世俗の音楽と聖なる音楽は阿部謹也先生の得意とするところですね。 >聖マルタンと異教徒の木、彼こそは西欧のすべての修道士の祖先 逆の立場から云うなら「彼こそは西欧のすべての文化的破壊者の祖先」 というところでしょうか? 今読んでいる本は、彼の名前を戴いた修道院 のことなので、こんなこと云うと罰あたるかな?
「ル・マン司教事績録」の中に収録されているアイグリベルトウスの文書には、 ・・・聖母マリア修道院に上記のヴィラ(村)の”すべての”10分の1を・・・ 葡萄酒について、乾草について、全ての家畜および薫製肉についての10分の1を、 すべて欠けることなく同修道院に納付するよう・・・p340 とあるそうで、 10分の1とは穀物だけでなく”すべての”生産物にかけられていたようです。 また、穀物計量単位として先日実例として出した、「小麦2モディウス」ですが、 「聖コロンバヌス伝」によると、彼が貧民に与えた小麦粉が1モディウスだったとの 言い伝えから、著者は1モディウスは成人の男子1人が運べる容量(これは葡萄酒に も使われたから)であると考えられています p361。 、、、それにしても、 こんなことですらまだよく判っていないのですね、驚きました。 ただ、これは私の感じですが、このことは結局メロビング朝を通じて、あまり 計量単位の重要性を認識する必要がなかった、ということがあるのではないで しょうか? 事実シャルル・マーニュの時代になるとこれが一変するわけです。 、、、結局、統一するということはこういうことではないのでしょうか? ところでこの本では、発掘された貨幣の重量の時代別変化をグラフにして議論を進め るところがあり、以前読んだ「死者と生きる中世」のパトリック・ギアリの方法論に 通じるものを感じました。 これが現代の史学のスタイルなのでしょうか? 文献考証だけのものよりはるかに私には説得力がありました。
の柱頭彫刻追加しました。 今日はビールジョッキ2杯だったので、帰宅後も作業ができました(爆)
は実家にきてもらってるお寺という意味です。まぎらわしくてすいません。 身内でしたらお経の解釈など質問攻めにしていたでしょう(笑) 総本山は長谷寺です。ぼたんで有名ですよね。 坂がきついので祖父と祖母をつれていくのがしんどいなあ。 東寺は私も好きです。3D曼陀羅は見事です。 仏像表現でお釈迦様物語っていうのはないけど 当麻寺では刺繍の曼陀羅にありますからロマネスクの受難伝に対応して いたらそれはそれで面白いですが、仏様の利用方法の一つは 御臨終の際に五色の糸をくくりつけてなんてやってたことを考えると ちょっと皮肉の一つでもいいたくなりますよね。 日本の寺の欠点(?)は 仏像を撮影させてくれないことです。 フランスいってかえってくるとけちくさく感じます。 三脚たてて仏像撮影できたらきっと堂内はそういう人ばっかりになるかな? お金はらって撮影とかでもいいですが。 身内にはお東さんやお西さんがお寺ののところもあるのですが そちらのほうが説教もしてくれていい感じです。 今となっては私は親戚があつまるセレモニーにくっついているサービス業 ととらえているので、もっとあいそよくしてほしいところ。 モナリザは知りませんでした。面白そうな番組なのに残念です。 さて、山本君の卒業論文みなおしたらリンクきれまくってました。 http://home.fwi.ne.jp/~arts/kazuhiro/paper/paper_012_1.html http://home.fwi.ne.jp/~arts/kazuhiro/paper/paper_012_2.html http://home.fwi.ne.jp/~arts/kazuhiro/paper/paper_013_2.html とか直しておきました。これでサンジルの正面の彫刻がもうすこしみれます。 リファレンスも打ち込んでないし、戻りリンクも きれてるのでいやになってくる。 まだまだサン・ジルの図像も半分しか流れてないですし、 これが本命コンテンツですのでもうすこし気合い入れねば。
まさにそれが「笑いの章」を削除した理由でしたね! >「薔薇の名前」 >黒衣の修道士・・・聞けばよかった >真面目系 カルフォルニアのTassajara Zen Centerでは、アメリカ人禅僧にしっかりインタビュー してきましたよ。 驚いたことにDrug Userの前歴をもつ禅僧でした >Legal High? でも求道の精神は本物そうでした、真面目系。Centerでは未明から読経があってました。 >日本食一杯のスーツケース そちらじゃ日本食は手に入りませんか? カレーのルー、あれは確かに日本食! 昨晩の<モナリザ>見ました? メイキャプアーティストの意見や実際のモデルを使ったメイキャプは面白かった。 コピー会社社員の意見も参考になった。 しかし何より普通の美術番組にない ユニークな構成がよかったと思いますね。 あの美術史家の女性は昔あった 「最後の晩餐」の時の女性でしょうか? <収穫の10分の1> 7章の「賦役と農民経営」は欲しがっていた情報満載です。 再三「<収穫の>10分の1」という言葉が出てきましたので、やはり当初考えて いた計算でOK。 筆者が参考資料とした同時代の「バイエルン部族法典」には 10分の1税の他にも、週3回の賦役、麻束1、蜂蜜10壺、鶏4羽、卵15個を 納めるような規定があり、農民の負担は相当なものだったようですね。p329-330 特に直轄地における賦役は大変だったでしょう。 その他、場所によっては、 豚10分の1税というのもあったようです p337。 さ、今日から私はお仕事再開です! 始動開始。 (^^;)~~~
恥かしながら、独身赴任者のスーツケースの中身は、 即席味噌汁、味付けのり、御茶漬け、ふりかけ、柿ピー、 海のもの系のおつまみ等ですね。(やわらか/かさばり系 なので、アタックザックはちょっと.....ハードカバーの 大容量スーツケースは必須です。あ、あとカレーのルーも(笑)) 日本食は、たっぷり堪能しました。ドイツに帰りたくなくなる ぐらい...... 戻ってきたら、もう、ここは秋の気配です。 しかし、赴任は2年と決まっているので、気が楽ですね。もし、 不定期だと、参っちゃいそうです。 >私の実家の真言宗のお寺 ありゃりゃ、実家のお寺、という風にかかるんですか? 手遅れかもしれませんが、東寺は京都の有名な寺でも、 好感度の高いお寺ではないでしょうか(といっても、 10日、25日の縁日の弘法さんぐらいしか、密な接点は ありませんが、真面目系ですよね、密教だし?) 来週は会合でまたずっと出張なんで、今年の8月は ぶらぶらで終わってしまいそうです。
ん?日本からドイツにいったけどBBSにきてくれたから おかえりなさいでいいのか??? なかなかハードな出張でしたね! Oimoさんもロストバゲージですか。 なかなかあれは泣けますね。 だいじなカメラ用品いれてませんでした? 飛行時間は遊びに行く(?)せいかあまり 苦痛にかんじたことはありません。 無意識に昔のった南回り27時間と比べているからかもしれません。 最近はパソコンバッテリーが5時間くらいいけるように なってきたので半分くらいはweb作成してたり デジカメデータ編集していれば時間がつぶれて丸です。 映画見るよりあっというまに時間がすぎていきますよね。 京都あえればよかったですね! Oimoさんきてたら日比さんもちあげるのきっともうすこし 楽でした(笑) 是非またどこかで。 そうか、京都とかでしたら撮影会ができてよかったかな(笑) お坊さんの話は・・・ 私の同年代の知人にもお坊さんはいますが・・・・(汗) だいたい想像付くと思います。 以前もかきましたが私の実家の真言宗のお寺の お経とかは短いです。あれで寄付金をたくさんとってくんだから もうすこしまじめにやってくれー>法○寺 ベズレーで撮影中は黒衣の修道士たちがあつまってきてましたが 若くてスリムでした(笑) まさか今でも食事は一日一回でワインはいっぱいなんでしょうか。 しまった、聞けばよかった。 今度はNHKのフランス語会話でもうすこし 勉強して質問してみます(Charlieさんに文章 きいておけばよかったかな?) そうそう、どうでした日本食は?
>信仰の場所を襲うということは、信仰心より >現世の不満の方が大きかった、少なくともそういう時代があったという >ことでしょうか。 なるほど、逆にこのような状況だからこそ 恐い裁き手のキリストという面持ちも意味が あるように思います。 教会に逆らう輩は最後の審判で地獄行きだよ、って ところでしょうか。 これまでも恐怖心で信仰をうながしてきたというのは 考えてきましたが、農民をおさえなければいけない ほどだったと考えてもよさそうですね。 アベラールとエロイーズ読んでてもそういうこと いろいろでてきて面白いです。 >カロリー 昨晩はうなぎたべすぎて朝おきた時 なんとなく胃がもわ〜んという感じでした。 あれもカロリー高いんですよね。
焦熱地獄を西から東へご苦労さまでした。戻ってホッとしたのではないですか? 涼しいドイツでまた英気を養って下さい。 <ク〜 羨ましい! Lost Baggageを回避する唯一の方法 としては、荷物1ヶにすることでしょうか? アタック・ザックは体躯幅で、 縦に長く詰め込めますのでかなり荷物が入りますが、ちゃんと航空機天井の 荷物棚に納まります。 私はいつもこれで重宝してます。如何でしょう?
