ほんの少しのやさしさを

平井信義著、(株)企画室

分類:新聞のコラム集

論旨:子供がいたずらしたり悪いこと(に見えること)をしたりしているときにも、決して叱るべきではない。子供は子供なりの理由があってしていること、そしてその理由は大人の側にあることである。子供を叱ってしつけるべき、という概念は封建時代のもので、民主主義の時代にはそぐわない。それどころか、叱ることで自分の意見を伝える力、創造的な力の芽を摘むことになる。親の側には、口を出さずに子供を見守る忍耐が必要。

感想:なるほどと思うことも確かに多い。が、こればかりがいいとは、私には思えません。むしろ、「叱る教育」主流の風潮に対しての反対意見に徹するあまり、ある意味で反動的な内容になっているようにも感じられます。

たとえば、どうしてもおかしい!と思うのが、片づけの問題(これについては、著者の属する研究会でかなり議論になったよう)。著者は片づけのことを「他人にみられたときにだらしないから、つまり『見栄』である」「片づけには創造的要素が乏しい」と断じています。私はこれを読んだとき、「つまりこの人は片づけのできない人なんだな」と思いました。私も片づけるばかりが良いとは思いません。むしろ、小さい頃の部屋の様子は、燦々たるものでした。が、「片づけると気持ちがいい」「片づいた部屋に人を招けば、人も気持ちが良い」、ついでに「片づいていない部屋に人を招くことは相手に対して失礼」だと考えるようになりました。それに、結婚してから「片づいた状態が気持ちがいいという概念」が全くないダンナサマに、散々手を焼きました。今は少々ましになりましたが・・・。創造的な能力も必要だけれど、片づけのノウハウも必要。私はそう思います。(といっても私もあまり得意な方ではないので、えらそうなことは言えませんが。。。(;^^)ヘ..)
そのほかにも、暴力やら登校拒否やら、かなり極端な例を挙げて「こうこうこういうことになるから叱ることは良くありません」といわれても、何だかずれてる、と思うことも多々ありました。

が、なるほどと思うこともたくさんあります。たとえば「責任を持ってやる」ということ。日本で「責任を持ってやりなさい!」=「言われたことをきちっとやりなさい」ですが、欧米では「自分の発言や行動に対して責任を取る」ということ。封建主義の世なら、上(ただし才能のある上役)の命令をきちんとできる人を育てることで、世の中成り立っていくかもしれません。が、それぞれが意見を言い合うことでより良くしていこう、という世の中で、みんなが「誰かが言ったことをやる」人間ばかりなら、議論が先に進まない。学生時代も、就職してからも、こういう場面をたくさん見てきました。そして、その理由が、日本の教育概念にあるということが、ミョーに納得できてしまいました。

たたみかけるように「あんな例、こんな例」と次々に出てくるのは、おそらくコラム集であるためでしょう。この著者の思想の全てに賛成できるわけではないにしろ、頭に入れておく必要はありそうです。