2000/6/24 のエピソード
フランス・パリに到着した次の日モンバールまでTGVでいってそこからレンタカーでフォントネにいった。日曜日だったので地図を入手できないままだった。フォントネはすぐ見つかったので、標識をあてにアヴァロンを抜けてヴェズレーに行くことにした。地図らしきものはレンタカー屋(といっても自動車整備屋さん)でごくおおざっぱな何本かの線が見えるだけの地図をもらったのと、あとは「地球の歩き方」だけだった。
標識をたよりに走りはじめたが、迷った、というかはじめはアヴァロンと標識にでていたのだがいつの間にかなくなる。心細い。だが、村々には人気もなく聞きにくかった。それでもレストランでおねえさんに、ボンジュール・アヴァロン・シル・ヴ・プレ(アヴァロンはどちらですか)と聞いた。あっちと指差す方向は今まで走ってきた方向と90度ずれていた。そちらに走りはじめるも、また標識がなくなっていく。こまった。ガソリンスタンドがあいていた。おばちゃんがいた。得意のアヴァロン・シル・ヴ・プレ。あとはアベヴーカフトドブルゴーニュ(ブルゴーニュの地図ありますか?)と聞いたがなかった(涙)おばさんは次のロータリーをエスポワジーへいくのよ、という。次のロータリーに行くと、エスポワジー行きとアヴァロン行きがある。アヴァロン行きをけってエスポワジー行きにいけというのか?アヴァロン行きを選択した。が、しばらくいくとみちにアヴァロンと書いた標識がでているのだが、黒くマジックで塗りつぶしてある。なんでやねん。
そのうち駅らしきところにつく、駅で聞こう、とはしりはじめたが、なんと駅というより電車と貨物のたまりば。人気はない。それに線路ぞいを走ってきたら幹線をはずれて村だ。村をはしっているとおっちゃんが家に入ろうとした。おっちゃんにまたアヴァロン・シル・ヴ・プレ(これしか知らないのはいうまでもない)。するとあっちいってそっちだ、とかなんかいっている、僕らはさっぱり???だったのだが、家人は日本語ではなしはじめた。日本語でわかりません、どっちですか?と聞くとなぜか良く通じるというか僕らが困っていることがとてもよくつたわるようになったようだ。それでおっちゃんとしばらくすったもんだのすえ、おっちゃんは車にのって、我々に目配せをしてくるので、つれてってもらえると思うことにして、どこかにつれていかれて殺されるとか、恐い人に引き渡されるとかちらとおもったけど、おっさんはあくまでも人なつこい顔をしていたので車でついていくことにした。実はおっちゃんつれていくつもりなくてスーパーでも行くだけだったりして。
私達が走ってきたみちを10キロ引き返した。そして小さな村を2つ通り抜けた。まもなくおっちゃんは車を右にとめ、アヴァロンがどうとかこうとかいっているので、アヴァロン?とかいうとウイとかいって(笑)いるので、私達はうれしくて、うれしくてメルシー・ボークー。握手もして、このときほんとにどう感謝していいか、もっとフランス語覚えれば良かったと思った。しかし舞いあがっていたのでデジカメで記念撮影とかわすれてしまった。
まっすぐ走っていくとたしかにアヴァロンについた。アヴァロンのような大きな都市ではガソリンスタンドがあいていて地図も買うことができた。一時はくらくなってまよったらどうしようと胃がきりきりする思いだった。暗くなると迷ううえに人が外にいないので聞きにくいことをおそれていたのだ。予定より1時間から2時間遅れでつくことができた。あのおっちゃんと出会わなかったら当日にたどりつけなかったかもしれない。そう思うとなおさら感謝の気持ちが浮かんでくる。
ホテルはレスペランス。この余裕のなさはトランクがアリタリアからでてこないことが大きかった。ホテルでの惨状はまた後日。フォントネおよびヴェズレーのプレビュー(既出)はこちら。