ご無沙汰しております。 大津、東京、秩父、宇都宮、東京、京都、大津と転戦してきました。 東京で会社に通うのは1年ぶりだったのですが(3日だけでしたが)、 通勤ラッシュがものすごく新鮮。写真を撮らざるをえませんでした。 たまには変った視点で見れるようにしないと、面白いものを見逃し てしまいますよね。(もっとも、何が面白いかは視点によるので、 自分の視点と一緒に批判的視点も持つべきということでしょうか?) 出張は、短期帰省付きの慌しいものだったので、ココを数度覗いて いたのですが、書き込む余裕はありませんでした。(会社はLogとって ますしね)12日のiidaさんの京都行きに合流したかったのですが、 気づいたときはすでに当日。次の機会を期待しております。 広隆寺は、珍しく?感じのよい寺だと思います。他の少なからぬ京都の 有名大寺院のボウズは、ゼニのことしか考えていない、というのが よく聞く話です。祇園の料亭はボウズで持っている、といいますし。 ドイツ人の同僚が先月京都の学会に出席した際に寺院巡りをした らしいのですが、某有名寺院で腹の出た脂ぎった坊さんが高級外車に 乗っていたのを見て、失望してました。真面目な修行僧も多いの でしょうが、日本ではそういう人と触れ合う機会はまず皆無です から、「京都のボウズ」にあんまり良い印象はないですね。 しかし、ヨーロッパ←→日本は、禁錮(12時間+α)×2。 たまらんなぁ〜の世界です。もう、限界!と思った時が だいたい、あとまだ6時間ぐらいじゃないですか? しかし、前回に続いてLost Baggage二連続。 滞在しているから良いものの、怒る気力も無くなって 笑っちゃいましたね。ははは。 では
当時農民の宗教と修道士のそれが必ずしも同じものではなかったということ もあると思いますよ。以前も紹介しましたが、農民 (paysan) と異教徒(paien) は元々同じ言葉から派生したというくらいですから。 >贅沢三昧 先日カノッサさんも書き込みされてましたが、沢山石造りの教会が建設された ロマネスク時代ですら穀物収量は1粒に対して5粒以下。その当時あれだけの 建物を造ること自体、大変な負担を領民(農民)にかけていたわけですよね。 勿論、彼らは贅沢三昧とは全然思ってはいなかったでしょうが、、、 >地元との関係は強くなかったということ? ラテン語を操る修道士と農民は、往々にして言葉が通じなかったということもある ようですし、第一修道士はペラペラ喋っちゃいけませんでしたから、少なくとも上級 の修道士と農民の間ではコニュニケーションはとれなかったんじゃないでしょうか? それに実際に俗事を担当したのは司教や司祭でしょう? こちらの方は普通地元の 貴族がなっていたようですし。司教を家柄や財産で選んではならないと再三お達し が出るのは、実際には彼らが司教に成っていた証拠ですね。 >普通はパンに塗って食べると思います。 メイプルシロップはカナダのお土産でよく買ってきましたから馴染みがありますし、 私もパンに塗って食べてましたけど、牛乳ジャムもメイプルバターも経験ありません。 >どちらもカロリーの固まりという感じ。 エアロ系の人間としてはむしろ挑戦したい一品ですね! 20分のトレーニング で消費出来るのはバナナ1本分のカロリーのみとか。 そういえば、明日から スポーツクラブも休み明け。 仕事再開も迫っているし、体調整えないと! >方法論の確かさを他のものに適用して ・・・ http ↓ 同感。時々この手の本を読んでいてもの足らなさを感じることがあります。 畏れ多いことですが (^^;)
>蜂起者が、特に抵抗したのは教会と修道院だそうで、古代から結ばれていた >世俗の権力者(領主)に対しては、それほどでもなかったとのこと。新参者の >修道院は富の収奪者として相当恨まれていたみたい。 これ読んで、はたと考え込んでしまいました。昔の人は現代人が想像するほど 信心深くはなかったんでしょうか??私の頭には、盲目的に神を畏怖してる、 というイメージがあるんですが、信仰の場所を襲うということは、信仰心より 現世の不満の方が大きかった、少なくともそういう時代があったということで しょうか。 かなり早い時代から修道院は改革運動が何度も起こってますから、妻帯とか汚職 とか、修道僧の堕落も常にあったでしょうけど(薔薇の名前にもありましたね)、 襲撃の対象となるということは、地元との関係は強くなかったということ? 俗世間と離れて修行する場が修道院ではありますが、でも病気の治療や、孤児や 貧民の世話や、巡礼路では巡礼の受け入れなどもしていたとあります。 何事にも本音と建前はありますから、修道院の場合は建前が労働と祈りの清貧 生活、でも実際は厳しいはずの規律も何のその、戒律破り放題の贅沢三昧だっ たところもあったことは想像に難くないですけどね。神をも畏れぬという点では 同じか、それ以上か。 遅くなりましたが、牛乳ジャムの話。普通はパンに塗って食べると思います。 (私はスプーンですくってなめてた) 去年廃業した市内のデパートのフォション売り場に Confiture de Lait も 置いてあったのを見たことありますが、かなり高かったので買えませんでした。 帰国直前に、パリで別の高級食料品店のものを買ったことがありますが、変な 香料を加えてあって全然ダメ。フォションはどうでしょう?私が買ってたのは 市場で売ってる農家の自家製か、郊外スーパーに置いてあった安いやつでした。 メイプルバターもすごそうですね。 どちらもカロリーの固まりという感じ。
そうなんです、それにこの本の中にはグラフや多数の地図、それにフローチャート! もあるんですよ。分かり易いのが一番。ね、Oimoさん。お休み中で此処見てないかな? <推理小説の面白さ> 2部4章にはこの獣皮紙の表裏における文字の方向性や天地関係、それに覚え書き 等から、この文書が貢租徴収人が携えていた単葉形式の実務文書であり、この他に 「所領明細書のような台帳形式の文書と、未完納者リストがあったはずだ」とする 筆者の推論は推理小説を読むみたいで面白い。 ただ、もしそうならば、貴重な 獣皮紙を実務的な目的で現場で使用していたことになるけど、、、? ところでこの本、文部省の科研費で刊行されたもの。 こんな本が公立図書館で 誰でも自由に借りれるのはすばらしいことではないでしょうか。
「修道院と農民」 あいかわらず読むのはやいですね! こちらは親戚のあつまりと昨晩は日比さんが 名古屋にきていてバーベキューパーティなどあって ロマネスク関係の調査はほとんど進んでいません。 日比さんは詩人・小説家で私がwebに編集して 作品を発表しています。 <http://www.toride.com/~iida/hibi/index.html> 最近では梅原 猛先生との共著、『魂の言葉』(PHP)を出されました。 身障者ですので後援会などつくったらどうか という話がでていました。 先日京都のお寺(竜安寺・広隆寺)に日比さんといったのですが 身障者用設備はなにもなく、大変でした。 くわしくはこちらに書きました。 <http://home.fwi.ne.jp/~arts/whatsnew_2000/08_11.shtml#0813> >仮説を立てて、それを実証 そうですよねえ。真理の産出の手続きが異なるのでしょうけども、 記述がとび過ぎたりすると不満がでますよね。 その本各論がきちんとしてそうでよさそうですね。 一段落したら私も読みたいなあ。 最近修道士の生活が午後8時に寝て午前1時45分起床ということをしり 驚愕しました。みなさんまもっていたのでしょうか。 PS 実験室はあいてますので実験しています(汗)
私は完全なデスクワークで論文を読んだり、Medline検索したりしてます。 論文読みは計画通り進みそうですが、書類書きは結局先延ばししそうです(汗)。 家に居ると勉強出来ない性なので結局職場に出てきてます。 Webも電話代気に せず使い放題ですからね。(汗) <NTTさん、何とかしてよ!> 「修道院と農民」 仕事に飽きると、読んでます。 何だかだ云っている内に1部は読み終わりました。 思いのほか読み易かったです。少なくとも「ロマネスク世界論」よりは楽でした(汗) 撃沈されることなく、もう少し先まで行けそうかな?(笑) 全体のほぼ4分の1を占め、3章からなる第1部はいわば総論。 トウール地方の 地形や気候の解説にはじまるが、最も重要な部分は、後半の修道院と司教座教会の 関係についてでしょう。特に修道院特権。これにより管区司祭からサン・マルタン 修道院の自立が保証されたとか。 そしてその物質的基盤となるのが、司教座教会へ修道院が納入すべき貢租の免除。 第2部ではその実態を示す会計文書の各論的解析ということになるのでしょうか? それにしても、我々だと仮説を立てて、それを実証するために実験を組む事が出来 るわけですけど、歴史学ではそれが出来ない。 とりわけ中世史とかになると根拠 となる史料にも限りがある。とても難しいでしょうね。 それを特に感じました。
