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今回アップした部分は総論というか時代的背景なのでやや詰まらないかも? 次回の『ロマネスク教会の特徴』からは、建築技法などが解説されています。
は別人です。5つくらい下に書いてあります。 >ただし邦訳はなさそうです 女史の翻訳についてはクセジュの『テンプル騎士団』以外は知りません。 ---------- 疑問としてなのですが、 ◇ 文字があったから今のような世界になったのでは? ◇ そしてヒトが、今のような世界を作るような指向性を潜在的に持っていたからこそ 文字を発明し、使用するようになったのでは? ◇ だからこそ、自ら文字を発明しなかった多くの民族も他文化の文字を輸入してつかうようになっtたのでは? ◇ そして(口頭の)言語自体が上記の潜在性にかかわるこてではないか? ?????
今から読むんですがいよいよロマネスク関連です。
の53などを見ると、石柱を立ててから彫刻が掘られたことが判りますね。 この点 について以前疑問に思って、小倉さんにBBSで聞いたことがありますが、その時 わざわざこの手の未完成の彫刻の画像を送って貰いました(感謝)。 それにして も未完成のままに放置したのは何故でしょうね? 時間は十分あったはずなのに? 55の左側の悪魔などは一段と漫画的、これ見て本当に当時の人は恐れおののいたん でしょうか? まさか笑ってしまうことはないでしょうが、、、(汗)
連休中に大量に本を読み、いささか飽和状態になっていたので、暫く読書を中断して いましたが、読書ノートを読んでいて、にわかにまた読書欲が湧いてきました。 著者のレジーヌ・ベルヌー女史の本は読んだことがないと思ったので、調べてみたところ 「甥に語る中世」の作者でもあるようですね。 まず最初に「中世の光」を調べてみた ところ、これは彼女の処女作だそうで、何でもこれで彼女はフェミナ・ヴォカレスカ賞 なるものを受賞されたとのこと。 ただし邦訳はなさそうです(ですか?)>Charlieさん 『フランスのカテドラル』も彼女の本ですよね? 今回私は「産業の根源と未来; 中世ヨーロッパからの発信」という本を借りてきました。 原書で読めない私としては 邦訳があることに感謝、感謝。 この本は、共著者としてジャン・ギャンベルという方が名を連ねていますが、彼は 「カテドラルを建てた人々」の著者でもあります。 確かこの本は、建築業界の大手 鹿島出版が出している本ということで、妙に記憶に残っている本でした。 以前ここでも確か話題にしましたよね。 話は飛びますが、最近建築業界も大変そう。つい先日も建設大手の熊谷組の負債が全体で 一兆五百億円になっていると報じられていましたね。鹿島さんも無関係ではないでしょう。 この不況のご時世、あのような出版業務を今でも続けられてるのかしらと、他人事ながら心配。 野生の思考 我々にとって文字がない世界というのは想像も出来ないので、これがないと高度な知的創造 は難しいだろうと考え勝ちだと思いますが、ない社会でも別の手段で知的活動が可能なはずです。 でなければ(やや逆説的ですが)文字のない社会から、文字を創造するという極めて高度な 知的創造自体が不可能なわけですからね。
Charlieさんのメモはほんとに読みごたえがあります。 なるほど >実際に職人としての目で見た教会やその建設の作業についての記述 ですか!なるほどとおもいました。 電子手帳にダウンロードして読んでるんですよ。 私の方はヴェズレーの続き入れました。
ボクの知人で。本を読むときも、映画を見るときも、教養番組などのテレビを見るときも。 が、ボクの場合は普段は読書ノートをとる習慣はありません。 大学生のときは、文学関係のレポートや論文を書く場合、 今のようなパソコン時代ではなかったので、 作品自体や関連の研究書をを読みながら必要な箇所をカードに抜き書きし、 書名とページ数を記入したものを作り、 それらを自分の論旨に合わせて並べ替え、レポート等を書きました。 これは一種の読書メモかも知れません。 で、今回HPに掲載中の“読書ノート”についてです。 普通この手の書籍を読む場合ボクは、フニフニ、そうか、 と単純に内容を理解しながら読んでいくだけです。 今のところロマネスクに関して本を書こうという気もないのですが、 HPを開設したこともあって最近、かつて読んだ本やまだ読んでない関連の本を読んでいて、 コンテンツ作成のためにメモをとろうかと思いました。 そして「どうせなら」と考えて皆さんにも読んでいただけるような形にしたわけです。 Oimo さんお尋ねの 059 とか 065 という数字については、あれはページ数です。 前に書きましたが『中世の光』は最初からページを追って読んでいて、 しかも単純に 14 の章からなっているので順にA、B、C...としたのに対して、 『フランスのカテドラル』の方は拾い読みであることと、 小見出しで何ページずつかに区切られているので、その小見出しのページ数で表示したに過ぎません。
という本は後半で、パリやアミアンやランスなど10のゴシック大聖堂を 個別に論じていますが、中心はゴシックにあります。 そして iida さんの言われるように、 それに至る道程としてのプレロマネスクやロマネスクが説明されています。 著者は maitre verrier(最初の i の上にアクサンシルコンフレックス)というのですから ステンドグラス親方職人とでも言えばいいのでしょうか、のアンドレ・ルイ・ピエール という人で、文化省装飾芸術教育高等委員会(?)のメンバーだった人のようです。 ステンドグラスと言っても、我が国のカルチャーセンターでままごと的に やっているようなものとは違い、例えばシャルトルのステンドグラス修復、 なんてことにたずさわって来た人物でしょう。 いずれ『読書ノート』にアップする予定ですが、学問的研究者ではなく、 実際に職人としての目で見た教会やその建設の作業についての記述には 興味深いものがあります。
んですね。なんとなく絵文字のようなものが(たとえばマヤ人のように)あるような気がしていました。 文字を持たないということではたぶん日本の古代も同じでしょうし、 今日でもそういう部族がいるのではないかと思います。 ただ口頭の言語はあったわけですよね。そうでないとヒトではあっても人とは言えないでしょう。 ヒトは道具を作ってそれを使い、言語を持ったから人になった。 そして今日のような文明(?)を持つに至ったのでしょうが、 もし文字がなかったら今日のように発達(?)することはなかったと思います。 数学や自然科学など文字なしには考えられません。 でも地球上は、自然破壊などのことも含めて、もっと平穏だったのかも知れないという気もします...
