『権威』あるいは『常識』との戦いであるはずで、その論文は簡潔で あるに違いなく、そしてそれは理系、文系を問わず共通のはず、というのが、最終的 な私の結論です。 、、、もちろん、納得出来ない方も居るでしょうが。
『人文系では何故論文を日本語でしか書かないのか?』 という問いと、 『西欧中世を知るには、イタリアは外せないな〜』という思いは独立に出てきた issueですが、思わぬところで結び付いて、いま何となく納得しているところです。 『完全言語の探求』の探求を読むうちに感じたのですが、歴史のある人文科学系は、 近代から引きずってきた『言語ナショナリズム』の伝統に結構<従順>だったと いうことではないでしょうか? ←厳しい批判が来そう(怖) それに比べ新参者の自然科学、とりわけまだ半世紀の歴史もない分子生物学は 一種の祖先還りのラテン的指向で『国際的でなければ科学ではない』みたいな、、、 ところで、思い込みというのは恐ろしいです! 昨夜西洋史の先生から指摘される まで、てっきりウンベルト・エコーだと思っていました。エーコなんですってね(恥) 皆さん間違いあったら遠慮せず指摘して下さいね。 m(_ _)m 今日は今から我々はプログレス・レポートです。 シク、シク、 (涙)
>日本では一つしか というのは CABIN の CS15 のことでしょうか? メーカーのホームページにも「国内唯一」と書かれていますし、最近はカタログとかを あまり見ていませんが、たぶん他にはないのでしょう。 ようするにスライドっていうのがすたれているんですね。 リヴァーサルは印刷原稿に使われたり、アマチュアではややマニアックな写真家しか使ってませんね。 欧米では日本よりはまだリヴァーサルを使う人がいるみたいですが、 これはきっと写真に対する考え方の違い、住居環境、生活文化などの違いなのだと思います。 ためしに Yahoo! のオークションで「スライドプロジェクター」を見てみたら何点かありました。 でも CS15 のほうが実用的のようですね。 仮に中古を買う場合はバルブ(電球)の替えが現在も入手可能かどうかを確認してください。 あまりお役に立てずゴメンナサイ。 ちなみにボクは CABIN のオートチェンジャー使ってますが、 本体といい、マガジンに詰めたスライドといい、持ち運びはカサをとるので不便です。
江戸写し絵の機械では、レンズを使っていないのでスライドには使えません。 投影機という言葉にのっかちゃいました。失礼しました。 Hiroshi さん 禅、道元についてはまるで判りません。中野孝次さんの「道元断章」は買っては みたものの、これもまた難しい。酔っ払いには無理な世界です。
江戸時代の幻灯機があります。これは面白い。後はガンドーでしょうか。 宮沢賢治の雪渡りを思い出します。
ようこそおいでくださいました♪ 私はカメラ類に関しては無知な方ですが、ここ にはとても詳しい方が居られますよ。 > Charlieさんとか見られているかしら? このロマネスク掲示板には、バックログをiidaさんが残しておられるので、データー ベースとして、私は勝手に使わせてもらってます (汗)。 それであのような、 判り辛い、ことになってしまったこと、まずおわびします。 これに関してはまた 改めてイタリアのページでに書き込みます。 URL ↓ 最下段 ところで、真理亜様から紹介された、エコーの『完全言語の探求』、途中投げ出し たくなる程、難解な部分もあったのですが(汗) 今、5章に入って非常に面白い 記載に出くわしました。先日の議論とも関連があり、ちょっと長いですが引用します。 ----------------------------------------------------------------------------------------------------------- エピクロスが示唆したように、このような経験への反応が種族や風土や場所に 応じて変わるものだとすれば、異なった種族が異なった時に異なったしかたで 異なった言語の家族を生んだと考えても、向こう見ずなことではなくなるだろう。 ここから、さまざまな言語にはそれぞれに固有の『精神』があるとする理論が生 まれて18世紀に『発展』をとげることになるのである。 