日本でもそうですが、農民から<刀狩り>がおこなわれたのは、近世以降、公権力が 治安維持を十分果たせるようになってからだそうです。 西欧中世の農民も、狼や熊 などの自然の脅威から身を守る為に、熊手や仕込み杖を日常的に携えていたとのこと。 阿部謹也先生によると<刀狩り>を経験していない国は、主要国ではアメリカ合衆国。 「中世から近世を経ず現代に入った国だ」と云われてました。ま、確かに、銃の規制 1つをとってもそれが現れていますね。 「修道院と農民」 を恐る恐る、読みはじめてます。 この本は7世紀に作成された「会計文書」の解析で、 主要資料は20数葉の獣皮紙の断片からなるもの。9世紀に作成されたある写本の装丁 用の皮材として流用されていたとのこと。 日本だと<襖の裏紙に>てやつですね。 写本用に自在に寸断された状態から、パズルを解いていくように、はるか昔、メロビング 朝の農民生活を描くというのは、まさにロマンそのもの!! どこまで素人が読めるか 疑問ですが、しばらくトライしてみたいと考えています。へたすると、数カ月がかり(^^;) 因みにこの資料、1569人分の農民の名前と、彼らが負担すべき貢租の量を記載したもの。 例えば「Col. Monte村の農民Loedoaldは、小麦2、燕麦1モディウスを納める」とか。#98
は県内の3図書館にいずれも蔵書なしということだったので、今日の午後に紀ノ国屋 で探してみるつもり。 先日紹介した「農民のヨーロッパ」はシリーズものの1冊で、 他の1冊をウンベルト・エコー氏が担当しています。 情報有り難うございました。 京都近辺の人はいいですね。 近ければ私も見に行きたい。 農民暴動は 「農民のヨーロッパ」によると14世紀に始まり16世紀で頂点を迎えたとのことで、 「薔薇の名前」の舞台設定が1327年だったので、まさにその始まりの時期。 筆者に よると蜂起者が、特に抵抗したのは教会と修道院だそうで、古代から結ばれていた 世俗の権力者(領主)に対しては、それほどでもなかったとのこと。新参者の修道院 は富の収奪者として相当恨まれていたみたい。昔からの農民の風習も禁じたりしたしね。 さらにこの筆者はこの本の中で中世の衰退、即ち基盤産業である農業の衰退が、14 世紀初期に始まったとし、後に続くペスト禍による人口の減少が、穀物価格の下落と 賃金の上昇を引き起こし、決定的な一撃を与えたと述べてます。 1327年を設定した のはこういう背景もあったのでしょうか? >あと写本がいいですね・・・是非手にとってみてみたいですね。 先日も書きましたが「ケルズの書」のファクシミリ、実際に手にとってみました。 獣皮紙でからなる分厚く、重い写本の感触は・・・ふ、ふ、ふ、羨ましいでしょう! <参考までに> J・C・ラッセルによれば1000-1340年の間に全ヨーロッパの人口は3850万人から7350 万人のほぼ2倍に増えたとのこと。p77-78 ただしこれには地域差があり、イベリア、 イタリア、ギリシャおよびバルカンでは1700万人から2500万人程度(1.5倍)に対し、 フランス、ドイツ、イギリスでは1200万人から3550万人の3倍。 大部分は農民で、 中世盛期までに都市人口はこのうちの約10%。p88 いずれにせよ、西欧でこの時期 如何に開発が進んだかがわかりますね。 でもこの後、ご承知のように西欧は疫病や 戦禍で衰退の時期を迎えるわけです。 しかし産業革命以来の人口の増大、最近の第3 世界の人口爆発には比べようもない。 発展の後に衰退があるとするなら、、、
農民。 十分の一税をとられた上にゴミをたべさせられ ていたあの風景は実際はどうだったんでしょうか。 「薔薇の名前」は彼女の名前のことだと よくいわれるのですが、(以前書いたかも)、 これはノミナリズム、唯名論の名前と実体どちらが 普遍かというやつですよね。 あの映画のみどころはタンパン彫刻ですが これも以前書いたとおりモワサックのタンパンです。 あと写本がいいですね。ちらちらと見える 写本。是非手にとってみてみたいですね。 >ヴェネツィア水の夢 ritsuko様本の紹介ありがとうございます。 それはおもしろそうな本ですね。 私はテレビイタリア語は見ているのですが ラジオはチェックしていません。 ヴェネツィアまた行きたいなあ。 学生の頃は貧乏だったのでヴェネツィアは 食べ物を安く食べられず印象がわるかったのと サンマルコがまだ修理中でした。
作品は日本画で大小ありました。 日本画といっても輪郭と淡い色彩というクラシックな作風 よりは日本絵の具を水彩風につかった作品で、 まだ作風を手探りしながら作成している状態とうけとりました。 表現対象はみつけたのだけれどテーマにマッチする 手法の確信がまだもてないという印象でした。 さらにロマネスクの形態をモディファイしていくことは さけられ、ストレートな表現と色彩感の統一が 落ち着きを生み出しており、作品に集中感を与えています。 原題はひかえ忘れましたので、適当にテーマをかいて、 私の印象を書いておきます。 オータンのイブ オータンの柱頭彫刻のマギ の両作品は比較的大きな作品。 イブはやや美人になってましたが(笑) どちらも原形を大事にして そこに色をのせてイメージを形成した作品。 イブはピンク色背景でマギは青色。 これはもちろん復元ではなくてイメージを とらえたもので、マギはシャガール風。 ベツレヘムの星がひときわ輝いてこれは 彼女の求める表現への欲求だと思いました。 イブの方は背景とイブとがやわらかに補色の対比 をだしているのと筆の流れで揺らぐ感じがでて いい感じでした。 巡礼路途中の川辺を描いた作品がもっとも 大きくて幻想的。 画面上部の滝が幻想的な雰囲気をだしていました。 「希求」 ロマネスクのモチーフ、手(神)日、月 で作成したもの。タンパンのキリストとマンドルラから キリストをとりのぞいたもの。 キリストあるいは彼女のもとめるものの明確な 不在の象徴。(すごい誤解かも(汗)) 柱頭彫刻 輪郭に赤を使っているが、柱頭彫刻は明確な形を 持たない。ふたつの大きなヴォリュームが 画面を埋める。彫刻は息をとめて記憶の なかからさがさねばならない。 村遠景 淡い色彩のタッチでじっとみていると 塔が浮かび上がり都市遠景であることがわかる。 ロマネスクの村の遠景。遠い記憶の中の村。 サンチアーゴへの道 印象派風の処理で道が森に埋もれている。 気に入った作品N0. 3をつけてみると、 1.柱頭彫刻 2.村遠景 3.マギ でした。 京都域の方にはおすすめします>某さん(笑) 8月15日まで。場所は下の書き込み参照。 Seikoさんにインタビューしたのでまた書きます。
という本を買いました。和田忠彦さん著。 エーコの研究者の方のエッセイなので、エーコとの逸話満載。 でも私はとくにファンという訳でもなかったのに、 「NHKラジオイタリア語会話」の巻末に連載されていた時、そこだけ読んでいました。 やっぱり普通の紀行文とは味わいが異なり、 イタリアのいろんな街の路地のくっきりとした陰影が目に浮かぶような、 そんな本です。 嬉しかったので書きました。
iida様 お忙しいところを来ていただけるとは本当にありがとうございます。 私は全日画廊におりますのでいつでもいらしてください。 お待ちしております。