は違うと思います。古色をなす一端は汚れにもあるとは思いますが。 新建材やプラスチックなどは新しいほどきれいで、古くなると見苦しくなります。 でも木製の道具などは使い込んで美しくなるということもある。 でもそれにも、好みの差はあっても、ピークというものがあるのではないでしょうか。 だとしたらそのピークがそのものの完成の時と考えることもできる。 だから古色にこだわり過ぎるのは(ボクにもおおいにありますが)、、 ノスタルジーを含んだ思い入れやロマンティシズムだという気がします。 また例えばアテネのパルテノン神殿なら、我々が生まれるはるか以前から廃墟と化しているのですから、 ああいう廃墟としての存在の上に各種の文学や思想が成立してきたわけです。 だから廃墟として「そこにあった、今もある」ということは無視できないと思います。 それで黒いパリが存在して、そこから思想や文化が成立してきたと書いたわけです。 でも考古学的にそのもの自体を考える場合には、 それを作った当時の人々どのようなものを作ろうとしたかが大切だと思うのです。 予定していなっかた古色を尊ぶのは後の時代の人々のものです。 伊勢神宮のいわれについてボクはよく知りませんが、 それ以前に造られた別の建物がきたなく朽ちるのを見ていたりで知っていて、 神に奉納するものとして、きたなくなる前に造り直すというようになったのかも知れません。 古色がノスタルジーだとしたら、過去のものとしてとらえるのではなく、 神に対する信仰が現在のものとして生きていれば、必然的に造り直すことになると思います。 ティルシット(s は濁るのが正しいのでしょうか?ティルジット)街の件については ボクも父も外務省関係ではありません。一応お答えしておきます。
対話形式でサイエンスで名高いのはガリレオのドキュメントがありましたよね。 あとはカトリックでは問答集(カテキズム)があってこれはFAQ形式のドキュメント これはサイエンス分野ではつかわれたのかどうかわかりません。 聖書でキリストと弟子の対話についてペテロの否認の預言の前に 「あなたはわたしを愛するか」とかいうのが3度あるけど あれは原文では愛が全部異なる言葉らしいのですが日本語は全部 同じことばにしているらしい。先日NHK市民大学で話していました(うろ覚えでスイマセン) だからその3度のといかけというのは意味が深まるようになっていって 彼が裏切る預言をして彼は泣くのですね。 これはほんとにイエスがこの後のドラマを読み切ってる感じで すごい迫力がある。
もイーサネットでLANにつながる時代(リコー 下記リンク参照)。 そりゃ画像がでかいんだからシリアルでパソコンでおくるってのは ばかばかしいし、フラッシュ経由というのもネットワーク時代に なんだかなあ、といったところか。 しかも文字入力もできるので柱頭写真を撮影しながら番号もいれていける。 モワサックの柱頭彫刻は明るいからこのデジカメもってけば ばっちりいけそう(笑) これでmp3とPDAもできたら旅行グッズとしてばっちり。 回廊をあるくのは気分がいいから動画でホームページに掲載するっていうのも よかったな。しまった! でも写真は光学系が命だから不安は残る。 PDAおたくの私としてはPDAのLAN対応がまだまだなのに デジカメにLANが搭載されてちょっとびっくり。そりゃテキストデータよりも データがでかいから当然なんでしょうし、画像処理のできるcpu積んでたら あとはなんでもこいって感じですよね。 USBでモニタにだせれば画像編集までできそう。でもそこまでやるか(笑)http://www25.nikkeibp.co.jp/wcs/leaf?CID=onair/mac/product/111319
昨晩からじっくり何度もよみましたが なかなか他の本にはかいてないことがあってとても よかったです。ロマネスクへの布石としての議論も 以外と私のみてきた本にも書いてありませんでした。 いままでカロリングとメロヴィングについてイメージ不足だったものが かなり補われました。とくに古代建築についての系譜がわかりやすくてよかったです。 ロマネスクゴシックを中心にすえてそれ以前についてのべてあるので 私の探していたような文献と言えます。 ニーチェですかい。 現在の体制を批判しながら年金生活をしようってかたにはお手本の 思想だと思います。あのドキュメントをこえられる毒をもつ 本はそうないでしょう。難解というより引用を消した過去への 反駁なり皮肉の本ですからね。
昨夜NHKで「ソフィーの世界」の作者と、女優の広末涼子さんの対談が ありました。何方かご覧になりました? 昔、この本を読んだとき、学部の1年の時にとった哲学の授業との違いを、 一番に感じましたね。 そしてこのような問いかけ(貴方は誰?)が 最初にあれば、殆ど授業に出た記憶のない(それでも不思議なことに単位 は取れた)講義も少しは聴く気になったかもしれないと思いました。 、、もっともこれは、私が年をとったからかも? なにしろあの時私は18歳。 番組の中で「自分をとりまく世界」を図にするという試みがありました。 広末さんの世界はかなり特殊なもの。総てのレベルで世間の目が彼女の周囲 に存在する、その世界観は女優特有か? それから彼女の世界観の中に「神」 というのが存在していたのは意外。 これは彼女特有か? それとも、今の 若い人にはかなり一般的に認められることなのか? 私には想像も出来ない。 試しに「自分をとりまく世界」を図にしてみました。 でもその中に他人の目 というものはない。私の場合のイメージは「流れ落ちる滝の中の1滴の水滴」 いうもの。かなり仏教的?で我ながら驚き。皆さんの場合はどうでしょうか? ちなみに、広末さんの興味のある哲学者はニーチェだそうです。 うーん、私の場合は、、、 誰ということもないけど、今でもやはり実存主義 ですかね。時代遅れと云われそうですが、クールな現代思想にはついていけません。 作者はこの本が世界中でこんなに売れるとは思わなかったらしい、そしてこの 本に沢山の読者がいることを知ったとき 「自分が決して孤独ではない」 ということを認識できたとのこと。 番組の最後に作者が、広末さんに「永遠の生命を求めるか?」という質問を出し、 これに条件を様々に変えて何度も彼女に問いかけたところが印象的でした。 様々に条件を変えて1つの問いを検討してみることは、真理を求める時に有効な 手段かもしれません。 答えが変わる場合であれ、変わらない場合であれ、本質に 迫る1つの方法になります。 また作者も述べていたように条件を変えて人に問い かけることは、「対話を繰り返す」ことでもあります。 対話こそ真理を追求する 有効な方法ということなのでしょう。
読書ノートというのは普段つける習慣がありませんが、それでも専門分野以外の 論文を読んだりしたときに、メモ程度のものをつけることがありますね。 特に後で使うというのではなく、いずれ破棄するのですが、、、考えるに、私の 場合メモをとるのは、何か物事を理解しようとする際に、自分の言葉で再構成し てみるという意味がありそうです。 Charlieさんの場合はどうなんでしょう? 、、、そう考えると、文字を持たなかったと言われるケルトの民は、どの様な 思考法を有していたのでしょうか? 興味のあるところ。
ココ2ヶ月ほど、土日にごろごろする機会がまったくないので、 今日は休暇にしてふせっているのです。 ところで、Charlieさんの読書ノートですが、 074.にロマネスクの建築という刺激的なタイトルがあって 楽しみです。で、どうでもよい話なんですが、059,069,074って、何の 番号なんでしょう? しかし、長い休みをとってゴロゴロするという習慣が無いので、 土日のゴロゴロが来客・出張でつぶれると本当に疲れがたまります。 こっち流だと、二週間ほどどっかの海辺でゴロゴロするのが 良いのでしょうが、長い休みを取ると旅行に行かないともったいない 気がしますし、旅行に行くと、却って疲れることしか出来ませんし..... ニッポンの労働習慣から逃れられませんなぁ〜(ほんとに逃れちゃうと それはそれで帰れなくなって困るのですが........)
またまた更新されています(9/5付け)。 フランス語原文読んでのひろいメモができるなんてう、うらやましすぎ。 前回の農民の暮らしも随分イメージを増やすのにやくだちました。 今回はカロリング期の芸術(メロヴィングはしらないまに更新?) プレロマネスクといっていいのかメロヴィング、カロリング ってのは私にはさっぱり区別できません。 要勉強ですね。 私の方は日記のページにフォントネーの写真を2点いれてみました。 下はCharlieさんのページへのリンクです。 そうそうSpooky♂さんのページは閉鎖されましたね。残念。
つい先ほど理学部の友人に会い、その時の立ち話。 終日今日は院試の試験監督だったとのこと。 今、彼の学科の競争率は1倍を 切っているらしい。 文字どおりの資格試験。 大学院重点化などで定員が増 えたのも一因でしょうか? 学部の入試では以前から問題になっているので知っていたけど、今は大学院に まで波及しているようですね。 医学部は昔からそうでしたが、これは医学部 特異的だと思っていたので予想外なこと。 競争がなければ、優秀な学生でも伸びないのではないかと思うのですが、、、
Iidaさんがベズレーのタンパン彫刻について以下のように以前説明されてますよね。 >使徒達にキリストが布教の使命を与えるシーンである。 文章は以下のURL↓から 確かフォション氏だったと思いますが、「タンパンにどの様な人物像が描かれているかで、 その教会を建設した人々がキリストをどの様に捉えていたかが判る」と述べられていたよう に記憶します。 例えばサン・セルナンとかのように天使だとか、あるいはここベズレーのように使徒達 だったら畏怖の存在としての<旧約的キリスト>で、 民衆が描かれはじめると<新約的な キリスト>という風に。 そのように考えるとベズレーで彫刻のテーマに旧約が主に使われ たのは説明できるかも?http://home.fwi.ne.jp/~arts/kazuhiro/romanesque/vezelay/vezelay_tymp.html
ベズレーの柱頭彫刻はほとんどが旧約聖書と成人伝。 ときどき新約のテーマがでてくるのだけど、例外なのか、 それとも解釈間違いではないのか?という気もしてくる。 当時彫刻テーマについてはどのように議論されたのか知りたいですがそういう 資料は残ってないんでしょうね。
はい、そうだと思います。文字どおり獣皮紙で出来ているらしく、 持ち上げるのも大変でした。 >鶴岡真弓さん・・装飾美術 はいそうです。 2回ほど講演で来られてました。 内容について以前書き込んだこともありますが、、、 ラテン系ダンスというのは、サルサです。 何方か踊ったことありますか?