p138 注)--- 『』は私の書き込み ・・・17世紀になると、こうしたタイプの言語ナショナリズムの選りすぐり の見本があまた登場してくるのだ。 p148 ----------------------------------------------------------------------------------------------------------- ここでエコーが解説しようとしたことは、ヘブライ語の聖なる「祖語」としての 権威の失墜であり、近代における言語の『単一起源 vs 多起源』議論だと思いますが、 私が注目したのは、むしろ、近代における自国語に対する民族主義的反応なわけ ですね。 こうした流れの1つとして、先日の西欧史の先生の URL → http://www82.tcup.com/8228/kenkyusitu.html 『「自国語で(論文を)記述する」ことに(こそ?)意味がある、という一種 の文化の革命を経て、今(というか近代)に至る』 という伝統が出来てきたのではないかと思ったわけです。
はじめまして。イタリアロマネスクをやっている真理亜です。 Hiroshi氏によって時々見ています。 私はイタリア語と併せて授業で美術などの写真を使うことが多いのですが、 リバーサルをポータブルの投影機でかしゃかしゃやりたいと思っています。 今のとこ、日本では一つしか目的に合う物が見つかってないのですが、 どなたか推薦していただけませんか? 出来るだけ安く、軽く(持ち運べる)物が良いのですが、、。 どうぞよろしく。
どうも、ご心配恐れ入ります。 m(_ _)m 近くの河川はかなり増水中で、後1時間程で大潮と重なります。 これからまた 集中豪雨の予想も出ているので、心配です。 >おつとめは大変そう 以前ベネディクト派の修道院と曹洞宗の禅寺での修行の比較をした番組を見たこと がありますが、ともによく似たスタイルでした。 ただ違いの1つが、図書室の 有無でした。 それと、禅寺では早朝課というのはあったようですが、深夜課と いうのは無かったように思います? 何方かコメントあればお願いします。 確かに、禅では睡眠不足の状態で得た<禅定>とか称するものは『魔境』とか云って 退けるので、そのことと関係あるかもしれません。 酔鬼さんとか、知っていそう? 日本の禅寺も、ロマネスクにやや遅れますが同時代と言ってもいいような時代背景、 色々比較してみるのも面白いと以前から思っているところです。 道元の「正法眼蔵」は一度パラパラとだけですが、読んだことがあります。 一度は ちゃんと読んでみたいと思うのですが、解説なしだと「アベラールとエアロイーズ」 より難しそうです(汗) でも「只菅打坐」というのは個人的には好きなスタイル。 ただし近くの河川はかなり増水中。 後1時間程で大潮と重 なるし、これからまた集中豪雨の予想も出ているので、心配です。
テレビ見てると九州の雨すごそうですが 大丈夫でしょうか?
というには書き写しているだけですが(汗) ------------- 我々は預言者の掟に従い深夜課のために夜半に起きねばならぬ。だから 弱い女性は、この深夜課に堪えられるように、早めに就寝すべきである。 その上、聖ベネディクトも定めたように、日中の諸日課は夜明けと共に 始まるからである。深夜課の後は、寝室に帰って朝の讃課の鐘が鳴るまで 其処にいてよい。夜が十分明け切らなければ、その間弱い女性は睡眠を とって差し支えない。特に睡眠は疲れた心身を回復して再び仕事に たえ得るようにしてくれ、さぱりした快活な気分に保ってくれるからである。 なお、聖ベネディクトの言葉に従って「詩編」あるいは他の読み物 についての黙想を希望するものは、眠っているものの妨げにならないように これをしなければならない。だからベネディクトもここでは朗読ではなし に黙想を勧めている。 --------- ということです。一度起きてまた寝てもねむったきがしないのですが(爆)、 おつとめは大変そうです。それから必ずしも朗読だけでなく黙読も 行われていたようですが例外のような書かれ方ですよね。 聖ベネディクトについても原典を参照する必要あるかな?