改めて観ていると、幾つものテーマが組み合わされた作品で、その1つを私は 受け取っていたみたい。今回新たに感じたことは、あの作品のもう1つの重要 なテーマとして階級闘争があるようですね。 火刑が始まる時、一人の農民が 石を持ち上げ、それがその後に起こる、農民反乱の糸口となるところなど、 これまで記憶にありませんでしたが印象に残ったシーン。 それにしても、あの神学論争は別にしても、教皇派からフランチェスコ派、 そして名前は忘れましたが、あの異端派(ボゴミール派の一派?)など重層的 なレベルであの時代が揺れ動いていたことが判ります。 あの映画、娯楽性も 十分ですが、かなりメッセージ性の高い秀作だと再認識しました。(修道士が 修道院内でペラペラ喋るのはこの際目をつぶりましょうね) ビデオを貸してもらった人からは「マニアックな作品ですね」とか云われましたが、 いえいえ、決してそんなことはありません。ション・コネリーファンも必見の1作。 今日は実験最終日。 明日から1週間お盆休みで実験室は閉鎖されます。 論文も 沢山準備したし、片付けなければならない書類も多いけど果たして計画通りいくか かなり疑問(汗)。 そうそう、「修道院と農民」もトライしたいと思ってます。
>この鷲の下には狼?、だが足は鳥の形。 狼の腹のところから出ている足は鷲の右足のような気もする。 15.神秘の粉挽き 右下の石積みをみるとここにもセメントが使われているみたいですね。 きっとこのような粉挽き器を当時使っていたのでしょうね。 小麦を食用にしようと思うとどうしても粉挽きして焼くというのが一般的というか、 普遍的ですね。 炊くとか、蒸すとかいう発想は西欧にはなかったのでしょうか? <農業> といえば、先日図書館に「修道院と農民」を借りにいったら、この本は本格的な 学術書で「ロマネスク世界論」の1.5倍程もある大著。 とても読みこなせそうに ありませんでした。 それで、まずは入門編として「農民のヨーロッパ」という 本を借りてきました。 まずはここらへんからですね。 もっとも「修道院と農民」も念のため、しっかり借りてきましたけど(汗)。 「農民のヨーロッパ」は中世から現代までをカバーしている本で、全12章のうち、 3〜6章が中世。 最初の出だしでアメリカの農民についての記載がありましたが、 ヨーロッパとの対比が上手くおこなわれていて勉強になります。 総監修はジャック・ル・ゴフ先生。
すごい! 本当の巡礼行ですね。 私がロマネスクに興味を持ったきっかけの1つが 「カタルーニア・ロマネスク」という写真集でした。 サンティアゴの巡礼道沿い の素朴なロマネスク教会に惹かれました。 私の場合「稚拙さに何か引っかかりを感じた」というのは、表現として正確ではない かもしれません。その時、私は直感的に我々と異なる世界観に生きる西欧中世人を そこに感じたと思います。そして彼らについてもっと知りたいと感じたのだと思います
詳しいおしらせありがとうございました。 12日があきそうなので京都にいきたい気分でしたのでseikoさんの絵画見に行こうと 思います。京都なら電車で45分ですからね。 12日は画廊におられるでしょうか? そうか今日はじまりでしたね。お客さんの入りはどうでしたでしょうか? さて、今日は実験がうまくいかず(というかいいのかわるいのかわからん) くたばっています。ビール飲んで寝たいって感じです。 そんなことはどうでもいい。 ベズレーの柱頭彫刻9枚いれときました。 モノクロ銀塩写真です。 くわしくはまた作りますのでさっと流すつもりです。 こちらみたってくださいね。http://home.fwi.ne.jp/~arts/kazuhiro/romanesque/vezelay/04_nave_capital/
Hirosiさん、iidaさん、早速の返信ありがとうございました。
アートギャラリーシグナスは、京都駅からJR嵯峨野線で『嵯峨嵐山駅』を降りて西へ徒歩8分という比較的行きやすい場所ではあります。。
また、嵐山方面のバスに乗って『野々宮』で降り、徒歩30秒。
京福電車や阪急電車の『嵐山駅』からも近いです。
嵐山の目抜き通りを渡月橋から北ヘ向かい、野々宮神社への曲がり道を西に入ってすぐです。
竹林の静かにざわめく、良い場所です。
点数は、全部で15点ほど出品します。
Hirosiさんがおっしゃっていた、サンティアゴの巡礼道の絵もあります。
スペインの旅では、国境ををソンポルト峠からバスで抜け、巡礼道の各地に佇むロマネスクを見てまわり、
最後の70キロは3日かけて自らの脚で巡礼道を歩きました。
山中の緑が深い道あり、
空の上かと思うような広々とした丘の一本道あり、
ヤコブのしるし、帆立貝の印が刻まれた石柱を目印に、迷いながら歩き続けました。
個展には、ユーカリの森の中の細い巡礼道の絵を出しています。
Hirosi様。
私も、ロマネスクのいわゆる「稚拙さ」がとても気にかかり、それによってこそより強く引き付けられるものの一人です。
化学の発達のおかげで、世界の成り立ちや生命の仕組みを知っていると自負できる私達があの造形を見て、「稚拙だ」と思う、
それは当然な見方であり、また現代人だからこその見え方だと思う。
それが、気にかかってしょうがないのは、現代人としての知識とは関係なく、その人だけの世界の成り立ちのなかに、
あのような、力強い造形が実際の、現実のものとして見えているからではないだろうか。
明らかに私達が今この目で見ている世界と違うものを、中世の人々は実際にその目で見て、
祈りのかたちを創造していったような気がしてならない。
制作の最中、ロマネスクの彫刻のかたちを目で辿り、架空の色づけを画面に施しながら、そんなことを感じ続けていました。
AKIKO様。
クレルモンとは、オーヴェルニュ地方のクレルモン・フェランのことでしょうか。
初めて私がロマネスクを訪れたのは、クレルモンフェランのノートルダム・デュ・ポール教会でした。
大変すばらしい教会でしたよ。
教会近くのホテルに泊まり、窓からロマネスクの教会とゴシックの教会の二つの塔が見えていたことを覚えています。
紹介します。 ARVERNE (アルバーヌ)
16 PLACE DELILLE
F-63000,FRANCE
TEL 473-919206 FAX473-916025
私の場合、宿の手配を他の方に任せていたので値段などは分からないのですが・・。
今日は大変書き込みが長くなってしまってすみません。
のビデオが見つからないと、先日エアロ系のコンパで話題にしたら、ある人がビデオ にとって貸して下さるということになり、今日早速貸して貰いました。 有り難い ことです。 昔映画をみてから、もう十年以上経つので、私の中のイメージと本物 の映画は違っているかもしれない? ちょっと不安ですが、また楽しみ! <書庫ネタもう1つ、、、ただしやや脱線ぎみ(汗)> お盆休みに備え、昨日図書館で沢山文献をコピーして来ました。 クーラーがないので、汗だくになりました。 で、その時感じたことを1、2つ。 普段On line検索ばっかりで、要約しか読まないことが多いので反省。隅々までしっかり 読むことはやはり重要。行間にアイデアや貴重な情報が隠されていることが多いみたい。 時代の流れで最近、古典的な(?)遺伝学関係の雑誌はあまり今注目されてない。 インパクト・ファクターだって気の毒な程低い。伝統のある雑誌が大学図書館で 購入中止になっていて、個別購入の研究室まではるばるコピーしに行きました。しかし、 「腐っても鯛」 内容は最近流行りの分野の雑誌より余程しっかりしている。 これもまた再認識した次第。 サイエンスには「流行」がありますからね。 ロマネスク研究の世界にも「流行」てあるんでしょうか??? 文献は十分参考にすべきだが、まるまる信じてはいけないというのが私のモットー。 だって、教科書に書かれている事柄といえども10年無傷で通用する言説はありません からね! 明日は別のキャンパスにある図書館まで遠征予定。
なんですが、ホテル・レストランを扱った『赤ガイド』にはテクストのない国際版というのがあって、 記号の説明は英・独・西・伊・仏語でされています。 このガイドに載っているホテルから選べば問題はないと思います。 もし黒ではなく赤い絵で示されたものが適当な場所にあれば特にお勧めです。
Akikoさん、Seikoさんはじめまして。 >情報がありません。 宿の情報は「地球の歩き方」もしくは類書にくわしくのっているので それをみるのが一番だと思います。 フランス語がよめればミシュランなんでしょうけども。 Seiko様 ホームページ見ていただいてありがとうございます。 多少はおやくにたてましたでしょうか。 >ロマネスクからインスピレーションを受けた絵画展 は魅力的ですね。しかしお盆とかさなっていて名古屋からでは どうなるかまだわかりませんが、せっかくですのでもうすこし詳しく教えてください。 京都嵐山にあるアートギャラリーシグナス は京都駅からどういけばよいのでしょうか? もう一つは何点程作品を展示されるのでしょうか?