私が見たのは「フールズ・オブ・フォーチューン」という映画のようです。 名前が出ている鶴岡真弓さんという方は、ケルトの装飾美術について本を書かれ てる方ですね。 あれを読んで、ダブリン行く!なんて思いました。行けなかったけど。 ケルズの書のファクシミリって実物大なんでしょうか。
そのようです。私は会員ではないので具体的なことは知らないのですが、URLは 以下の通りです。 大きな行事として以下のようなものがあるようですが、 その他についてはHPで確認してみては如何でしょうか。 (1)10月定例会として「小泉八雲とアイルランド」10/22(日)2PM-4PM 一般1500円 あいれふ講堂(福岡市中央区舞鶴2-6-1) (2)ケルト映画祭 11/26(日)スカラエスパシオ(中央区渡辺通り4-8-28) Tel095-712-8833 10時開演 3本上映 1500〜4000円 >ビデオも充実していたようですね 大使館から借用されたものらしいです。 このケルト会の催しものにはいつも大使館 の名前がありました。 >農民の生活がアップされています。 それはすごく楽しみ、後でゆっくり読んでみたい。今、中世農民の世界に凝ってますから。 ケルト会とエアロ系のコンパが重なっていたのですが、今回は勿論エアロ系欠席。 昨日スポーツクラブに行ったら、その後皆でラテン系ダンス・スタジオに行って、 すごく楽しかったとのこと。 、、、む、む、残念。
パリの建物の洗浄の話はそういうことがあったことは知ってたんですが、 具体的にいつ頃だったのかは知りませんでした。ウージェーヌ・アジェの 写真集の中にサン・シュルピス教会を横の通りから撮ったのが1枚あります。 確かに正面が黒い。かなり黒い。20世紀初頭の写真だし、白黒なので、あまり 壁の色の濃淡なんて気にしていませんでした。古い写真のパリがより古く見える のは壁面の黒さのせいもあるんでしょうね。 しかし私が思うに古色と汚れは別物ではないでしょうか。ベルギーに旅行した時、 ブリュージュとヘント(ガン)と両方行きましたが、どちらもフラマン地区の代表 的古都なのに、ブリュージュの明るさに比べて、ヘントは何となくさびれた感じが しました。たぶんブリュージュの方が建物の保存に手をかけているのだと思います。 古いがゆえに価値があるのと、古くてボロいのとの差は手間暇の差じゃないかな。 それに壁面の汚れのため、石材の色や質感が分からなくなってしまうのは惜しい ことです。石の色は同じ地方でさえ違いがありますから。 ところでCharlieさんってラッコなんですか。「ひとりごと」のアドレスがラッコ になってますね。そう思ってイラストを見ると、ちゃんと貝持ってラッコのポーズだ…。 ド・ゴールの時代のフランスに住んでたことがあるってだけで、私なんか 「すごい」と思ってしまいますが、ド・ゴール広場を囲むこのティルジット通りって モディアノの作品の中にも出てきてるので、地図で調べたことがありました。 日本大使館も遠くないこの場所、さては・・・ ついでに、ケルト会って、ケルト文化の研究会なんですか?>Hiroshiさん。 たぶん私は映画の上映会に行ったことがあると思うんですが、かなり昔なので 記憶あいまい。
そういうコミュニティ名古屋にはないのかな? うらやましいですね。 ビデオも充実していたようですね。 ケルト文化はあちこちの点をつなぎあわせて議論しなくては しょうがないのでなかなか難しいようですね。 NHKチェックしてませんでした。しまった! Charlieさんのページ更新されていて農民の生活が アップされています。 とりあえずのお知らせまで。
「未撮影」というのが、いいですね。 「乞うご期待」ということであるし、 「このページは現在なお進行中である」とのメッセージでもあるわけですね。 >砂漠に逃れた(親不孝ものである) >乱暴され妊娠した 当時ナイル河岸から歩いていけるところに砂漠は拡がっていたそうです。 だから砂漠の隠修士といってもかなり俗事には通じていたとか (汗) 昨夜の「ケルト会」 で一応、ビデオシリーズは終了しました。 途中に「ケルズの書」のファクシミリ なども手に取る機会があり満足。 全6巻のシリーズ(BBC制作)でしたが良く できた番組だと思います。 内容的には特に最後のビデオが勉強になりました。 18世紀以降の近代化により、組織的にケルトの言葉、例えばウェールズ語が禁止 され、それがケルト文化の消滅に拍車をかけたということ。 しかし現代、伝統 文化にたいする意識の高まりで、また復活の兆しも見えるとのこと。 しかも、 それを支えたのが、実は工業化や都市化により、かって辺境の地であったケルト の地に人が戻って来つつあることがきっかけであったとのことなど。 個人的な感想としては、一般にケルト文化といってもなかなか実感しにくい面が あるので、これを具体的にブルターニュの、あるいはウェールズの、アイルランド の、と言った形でより個別的に捉えた方がわかりやすいかな、というところでした。 今後もまた違った形での継続も検討中ということで、特にケルト美術関係に絞った テーマが候補に挙げられているとのこと、楽しみです。 昨晩のNHKの「厳島神社」見ました? あそこでも1年中専属の宮大工さん数名が補修をしているとのこと、特に海水に 洗われる柱は文字通り木片の差し替えで継ぎ接ぎだらけでしたね! 全然、気が つきませんでした。 確かに海水や水棲昆虫などによる木材の腐食劣化は深刻な 問題。 今度行くことがあったら回廊や神殿の床下を是非覗いてみなければ!! 多少抽象論になったきらいがありますが、 私が言いたかったことは「建物それ 自体に価値があるのではなく、それを大切だと思う人がいてこそ存在意義がある」 ということです。 「泥だらけの猫でも、洗い立ての猫でも愛猫であればこそ」
こんばんは。 アルルのサントロフィームに1995年に訪れたらすっかり補修がおわっていました。 彫刻についているハトの糞や煤どのように洗ったのかのビデオがあって、 なんとレーザーで焼いていました。 レーザーだからピンポイントでしか焼けません。 気の長くなる作業ですね。 もちろんこのころはホームページ作ってなかったですから 写真なんて記念撮影程度でした。 真っ白がいいのかよごれたのがいいのか。 音楽と違って建物は一つしかないのが悩みものですよね。 私は原典主義なのか、彫刻もできたら一番はじめに「完成」 とされたようにしてほしいです。というかそういうことする過程で いろいろわかることが多いと想像します。 建物はプラン変更やお金の問題でいつが「完成」になるかわかりませんが。 私の場合興味あるのはそれら様式なり思考方法なりがどのような 系譜をたどってきたのか、どのように考えてきたのか、を 具体的にしらべていきたいですね。だから図像学というのは 証拠不十分なところが多い気がするけど(笑) 結構性にあいます。 「時代を超えた精神」「時代の精神」というのは私の場合は テーマ的に大きすぎるように感じます(笑)。 もっとささやかでないと。 ベズレー柱頭彫刻アップロードしました。ようやくこれで半分こえました。 明日はせっせとフォントネーの写真の整理ですね。
先日書き込んだ神宮式年遷宮について調べてみました。URLは以下の通りです。↓ 10年かけて造営し、物理的耐久年度よりはるかに短い20年後にまた全てを作りなおす。 しかし我々は、誰もが伊勢神宮を”新しい”神宮だとは言わないし、思いもしない。 http://www.isejingu.or.jp/sikinen/sikinen2.htm この循環の中に”永遠性を実現する”という思想は、キリスト教的な直線的世界観とは 異質なものです。 千年を越えると云われる日本の木造建築も、実は何度も補修される 度に木片が差し替えられ、塗り替えられ、新たな命が注ぎ込まれたのではないでしょうか? Charlie さんの指摘された「時代の精神」の枠組みというのも、もちろん理解できますが、 またそれとは異なった次元で、それぞれの民族がもつ「時代を超えた精神」、あるいは 「集団的無意識」といったようなものも、その対極に存在するような気がします。