11年前アメリカのノースウエスタン大学でマックについて在米日本人の 研究者におしえてもらいました。 その後その研究者は企業勤務となりました。 5年前に話した時には「スーツでマック触るなんて、たまらない。 ジーンズがにあうのに」といってました。 マックってそういう文化ですよね。 Jobsはサブカルチャーだいすきというかヒッピーかぶれでしたよね。 同じく11年前その大学の計算室にいくとNeXTがありMathematica と シェークスピア全集を見ました。もうれつにかっこよかったです。 だから私もMacにNeXT Stepがのると聞いた時にはうれしかったですね。
Neuro2001も京都国際会議場ですよね。 私も7月終わりの生物物理はここにいきます。 でその建築いつもおもしろいなあ、とおもってみていました。 それで今書類用に住所を調べていたら建築家が印象をまとめていました。 こういうの読んで見るとまた違う印象で楽しみ。 ちなみに光合成の研究者は光合成を研究して太陽エネルギーを 集めます、と200年だましつづけているとか。 しかし光合成で植物育ってますからね。 電気エネルギーに変えましょうというより、 バイオマスのほうがはるかにメジャーなんですよね。http://www.mediawars.ne.jp/~m921320/a_map/map_of_kyoto_22.htm
>自分のしていることで世界を変えたりよくしたりできるだろうか? う〜ん、 個人的には『そうありたい』と思って此れまでやってきたのですが、、、 現実問題としては、忸怩たる思いがあります。 先日もここに書き込みましたが、 癌研究一緒にやって、共著論文も出したこともある仲間の1人が最近癌で他界しました。 数日、何とも言えない気分になりましたね。 私の此れまでの研究は、癌についての知識に関しては、多少貢献出来たのではないかと 思いますが、現実の癌患者の役には、殆ど立ってないという思いで一杯になりましたね。 私が癌研究に興味をだんだん失ってきた理由の1つは、確実にそれですね。 やはり社会の役にたつ研究というのは私の場合、1つの大きなモーティブ・フォースですね。
今度、この学会に始めて参加する予定ですが、そんな話しもあるのかな? でも私が判るのは分子生物学的アプローチだけ。 とても、とても、全領域なんて カバー出来ません。 ところで、この学会「癌学会」と重なりますが癌研究からは足洗いましたから(汗) http://accessbrain.co.jp/cancer2001/
私が現代思想に興味をもったころは 量子論と超弦理論などのアナロジーで人間の意識について あれこれ書いた文章をみかけたこともあったように記憶します。 最近は量子コンピューターが話題だとか。 『人間や動物の意識の本質は、ニューロンの奥深く――つまりゾウリムシの 個体内部――の量子過程の中にある』 のだとか。なんでも麻酔と微小管の実験での主張だとか。 専門サイトへのリンクもあります。 私も膜タンパク質への麻酔の作用についてはいくつか論文書いているので ちょっと興味のあるところです。 こういう分野はそれこそ英語でやらないとね(笑)http://www.hotwired.co.jp/news/news/technology/story/20010704304.html
ビートルズに憧れ、アップル社を作った S.Jobs の視線は常にヨーロッパを 向いていたようです。OS X は NeXT の亡霊ともいえます。コードネームは ラプソディ。 G パンをはいたアメリカ人がシャンジェリジェを歩くのは彼の趣味ではない。 洒落たマンションにお住まいでしたら、Cube の中に小さい蛍光灯でも入れて 照明代わりに使ったら如何でしょうか。 僕の作ったコンピュータも既に産業廃棄物になりました。最初は旅館にある 小型の冷蔵庫の形をしていましたから、買ったお客さんも大変だったでしょう。最も殆どレンタルですから、レンタル会社が処分したことになります。 コンピュータは家具ではありませんから、台湾の会社で安く作ったブリキの箱に とにかく早い CPU を積んで次々に産業廃棄物の山を作っていく B. Gates の 戦略にはかないません。 Apple を支えているのは日本です。ちょっとした外形の過僅が日本人の美学に 添わなかったのを過小評価したのが、Cube の運命を縮めたかにも思えます。 ああ〜、去り行くものはつねに美しい。 既に生産調整をしていたでしょうから在庫処分というのはないのかな。 10 万円以下になったら、買いですよ、皆さん。