>フランス各地、サンチアゴへのスペインの巡礼道、イタリアなど・・・ それは本格的ですね。スペインの巡礼道は山中だと思いますが、如何でしたか? >ロマネスク美術に強く惹かれ 私の場合、最初ロマネスク美術のあまりの「稚拙さ」に、特にローマの美術とかに 比べて、そのあまりの「稚拙さ」(皆さん文字通り受け取らないで下さいね)に、 何か引っかかりを感じ、それが長いこと疑問に思っていました。 >京都 ですか、ちょっと私には遠いですね。 残念です。 もう随分前ですが、京都には学生時代暫くの間住んでました。 比叡山ハイウェー の登り口から歩いて10分くらいの下宿でした。自転車で近衛町まで通っていました。 あのころは芸術とか文化財とかにはあまり興味がなかったので、今考えると惜しいこと をしたと思っています。 >AKIKO様 はじめまして、何方か情報を持っていらっしゃるといいですね。 ところでどの様なきっかけでロマネスクに興味を持たれたのでしょう? これからお二人とも時々このBBSに顔をだして下さいね。
初めて書かせていただきます。京都に住んでいる、芸大出身のものです。このHPは大変興味深くいつも拝見させていただいております。 私は学生の時からロマネスク美術に強く惹かれ、フランス各地、サンチアゴへのスペインの巡礼道、イタリアなどを研修してまわりました。 その成果の1つとして、この夏8月10日から15日まで、京都嵐山にあるアートギャラリーシグナスにてロマネスクからインスピレーションを受けた絵画展をひらくことになりました。 恐れ多くもみなさんのマドンナであるオータンのイヴの絵もあります。 私なりに受けたロマネスクの感動を伝えたくて、いろいろなイメージの絵画を展開してみました。 材料は、美しい岩絵の具を使っています。 もし、こちらについでなどありましたら、どうぞお立ち寄り下さい。 自分の宣伝で恐縮です。これからも時々HPを覗かせていただきます。
旅したいと思っているのですが情報がありません。 クレルモンあたりでどこかいい宿がありますか
旅したいと思っているのですが情報がありません。 クレルモンあたりでどこかいい宿がありますか
は特にこれといって話題性ありませんでした。 唯一現存するロマネスクは塔の1つのみだとか。 佐藤彰一先生の本 早速ネットで検索したら市立図書館と県立図書館に5冊あり、 その中でも「修道院と農民」というのが面白そう。 福岡市は検索で県内数カ所の図書館の蔵書が調べられるので すごく便利。皆さん地元の図書館のサービスは如何ですか? <脱線ネタ(汗)> 今度の民主党の副大統領候補はユダヤ系だとか、そういえば クリントンはアイルランド系でしたね。この様なことが話題 になるところに依然としてあのアメリカといえども拭えない 差別の構造があるのでしょうか? おっと、Back to work, back to work 汗、汗、汗 r(^^;)~~
みなさんこんばんは。 書き込みありがとうございます。 ●高橋さんおかえりなさい。 今朝テレビでDSL技術では日本は超後進国だとか。NHKのニュースでストリーミング でISDNとの比較を映していましたが、あれをみるとISDNではものたりません。 ほんとにはやくDSL環境に身をおきたいですね。 DSLはNTTの電話局の内部に装置をおけば対応できるそう。 NTTは光までの過渡的な技術として熱心ではないそう。 でもISDNよりはるかにいいですよね。 ●シバタ様 ヴァイキングの情報ありがとうございます。 ヴァイキングは以外とあっさり同化に応じたのですね。 意外ですが、実をとったということでしょうか(笑) 農民と都市論の比較は先日紹介した本にものっていて、 これはなかなか使える話ですね。 非キリスト教はうもれてしまったケルトやローマやら のまじりものなのでしょうけど社会史とか心性史の 歴史でもうすこし具体的に話題提供できるといいですね。 本にでてきたらまた話題提供します。 関係ないですが練乳ににた甘いものとしてカナダのおみやげで メープルバターをもらいました。メープルシロップはよくみますが これははじめてで、とても気に入りました。きっとシバタさん紹介のものも 好きになれそうです。どこかうってないかな。フォションとかだったらあるかも。 ●Hiroshiさん >生憎エアロ系のイベントが重なって 今回も両手に花でしたか(笑) 私は楽しみにしていたアーヘンのテレビ番組酒のんでねこけてましたら 人のことはせめられないっす。 先日話でにた佐藤彰一先生が中世の農業のこと日本語で 本で出版しているので図書館で検索してみるといいかもしれませんね。 ●ritsukoさん おひさしぶりです。 のぞいていただいて恐縮です。 >ロマネスク関係無いですね。 軌道修正はつねになされているようですので(笑) 脱線もきにせずどうぞ。 アメリカの住宅事情は結局安全なところは高いということですよね。 シカゴの北にあるエヴァンストンにいたのですが、 シカゴとエヴァンストンの間の電車の駅の一つ置きに 安全・危ない・安全・・・となっていると説明をうけました。 あと、安全をもとめるリッチ層は車で 30分から1時間のところに住居を構えていました。 私は2か月でしたのでホテル住まいでしたが(ホテル代向こう持ち)。 ●カノッサさん ちょうど今朝以前いただいた「パリ一住民の日記」を読んでました。 それで掲示板みたらお名前あってすごい偶然でびっくり。 >念願のロマネスクに再見されてきた そうですねベズレー・オータンは11年ぶりですかね。 つぎはいついけるかなあ。 ◆次回の更新は山本君のサン・ジルの論文の続きです。 昨日本文は打ち込んだのであとは図像と註です。 もうしばらくお待ち下さいませ。
Palo Altoには3年住んでました。確かに住むのは金銭面で大変でしたが、治安はいいし 隣人にも恵まれて、いい思い出ばかりです。 当時同居していた友人(アメリカ人と フランス人)が今でも住んでいるので渡米する時はよく立ち寄ります。
またコメント有り難うございます。 お名前は以前より伺ってましたし、 何度かHPも読ませてもらっています。それでついでと云ってはなんですが、 さらにコメント頂ければ幸いです。 以前このBBSで疑問にしたのですが、 9世紀にまかれた種に対する穀物の平均収量が1粒に対して、2.5粒 だとすると、既にこの時代10分の1税が確立しているとのことだったので、 (下の文献) これが総収穫量に対してだと考えると、仮に総収穫量10粒 として、このうち1粒が教会へ行くことになります。 領主がどれだけ収奪したか不明ですが、これも10分の1とすると、1粒が 世俗領主へ、それに勿論、次の年の種籾として4粒保存(2.5粒の平均収量 から算出)しなければならないわけですから、結局農民に残るのは10-1-1-4=4 になるようですが、これで果たして計算はいいのでしょうか?
Hiroshiさん、はじめまして。 中世の農業生産力ですが、『中世社会史事典』(藤原書店)によれば、 紀元千年くらいまでは、古代とほとんどかわらず、その後の農業革命 によって、9世紀から13世紀にかけ、まかれた種に対する穀物の平 均収量は、1粒に対して、2.5粒から5粒へと上昇したそうです。 東洋は、1粒から10〜30粒になる生産力を早くからもっていまし たから、個人的にはこの差が大航海時代以降の歴史の決定的違いなの ではと思っています。 ついでに。 iidaさん、お久しぶりです。 念願のロマネスクに再見されてきたのですね。
>(私はStanford時代4人で一軒家借りてました) そうだったのですか。私は義弟が1年だけ行っていて、 パロ・アルトを訪ねた事がありますが 何と家賃が高いのかとびっくりしました。今となっては都心より高いはずです。 ただ、マンションでも必ずプールがある、 生活必需品が絶対的に安いなど、総合的に見れば羨ましいところがありました。 すいません。ロマネスク関係無いですね。
前後して書き込みがあったようですね。フランス語にお詳しいそうですね、羨ましい。 仕事とかでも使われているのでしょうか? 語源とかも探れば色々面白そうですね。 ところで、その牛乳ジャム(?)どう使うのでしょう? また日本でも手にはいるのでしょうか? ケルト会 が昨晩あったのですが、生憎エアロ系のイベントが重なって、欠席してしまいました。 残念でした。 え?、まだロマネスクへの愛情が足らない?