「西ヨーロッパ世界の形成」ISBN4-12-403410-5 は予想に反してユニークな内容。 1章からまでを佐藤彰一先生、7章から12章までを池上俊一先生が分担されてましたが、 文章の端々に「修道院と農民」や「ロマネスク世界論」をかいま見ることが出来ました。 特に最後の12章;増殖する「虚構の言葉」と「権威の言葉」の幕切れはかなり印象的。 ・・・崇高な愚かさとでもいおうか、自分の言葉の精密な雪だるまに驚きあきれて、 ますます思考は麻痺してしまう。p369 ・・・と辛辣に批判しつつも、 ・・・風土から離陸し。「モノ」から離れた「言葉」が、中世を終わらせ、近代をもたら したのである。p375 と最後を結んでおられました。
をきれいに洗い流せ!」と、敗戦後進駐軍のアメリカ人将校が言ったという話があります。 苔寺は苔があるからこそ苔寺なわけだけれど、これは必ずしも“汚れ”ではない。 パリのノートルダム寺院については、結果として、やはり白い方がよいとボクは感じます。 でもそもそも「古めかしい」ということが「美しい」とか「貴重だ」と感じるのも、 Hiroshiさんだけではなくボクもそういう面はありますが、これってもしかしたら素直でない、とも言えるかも知れないし、 近代的な発想なのかも知れません。あるいはロマンティシズムか? 子供とか、もともと古い教会や寺などに興味を持たない人は“きれい”なものを素直に喜びます。 ボクは『アテネの廃墟パルテノン神殿,』という文章の予告をしていますが、 なんでもあの神殿を修復するという話があるらしい。でもあれって廃虚だからこそアテネの遺跡であって、 あれがパリのマドレーヌ寺院のようになってしまったら...!!! これと関連して思うのはクラシック音楽の演奏法に関してです。音楽の場合楽譜は残っていても響きは残っていない。 この点でロマネスク教会やパルテノン神殿よりも複雑です。 たとえばバッハの場合、なるほど近代的な楽器を使うのではなくいわゆる古楽器を使うやり方はある。 でもテンポからして当時の演奏がどうであったか必ずしも定かではない。 それともうひとつは、バッハが死んでから約250年間、それぞれの時代に、それぞれの時代の楽器を使い、 それぞれの時代の思想や心性をもとに演奏されて来て、それが伝統として現代のバッハ演奏に反映されている。 このことも決して、単にバッハの時代と楽器や演奏法が違う、と言って退けてしまうわけにはいかないほどの価値を持っている。 つまりは原典忠実主義というのも含めて、結局はその時代の精神でしかものごとは捉えられないということなのでしょう。
>Charlie さん 投稿者:Hiroshi 投稿日:08月31日(木)20時18分45秒
丁寧な返事有り難うございました。 あれからあと、「赤信号と青信号」や「権利を守る ということ」なども読ませていただきました。色々心当たりのこともあり面白かったです。 それと、「黒いパリ、白いパリ」。 直接Charlie さんの文章とは関連ありませんが1つ 思い浮かべたことを書きます。 以前このBBSにも書き込んだことですが、ツールーズに行ったとき、まさにそのお化粧直し の現場を見る機会がありました。 辺り一面細かい埃が舞っていたということもありまし たけど、何となく「興醒め」と云った感覚で足早にその場を立ち去りました。 「なぜあのままではいけないのだろう?」という意識。 何故か判りませんが、私の美的 感覚の中に、ともかく古めかしいものをよしとする傾向があるようです。 でも考えてみると、 なにも「古めかしい」ということが「美しい」とか「貴重だ」とかいうものと直接結びつく 論理的根拠はないわけで、何故あの時そう感じたのか疑問に思っていました。 そういえば最近日本でも、5重の塔の修復の際、金ぴかの塗装をしたことが話題になりまし たよね。 その時、担当した宮大工の棟梁の方が「100年たてばまた元に戻ります」とか 云われたのを聞いて、「あ、成る程ね」と何となく納得した感じになりました。 その様な時間の流れのなかで考えれば、大したことではないかと。 、、、だとするとそのモノの価値とか云うものは一体なにで決められるのか? ところで伊勢神宮は20年ごとに新しく立て直されるそうです。 確かに伊勢神宮は特異な存在 かもしれません。 しかしあそこには、古きことをよしとするものとは異なった価値観が存在し ているようですね。
>是非思いきり表紙からリンクはって下さい! 投稿者:Charlie 投稿日:08月31日(木)17時29分26秒
>iidaさん、 OCN サイトの表紙(下記 URL)にリンク張りました。 ついでに『フランスのカテドラル/芸術・技術・社会』という本の読書ノートもアップしておきました。 ステンドグラス師のアンドレ・ルイ・ピエール という人の本です。 『中世の光』の場合とは違い、前からページを追って通読ということはしていません。拾い読みです。 >Hiroshiさん、 ぺルヌーについてはよく知らないのですが、この『中世の光』という本は1944か1946年に最初出たもののようです。 フィリップ・アリエスの生年は1915年頃でしたよね、また『子供..』は1960年頃ですよね? アリエスからの引用は今のところなさそうです。それと、 >それとも著者はそこから出発したのかな? という点については言えてるかも知れません。 その後のフランスの歴史や今日のフランスのありようのおおもとは中世12〜13世紀にあると言いたかったように思われます。 A02Cについては、後置の「またその多くの者は低い身分の出身である」の主語が原文では不明確だったので、 ボクのノートでも主語が司教か領主かどちらにもとれるようにしておいたものです。 http://www2.ocn.ne.jp/~charlie/
HTML 投稿者:Hiroshi 投稿日:08月31日(木)08時00分41秒
まだまだ、私らのところではHTMLでmeetingするようなレベルに達していません。 環境はOKなんですが、後は人の問題ですね。 実は昨日恩師の大学に行ってきたのですが、退官されてからも私大にラボを立ち挙げられ、 学術フロンティアとかいうビック・グラントで高価な最新機械がところ狭しと並び本当に 羨ましい限り。教室員の数よりG3、G4の数の方がはるかに多い勘定。 あるところには本当にあるもんですな! それはそうと、プレゼンで画像使う人は教授室のG4モニターを使ってました。 私も負けじとiBookでやるんですが、いかんせん、モニターが小さい。(涙) 、、、とすれば、私もHTMLで書いてWeb経由でということになりますよね! 小さな学会やmeetingなどでPowerPointを使う人も最近出てきましたが、まだ端末との 組み合わせとかの問題で、器具1式(!)運んでくる人もいるくらいですから。 (そこまでせんでもいいだろう、というのが一般の人の感想) 学会といえば、私の所属する3つの学会は今年から全てwebで応募出来るようなりました。 例えば日本癌学会(目下幽霊会員中)。 つい昨年からwebが可能になったばかりですが、 今度の会報によると今年は既になんと99.75%!がネット経由とのこと、驚く程の普及率。 これだとそのうちプレゼン自体もHTMLで書いてWeb経由で、という時代になるでしょうね。
目玉書き忘れ 投稿者:iida 投稿日:08月30日(水)23時29分42秒
あれ小さすぎて肉眼ではわかんないんですよ。 写真でみてきがついたこと彫刻関係では多いです。 写真でもキャビネまで拡大してようやく気がついたくらいです。 HTMLの衝撃は1994年夏、学生時代研究室にインタネットいれるために 先生にたのまれて大学内のインタネットの講習会にいって。 あの衝撃はやはりみなさんと同じでわすれられません。 1996年のJAVA アプレットでデューク君がくるくるまわるのも感動しました。 で、今はXMLとSGMLですよね。 PDFはただの配付テキストですしね。
貴石、ほか 投稿者:oimo 投稿日:08月30日(水)20時29分38秒