おひさしぶりです。 ボクも Mac マニアではなく、せいぜい Mac 好きでしょうか。 ボクの甥にも Mac 好きがいて、 PB G4 買ったってメールに書いたら、 2C plus 買ったって返事がきました。こういうのってマニアなんでしょうね。 前ではなく後に向いたマニアですけど。 OS X の正式版が出て、Cube を買おうか、PB G4 を買おうかなんて考えて、 結局外出時用にもノートがいいかと思い PB G4 を買いました。 でしばらくしたら Cube 500MHz も買おうと思っていたので、製造中止は残念です。 ただ、今まで使っていた iMac 333MHz でも結構 OS X をストレスなく使えてます。 通信環境は ISDN なんですが、OS X のアップデータなんかダウンロードしていると、 やっぱりそろそろ ADSL にすべきか、と考えてます。 通信ではなくパソコン自体の速度に関しては、どこまで速い必要があるのかな(?)とも思います。 仕事で決められた量をこなさなければならないなら速いことは重要です。 ただ自分でホームページ作ったり、その他の作業をする場合、 パソコンが速ければ速いほど自分を忙しくしてしまいそうな気がするのです。 ボクは一日が36時間でなければできないようなことを、あれもこれも しようとしてしまうような性格なので、今まで4時間かかっていたパソコンの作業が 2時間でできるようになったら、空いた2時間はゆとりにはならずに、 3時間なければできないことに新たに手を出してしまいそうです。
早ければ早い程たくさん作業ができるので完成度があがるとおもいます。 とくにプレゼン資料はそうおもいます。 web作製もweb作製ツールや画像ソフトは重いのでコンピュータが はやければはやいだけたくさんあるいは納得できるホームページ ができます。 コンピュータのスピードの関係ないものはテキストファイルだけの ものですね。論文とか(笑)。同じ雑誌でもインパクトファクター の高いレターでは編集中のスクロールも必要無いですし。 ディベート 反対の意見 私もときどきその手をつかいますが、誘導目的ということですよね。 うまく行かないこともあったりして(汗)、それで逆方向でいってしまったら 会議なんかでは目があてられなかったことも。。。。。 マニア 私の性格はマニアだとおもってましたがインタネットにふれていらい マニア性はあまりないと確信しました。私以上のアマチュアマニアが います。私にできるのは本業でまなんだ体系づけと文科系嗜好の世界に 理科系の明解なスタイルをいれること。しかしまあ、これらは哲学の 世界では思考法方が権力に利用されて以来さけられていることでしょうけども。 インタネットや仕事をしていてふと思います。 自分のしていることで世界を変えたりよくしたりできるだろうか? そのために何をしたらいいだろうか?
私は特に新しい機種とかにはそれほど興味ない方ですが、最近液晶モニター欲しく なりました。 あれは省スペースだし、画面も大きいですからね。 それに値段も むかしほど高価ではなくなったみたいですね。 尤もまだプライベート用のiBookの減価償却も済んでませんし、職場のパソは現役 落ちの機種と決まってますから、、、 暫くは8600ですね (涙) <ディベート> 時々私は自分の意見に自信がない時、わざと自分の意見とは逆のことを言うことが あります。 それで、複数の相手から反論を聞いてみて、もし、ちゃんとした反論 でないと判断した時は、少し自分の考えに納得するするようにしてます。 これはなかなか、お薦めです。 論文ゼミの時の私の常套手段です。 (^^;; 、、、おい、おい、研究室の連中、この掲示板見てないよね!? (汗)
cubeもったいないですよね! 私は現在G4 desktop 400と職場のG4ノートがあるので 欲しくても買えない状態なのです。 それで来年あたりG4デスクトップのリプレースするときはcubeにしようと おもっていたのですがこれではどうしようもありません。 cubeをかってG4 desktopを売ってしまう?のもいいかもしれません(笑) ただうわさではiMacがリプレースされるのがながれてますよね。 cubeとどう関係あるか楽しみなところではあります。 私はNewtonいまだに使ってるマックファンです(笑) Palmもシンクロを重視してほしいですねえ。
突然ですが、マックファンにブレーク情報 今日アップルの Cube が製造を中止すると発表されました。僕は自宅で Cube の 450MHz 版を 使っていますが、静かで非常に気に入っています。深夜使用していてもファンがないので 電源が入っているのに気がつかないくらいです。 かって会社では NeXT の Cube を使っていましたが S. Jobs の仕事はお金にならないようですね。 マーケットの価格動向を注目し、これが安くなるようであれば、絶対買いです!!!
『ヨーロッパの知的覚醒』のアルクインの章で、ベネディクト戒律が修道士に年間 1500時間の読書を規定したと書いてありました。 URL ↓ 11/12書き込み分 これだと1日平均4.1時間。 Iidaさんの計算では<一日5.4ページ>だそうですが、 多分楽勝ではないでしょうか? ところで、当時はすべて「音読」でしょうか? 静謐を旨とする修道院でも、聖書 だとおおぴらに声をあげられたでしょうから、、、(汗)でも4時間以上音読する のは結構きついですね。 アウグスティヌスの先生も黙読していたということですから、 当時は朗読と決まっていない分に関しては黙読もOKだったのかな?