や人口についての研究はなされているはずだし、個人的にも以前から興味があってそれ となく気をつけているのですが、なかなかこれといった文献にあたりません。 多分 一般向けでないので邦訳や出版はなされてないのでしょうね。 私自身には専門文献を 漁る力はないし、何方か専門家の方からコメントもらえると有り難いのですが、、、
慣れるまでが大変でしょうが。 それにしても2週間の夏休みとは羨ましい限りです。 私は来週から実験室が閉鎖されるので肉体労働が出来るのは今週一杯、休み中は報告書 や助成金の申請に明け暮れる予定。(涙)ただ10月に、沖縄に遊びに行く計画で楽しみ! 沖縄は手軽で、のんびり出来ていいですよ。 海外もいいけど気も使うのでね。 Oimoさんも今帰国されているのでしょうが、色々お忙しいのでしょうか? 日本のネット事情 はこれからの経済再生を考える上でも改善されるべき問題だと思いますね。近くNTTの 回線料が安くなるとの報道ですが、やはりアメリカ並にならないとこの時代、世界の 潮流についていくのですら難しいのではないかと不安。 大学でも来年度から図書館購入の雑誌はすべてon line閲覧になることが決まりました。 数年前教室レベルでOn line購読を運動したときは否定的な意見ばかりで諦めた経過が あるだけに、事態の急速な推移にちょっと驚き。 今からネットを使えない大学人は 生き残れないということでしょう。もっとも、大いに見切り発車的な面もあり混乱は 避けられないでしょう。 日本の住宅事情 よく日本の若者が、社会人になっても親と同居していることがとりだたされ、Parasite singleなどと揶揄されていますが、これは住習慣の違いや住居費状況も考慮されなけれ ば少し若者が可哀想。アメリカだって安月給の若者が1人で都会にアパートを借りるの は困難。結局Shared houseとかで安く挙げているのが現状ですよね。(私はStanford時代 4人で一軒家借りてました) 日本にはそのような習慣がないのに加えて、アメリカ にくらべ何倍もする住居費を考えると、親との同居が日本的解決策? 、、、ただし 親との同居だと、どうしても経済的にも精神的にも甘えていまうのが問題。
カマンベールにも行きましたよ。チーズ博物館というのがあって、友達はちゃんとカマンベールを買ってましたが、私はコンフィチュール・ド・レ(牛乳ジャムとでも言うんでしょうか)なるものを買って、以後病みつきになってしまいました。キャラメルの流動体みたいなものですが、練乳好きにはたまらないひとびんです。 領主は元ヴァイキングでも、住民はガリア人のままだったので、現在に残るヴァイ キングの遺産といったら地名くらいでしょうか。例えばオンフルール Honfleurのfleurは、入り江を表すヴァイキングの言葉の flet の変形だそうです。他にtot、bec、beuf などで終わる地名も多いですが、これもヴァイキング起源。 ヴァイキングはさっさとキリスト教に改宗し、土地に同化してしまったので、 残ったのはこれだけということ。 Hiroshiさんの書いてた農民vs都市民の構図は意外でしたね。聖職者と世俗の 人間、貴族と平民、富裕層と貧民層という対立は思いつきますが。 それにしても農民と異教徒が同語源とは(paganusはラテン語ですね)。でも今 でも農業国のフランスでそんな言葉の作り方しててええんか。当時は圧倒的に農民 の方が多かったはずだし。文化は都市のもの、ということなんだろうけど、そう 考えるとやはり農村と都市は対立項か。 辞書の語源の解説によると「非キリスト教が田舎において長く維持されたことから」とあります。非キリスト教ってローマ神話?ゲルマン神話?
予定通り8/1に横須賀に帰ってきました.それにしても毎日暑いですね.3日だ け会社に出て今日から2週間夏休みです. こちらに来て困ったのはやはりインターネットですね.常時高速接続に慣れて しまうとダイヤルアップは不便でしょうがありません.まあでもアメリカが日 本よりいいのはインターネットと住宅事情くらいでしょうか.やっぱり日本は いい国だなあと感じる今日この頃です. 最近のこの会議室での議論は興味深く読ませて頂いていましたが,引越し準備 などでバタバタしていて反応できずじまいでした.
CharlieさんのAulnayはとても気になる写真がおおいです。 西側正面では墓が散乱?していて右手前の塔はとても ケルトチックですよね。 タンパンの写真も、ゴシックぽい尖った形のものと まるいロマネスクのものがあります。 タンパンをとりまくヴシュールはすごい。 これはどういう起源なんでしょうか???? また柱頭彫刻にはカインによるアベルの殺害が彫られていますが ベズレーでは弓でころしています。ということは この主題の絵はいろいろあるということですよね。 これも写本起源なんでしょうか。それ以前に 旧約聖書を読んでないのでなんともいえませんが。 後陣は小祭室がでてなく身廊や袖廊とくらべると とても簡素な感じです。内陣の内部はどうなのでしょうか。
10分の1税というか農民の収入や税金うちわけをしらべようと手持ちの 本を調べたのですが、以外と項目として取り上げられている本がなくて、 ちょっと不明です。 ですが、なぜ教会や修道院が税金をとれるか、という点については (以前紹介ありましたら失礼) 『世界の歴史 10巻 西ヨーロッパ世界の形成』 佐藤彰一/池上俊一 著 中央公論社 69ページに「結論だけのべるが・・・」とのってました。 それによると、7世紀以降王家は領地収入だけで生きることを決意し、徴税権の 名残りは教会、とくに修道院に寄進された、と推測しているそうです。 推測という言葉をわざわざ使っているのでこれまでにそういう話は以外と 明確にされていないのですね。ちょっと意外でした。 もう一冊みたのが、 『世界史リブレット24 中世ヨーロッパの農村世界』 掘越宏一 著 山川出版社 で、p46には 13世紀の農業書としてウオルター・ヘンレイの「家政の書」 が紹介してありまして、この本には「収穫率が3倍以下の所領は なにも得るところがない」とあるので、いい感じですね。 そして、13世紀になるまでに収穫率が3〜4倍になってきたそうで、 農耕の発達があったことを考えればドキュメント間の矛盾もないですね。 御存じ農業革命は、鉄が手に入り、犂をひくのが牛から馬に かわったことがあげられます。それだけではないけれど、とりあえずの 報告まで。 PS今日垣根に緑に黄色の毛のはえた毛虫(さすらしい) がいたので手持ちの殺虫剤(農薬用)をスプレーしたら あっというまにひっくりかえって農薬おそるべしって感じでした。 成分は除虫菊から抽出したピレトニンだそうです。 こういうのも生産高向上におもいきりきいたのでしょうね。 しかし環境ホルモンに分類されてますし。化学屋としては スプレー缶に化学式もかいておいてほしい(笑)
先日の私の書き込みで、9世紀の西欧中世において小麦の生産量が種籾1粒あたり2粒 だったと解説があったことを話題にしましたよね。 それで自己流に計算してみると、 結局農民の手元に残るのは総収穫量の3割でしかないと。 昨夜「中世の迷信」を読んでいたら、やはり教会に払う10分の1税はこの頃(9世紀) 既に確立していたことが文献的に確認されているようです。 従ってあの仮定は結構 成り立つかもしれません!? それによると816年から840年までリヨン大司教であったアゴバルドウスに 「雹と雷に関する民衆の誤信」という、元々は説教集と思われる著作があり、その中に 「--- 農民たちは<嵐を呼ぶ者;良い魔術師>に貢ぎ物を払うことを口実にして、教会に 10分の1税を支払わず ---」との記載があるそうです。p84 novel but questionable 自動車工場で欠陥車が出る場合を考えれば、もちろん設計図(DNA)段階での問題もある だろうけれど、むしろカナ型の磨耗(mRNA damage)や、部品の取り付け間違い(translational error)だって多いはず。 しかし今、世の中は皆設計図(DNA)ばかり注目されている(涙)。 とはいえ、アイデアがnovel でも証拠がquestionableでは人を説得できない。 反省。 下の書き込みで、贖罪既定書は規定書の転換ミス
もうすぐお盆ですね。 キリスト教からみればわたしなんぞは異教そのもの文明化されていない 野蛮人で金の国にすんでいて、もうすぐお盆で先祖がかえってくると いって仏壇をおがんでいるわけですよね(笑) (以前アメリカ人に説明してつかれました) 告解は異端がこころのなかにひそんでないかつぶさにさぐる ためのもので、精神分析はこれからわかれてきたという人もいますよね。 私も村人にかんする話は私も知りませんでした。 興味深い話ですよね。 今週の世界遺産はアーヘンです。 現在ベズレーの企画が進行中だそうです。 楽しみ。 ところでOimoさんは日本ではここのぞいてるのかな? (会社でのぞいているので書き込めなかったりして) 高橋さんも帰国のころ。 いやいや暑いさなかに日本にくるというのはきついですね。 私はようやく暑さになれてきました。
「中世の迷信」によると、フランス語の村人(paganus)という言葉から農民 (paysan) と 同時に異教徒(paien)という言葉が派生してきたとのこと。 中世、都会人(urbani)と 田舎者(rustici)という言葉には強烈なイデオロギー的対立を含むものであったとのこと。 p42 、、、知らなかった。 ここら辺はあの「薔薇の名前」でも、修道士と農民との間にコミュニケーションが 成立していなかったとの、以前のIidaさんの指摘と関連するでしょうね。「都会人」で ある修道士や司教の重要な使命が、この農村に蔓延る異教の風習の排除だったわけですね。 <贖罪既定書> この本の中にも、贖罪既定書についての記載があり非常に興味深かった。 p60〜 以前、阿部謹也先生の「中世の罪と罰」について議論した時にも書き込んだかも しれませんが、当時告解の際には「これをしたか?」とかなり日常生活の細々した ことについても尋ねられたらしい(寝室でのことについてですら!)。 つまり当時の告解とは、完全に自主的なものではなく、強制的なものでもあったよう。 しかし阿部先生によると、これが西欧人の「個」の覚醒に大きな意味をもったと先の 本の中で述べられていました。 ロマネスクの時代はそれが確立していった時代?