そうそう、あの写真の印象はHiroshiさんと多分おんなじで、 あんまり、目立たんですな、ってことです。現物を見ると また違うかも。 HTMLですが、97年に某Workshopに行った時に、最後の総括を 皆、HTMLで書いてブラウザで見せていたんですね。こりゃいい、 とおもいました。エディタそのまま見せるより見栄えは良いし、 PowerPointよりお手軽ですから。あと、写真のスライドショー ぐらいなら、端末を選ばないのも、ぜあぐーとのとれびあんです。
目玉の貴石 投稿者:iida 投稿日:08月30日(水)17時25分12秒
ウルトラマンのようなものもあったのかもしれないですよね。 コンクのサントフォアはあーですから(笑)いろいろあるんだと思います。 ただ御存じ彫刻は宗教戦争や革命であらされてますから、貴石もはずされてしまっている んだと思います。オータンは例外的に壁に塗りこめられてそういうところ助かったのでは ないでしょうか。でもオリジナルかどうかは、、、 また彩色がどうなってるか知りたいですよね。彩色がのこっていたら きっと写真の撮影もまた別の味わいがあったと思います。 写真で思い出したけど今年はデジカメが一眼レフに侵食していくようですね。 私の場合撮影後のコストパフォーマンスでは完全にデジカメに有利ですので 露出とか絞りとかきちんと制御できるカメラが楽しみです。 Oimoさん方式のwebオーサリングしておけば授業やセミナーでの インタネットをつかったプレゼンとかデモできますし、デジタルデータは 手軽でいいっす。オリジナルポジとかネガとか傷つけなくてすみますしね。
田中仁彦先生 投稿者:iida 投稿日:08月30日(水)17時10分56秒
はエミール・マールのロマネスクの図像学の翻訳者のトップネームにも 出てますね。ゼミでも読んだんでしょうか。 フォントネーの柱頭を一つ入れました。 (日記のページと同じものです) 花弁のようなデザインがうまく柱頭の形とあってます。 この柱の太さは天井が石のせいです。 写真はこの柱頭をくっきり写すべく開放です。 http://home.fwi.ne.jp/~arts/kazuhiro/romanesque/fontnay/02_cloister/20_capital.JPG
>キンキラの輝石 投稿者:Hiroshi 投稿日:08月29日(火)08時16分50秒
どうも私のモニターでははっきりしませんな〜 原寸大でどのくらいなんでしょう? 文字通り針の穴? やはり実物見てないと議論になかなかついていけない。
>Charlie さん 投稿者:Hiroshi 投稿日:08月29日(火)08時06分15秒
『中世の光』 全般的にローマとの比較での議論が多いようですが、今のラテン諸国との家族制度の違いを 念頭に入れると納得いく議論が多かったです。 それとも著者はそこから出発したのかな? またこのレジ−ヌ・ペルヌ−という人は歴史を通時的に切ってみせる作者と見ましたが、 著者はアリエスを引用していましたでしょうか? 何となく作風が似ているようなので、、
>yokonoVさん 投稿者:Hiroshi 投稿日:08月29日(火)07時33分37秒
田中仁彦先生といえば、もしかして「黒い聖母」(?)の著作がある先生ではないですか? 「西欧中世の罪の観念と彼岸」については、阿部勤也先生とかの本で、興味を持っている テーマですし、「ケルト人の他界思想」は今、まさに興味を持ちはじめたばかりのところです。 (今週末にもケルト会に行くことになってますしね) なんか心強いです! それにしても3ヶ 月もかけて地中海沿岸を廻られたとのこと本当に羨ましい。色々旅の思い出とかも聞きたいです。 >キンキラの輝石 なんか話に付いていってないけど、なんのことですか?
てっきり 投稿者:iida 投稿日:08月29日(火)01時02分59秒
お知り合いだったのかと・・・思ってました。 YokonoVさんと日埜さん。 そうか、日埜さんのところへはコンクの件ではじめておじゃま したんですよね。もちろん当サイトができる以前です。 学究的>いやほんと、驚くべきことです。 でも息抜きも楽しみましょうね。 コンクといえば僕の場合はノエル爺さんにつれてってもらったんだけど、 今はどうしてるんだろう・・・ バスといってもオーリャックからのライトバンで、 同乗者は他1名。後は郵便の輸送とかかな。 道は日本の山道みたいな感じで、ドライブに是非またいきたいなあ。 緑が目に焼き付いている。 コンクでは神父さんが握手してくれて日本の人も時々くるとか なんとかいってたみたい。 教会を見た後はノエル爺さんにつれられ教会を上から見て その後は、どこか隣村で1〜2時間まってたんですが、 警察に尋問されこわかったっす。 帰りに渓谷かなんかで車とめてくれてそれがもう すごくよい景色。なんで写真とっとかなかったんだろう。 オーリャックでノエル爺さんに写真おくるねというと 切手代といっておかねくれるし。これは山本君に押し付けたから きっと無事とどいたでしょう。 ノエル爺さんの巨大な名刺をもらいました。 オーリャックでは黒い茸のオムレツがおいしかったです。 どういう茸だったのかわからないですが・・・ あとは山のようなチーズ。勝手に好きなだけ食えっていわれても・・・ トイレは初のトルコ式で、やや戸惑いました・・・・。 このころはまだワインをいまほど飲みなれてなかったので、 もったいないことをしました。 ワインはやはり輸送しちゃダメですね。
呼んだ? 投稿者:日埜 投稿日:08月28日(月)23時30分02秒
いやいや、横野さんはじめまして。最近ここは学究的ですね。大変だぁ。
目の石、yokonoVさんの卒論 投稿者:oimo 投稿日:08月28日(月)23時24分54秒
ふむふむ、なるほど、そんなにキンキラの輝石というわけでは ないのですね。実は、ウルトラマンみたいなのを想像していた のですが、百聞は一見に如かずです。 卒論ですが、89年12月ですか、いやいや、まいったな..... しかし、論文のタイトルにキーワードが噴出してますね。 力強い方が来られて、何よりです。
'89年12月から書き上げた私の卒論 投稿者:yokonoV 投稿日:08月28日(月)22時07分29秒
yokonoV@大阪です。 >iidaさん >oimoさん >hiroshiさん 上智大学仏文学科教授 田中仁彦先生指導のもと、1989年12月 から書き上げた、いまから見ると「恥ずかしい」でも「懐かしい」 拙論文のタイトルは「ロマネスクの地獄図」ー中世民衆たちの他界と彼らの 伝説の中に見られる罪の観念と彼岸ーでした。 I. 序論 II. コンクのタンパンにおける地獄図 III. 古代人の想像の中の地獄図 IV. キリスト教父文学の中の他界への旅 V. ケルト人の他界思想 VI. 結論 ネタ不足ですので、少しずつご説明したいですね。 *この卒論を書き始める直前の8月−9月−10月の3ヶ月で フランス、スペイン、イタリアのロマネスク教会中心に 50ヶ所 程回れた旅行は サラリーマンの今、大事な思い出です。 *この年の欧州のワインはおいしいですね。’89年。「ニューシネマ パラダイズ」がカンヌで賞を獲った年です。「イランシー」というブルゴーニュ 赤ワイン(ピノ・ノワール)を教えてくれたのが、ブルゴーニュの日曜 ロマネスク研究家、Jacques Levier おじさんでした。この人のロマネスク 関係論文、写真のコレクションはすごかったです。
全然気がつきませんでした・・・ 投稿者:iida 投稿日:08月28日(月)18時17分00秒