以下第8章より(岩波文庫より) 聖堂での聖書朗読についてですが、なかなか厳しいことで、 聖堂内でカメラをぱちぱちやっていてはやはりいけないですね(汗) 「内陣にはその時の日課に必要な以外のどんな書も置かれない。 聖詩ははっきりとわかる声でとなえられねばならぬ。 詩編頌読あるいは聖歌は最も弱い声の持ち主もそれについて行ける ように加減されねばならぬ。聖堂では真正な書物、特に新旧約両聖 書、からとられた言葉をなくては読んだり歌ったりしてはならぬ。 両聖書を我々は適当な朗読分量に区分し、一年の間にその聖堂でそ の全部が読まれるようにすべきである。・・・・もし礼拝堂で何ら かの誤読をした場合には、ただちに心の中で、「主よ、この度も我 が等閑を許したまへ」と唱えながらすべての姉妹達の前に詫びるの である。」 一年で聖書を一通り朗読するということはなかなかハードですね。 日本聖書教会発行の聖書で計算すると一日5.4ページです。 これなら十分可能ですか。
『聖アウグスティヌスはヘブライ語を知らず、ギリシャ語もいささかおぼつ かない...聖アウグスティヌスの推奨する唯一の方策は、さまざまな翻訳 を比較して、最も信頼できる読み方を推測することである』 p38 『後期教父神学と中世とは、聖書を記述した言葉をすっかり忘れてしまって いた...西洋キリスト教社会がヘブライ語のことに気をとめるようになる のは、ルネッサンス以降である』 p53 成る程ね! 先日書き込んだように、聖ヒエロニムスが聖書をラテン語に翻訳 した、と書いてあっても、それがヘブライ語からだという記載が殆どないのは <歴史>があるのね! 変に納得した次第。 (^^;; イタリア語の先生の薦めで読みはじめました。 2章の『カバラの汎記号論』 のところでちょっと眠くなりましたが、取りあえず峠は越えました。(汗) 今日は珍しく休日仕事しました。と、いってもロボット任せで、最初と最後に 試薬とサンプルを準備、回収するだけ、後は読書とエアロビクスの1日でした (^^;; 肉離れもどうやら回復しつつありますが、まだハイインパクトはしてません。 ロボットは、さる倉敷あたりの繊維メーカー製です。 繊維業界は御承知の通り 技術移転がアジアの新興国に完全に移ってしまいましたね。 今このメーカーも 生き残りをかけて、新しい分野に技術を広めているのでしょうか? いずれにせよ、数年前まで半日がかりだったDNA抽出がとても楽になりました。 職場のものは48サンプルを一度にやってくれますが、機種によってはさらに大量 のサンプルも可能とのこと。 単純作業から解放されて、その分知的作業が出来れ ばいいのですが、、、 そうはなかなかいかぬものです(大汗)
、、、世の中進んでますね(涙) まだ今のところ私の方はモデムでの接続です。 つい最近まで9年ものMacを使っていた人間ですので大目にみて下さい。 (汗) <何故、自国語での学問が成立するのかについて> 実は、『キリスト単性説』についてwebで検索し、行き着いたサイトの1つで西欧史 の研究者からある貴重な意見を伺いました。 『成る程ね』と、納得出来る面もあっ たわけです。 URL ↓ それによると、 『ラテン語などをあやつることが「インテリの証明」だった時代があり、そこから 「自国語で記述する」ことに意味がある、という一種の『文化の革命』を経て、 近代に至った』 という解説でした。 その後、このことについてずっ〜と、考えていたのですが、やはり「近代」という ことが気になりました。 この時期は民族主義や国家主義の時代でして、先日の 教科書問題に発した『歴史教育』ところでも問題にしましたが、歴史学が非常に 歪な格好で発達した時代だと思います。 それが自国語でする歴史学という流れ を作ってきて、さらに日本では戦後イデオロギーが絡み合い。現状のような状況 になったのではないかと思います。 今日「イデオロギーの時代」から「文化の衝突の時代」に世界は移りつつあると 思います。 その中で、果たして自国主義で済むのか? むしろ世界に向けて 発信する時代でなければならないという思いを強く持ちました。