無念ですが、これがサイエンスだと思います。 厳しい相互批判なくして、「知」は弛緩するということでしょう。 レフリーの事実誤認や認識不足を凌駕する「決定的事実を提示しなさい」 とのメッセージだと受け取っています。 Never give up
山本君は芸大生だけあって、手帳にもまめに様式なぞ 書いています。芸術のちゃんとした教育をうけていない私は タームもまちがえそうでおっかなびっくり。 彼の室生寺のレポートは以下のとおり。 これもリンクきれてるなあ。 山本君のロマネスクの文献ノートなども今後整理します。 その前にサンジールの卒論入力すませなければ(汗)http://home.fwi.ne.jp/~arts/kazuhiro/japan/tamamono/nara_kyoto/muroo.html
修復を担当された方が朝日新聞のweb版に紹介されていました。 修復後はきれいにぬられてしまったのだそうだけど、 >100年後には、修復前のようなさびた五重塔になりますよ」 とのことです。 見に行きたいな。 昨年のわたしの室生寺レポートはこちらです http://home.fwi.ne.jp/~arts/kazuhiro/japan/muroo_ji/index.html (あ、画像がデッドリンクだ、がーん) 朝日新聞の記事は↓
なかなか厳しい評価でしたね。残念でした。 しかしさらに挑戦ですね! 私の方はネタをあつめはじめています。 まだ実験というよりも作業中。 最近写真で盛り上がったので今年は 原子間力顕微鏡を動かす予定ですが 詳しい人がいないので無謀かな。 画像で思い出しましたが、先日2枚のアニメセル画から 途中の絵を補間する技術をニュースで紹介していました。 また最近の3D技術でポリゴン作ればあとはくねくねいくはずです。 で、おもったのがオータンのイブをポリゴン化とかアニメ化して 彼女を動かしてロマネスクの彫刻の説明をさせるってのを 想像してちょっと白昼夢にひたってしまいました(笑) ゲームやらないんですが(というよりやったことない)こういうのだったらできると面白いなあ。 ちょっとオタクはいってますね(爆)
>読書に当てる時間が少なくなってしまいます 私もそうですね。昔は余暇に読書か論文読み だったのにいつのまにか、web読みとweb作成 にとってかわられています。 web作成は残るからいいですね。まだ。 時間が消えてしまうどうでもいい新聞記事とかのだらだら読みが。。。 >ノルマンディー モンサンミッシェルの聖堂内の彫刻は時間がなくてあまりとりませんでした。 彫刻モチーフはたしかにあまりこったものはざっと見てもなかった と思います。さすがにディジョンあたりでみたランゴバルト風のものは なかったです。 ちょっとお腹が空いてきたので・・・食べ物について ノルマンディーはチーズがおいしいですよね。 カマンベールもここが本場だとか。 ブルゴーニュのものとはまたにおいがちがってよかったです。 そういえばたべものにもバイキング風っていうのがあるんでしょうか。
これなんかまさにケルト的だと思います。 彼らは「頭」に特別の思いがあったのだと、 ものの本には書かれてますから。 もともとブルタールニアはブルトン人が追われてや ってきた地ですよね。 投稿していた論文、rejectで帰ってきました。 え〜ん、え〜ん (涙、なみだ) 一人のreviewerは 「This is a novel idea and a novel piece of work ---」と絶賛に近かったのですが、 何と、もう一人のreviewerは 「-- is of questionable biological relevance ---」と散々。 結局Editor 判断で×。 でも蛋白が2D gel で同定出来たようなので。 これをつけ加えても〜っと上〜 の雑誌に投稿するつもり。 コノウラミ・ハラサズニ・オクモノカといったところ。
>しかし彫刻が少ないことが果たして石材だけの問題に帰着するのかどうか、 >個人的は気になります。 どーなんでしょうねぇ。ノルマンディーの教会建築の特徴で「彫刻は簡素」と書い てても、理由は複数の本を見ても載ってません。カンの石は「堅固できめが整っ てる」ということで、固いがゆえに彫刻に向かなかったんじゃないか、と思ったん ですが。あるいはスポンサーのノルマンディー公が元ヴァイキングなので、美的 なことに興味なく、彫刻なんかに手間暇かけるよりはさっさと建物を完成させた かったとか(ただの当て推量)。ただ少ないといっても全然彫刻がないわけでは ないんですよね。軒下に、ぞろぞろと人間や動物の顔が雁首そろえて彫られてた りとかする例もあるし。南の地方に比べれば質量ともに下回ってしまいますが、 シトー派のように装飾を全く拒否したわけではないと思います。 >ロマネスク-ゴシック期のスポンサーはフィリップ2世でした。1204年以降のこと >のようです。 この年号はノルマンディー公国がフランス王国に併合された年ですね。 これ以降のノルマンディー(特に西側のバス・ノルマンディー)は 1944年の上陸 作戦まで大したイベントがなく、歴史の中に埋没。
>特にHiroshiさんがレポートしてますが 汗、汗、汗、大汗 その中世賤民論が入っている阿部謹也先生の「ヨーロッパを読む」ですが、 ようやくこの出張中に読み終え、今引き続いてジャンクロードシュミットの 「中世の迷信」白水社;ISBN4-560-02814-1 を読みはじめています。 出張中はかえって時間が十分にとれるし、ネットへの接続もそれ程無制限 にやらないので、久しぶり腰を落ち着けて本が読めました。(汗) インターネットはなかなか便利で楽しいものですが、自由な時間には限り があるし、どうしても読書に当てる時間が少なくなってしまいます。 皆さんはそんなことはありませんか? 中世の迷信の著者は、あの「中世の身ぶり」を書いた人なので、多分楽しめる に違いないと確信していましたが、予想に違わず極めて快調! 図版も沢山 あって飽きっぽい私には大変有り難いです。(笑) これはお勧めですよ! それと、私も『読書ノート』期待してます。
の件はなかなか笑えます。 同盟軍がモンサンミッシェルを焼いちゃったそうです(汗) それでロマネスク期の建物が損傷をうけ、 フィリップ2世は援助を惜しまなかったとか。 きっとミカエル天使が彼の夢まくらにもたったのでしょう(笑)。 100年戦争中は修道院長が突如イギリスに寝返ったり、 その後100年戦争後は私腹をこやす修道院長がつづき、 革命後は牢獄としてつかわれたりして 1863年にようやく修道院として修復がはじまったようです。 どこかでくるってたらモンサンミッシェルは廃虚でしたね(汗)
『読書ノート』たのしみですね! >海を渡って島に辿り着くのが危険だったらしく、 なんでも満ち潮になるスピードは毎時15kmになるとか。 これは自転車のスピードですよね。 最近でも何人か浜を散歩していて溺れた方がいたとか。 中世では同様のネタで妊娠中の巡礼者がすくわれて奇跡とされるのですが 中世が秋になるにつれて奇跡は散っていき、今はもう冬なので奇跡は 起きないようです。 農奴の件で身分社会の話を思い出しました。 昔NHK市民大学講座でやっていた阿部きんや先生の話しで 身分の一番下がユダヤ人でした。 差別の起源とかここらをさぐると面白い研究がいろいろありますよね。 (特にHiroshiさんがレポートしてますが) 私もそういう話が好きなのですが、今はてもとの写真の整理とか図像学、 教会の紹介文をかいたりで手一杯です。 というわけで楽しみにしています。是非お知らせ下さいね。
は何日か前の書き込みのタイトル“Saint-Michel-au-Peril-de-la-Mer”の訳ですが、 海を渡って島に辿り着くのが危険だったらしく、砂に埋もれたり、溺れたりする者があったようです。 巡礼者は多く、百年戦争中も盛んで、当時はイギリスの支配にありましたが、 イギリスも巡礼を認めていたようで、通行券を売っていたとのこと。 (↑イギリスは商売していた?!) Grande-Rue(大通り)には今日同様土産物店が並び、 聖ミッシェルの肖像の入ったバッジのようなものや、 砂浜の砂の入った鉛の小瓶とかが売られていたとのことです。 (↑今もあまり変わっていない!!!) 巡礼者には貴族と富裕な都市民、そして道中施しを受けながらやって来て、 モン・サン・ミッシェルでは無料で修道士に泊めてもらう貧民などがいたそうです。 (↑貧民、あるいは物乞い、乞食が社会のなかで市民権?をもっていたことは重要) 中世の農奴は古代の奴隷と違いむやみに殺されることはなかったし、家族を持ったし、 私的所有もあり、動産については相続も認められていた。 ただ土地(農地)に縛りつけられていて、そこから外へは移動できなかった。 そんな農奴に認められた旅が巡礼だったらしい。 考えようによっては農奴は“恵まれた”とまでは言わないまでも“生活を保証された”身分 であったとも言えるらしいのですが(少なくともフランスに於いては)、 そんな中世の社会のことなどを『写真について』同様ジオシティーズのサイトに 『読書ノート』として掲載する予定です。
がどなたかいらしたら教えてください。 Santiago de Compostela をカナで表記する場合、 サンチアゴ、サンチャゴ、サンティアゴなどどれが原語の発音に近いのか。 また、コンポステーラとのばした方がよいのかどうか?