Charlieさんページ時々のぞいていたのに、全然気がつきませんでした。 是非思いきり表紙からリンクはって下さい! 今回の更新分の「レジ−ヌ・ペルヌ−著『中世の光』」の読書ノート は興味深く読みました。 特によかったのが、フランスでは一族の歴史という概念や家族生活 が歴史のテーマとなることの説明が文章をたどるとうまくでてくる点ですね。 またそのツールとして法律で、慣習法とローマ法の対立の重要性を 各国で比較すると明瞭に中世の性質が浮かび上がってくるところ。 最後のA37のフランスでのローマ法のとらえ方は図式化がうますぎて 逆にあやしい感じがします。 個人の自由についてはあまり記述がなかったように思います。 Bの封建主義の説明ではイメージがかなりかわって 封建関係は人格的関係とか領主の権限とか、なにかエピソードが あるとわかりやすくていいですね。 領主の一日の再構成とかを試みた研究書がたしかあったような 気がしますが。。。 C, Dと話が具体的になっていくことが楽しみです。 Oimoさん お疲れさまでした。以前のはりで目をあけただけ〜の 目に石がはまっている様子の写真。 オータンのタンパンの向かって右側。 天使ミカエルと悪魔達の目を見てやって下さい。天使は右目がとれてますが・・・ http://home.fwi.ne.jp/~arts/2000_romanesque/07_03_autun_michael.JPG
>yokonoVさん 投稿者:Hiroshi 投稿日:08月28日(月)12時25分17秒
はじめまして! メールも到着しております。 有り難うございました。 Hinoさんからは時々貴重なコメント頂いております。今後ともよろしくお願いします。 「yokonoVさん、どういうテーマなんでしょうか?」 はい、私もOimoさんやIidaさん と同様の質問したいです。(笑) >Oimoさん この夏は西に東に忙しかったようですね。もう落ちつきましたか? 何処にも行かなかった 私としては仕事でも羨ましい。さしあたり私は10月の"エアロ in 沖縄"に賭けてます。r(^^;) >死後の魂は山の上とかにあつまる・・・のかな? 水平方向にもあったようですね。 熊野の補陀落渡海は仏教ですが、 これなども原始宗教と仏教の思想が混合したと思っています。 >Charlie さん 読書ノート興味深く読ませてもらっています。 ところで、このレジ−ヌ・ペルヌ−著 『中世の光』の <中世> とはどこら辺の時代を指すのでしょうか? 内容の一部について、 やや私の理解と異なっている部分もあるのでちょっと気になりました。 もちろん、時代ととも に内容は変わっていくものなので、不思議ではないのですが、、、 例えば、A02Cの「司教は・・・その多くの者は低い身分の出身である。」など、 幾つか文献がありますが、例えば「世界の歴史」10 「西ヨーロッパ世界の形成」の中に、 『多くの場合、セナトール貴族(ローマの元老院議員)の教会役職、なかでも司教への転身は、 変わりつつある社会のなかで、常に覇権を握り続ける為の戦略でもあった。・・ ・・・セナトール貴族はその高貴な出自、社会的名声、政治的影響力と華々しい経歴、そして 卓越した知的教養といった、この階層の特徴となっている属性を司教職のそれとして刻印する。 こうして貴族と司教とのイメージのうえでの交流が生じた。』p29-30 『出自において高貴なるも、その行いにおいて一段と高貴なる』という言葉が定型句のように 使われている。これは多くの司教を輩出した階層が社会の支配層、すなわち貴族層であること を証言している。』p77 ・・・とかの記載があります。 <ところでこの本> シリーズものの1冊で、教科書的な印象があって長いこと敬遠してたのですが、開いてみると 読みやすくていい本でした。著者は先の「修道院と農民」の佐藤彰一先生と「ロマネスク世界論」 の池上俊一先生。 本の性格上、謎解きの面白さは望むべくもありませんが、勉強になります。 <定説> この本のp69-70にかけて、修道院の10分の1税が元々はローマー帝国の公的徴税権に由来 したとの記載がありますが、これなどは「修道院と農民」の最重要テーマーの1つ。 著者は 「推論」と一応断っていますが、こうやって「定説」になっていくのでしょうね。(笑) たまたま原論文を読んだので面白く感じました。 それにしても「定説」というものは、こうやって提唱され、吟味され、やがて訂正される運命 をもつものだと思います。これは我々生命科学の世界でも同様。「10年もつ定説は少ない」 というのが私のモットー。 そういえば、あるカルトのグルが「これは定説だ」と云っていた のを思い出しました。 彼の考え方とは異なりますね。 ケルト会は今週の2日(土)です、また何かあったら書き込みします。 おっと、昼休みがなくなってしまう。 仕事、仕事に戻らねば r(^^;)~~
yokonoVさん、 投稿者:oimo 投稿日:08月28日(月)07時05分43秒
ご無沙汰しておりますが、昨日、Losanneから戻ってきて、 夏の全ての雑用が終了して一息です。 yokonoVさん、どういうテーマなんでしょうか? かなり興味があります。最近、美術史をテーマにした 教会建築本を読み始めてますので...... Charlieさんの読書ノートは明日読もうかと...... もう真夜中なので、続きは明日にでも.....
読書ノート 投稿者:Charlie 投稿日:08月28日(月)03時47分58秒
として『中世の光』から最初の2章分をアップしました。 著者のペルヌー女史はもともと古文書学が専門の方のようで、 日本では白水社のクセジュ文庫に『テンプル騎士団』が翻訳されています。 また『ひとりごと』としても雑多な文をアップしておきました。 『写真について』同様GeoCitiesのサイト内に置いてあり、 下記の青色のURLからメニューページに行けます。 ちなみにこのページへは、GeoCitiesの『写真集:ロマネスク様式の教会』のトップページ: http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Desert/5911/ の日本語版をクリックすると、モニタサイズ選択のページが現れるのですが、 そのページの下の方に密かにリンク張ってあります。 http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Desert/5911/RACQUO-NO-CHARLIE.html
セラボンヌ 投稿者:Charlie 投稿日:08月28日(月)03時33分18秒
のページをアップしました。 2ページに分割してありますので両方見て下さい。 http://www2.ocn.ne.jp/~charlie/
YokonoVさま、はじめまして 投稿者:iida 投稿日:08月27日(日)23時47分30秒
今晩は。 どうも当サイトをお読み下さいましてありがとうございます。 こちらこそよろしくお願いします。 卒業論文はどういうところに興味を持ったのでしょうか? 日埜さんにはよくおせわになってますよ。
横野@大阪です。 ロマネスク教会を大学時代の「卒論テーマ」にしまして 今でもネットで、関連ナレッジ探すことあります。 飯田さんの http://www.toride.com/~iida/ も 過去にブックマークしています。 ところで Hinoさんの http://hino.nu/ ご存知ですか? しばらくの間、BBSにも参加してみます。 宜しくお願い申し上げます。
先日コメントいただいたサンマルタンの光景ですね! キリスト教では切り倒すべきだったのに対し日本では残して利用 したというところですね。 キリスト教でもしたたかにとりこみ利用しているものもあるでしょうね。 リストアップすると面白いかも(汗) 日本の原始宗教に仏教がはいっていった過程、天皇制よりも あとの話になりますが、ちょっと思い出したので書いておきます。 山折先生のテレビでの説明です。 日本のアニミズムでは死後の世界をうまく説明できなかったのが 仏教ではうまく説明があったので人びとは仏教にひかれたといってました。 それまでは死後の魂は山の上とかにあつまる・・・のかな? とかいう確証のない説明だったそうです。それがともかく 輪廻だとかで説明されたのがよかったそうですが、、、、 私はこの考え方の起源とか制度のとのかかわりは よくわからないのですが、輪廻するなら仏壇でいつまでも まつっていても生まれ変わっているんだから意味がないのではないか とか、葬式のあと塩をまく習慣やら悩んでいます(笑) ここらへんはいろいろいりまじっているので 原理的な説明よりも日頃の習慣の分析でまとめたほうが おもしろそうですね。そういう本ありそうですが。 しかし見事な木ですね。自宅からすぐあるのですか。 散歩にはもってこいですね。 私もひっこししてすぐもちろんすぐ近くの神社とかチェックいれましたが たいそうなものはありませんでした。 名古屋城への街道ぞいですのでありそうなのですがね! ケルト会はいかがでした? こちらは昨日はフォントネーの写真を20枚近くスキャンしました。 今日は今から家族にたのまれて庭の手入れです(暑)
土曜の昼下がり、自宅近くの宇美八幡宮を散策してみることにしました。 この町に引っ越してからかなりなりますが、初めての訪問。 まわりは商業地区で残暑厳 しいが、境内に入るとクスの木のちょっとした森となっていてびっくりするほど程涼しい。 この宮は応神天皇生誕の地とされ、その名の「宇美」は「産み」に由来する。 かなり格式 が高いそうだ。 境内には樹齢千年を超える楠の木が何本も聳え、そのうち特に巨大な老木 は聖なる空間を形成している。(リンク先の「衣掛の楠」の画像を是非ご覧あれ↓)。 また神宮の奥には「湯浴み」の泉もあり、これを取りまく空間もこの神宮の象徴的存在。 ここにはトポスと結びついた古い信仰の形態があると直感しました。 おそらく天皇制 イデオロギーによる着色はその後のことなのでしょう。 樹木信仰と泉信仰、キリスト教以前のヨーロッパの信仰と共通するものが、ここでも確認 できます。 思うに世界宗教と呼ばれるものが支配していくまで、同様の信仰がこの地球上、 あまねく存在したのではないでしょうか。 やがてトポスの桎梏から逃れ、自由となった 普遍的イデオロギーが支配的となっていくが、それでもなお、この手の信仰は土地に根付 いて秘かに生き延びてきたのではないでしょうか? 皆さんの地元にもきっとあるはず!? 今週末、福岡ではケルト会があります。前回サボったので今度は是非行きたいと思っています。
FASEB J. の来月号に論文が出ます。 このところ、時々こっそりと調べてました。 出るのが判っているのにどうしてて? そりゃもう、、、判るでしょう >Iidaさん 内容は昔の仕事、でももちろん better than the nothingですからね。(汗) それと、 最初のタイトル(A New Error-prone Pathway)は変えられていました(a potential source of に)。 misleadし過ぎるから? ツールーズへの旅は「論文」と「ロマネスク古寺巡礼」の2重の収穫。(嬉)
今どろぬまにはまりそうです。 測定の方が試料に最適化されていないせいだろうと考えていますので 今測定会社にコンタクトしているのですが、物理的なことがよくわからないので どうなることやら。 想像がさらに進んで妄想だったかも。 人も時間もないのでやったものはすべて論文と学会発表にしなけりゃいけないので ちょっと不安な時期です。 恩師がアメリカのいくつか研究室まわってきて帰国されて電話がありました。 その研究室の一つに私は2ヶ月いましたが、最近はすっかり御無沙汰。 そのときに向こうの先生が私の論文をフォローしていてくれたらしく いい論文だったよ、といってくれたそうで、久々に恩師からほめられました(?) さてロマネスクネタ ヴェズレーの柱頭彫刻と山本君の論文の註と写真をリンクしなおしました。 ヴェズレーの彫刻はまだ3/8でなかなかおわりそうにないです(涙) タンパンもつくりなおさなきゃいけないし、フォントネーも サンベニーニュも書きたい。夏もおわるのでweb執筆に集中してまとめたい時期です。
では壁にかかる重量を正確に計算しなければならなかったはずだし、なんからの 重量基準があったはずだとの仮定はあり得そうなこと。 だけど確かに今まで そんな話は聞いたことがありません。 それとも今まで読み流していたのか? 研究のテーマ なんてあちこちに転がっているものですね。 私も今なら4回生で名大に卒業研究 で入ってもテーマありです。(笑) もっとも、本業の場合はこれを決めるまでが、 そりゃもう、大変。下手すると泥沼ですから <経験あり、それも山のように!(汗) ロマン 僅かな獣皮史に残された記録を元に、千年以上も前の農民の生活を再現させるという 仕事は当にロマンそのもの。 研究は時としてこのような面白さがあると思います。 確かに実際の研究では、多くの時間がルーティーンの仕事で潰される地味なものですが、 とはいえ、やはり推理や想像が大切。 想像(そうぞう)は創造(そうぞう)につながる わけですし、例え「独断や偏見」と陰口を叩かれようとも、真実を掴めば「鋭い洞察」。 先日の学会 のツテを辿ってアメリカの研究者から変異株を貰えることが出来ました。 昨日メール 出したら早速返事、それもIt is fine with me. なんて調子で快諾。 webで仕事のペースや スタイルが本当に変わりましたね。 初めての学会だったけど収穫があってラッキー。
計量法について私も疑問がつのってきました。 聖堂にはなしをもどしながら考えてみれば、一個の石の重さとか大きさは なにか基準があるはずです。 そう考えると、そういうもののこってないのでしょうか? もし1モディウスなるおもりなどがあればここでの悩みはへるとおもいますが ないのでしょうか?教会関係ですから倉庫にごろごろありそうな気もするのですが。。。
については前からすごくひっかかることがあります。 ジャン・ジェンペル氏の「カテトダルを作った人々」 に(今、手許に本がなくてうろ覚えですが)、 教会建築の諸費用を参事会に報告する文書に間違いがおおいことを、この本では、 中世はこまかいことの整合性を気にせずに総合性を大事にした、といいきるのですが、 私はここではげしく反発を感じました。 それはただの間違いだったり、お金に関することですから意図的な偽造文書の 可能性もあります。そういう検討をどのようにしたのかまったく不明で(もしくは説明がわからなかった)、 それいらい、中世の文書っていいかげんなのか???? というすりこみがされてしまいました(泣) 残念ながらそれいこうそれについて調べたりはしていません。 しかし、定量的な見積もりは生活を具体的にさせるのでいいですよね。 アナールの基本的な理念の英雄による歴史から一般の人々の歴史への 転換には大事だと思います。 ここら考えると聖堂建築にたずさわる重労働をする人々はどれだけ食べたんだろうか? とか気になります。一日一回の食事では力でないですよね。 そういや佐藤先生は名大にいらっしゃるのかな? そしたら名大生のつてをたどって講議に潜り込むとかするってのもいいかな(笑) さすがにゼミにはいるってのは時間がないですが。 <よく判ってないということが判ったから> だいたいのことから具体性にしぼっていくところに 研究のだいご味がありますからまったくそのとおりですね。 これでもし仮に4回生で研究室にはいってもテーマができた、みたいな(笑)
>ドキュメントがそもそもいい加減? 著者によると「聖餅の神秘論」は中世史家が採り上げる第1級の史料とのこと でしたが、、、? む、む〜。 「文献(論文)は参考にしても、すべて は信じない」と云うのがモットーだったのに。 確かにそう云われれば、、、、 どうも無批判に額面通り信じていたかも。 >豚肉一日一キロってのはなんか怪しい気がします これも確かに再考してみればやや怪しい。 テキストは事実だとしても、年間 1人で3頭分の豚を消費したとして、計算で果たして一日平均1キロになるか? これだと骨や皮まで食ったとしても、豚1頭の体重が120キロ以上の計算。 今日のバークシャーとかヨークシャーとか、品種改良された豚を、これまた濃厚 飼料で肥育したならともかく、当時は猪に毛が生えたような家畜でしょうから そんな巨体だろうかとの疑問が出てくる。 そういえば「ベリー公のいとも華麗なる時祷書」には豚を屠殺する場面が描かれ ていましたが、あれなど確か農婦1人で猪を押さえつけている、あれだとせいぜい 40キロ以下でなければ無理。 となると一挙に1/3に下方修正? これも「西欧農耕民の心」の著者の木村先生に、 (・_・) / 先生! でも、何か嬉しくありません? 如何に西欧中世史研究の大御所の言説といえども、 我々素人がこうして異議申し立て出来るというのは。(畏れ多いことですが、汗) これも反証可能性(URL↓、6月13日)が保証されていると考えればpositiveに受け 取れられる。 でも今回はいろいろ勉強になりました。いえ、知識が増えたと云う 意味ではなく、 <よく判ってないということが判ったから>