>休憩と治療の宿泊施設や病院がととのっていたそうです。 >スポンサーはフィリップ2世でした。 なるほど抜け目はなかったわけですね。 でなければあんな建物は建てられませんよね。 >きょうの懇親会がうまくいきますように! 成果ありました。 共同研究を1件決めてきました。 こちらはラベルした基質を提供 するだけ、ポジティブな結果がでれば論文に名前を入れるとのこと (ラッキー!) 「枯れ木も山の賑わい」といいますから(汗)。 それにしても元気のいい懇親会でした。一瞬にして料理が無くなっていました。(怒) でもこれは悪いことではないです。 楽しみな学会の一つになりそう。 、、、○学会とかの懇親会とか豪華だけど行きたくない方ですから。
以前紹介したガイドブックによると、 11世紀頃から奇跡が頻発し、たとえば聖オベール(モンサンミッシェルを ミカエル天使のおつげによって建てた人、ミカエル天使に頭蓋骨にあなをあけられたという) の頭蓋骨で水を飲んだら聖職者の病気がなおった、とか。 14世紀には羊飼いの少年達がひきつけられたそうで、道筋は「天国への道」 とよばれ、休憩と治療の宿泊施設や病院がととのっていたそうです。 巡礼の道は安全でないので、「モンサンミッシェルに行く前に 遺言書を作りなさい」ということわざがノルマンディーにはのこっているとか(汗)。 ロマネスク-ゴシック期のスポンサーはフィリップ2世でした。 1204年以降のことのようです。 >出張先の品川から 学会お疲れ様でした。一人でカレーってのも寂しかったですね。 きょうの懇親会がうまくいきますように!
接続にまた苦労しました。 結局市街局番の03を外したらうまく いきました。こんなことは始めて。 皆さん経験あります? さて学会の方は早々と初日に発表が終わったので、まず一安心。 待ち時間を超過せずに話せて、質問も沢山きてそれなりに満足。 ただ残念なのは、始めての学会で知り合いがおらず、夕食は独り カレー屋さんでぼそぼそと。(涙) 明日の懇親会で頑張ろう! >シバタ様、 解説有難うございます。 勉強になります。 しかし彫刻が少ないことが 果たして石材だけの問題に帰着するのかどうか、個人的は気になります。 >街の中では汚れてかなり黒くなっています。 最近は酸性雨の影響で内部まで傷んでいるそうですね。 先日もちょっと気になったのですが、巡礼路修道院として成功するには やはり民衆を引き付ける魅力、つまり現世利益が保証されていることが 必要だと思うのですね。 いかに見た目が凄くても、そこは上手いプラン ニングが必要だったのではないでしょうか? その点モンサンミッシェル 修道院が下手だった、あるいは強力な世俗領主が後ろ楯にいて必要としな かった、というような可能性はないのでしょうか? いずれにせよ、あれだけの建物を孤島にたてるとなると、強力なスポンサー はいるはずですよね。 それが世俗領主で民衆ではなかったという可能性は ないでしょうか?
シバタ様コメントありがとうございました。 そうですね。たしかに下調べしようにも有名なわりにガイドブックも 中のことまで書いてないですし、見落としはおおきいかもしれません。 あの迷路をきちんとみれたのはガイドさんのおかげですね。 ノルマンディーの方では彫刻がほとんどないのですか。 それははじめて聞きました。 そして巡礼路にそって教会がないのも意外でした。 ガイドさんやガイドブックには巡礼のことがいくつか取り上げられているだけに 不思議ですね。 たしかにローマ方面も巡礼教会路とかきかないですし、クリュニー派が うまくサンチアーゴに行くように本を書いて誘導していたのかもしれないですね。 革命時の教会に対する態度については興味があります。 といのは彫刻の頭をこわしているのですが、具体的に そういう指令がでたのかどうか、とかどういうシチュエーションで こわしにかかったのかとかまとまったものがあったら見てみたいですね。 聖職者は今でもたしかに4-6人ほどいるとガイドのおねーさんが いってました。
モンサンミシェルの写真見せていただきました。 時間が制限されるかもしれないけど、解説付きならツアーもいいですよね。 個人で行くと、下調べをしてないと見損ないばかりです。 でも「地球の歩き方」(当時の)でも全然内部の詳しい説明なんか載って ませんでした。地下部分に気がつく観光客は少ないんじゃないでしょうか。 ノルマンディーの教会建築の特徴は彫刻が少ないことだそうです。だから柱頭 をはじめ、ほとんど装飾なし、あっても簡素。理由はわかりませんが、石の質と いうことかもしれません。技術の蓄積がないからいざ作ろうとしてもろくなものが 出来ないのかも。思い出してみるとタンパンの彫刻なんて見た記憶ないです。 Charlie さんの書いてたとおり、カン(私がいたとこ)の石は石材として 重宝されたそうで、現在でも採石場は街を少し離れたところにあったのを 見たことがあります。層によってやや黄味がかってたり、灰色っぽかったり するそうですが、街の中では汚れてかなり黒くなっています。 >巡礼地モンサンミッシェルは巡礼地人気投票がもしあればナンバー3に >はいります。残りはもちろんサンチアーゴ・デ・コンポステーラとローマ。 >ノルマンディーは戦争WW2で上陸作戦とかあったので(プラモデル作ってた >ころ中学生のころが懐かしい)焼け野原になったそうなので巡礼教会もほと >んど壊滅したんではないでしょうか。 ノルマンディーに巡礼地なんかあったっけ?と思い、ちょっと本、ガイドブック など調べてみたら、「巡礼」の文字が載ってたのは、モンサンミッシエルと リジューだけでした。リジューは20世紀に入ってからのものなので、古いのは やはりモンサンミッシェルくらいでしょうか。 ノルマンディーの修道院の歴史をたどると、早いもので3世紀とか5世紀に 創設され、その後ヴァイキングの襲撃にあい、破壊されたりしてますね。パリ も襲われたからこりゃたまらんと、時の国王がヴァイキングの首長をノルマン ディー公に封じる。するとこれまで掠奪側だったのが、修道院を保護するよう になります。それからは領主の保護とベネディクト会の勢力で、再建されたり 新たに創設されたりと、修道院の繁栄期に入ります。時期的にロマネスクと 重なるんですが、それがそのまま残るのは難しく、ゴシックやそれ以降の様 式が付け加えられたり、百年戦争や宗教戦争で被害を受けたり、時代と共に 衰退。とどめが大革命で、修道院の組織自体が崩壊。その後は修道院として 復活したところ、ただの教会になったところ、廃虚のまま残ったところ、といろ いろですが、第二次大戦の被害は、都市部ほどにはないようですよ。レッセイ という修道院だけは革命は生き残ったのに、戦争で爆撃を受けてしまい、完 全破壊。戦後に再建されていて、その写真では完全にロマネスク様式です。 他の地方と同じくらいはノルマンディーにも教会、修道院はあると思うんです がいまいちマイナーなんですよね。コンポステラへの道から外れてることも 大きな要因と思うんですが、あれだけ見た目にもスペクタクルなのに「モン サンミッシェルへの道」なる巡礼路が、なぜできなかったんでしょう?? 不思議です。 なおモンサンミシェルでは現在でも修道院に所属する聖職者がいるという話 を聞いたことがあります。
片付けお疲れ様です。さぞ大変だったでしょう。 モンサンミッシェルのコメントもありがとうございました。 平原のなかに聖堂が遠くに見えるってのはいいですよね。 聞くところによるとシャルトルがすごいらしい。ライトアップされた 聖堂は今回はどこでも見ていません。これは暮れるのがおそくて夜10 時くらい?でいくらなんでもそんな時間はワインを飲んで食事をしてい たので。ベズレーがライトアップされていたのかが気になります。 >ADSL ボストンではADSLだったのですか。私は自宅ではISDN ですがまだ私のすむ名古屋隣接市街地はフレッツサービスがきて いないのと私のはいっているプロバイダーもサービス対応準備中 となってます。 はやい回線と容量の大きいサーバが画像系ホームページには必要ですね(笑) >トロント ダウンタウンがとても近代的でびっくり。滝も夜景がきれいなのと アップの写真がすごく滝によっている感じでちょっとこわい。みなさん 防水具きてますね。 日本への旅、お気をつけて。
昨日荷物を送り出し,いよいよ31日朝にボストンを発つことになりました.帰 国後は以前住んでいた横須賀のアパートに戻ります. モンサンミッシェルの写真,楽しく拝見しました.私は2回目の海外旅行で94 年に訪れました.63番の写真ように,遠くにシルエットが浮かび上がってきた 時に感動したのを覚えています.夜にライトアップされた姿も素晴らしいもの でした. 横須賀ではしばらくADSLが使えそうになく,ダイヤルアップアクセスの通信 速度の遅さに耐えられるかどうかが唯一の心配です.HPにはとりあえずトロ ントのものを数枚追加しました.フィルムスキャナは船便で送ったため,次 回更新は9月末になりそうです.日本には大量のネガがあるので,ヨーロッ パの田舎の写真を中心に少しずつ追加していきたいと思います.