ちょっと思い出したのですが、たしかシャルルマーニュのときでさえ 官僚制が発達していなかったので、彼自ら領地をまわって税をあつめて いたのですよね。中国の歴史をならうとなによりそこらに焦点をあてて説明を うける(もちろんこれは日本の体制に直接影響したからなんでしょうけども) のと好対照にヨーロッパのそういう面の説明ってないですね。 ところで小麦の大粒ってひと粒何グラムなんでしょうか。 文面を上からたどるにははじめからいきなりわからないですよね。 Hiroshiさんの計算であってると思いますが、上からと下からの 計算でそれだけちがっているということはドキュメントがそもそもいい加減? それから豚肉1キロ毎日たべてたら皆満足してだれも反乱なんかおこすわけない でしょうから、豚肉一日一キロってのはなんか怪しい気がします。 そういやメートルってフランスの単位でしたよね。 普遍への意識ってフランスはもともとたかかったのでしょうか? なんでも通産の研究者にはひたすらメートルについて計測して いる人もいるとか。たしかにメートルの決定は大変。 身近な単位のところではガソリンの計量単位のチェックも 日々行われているとか。お金がからむと計量って重要ですよね(笑) 中世当時もごまかすためにいろいろ計量をいじってたんでしょうか(笑)
不思議なことに、著者が特に言及していないことを1つ。 世帯の10分の1税の平均額は2.2モディウス、 即ち総生産量は22モディウス。 p518 これから各世帯が1年間に消費可能な平均穀物量を計算すると。 22 - 2.2(税)-7.3(種籾)=12.5モディウス これは著者の計算による、1人の生存を1年間支えることができる18モディウス (=12新モディウス、私の計算では10.8モディウス)にさえ及ばない。確かに 本文中でも「慢性的な飢餓状態」との記載があったが、むしろこのことは、穀物 以外のカロリー源が重要であったということではないでしょうか? この時代の 農業はかなり初歩的な段階で、かなりのカロリーを動物性食物から穫っていたと 考える方が私には納得しやすいですね。 「西欧精神の探求:革新の12世紀」堀米庸三編p41にもURL↓豚肉の消費量は 12世紀当時でさえ1日平均で1キロとなってます。 これもきっと質問するだろうな。 (・_・) / 佐藤先生!
があちててコンテンツなにも見れませんね。 サーバが復旧するまでお待ち下さい。
アナールの神髄がまさにここにあると以前山本君からききました。 そのときはたしかオレンジの収穫量と流通量を定量的に 古文書から読みといていく研究があるという、ことをはなしていました。 理科系の方では定性的よりも定量的の方がレベルが上だと 感じますから、そういう議論は取っ付きやすくていいですね。 しかしなかなか計算があわないのも大変そう。 同じ単位でも各地で実際の量はかなり違ってたでしょうけども その違いを各地域で算出するのも大変でしょうね。 ちょっとプリントアウトして計算追っかけないと モニタだけでは頭がついていけません(泣) 後でやってみます。 週末はイベント続きでロマネスクの作業はやはりできませんでした。残念。
現代の方法で作った食パン1斤半が2人分の食料となるという仮定で、これが1人分 しかならないとなると、それだけで1モディウスは36kgになってしまう。 ただし、 それにしても、とても104.56Kgにはならない。 だって1人で4斤以上食べることに なるわけで、現代の飽食の時代でもこれは多すぎ。 また当時の収穫量が1粒の種籾 あたり3粒程度の時代に、パンばかり食べていたとは到底思えない。 それから「1モディウスは・・・119人にパンを購う」という記述を算定に使った点に ついてはかなり妥当だと思われます。 それは、 9世紀のコルビー修道院長アダルハルドウスはスペルト小麦に関して、24新モディウス の麦から製粉後に10新モディウスの小麦粉がもたらされるとしている p384 この記述 から著者は9世紀には12新モディウスの小麦の収穫があれば1人の生存を1年間支える ことができる計算になる、としている 。p384 一方私の根拠とした記述から計算すると 365 / 119 x 1 = 3.06-- 約3新モディウスの小麦粉で1人の生存を1年間支えること ができ、これを小麦に換算すると 3 x 24 /10 = 7.2新モディウスの小麦となる。 これは、著者が別の計算によって得た新12モディウスと大差ない。 <新→9世紀> 一方、歴史家の計算の問題点は 小麦の容量(モディウスは葡萄酒にも使う)からパンの原料となる小麦粉の重さを 推定する際の誤差。 すなわち、容量から重量への変換、さらには脱穀にともなう 重量損失を正確に算定するのは難しいと思う。 それにしてもこの本は私の好みの世界!! 10分の1税から総収穫量を推定し、 それからカロリー計算で1世帯当たりの家族数を出すところなど、これまでの図象学 や、文献考証学にはない面白さ! この休みは毎朝起きると「修道院と農民」を枕代 わりにしてました。 そろそろ完全復帰しなければ、仕事に差し支えます (汗)
同じ史料から出発して、私が推理をしたところでは1モディウスは約18Kg。 ところが、歴史家H・ビィットヘフトの計算では104.56Kgと、大はずれ!(汗) 史料というのは9世紀半ばに書かれた「聖餅の神秘論」という文書です。 以下ちょっと、長くなりますが全て引用しますと、 「現在の3ヌミは大粒小麦153粒の重量に等しい。 この3ヌミは1スタテール に等しく、練り粉状の大聖餅1つの重さである。火を通すことにより、それは 全重量の6分の1を失う。小聖餅は1ヌムスを越えない重さである。 重量について語ろう。大聖餅より大きくもなく、また小さくもないこの3ヌミ {の聖餅}はもし古よりの習慣にしたがって作られたならば、大粒の小麦153粒 と過不足なく等しい重さを示す。そして300ヌミは昔の25ソリドウス・ポンドの重 さがある。 その12ポンドはそれゆえ3600ヌミであるが、このは小麦1セクス タリウスに等しく、これから、それを以て1人の人間が1週間生きることが出来る、 もしくは7人の人間が1日を生きることが出来る7個のパンが得られる。さらに 公正かつ正規の1モディウスは均等なる17セクスタリウスからなり、これを以て 神の加護により、食卓に集う119人にパンを購うことができる。」 p370 私は最後の行の「1モディウスは・・・119人にパンを購う」から出発して、 1斤半の食パンを作るのに450gの小麦粉が必要である(研究室の秘書さんから 教えてもらいました)。 また、1斤半の食パンで2人の1日分の食料と考え、 以下のように計算しました。 1モディウス=119 x 450g / 2 = 26.8kg これは9世紀半ばの史料で、シャルル・マーニュが旧3モディウスを2モディウス に変更したので、これを7世紀の旧モディウスに変換すると 新1モディウス= 26.8kg=旧1.5モディウス、すなわち、旧1モディウス=17.9kg。 同じ史料から出発してこれだけの違いが出たのは(勿論、私が何か間違いをしたので しょうが)H・ビィットヘフトが最初の行の「3ヌミは大粒小麦153粒の重量に等しい」 という事を元に計算したからだと思います。 、、だけど、昨日引用した「1モディウスは成人の男子1人が運べる容量」だとする ならば104.56Kgは、とても無理じゃござんせんか?? 私の推理した17.9kgの方 が少なくとも昨日の史料とは整合性があるように思うのですが、、、(^^;) 佐藤先生の講義を受ける立場だったら絶〜対、質問するのだけれども。 (0_0)/ 先生!